エピソード6 美術室に遺された

 親戚の集まりのための帰省。あと少しでまた下宿先に戻るのだが、今はまだ実家にいる。

 さて、そんな私に連絡がきた。中学時代の友人・中原詩織。中高一貫の学校に通っていたが、彼女はいじめが原因で高校を中退。それ以来連絡は取れていなかったのだが。

 そんな詩織が何の前触れもなく連絡をくれた。何かあったのだろうか。それとも、ただの気まぐれか。


「中学のときの友達?」


 スマートフォンで詩織からのメッセージを見ているとき、母は私に声をかける。


「うん。もしかしたら私のせいで学校やめたかもしれないから、あまり会いたくないけど」


 詩織には思うところがある。中学では同じクラスで仲良くしていたが、高校ではクラスが離れてかかわることが減ってしまった。

 高校に上がってからあまり彼女と話すこともできないまま彼女は高校をやめた。

 それ以来、私は詩織と何らかの方法で連絡を取り合うこともしなかった。もちろん、詩織から連絡が来ることもなかった。


 だが。去年、どういう風の吹き回しか、彼女からSNSの友達申請が来た。私はそれを承認し、連絡を取り合って今に至る。

 明日、私は詩織と会う予定なのだ。




 日付が変わり、詩織と会う日になる。約束の時間より早く着いたので、私はファストフード店で彼女を待つことにする。


 あの詩織はどう変わったのだろう。もしくは、あの時から変わっていないのかな。

 私は彼女と会うのが楽しみだった。


 ふと、私の座っている席の前に少女がやって来る。どこか面影のようなものは感じるが、それが誰なのかはわからない。

 あれ、もしかして彼女が詩織?


「美晴?」


 詩織らしき少女は言った。

 間違いない。この声は詩織の声。見た目は大きく変わっているとはいえ、声は同じ。目つきや顔つきにも彼女の特徴が残っている。

 眼鏡をはずし、その代わりにコンタクトレンズを付けて。黒く短かったくせ毛の髪は伸ばされて茶色に染められている。


「久しぶり!」


 明るい声で詩織は言った。

 どうやら彼女は元気そうだった。いじめられて心を病んでいったのが嘘のようだ。

 いじめられたらそれを引きずるようなものだが、彼女は引きずっている様子もない。私が引きずった部分を出すべき人でもないのならそれまでの話だが。


「うん。久しぶり。詩織は元気にしてた?」


「元気だよ! あれからいろいろあったけど今は高卒認定の勉強をしてる!」


 元気そうでよかった。ただそれだけに尽きる。

 そして、3年以上あっていないことが嘘のようだ。明るい彼女はまた新しい道を歩もうとしているのだな、と。

 その一方で、私は詩織にこれ以上何かを聞く気にはなれなかった。


「そっか。今日はどうしようか」


「M女子学院に行って会いたい人がいるんだけど、いい?」


「…………いいよ。」


 会いたい人? いじめられていたのに?

 私はよくわからなかった。M女子学院は詩織がいじめられていた場所だし、詩織もそこにいい思い出なんてないはずなのに。いや、いい思い出のない忌まわしい場所だから行きたがっている?

 正直、詩織の表情から何を考えているかなんて、わからなかった。




 電車とバスを乗り継いで、私たちはM女子学院に到着した。

 ここが私たちの母校。私は別に何とも思っていないけれど、詩織はここで何を感じたのだろう。1年ぶり、あるいは3年ぶりの場所で。


「行くところは美術室だけでいいよ。中谷先生に会いたいだけだから」


 と、詩織。

 忘れていた。詩織は美術の先生からよくしてもらっていた。美術室はいじめられていた詩織の居場所でもあったんだ。

 私は特進コースだったこともあってあまりなじみのない場所だったけど、詩織にとっては大切な場所だ。確かに行きたくなるのもわかる。


 美術室にはやはり生徒たちの作品が並べられている。黒板に貼られていたり、その近くに置かれているのは参考作品だろう。

 これは中学生の作品。懐かしい、そういえば私は中学生のときにこんな作品を作った。鉛筆と絵の具を使って「目」を描く。当然ながら、ひとりひとりの特徴が出ている。……性格もね。


 参考作品を見ていると、詩織が言った。


「ごめん、美晴。ちょっと中谷先生とお話してくるね。できれば先生と二人で話したいけどいい?」


「うん。私はここで待ってるね」


 詩織は美術室の奥にある準備室へと入る。ここに中谷先生がいるとのこと。成績や評価をつけたりしているのだろうか。


 私は詩織がいない間、詩織の描いた「空の絵本」を手に取った。「空の絵本」。私たちが中学3年の頃に作ったものだ。

 それぞれの思う「空」を絵に落とし込んで、色々な技法を使って「空の絵本」を作ったんだ。


 何の偶然か、私が手に取ったのは私と同じ代のもの。良い評価をつけられたものは参考作品として残されていて、キャプションだってある。

 私はキャプションに目をやった。



 ◆◆◆


 人間はこわい

 わたしは空に行きたい

 友達には言えない

 心配させたくないから

 ひとりで空に行くよ。


 ◆◆◆



 ぞっとする。

 キャプションも作品もそうだ。

 初めて読んだ詩織の作品のキャプション。

 作品そのものは空がきれいで、どこか幻想的な雰囲気を醸し出していた。空は天国のようにして描かれていたが、そのどこかに死をにおわせる描写がある。

 カッターナイフ、血、首つりのロープ、睡眠薬、練炭。どれも自殺に使われる。詩織は死にたがっていたのだろうか。今の詩織にそんな様子はないのに。詩織は当時、相当病んでいたのだろうか。


 絵本を閉じて装丁も見てみるが、そこに張り付けられていたのはロープ。それも、首つりを思わせるような形になっている。

 ……やっぱり理解に苦しむ。

 いや、違う。詩織は病んでいたが、美術が好きだったことで少しは救われていたのか。それとも、詩織は繊細な表現をできるからこそ心を病んでいたのか。


 私は絵本をそっと閉じた。


 詩織の作品の後にも、参考作品を見てみる。

 同じ学年だった人の作品。先輩にあたる代の作品。後輩の作品。どれも違って良いのだろうが、詩織の作品ほど引き込まれるものはなかった。


 しばらくすると詩織が戻ってきた。中谷先生と話したのだろう、すっきりとした顔をしていた。


「ごめんね。待たせてしまって」


「いいよ。久しぶりにいろいろな作品を見たから」


 言えない。詩織の作品を見たことを言えないし、作品の感想を口にすることもできない。それでも、詩織の作品は残されるべき。これは絶対に言えること。


「そっか。私ね、みんながどこの大学に行ったのかも聞いたよ。それにしてもbっくりだね、私をいじめていたグループの人はみんな落ちてるんだから」


 詩織の言葉は私の心を針で刺すようだった。

 詩織の言う受験の結果はまさに因果応報か。あのグループの1人は成績もよかったはずなのに。第一志望の難関大学以外にも実力相応のところを滑り止めとして受けていたのに。


「ほんとに、人生で何があるのかわからないね。やっぱり、どう足掻いても人生において確実なのは死ぬことだけなんだよ」


 詩織は屈託のない笑顔で言った。

 それが私には恐ろしく見えた。恨みといった影のような感情を全く見せない詩織。完全に立ち直ったのではなく、そんなことなどなかったかのように見えてしまう。それがどうしても恐ろしい。立ち直ることはいいことだとわかっていても。


 その日、私は詩織と喫茶店で話をしてから別れた。今度は春休みに会えるといいね、などと再会の約束を交わして。


 そして私は帰りの電車でSNSのページを開いた。今日あったことを投稿する。

 かつての同級生の作品についての投稿をしてしばらくたったときだった。


 ――「中原詩織って学校やめた後すぐに自殺したらしいよ」


 そう、コメントがつけられた。

 詩織を知る元クラスメイトからつけられたものだ。私は詩織のアカウントを探してみた。


 詩織のアカウントは追悼アカウントになっていた。本当に詩織は死んでいた。

 交わしたコメント、届いたメッセージからわかったことだが、詩織が自殺したのは学校をやめて約1週間後。9月8日が命日だ。

 私の目から涙が溢れ出る。こらえたかったが、目が我慢してくれない。がら空きではない電車の中、私は声を出さずに泣いていた。

 ……気づけなかった私が本当に憎い。


「私が一緒にいたのは一体誰? あのアカウントは何?」


 私は何もできなかった。せめて高校に入ってからも、クラスが違っても仲良くしていればよかった。人は行動しだいでいとも簡単に他人を傷つける。傷ついて希望を全く見いだせなくなった人はその気になれば簡単に命を絶つ。私は寄り添えなかったから友人を失った。

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