エピソード3 聴いたら気分が悪くなる音楽
寒い。
季節は冬。12月なのだから、寒いということも仕方がない。もし、この季節に暑いというのなら、暖房の効きすぎか南半球にいるか、はたまた地球温暖化が進行しすぎた状態だ。
窓から見える景色はすっかり冬のそれだ。桜の葉はすべて落ち、枯れ木のような木々が立ち並ぶ。雪は降っていないものの、空はどんよりと曇って今にも雨や雪が降りだしそうだった。風も吹いているようだ。
私は暖房のついていない部屋の中で震えながら、パソコンでレポートを書き上げる。科目は心理学。認知についてのレポートを来週までに書き上げなくてはならないのだ。文字数制限がないのが救いか。
……それにしても、心理学の教授はレポートに厳しい。採点基準もさることながら、レポートのコピーペースト――コピペについては誰よりも厳しい。その口から「コピペ対策のソフト」という言葉が出たときにはもう、ぞっとした。コピペがばれようものなら確実に単位は落とす。
――とはいったものの。
私なりにまとめたところで、教科書やネットに書いてある通りの文章にしかならない!
もし、これがコピペだといわれてしまったら。私は単位を落とす。もしかしたら、他の科目にも響くかもしれない。
――集中しよう。
私がキーボードを叩くパソコンからは作業用の音楽が流れている。ランダム再生される音楽はDTM音楽。ボーカルがないので、私のアウトプット作業を妨げることもない。
アップテンポの音楽なので、なおさらキーボードを叩く操作をしやすくなってくる。
5分ほどで音楽がとまる。1曲が終わって、次の曲へ。選曲するのもはっきり言って、面倒。そういうこともあって、私は必ずランダムになるように自動再生していた。
しかし、それが私の間違いだった。
――精神崩壊を引き起こす音楽。
曰く付きの音楽は少なくない。海外の曲で、聴いた人が自殺した音楽だってある。
そういう音楽に興味はあっても、実際に聴こうとは思わない。もし聴くのなら、何もない、やり残したこともないようなとき。どうせ、そういうときはこないだろうけど。
レポートの作成も終盤に入った。誤字がないかどうか。ちゃんとまとまっているか。不安だったので、私は細かくチェックする。
そんなときに、変わる音楽。ピアノとコントラバスとチューバの重低音と、ヴァイオリンなどのなにやら不思議な旋律が重なる。
なんだろう。この音楽は私の不安を煽っている。
ふと。私はキーボードから手を離した。
動画サイトで流れていた音楽は『閲覧注意!人を不安・無気力にするBGM』といういタイトルのものだった。
こんなタイトルの動画、誰が見るんだろう。と、私は思ったが。意外にも再生回数は10万回を越えていた。私が思うよりも再生されているらしい。
……私は閲覧注意と書かれているものには興味がある。むしろ、見て気分を害するだけなら積極的に見に行きたい人間だ。が、この音楽は違う。脳に、延髄に不安をもたらす音楽は正直言って、もう聴きたくない。
私はBGMを止めた。
「どうしよう……」
私はふと、独り言を漏らしていた。珍しい。いくら一人暮らしだからといって、こういう独り言を言うことはあまりないのだが。
不安がどっと押し寄せる。
一人暮らしだからというのもあって、不安はどんどん膨れ上がる。単位を落とすことだけではない。このアパートで私が死ぬことになったら。
茉子に連絡することも考えたが、彼女は今日はアルバイトだという。そんなときに連絡を入れるのも気が引けて、結局私はスマートフォンをベッドの上に放り投げた。
不安は私のやる気にも直結し、私はレポートの細部のチェックを後回しにしようとファイルを閉じた。ついでに音楽を流していた動画サイトも閉じる。パソコンの電源も落としておこう。
私はパソコンの電源を落としてベッドに横になった。
――やる気が出ない。
さすが無気力というワードがタイトルに入っていたというべきか、私のやる気は根こそぎ奪われてしまったらしい。ほぼ完成したに等しいレポートをさらに仕上げてよりよいものにする気力や、家事をする気力もない。食欲だって失せた。
私は考えることも放棄して、ベッドでまどろんでいた。
スマートフォンに着信がある。茉子からだった。
私は重い手を無理矢理動かして電話に出た。
『1限、休んでいたみたいだけど大丈夫?』
私は茉子の言葉を聞いて、時計を見た。時刻は午前11時。すでに1限は終わり、2限の時間。幸い、2限は空きコマだった。
しかし、私は授業をさぼってしまった。
「ちょっと気分が悪くて」
『風邪とかインフルエンザじゃないよね? ちょっと心配なんだけど……』
電話をしている茉子は私のことを心配していた。風邪やインフルエンザではない。胃腸炎でもない。ただ、昨日のあのBGMが私の体力とやる気を削いだだけだった。
「大丈夫。3限からはちゃんと出るから」
気力はなくても授業には出なければならない。必修ならばなおさら。
私はベッドから体を引きずり出しながら言った。本当ならば起き上がるような気力もない。授業にも行きたくない。
『ならよかった。じゃあ、一緒にお昼ご飯食べようよ。私、今図書館の前にいるんだけど』
「うん、そうする。私も今から図書館に行くね」
私はそう答えて電話を切った。
――さて。
昨夜、風呂には入っていたので体はそれほど汚くない。髪はボサボサ。服装はパジャマ。重い体に鞭を打って、私は深緑色のワンピースを手に取る。それにタイツを合わせ、髪はボサボサなのがばれないように1本で結ぶ。
コートを着て、バッグを持って。私は家を出る。
図書館の2階。茶髪のふわふわとした髪の女子学生――茉子が本を読みながら私を待っていた。
「お待たせ」
「おはよう。1限のノート見る?」
茉子は私に気づいてそう言った。
「見たい。必修だったし」
「じゃあ、あとでノート渡すね。時間が被るのもよくないから早めにお昼ご飯食べようよ」
と、茉子。
私と茉子は時間をずらして食堂に行くことが多い。2人で食堂に行くことにした。
正直、私はそれほど食欲がないが。
――あれ?私、昨日の夜に何か食べたっけ?
違和感を引きずったまま、私は茉子と食堂に向かう。その間にも、昨日のあの旋律が脳内で繰り返される。旋律は私の恐怖心を直接刺激し――
――やめて!
極力、不安は表に出したくない。が、茉子は私の顔を見て――
「大丈夫? 1限も来てなかったし、何かあったよね。あとで話を聞くよ」
「茉子なら話してもいいかも。あとで話すね」
と、私は茉子に言った。
その間にも、あの旋律は頭から離れない。募る不安。昼間なのに、夜の街灯もない道を歩いているようだった。
この不安は何だ?
私たちはそれぞれが食べたいと思ったものを取って食堂の席についた。私がとったものは一番小さいサイズのごはんとサラダ、そして味噌汁。ダイエットでもしているのか、と言いたくなるような組み合わせだった。
「食欲ない?」
と、茉子は聞いてくる。
「うん。昨日から。それでさ、1限に出られなかったのって私の体があんまり動かなかったからなんだよね。閲覧注意って書かれた動画の音楽を聴いてしまって」
「動画?」
茉子に聞かれ、私はスマートフォンを出した。動画のタイトルは覚えている。『閲覧注意!人を不安・無気力にするBGM』だ。
私はそのタイトルを検索エンジンに打ち込んで調べてみた。ウェブでもいいが、私が探しているのは動画。画像でもない。
画面をスクロールしていたが、私は目的のものを見つけられなかった。
「ごめん、茉子。やっぱりなんでもない」
と、私は話をはぐらかす。
見つけられないものは見つけられない。ないものはない。きっと動画は消されたのだろう。
気のせいでありますように、と願いながら私はスマートフォンをスリープ状態にしてバッグに入れた。
「いただきます」
私たちは、それぞれが取ったものを食べ始めた。
2食抜いた後の食事は特別なものでなくとも、ごはんと味噌汁とサラダだけでも美味しいと思えるものだった。
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