エピソード9 お土産の箱には虫ぎっしり(虫注意)
地元に戻ってくるのは年末年始に帰省した時以来だ。
季節が変わりつつあること、街中でのイベントが少し変わった以外では特に変わったことはない。今はちょうど卒業シーズン。そういえば去年の今頃は私も卒業式やら合格発表やらで忙しかった。従弟の大樹だってそうだ。多分今年のこのシーズンは去年のように忙しくはない……はずだ。
帰省したら必ず何か起きているか、周りの人から不思議な出来事の話を聞かされる気がする。話を聞かされることについては私がホラー小説を書いているからまだいい。問題は変な出来事の方だ。
私、恒川美晴は大学に入ってからその手の怪奇現象を経験することが増えた。アパートでピアノが鳴り続ける怪奇現象から写真展で異空間に移動している怪奇現象まで。
まさか私は怪奇現象呼び寄せ体質では、と考えるようになった。
ホラー小説書きとしては別にどうということはないけれど。
さて、家に帰れば弟たちがそれぞれのやることをやっている。勉強だったり、筋トレだったり。
私には弟が2人いる。高校1年生の恒川
「あ、姉ちゃんおかえりー」
雪哉はリビングで勉強していた手を止めて私を出迎えた。クールでダウナー系だが私には素直。かわいくてよろしい。
一方でイヤホンをつけて筋トレしていた晴希は私に興味なし。まあ、そういう年頃なんだろう。お姉ちゃん、寂しくないからね。
「ただいま。お土産買って来たけどいる?」
私はお土産のお菓子を弟2人の前でちらつかせる。両親からの仕送りも混じっているかもしれないが、とりあえず私の稼いだお金で買ったお土産のフィナンシェ。夏休みに買って来た饅頭の受けが悪かったので今回はこっち。
「また饅頭じゃないよねー?」
と言ったのは晴希。
「大丈夫、今回はフィナンシェだから。ほら、マフィンみたいなやつ」
私は袋からフィナンシェの箱を取り出した。
「お、美味しそうじゃん。コーヒー淹れてよ」
「残念、今日は紅茶しか淹れないよ」
私は晴希の頼みを一蹴し、ケトルでお湯を沸かして紅茶を淹れる。
なぜコーヒーにしなかったかというと、雪哉がコーヒー嫌いだからだ。私も晴希も紅茶は飲めるので、全員が飲めるものにしたわけだ。
「今日もいい感じだ」
私は紅茶をつぎ分けて机に並べ、フィナンシェの箱を開ける。
このとき、私は違和感を覚えていた。箱は包装紙すら破っていないのに軽い。箱の中からは妙な――心霊現象みたいな気配がする。
これはおそらく怪奇現象案件だ。間違いない。だって、去年から怪奇現象に巻き込まれるようになっていった私の身の回りで起きること。もう疑わずにはいられない。
私は怪奇現象呼び寄せ体質だ。
「あ、ごめん! これ切らないといけないやつだー!」
誤魔化しもいいところかもしれない。だが、私は晴希と雪哉を巻き込まないために箱をキッチンに持ち込んだ。
キッチンに箱を持ち込んでも箱の放つものは変わらない。なんというか、霊的なやばいものの気配だ。それは次第に強くなり、弟たちにも影響を及ぼしそう。
私は直感的に「開けねば」と考え。
包装紙を破り捨てて箱を強引に開けた。
がさごそ。がさがさ。もぞっ……
箱にはフィナンシェではなく大量の虫が入っていた。
「ぎゃああああああああーーーーーーーー!!!」
ぼとり、と私は箱を落とす。
落としてはいけなかった。
箱を落としたその瞬間、箱から虫が這い出る、飛び出る。逃げたいが体には全く力が入らないし動けない。まるで金縛りにでも遭ったかのよう。
嫌だ。来るな。近づくな。触るな。
ごそごそと這い出る虫たち。
ムカデ、クモ、ゴキブリ、蛆虫……とにかく見るだけで不快感を煽る虫たちが箱から出てきた。そんなはずはなかった。お土産のフィナンシェを買ったときは普通のフィナンシェのはずだったのに。
そういえば、雪哉はどうしている?
雪哉は私が悲鳴をあげるとすぐにとはいわないが、気づけば来てくれる。だが、今回に限っては雪哉が来ない。晴希が私に塩対応なのはともかく。
「ゆきや……」
私は声を絞り出した。
返事はない。雪哉はいるはずなのに。
ふと、私はフィナンシェの箱を見た。
……フィナンシェの箱の文字が文字化けしている……?
確かに『フィナンシェ』と書かれていたのが『繝輔ぅ繝翫Φ繧キ繧ァ』に変わっている。その箱からは未だに虫が湧いて来ていた。
来るな。
そうやって願っても虫は私にとびかかり、這い寄り、脚を上ってくる。その感覚がたまらなく不快、むずむずする。はらいのけようにも身体が動かない。
誰か助けて――
脚を這いあがってくるのはムカデとクモ。
顔めがけて飛んでくるのはゴキブリとハエ。
足元で気持ち悪くうごめくのは蛆虫。
嫌だ。
どうしてこんなことに――
「姉ちゃん?」
不快感と恐怖の中、雪哉が私を呼ぶ声が。
恐る恐る声の方を見てみるのだが――
声のした方向には雪哉ではなく、何千匹もの蛆虫が人の形を成したものだった。
「ーーーーーーーーっ!」
私の意識はここでぷつりと切れる。
「――姉ちゃん!」
「みはるー」
あれ、雪哉と晴希の声がする。寝ているところは久しぶりのフカフカのベッド。
どうやら私はキッチンで気を失って倒れていたらしい。ちょっと今の状況がよくわからないが、見えているものから私がいるのは実家の自室らしい。
「わ! 晴希も雪哉も! ええと、フィナンシェは……」
「台所に置いてる」
と言ったのは晴希だ。
「兄ちゃんがさ、倒れてた姉ちゃんをここまで運んでくれたんだよ」
さらに雪哉。
晴希がやってくれたのは意外だと思ったが。なんだ、最近は塩対応な晴希もやるときはやるんだ。
「言うなよ雪哉!」
晴希は顔を真っ赤にして言う。
可愛いところもあるな、と私は思っていた。
「紅茶もまた沸かして一緒にフィナンシェ食べようぜ。ちょうどいい時間だろ?」
「いいね。ところで、今何時?」
私は2人に聞いてみた。
寝ていたからね、念のため。体感的にはいつも寝ている時間と同じくらい寝ていたと思ったが。
「3月3日の朝の10時」
答えたのは晴希。
どうやら私は20時間くらい寝ていたらしい。そんなことってある?
「時間を無駄にしちゃった……」
「姉ちゃんも疲れてるんだよ」
私を励ましてくれるのは雪哉。こんなに可愛くて優しい弟がいるわけで、私はとても嬉しい。
さて、私と晴希と雪哉で食べ損ねたフィナンシェを食べる。味は最高で紅茶にも合う。あのパッケージが文字化けして虫だらけだった昨日からは考えられないくらいだ。
2人とも美味しいと言ってくれて、このフィナンシェを選んだ甲斐があったと思う。とはいえ、あの手の怪奇現象はもうこりごりだと思ったり。ただし、ホラー小説のネタになるのならまあいいか、とも。
「みはるがぶっ倒れるのは嫌だけど、今度のお土産もこれがいい」
そう言ったのは晴希。
表情にはあまりでていないのだが、お土産のフィナンシェをたいそう気に入ったようだ。
「じゃあ、また今度も買ってくるから私に何かあったら助けてよね」
少しからかうように言ってやった。
3月2日。
帰省して弟とお土産のお菓子を食べようとしたらお菓子がえらいことになった。お菓子のパッケージから虫がでてくるとかそんなのありえないかもしれない。だが私は直接体験した。
3月3日。
気絶して食べ損ねたフィナンシェを今日こそ食べた。美味しかったがちょっと虫が脳裏にちらつくのは勘弁してほしい。
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