『私』と『世界』をめぐる探究。 ササキ・シゲロー
私たちは、私も世界も何も知ることなく解釈し語っていないか?自分を他人のように見出し、他者に目撃されながら世界にあらわれ去って行く『私』は、一体『誰』なのか?あらゆる存在者が本質として持つ、一回的・単独的・唯一的な『歴史性』とは何か?
目次
完結済 全36話
更新
- 〔1〕私たちは、世界を知ることなく解釈し語っている。
- 〔2〕一般に認識され解釈されている世界や歴史は、現に生きている者の経験を拡大・系列化したものである。
- 〔3〕人は、歴史を自分自身から切り離し、自分の意図により選り分けて見ている。
- 〔4〕人は、歴史上の出来事を、歴史という同一の地平の対等な出来事として、それらを同時に見ている。
- 〔5〕意識は、その対象に対してはじめて成り立つ。
- 〔6〕意識は、一般的な対象に対して一般的に現れるがゆえに、それが現れる形式として共通している。
- 〔7〕人が無意識に行為するとき、無視されているのは対象の主体性である。
- 〔8〕私の意識は私自身を他人のように意識している。
- 〔9〕人は、その人に起こった出来事を、その人自身に還元して見ている。
- 〔10〕私自身を客観的に見ることは、私自身を他人として見ることだが、それ自体が主観である。
- 〔11〕認識は、事象から本質的な部分を切り離し、それを目指して意識する。
- 〔12〕その人の出来事をその人自身に還元して見る限り、その出来事をその人自体から切り離せなくなる。
- 〔13〕感情の意識は、対象に対して先行することがない。
- 〔14〕概念としての感情、利己心としての感情。
- 〔15〕社会的な自己にとっての平等と幸福と孤独。
- 〔16〕自己は、その構造と機能が同一で共通していると考えうる限り、どの自己とも置き換えうる。
- 〔17〕何者でもないがゆえに何者にでもなれる、一般的で経験的な自己。
- 〔18〕私の自我は、私の意識の対象であるがゆえに私の所有の対象となりうる。
- 〔19〕私を他人がどう評価しているのかを知るには、私を他人として評価することで可能となる。
- 〔20〕アイデンティティは、その人の立場の承認であり、その立場にあるその人自身の承認となる。
- 〔21〕人は、自分自身のアイデンティティより他人のアイデンティティに関心を持つ。
- 〔22〕人が現実に欲望できるのは現実的な可能性である。
- 〔23〕人が欲望する対象は、誰でもが欲望できる対象である。
- 〔24〕人は、一般に可能なことは自分にも可能なこととして、一般に実現された可能性を欲望する。
- 〔25〕人は、潜在的な可能性から実現可能なものを選び取り、その実現された可能性に自己を見出す。
- 〔26〕実現しうる可能性の中に先取りされた未来。
- 〔27〕未来を予測できない人間への救済としての約束。
- 〔28〕人を、その人自身の出来事の拘束から解放する、許しの能力。
- 〔29〕許しの能力と、それに対する罰と復讐の違い。
- 〔30〕許しによる出来事の終わりと、その人自身のはじまり。
- 〔31〕それ以前にはなかった全く新しいはじまりとしての誕生。
- 〔32〕自分自身の誕生と死を目撃するのは自分自身ではなく、他者である。
- 〔33〕他者は一般に、同質性に基づいた区別と差異化によって見出される。
- 〔34〕存在者は、一回的・単独的・唯一的な歴史性をもってあらわれる。
- 〔35〕人間は不完全で不十分であるからこそ、より十全な可能性に向かってあらゆる瞬間に運動し現実を変革している。
- 〔36〕この世界にあらわれ去っていったという取り消すことができない事実を残して、私はこの世界を去っていく。(終)
おすすめレビュー
★2
★で称える
★ ★ ★
レビューを書く
ユーザー登録(無料)をして作者を応援しよう!
登録済の方はログインしてください。