エピソード7 ようこそ奇怪な写真展へ
大学の図書館に写真が飾られている。
風景写真にポートレート。猫の写真なんかがパネルに架けられていた。
これらは全部、写真部の作品だ。年が明けて授業が始まった今、新春展ということで部員たちが思い思いの写真を展示しているらしい。どの写真もそれぞれの最高の瞬間というものを切り取っているようで、何かしらを伝えようとしているようにも見えた。
悪趣味なものでは――食い散らかされた魚の死骸。タイトルは「食物連鎖」、キャプションも併せて自然の摂理というものを語ろうとしている。
「気味が悪いよね……」
私と一緒に図書館に来ていた茉子は言った。
「それを言ったら私が書いているものも同じくらい気味が悪くなるけど」
思わず私は口にしてしまった。
まあ、確かに風景や動物の写真が多い中で魚の死骸の写真は相当異質だと思う。どんな変人が撮ったのかは知らないけど、私もそういうのは嫌いじゃない。
「美晴のはこういうのより心霊写真寄りじゃない?」
と、茉子。
「私はあくまでも創作物としてホラーを書いてるだけだから。ほら、やばいものを能動的に見に行こうとはしないって!」
……思えば、茉子の言うことは案外正しかったのかもしれない。
これから私がとても奇妙な経験をしてしまうことは、まだ予想できることではなかったのだから。
「そっか。とにかく図書館が混んでないうちに場所をとっとこうよ」
「うん。写真目当てじゃなくて、レポートとテスト勉強のために来たもんね」
と、私たちは本来の目的のために閲覧室に向かった。レポートに必要な本だってあるし、閲覧室は集中できる環境だから。
私は心理学の本を手に取って閲覧室の椅子に座った。
まずは本とレジュメの内容を下書きとしてまとめよう。字数制限だってあるから。
それなりに時間がかかったが。下書きもできた。これで清書できる状態になった。
私は「ふーっ」とため息をついて時計を見た。時間がかかったと思っても、実際は2時間くらいしかたっていないみたいだ。体感的にはもっとかかった気がする。
勉強をしていて眠くなったのか、茉子は寝ている。起こすのも少し申し訳ないから、とりあえず放っておこうか。
さて、のども渇いたし自販機で飲み物を買おう。外は寒くても部屋の中は暖房が効いている。買うならジャスミンティーでいいか。
私は2階にある閲覧室を出て階段を降りる。階段を降りた先には写真部が展示している写真たちがある。ここを通らなければ自販機のところまで行けない。来た時よりも不気味に感じられるが、我慢だ。
写真が展示されているところは少しひんやりしている。図書館内は暖房が効いているはずなのに、ここだけは異様にひんやりしている。それが不気味さを際立たせていた。
気が付けば私は、吸い寄せられるように風景画の前に立っていた。
……あれ? この作品、あったっけ?
目の前の風景画は古い神社の鳥居の写真。有彩色は全く描写されていない、いわゆるモノクロ写真。白黒で表現された写真の中の世界は、私を引き込もうとしていたようだ。
ふと、私は気が付いた。この図書館から人の気配が消えている。
「茉子……さすがにいないよね」
私は思わず声を出していた。
亡霊とか、そんなものをあまり怖いと思わないが今の状況はさすがに怖い。本来の図書館なのかもわからないところに1人で佇んでいる。そのうえ、今の状況も満足に呑み込めていない。正直、怖い。
「みゃあー」
そんな静かな空間に猫の鳴き声が響いた。
確かに大学に猫はいるのに、どうしてここに。そもそも図書館に猫が入ってくることなんてほとんどないのに。
「みゃー、みゃー」
また、猫の鳴き声。
私は恐る恐る鳴き声の方を見た。
そこにあったのは猫のカラー写真。図書館に入ってきたときに見たキャプションが貼られているが、違うのは猫が動いていること。それはまるで動画のように。
猫の写真に近づいてみる。すると、猫は。黒猫はごろんと寝転がってお腹を見せてきた。
「可愛い……でも、どうして写真が動くんだろう」
私は口にした。
このよくわからない場所でよくわからないことが起きている。人や動物の写真は動いているし、風景画は写真と思えないような――窓のようなクオリティだ。来た時とは印象があまりにも違いすぎる……
それに加えて、ここでは写真たちから見られているような気分。比喩などではなく、本当に写真から視線を感じて気持ちが悪い。どうにかしてここから出てしまいたいが、階段には黒いもやがかかっており、出口があるはずだった方には出口が見えない。
どうやら私は神隠しにでも遭ったらしい。
この状況の一部を理解できた瞬間、私を襲ったのはとんでもない恐怖だった。
二度と家族や友達に会うことができなくなる恐怖。このまま私が忘れ去られてしまう恐怖。不気味な空間で不気味な作品たちに囲まれて果てることへの恐怖。
それと同時に、どうにかしてここから出なければ、という思いが私にとりついた。
私は恐怖に苛まれながら別の作品を見た。
何の変哲もない花の写真だって、その花の奥で何かが笑っているかのように見えた。目を写さないポートレートを見てみれば、誰の声とも知れない声が私の中に流れ込んできた。
「でていかないで……なんで? ねえ、なんで? わたしをみてよ」
そんな声が私の脳内を掻きむしるように響く。
やめてくれ。しばらく人の声を聞くのが怖くなりそうだ。そもそもこれは誰の声なんだ。
目や脳を休めたいと、私が見た写真は海辺の風景写真――のはずだがその色は最初に見たときよりも深い青。まるで海が私を引きずり込もうとしているようにも見える。この写真にだって私の安らぎはない。
次に視線を逃がすようにして見たものは瓶に入ったビー玉の写真。風景でも動物でもポートレートでもない。これで一安心できるかも、と考えた私が間違っていた。
ビー玉は動いているようだった。さらに、その瓶には血が注ぎ込まれたようにも見えて――
ガッシャーン!
私の焦りに気づき、追い打ちをかけるようにして作品の一つが床に落ちた。
一部がガラスでできていた額に入った作品。それを覆っていたガラスのプレートは床に叩きつけられて粉々に割れた。
「ひっ……」
怖い。
恐怖は頂点に達したと思う。目に入るもののすべてが怖いと思うし、ここにあるもののすべてを受け入れたくないと感じてしまう。できることなら、意識でも失ってしまいたい。目を閉じて耳を塞いでしまいたい。でも、それはできない。外からの情報を遮断すれば、今度は脳内にあの声が聞こえてくる。
ここにあるものは全部、私に近づくな!
私は逃げるようにして、出口があるはずの方へ足を進める。
そのとき、目に入ったキャプションも最初に見たときとは違っていた。色は変わっていなくても、すべてに「出られない」「出られると思うな」のどちらかが書かれていた。
詰んだ。
私は一番入り口に近いはずだった作品の前に座り込んだ。
この作品は額に入れられた作品ではなく、写真集のようなものだった。手作りの絵本のような装丁が目に入る。
私は半ばあきらめながら作品を手に取って目を通す。タイトルは『もう二度と戻れない』という意味深なもの。一体何に戻れないというのか。ページをめくってみれば、そこにあったのは見慣れたこの大学の敷地内の写真。学内にある森や、屋上から撮った写真。室内をモノクロで撮った写真。戻れない、と明記されたタイトルは日常に戻れないことを意味しているのか。
「……無理なんだ」
私は思わずつぶやいていた。
現実逃避をするようにして、この作品を見た私が馬鹿だった。せめてこの作品を見なければ私はこんな思いをしなかったというのに。
だが、気が付けば私はページをめくっていた。
忌々しいことにどれも私が見たことある風景。ここに戻れないという事実が私に突き刺さる。もうやめてほしい。本当に。それに加えてこの作品、ページをめくっても先に進まない。無限に写真が出てくるようだ。
もう、じれったい。私は一度作品を閉じて、反対側からページを開いた。すると、そこには文字がかかれていた。
非公式キャプション。
この作品を見た方へ。戻りたいですか? 時間に追われて精神をすり減らす世界に、あなたは戻りたいですか? 私は戻りたくありませんでした。私は、消えたいです。
ぞっとした。
戻りたいと思っている人がいると同時に、逃げたいと思っている人だっている。もしかすると、この写真は――
私はさらにページをめくる。すると、そこにあった写真は赤い液体が滴るアスファルトを描いていた。これが伝えようとしたのは何だろう?
「戻りたい。この写真を撮った人には申し訳ないけど。でも、そういう人がいるのはわかる。ごめん……」
ふっ、と私は意識がここで途切れた。
寒い。外から風が吹き込んでくる。
ここは図書館。入り口近くで、写真が展示されている場所の横の掲示板の前だ。私はここでぼうっとしていたらしい。
「美晴、ここにいたんだ」
後ろから茉子の声がした。
「あー、ちょっと飲み物買おうと思って!」
「一緒に行こうよ。私も飲み物欲しかったし」
にこりと茉子は笑う。
私と茉子は外にある自販機で飲み物を買おうと外に出た。
写真展のところで奇妙なものを見たことは、多分忘れない。でも、他人にあれこれ話すつもりもない。そのうち実体験をネタにしてみたいけど、今はまだそうするべきじゃない。今のうちに温めておこうかな。
茉子がジャスミンティーを買った後、私はホットの紅茶を買った。室内は確かに暖かいけど、体は冷やしたくないし。
私と茉子は会話を交わしながら閲覧室に戻って、レポートの作業を再開した。
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