シスコンの兄がついに法改正に乗り出した件

クオンタム

シスコンの兄がついに法改正に乗り出した件

『えー。以上をもちまして、校長先生のお話を終わります』


 北天高校の一週間は、退屈な全校朝礼からはじまる。

 何の新鮮味もない朝礼だ。花壇を踏み荒らさないようにだとか、制服のままで夜遅くまで遊ぶのはやめましょうだとか、似たような話が1時間近く延々と繰り返される。生徒たちも、教員ですらも、真面目に話を聞いている者はほとんどいない。


『では最後に――』


 いや、いなかった。

 この時までは。


『生徒会長からのお話で、本日の朝礼を締めくくりたいと思います。

 天宮刀弥あまみやとうやくん、壇上へ』


「はい」


 天宮。

 その名前が出た瞬間、ざわりと空気が揺れた。

 居眠りしていた男子生徒も、スマホをいじっていた女子生徒も、一年生も三年生も、みな一様に顔をあげて壇上に注目している。やがて、きらきらとした、まばゆい光すら感じる声が体育館に響き渡った。


「みんな、おはよう。高等部三年、生徒会長の天宮だ」


 容姿端麗な美男子であった。

 清潔感のある黒髪に、マイク無しでもよく通る声。一年生のころから連続で生徒会長をつとめている男だから、こうした演説にも慣れている。

『いい男は同性からも支持される』というが、天宮はまさにそれだった。女子はもちろん、男子であっても魅了されてしまうようなカリスマに満ちている。


「どうもここのところ、毎週のように朝礼で喋っている気がする。みんなもいい加減、俺の話に飽きてきたころだと思うが――」

「んなことねえよ!」


 誰かが叫んだ。


「もうずっと天宮が喋ってていいって!」


 負けじと、別の誰かが叫ぶ。


「会長ー! こっち向いてー!」

「天宮くーん!」

「刀弥せんぱーい!」


 怒涛のような歓声があがった。つい先ほどまで真面目な顔をして司会進行をしていた50代の女性教頭も、いつの間にかお手製の天宮うちわを振り回して熱心に応援している。


「ありがとう、みんな」


 天宮が苦笑し、壇上で小さく頭を下げた。すっと波が引くように全員が静かになる。静かになるのを待ち、天宮は静かに語り始める。


「じゃあ、今日は高校生らしく、進路の話をしたいと思う。"将来の夢について"だ」


 そこで天宮は言葉を切り、誰かを探すように体育館の中を見回した。

 やがて目当ての人物を見つけたのだろう。にこりとそちらに笑顔を向ける。感動のあまり、着弾点付近の女子生徒が何人か昏倒した。


「俺の将来の夢は――――」


-------------------


 翌日。

 天宮家の食卓は、険悪なムードに包まれていた。


「おはよう、結衣ゆい

「……兄さん」

「どうした? 今日はえらく不機嫌じゃないか。かわいい顔が台無しだぞ」

「兄さんはバカなんですか?」


 いや、険悪な雰囲気を漂わせているのは一人だけだ。

 天宮結衣。完璧超人な生徒会長、天宮刀弥の妹。

 結衣は、心からの呆れと隔意を込めて兄を睨みつけた。



 天宮刀弥は、優秀な兄だった。

 どれくらい優秀かと言えば、今どき漫画にだってこんなテンプレ臭い優等生は出てこないだろと思ってしまうくらいには優秀だった。


 なんと言っても顔がいい。何度もモデルや芸能人のスカウトが来ているが、今は学生生活を謳歌したいとスカウトはすべて断っているらしい。

 成績もいい。テストの点数は常に学年トップで、一年生の頃から生徒会の会長をつとめたかと思えば、部活の方も手を抜いていない。北天高校の弱小剣道部を全国優勝に導いた伝説の主将――『"魔剣"の刀弥』の異名は全国に響き渡り、若き天才剣士としてニュースにもなったくらいである。


 そして、ダメ押しと言わんばかりに性格もいい。

 バレンタインの時などすごかった。今年など、山盛りのチョコを家に持って帰ってきた。

 四回だ。一回では持ち帰りきれないので、大きなカバンを持って何度も学校と自宅を往復するのである。嫌な顔ひとつせず、『みんなが慕ってくれている証拠だ』と、実に嬉しそうに。


 だが天の神様も、キャラメイクの段階で『さすがにこれはやりすぎた』と思ったのだろう。

 完全無欠の超人である天宮刀弥にも、一つだけ大きな欠点が存在した。


「いや、バカですよね。昨日の演説で確信しました。兄さんは、間違いなく、バカです」

「そんなにだめだったか? あの演説」

「だめに決まってるでしょう! なんで――」



「なんで将来の夢が ""なんですか!!!」



 天宮刀弥。

 彼は、病的なまでのシスコンだった。


『俺の将来の夢は、そこにいる、妹の結衣と結婚することだ』

『父と母には既に話を通してある。お前が決めた事なら応援する――と言ってもらえた。ありがたいことだ』

『子供は三人ほど欲しい。教育費などを考えると、今のうちから貯金をはじめておいたほうがいいのだろう』

『そして何より、法律の問題がある』

『妹と結婚するため、俺は総理大臣を目指そうと思っている。この国の法律を変え、二親等での結婚が許されるよう――――』


 結衣が聞いたのはそこまでだ。結衣は怒りと恥ずかしさのあまり気を失い、刀弥も即座に演説を中断して妹を保健室に運んでいったため、それ以降にどんな(ろくでもない)演説が待ち受けていたのかは誰も知らない。

 知らないほうがいいだろう。


「ふっ。どうだ結衣、俺の愛にときめいたか?」

「ときめいてないっ! むしろ気持ち悪いっ、ほんっと気持ち悪いっ!」

「……? 気持ち、悪い……?」

「その"何故だ?"みたいな顔もやめてください!!」


 結衣が眼鏡越しに眉間をおさえる。

 セルフレームの黒メガネに、後ろで結った長めの黒髪。真面目そうと言えば聞こえはいいが、どちらかと言えば野暮ったい印象を受ける。兄とは似ても似つかない、ごくごく平凡な少女だった。


「はあ……」


 実際、根は真面目なのだろう。兄を無視したりはせず、ため息をつきながら説得にかかる。


「……兄さんならご存知ですよね? この日本という国では、兄妹での結婚は認められていないんですよ」

「そうだな、知っている」

「世界的に見ても、近親婚を正式に認めている国はほぼゼロに近いんですよ」

「ああ、それも知っている」


 結衣が喋っている時、刀弥はけっして彼女の言葉を遮らない。こうして真摯に耳を傾け、相槌を打つのが彼のスタイルだ。


「なあ、結衣」

「……なんですか」


 刀弥がきらめく笑顔を愛する妹へ向けた。結衣の両肩に手を乗せ、子供に言い聞かせるような優しい口調で、妹をなだめ伏せる。


「心配なのはわかるが、俺を信じてくれ」

「信じる?」

「ああ。10年……いや、7年以内に法律を改正し、俺とお前が結婚できるようにする。大丈夫だ」

「それが心配だっつってんですよ! なにも大丈夫じゃねーでしょう!」

「何が不満なんだ」

「普通は! 兄と妹で! 結婚は、しません!」


 絶叫しながら、結衣は幼い頃の記憶に思いを馳せていた。

 幼い頃……少なくともお互いが小学生の頃までは、ごくごく普通の兄妹だったはずだ。兄妹仲は確かに良かったかもしれないが、ここまでではなかった。


(そう、ここまでじゃなかったはず。そりゃあ確かに兄さんは昔から頼れる人で……)


 しかし、前兆もあった。刀弥は常に結衣と一緒に居たがったし、結衣が困っている時は即座に駆けつける男だった。

 "即座に"というのは比喩ではない。文字通り、掛け値なしに、二秒もあれば結衣の元へ駆けつけるのが刀弥だ。それまで影も形もなかったのに、結衣が困るとどこからともなくニンジャのように現れるのだ。


(私の初恋も応援してくれて……)


 中学にあがった結衣が"好きな人が出来た"と言った時は、体調不良で刀弥は一週間近く学校を休んだ。学級閉鎖の時も一人だけ健康体だった兄が学校を休むのを見たのは、後にも先にもあれ一度だけだ。

 けっきょく告白は断られ、失敗に終わったのだが、その翌日から初恋の先輩は謎の失踪を遂げ、しばらく経ってから『転校した』とだけ知らされた。悲しい、そしてちょっと不可解な物語だった。


(だめだ。どの思い出も、いま考えるとあまりに怪しすぎる……!)


「ほら結衣、トーストだけじゃ栄養も偏るぞ」

「ん……」

「朝ごはん作ったから、食べていきなさい」


 いつの間にか、テーブルの上にはいくつかの皿が乗っていた。兄お手製の料理だ。

 スクランブルエッグに、手作りドレッシングのサラダに、デザートのヨーグルト。結衣の好みを反映して、ヨーグルトにはいちごのソースがかかっている。文武両道な上に料理までできる――モテるために生まれてきたような生命体だ。


「ねえ、兄さん」


 そんな兄を間近で見てきた結衣としては、ずっと疑問だった。

 "なぜ私なのだろう"と。


「なんで、私なんですか?」

「なんで?」

「だってそうでしょう。私より可愛い人なんてたくさんいるし、兄さんなら芸能人やモデルとだってきっと釣り合います」

「……ふむ」

「なのに、なんで私なんですか。なんで妹なんですか」


 短い、シンプルな問いかけだった。じっと兄を見つめ、返答を待つ。


「そうだな。理由はたったひとつだ」


 常に自問自答しているのか、刀弥はいっさい悩む様子を見せなかった。


「生まれた時からずっと一緒だった女性を、好きにならないわけがない」

「……」

「お前を必ず幸せにする。俺を信じて、待っていてくれ」


 結衣が思わず顔を伏せた。ここまでまっすぐに愛の告白をされると、いくらなんでも恥ずかしい。


 そしてなにより、嬉しい。

 この人は、本当に自分のことを愛してくれているのだ。どんな美女も私の代わりにはならないと、そう思ってくれているのだ。


(もし……万が一、兄さんが本当に法律を変えてしまったら……)


 プロポーズを受けるのも、悪くないかもしれない。

 そんな事をちらりと考えてしまう自分がいることに驚いた。


「ところで、結衣」

「はいっ!?」

「来週の朝礼、何を話すのがいいかな。個人的には、近親婚のメリットや素晴らしさをパワーポイントにまとめてプレゼンしようと思うんだが……」

「死ね!」


 いや、やっぱりないわ。

 兄の演説タイムをなくしてもらえるよう、校長先生を説得しよう。


 天宮兄妹の朝は、こうして過ぎていった。

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