〔15〕社会的な自己にとっての平等と幸福と孤独。
社会的な意味においての『自己』は、自己と他者との間に、その社会的な立場に何らの差別も障害もないということ、他者にできることが自己においても可能であるはずだということが、社会的に保証されていることにおいて、自己も他者も社会的に平等な立場にあるのだという「大前提」のもとに、自己が自己として社会的に存在することの意味を見出す。彼にとっての平等とは、「あいつにできることを自分にもできるようにする」という意味での平等のことであると言ってよい。そのような平等を欲する自己は、もし社会的な諸条件が適うならば、自分は「いかなる自己にもなりうる」という意味で、社会的に「何者にでもなりうる自由」を所有した、何者でもない「まっさらな自己」としてあらわれる。そのような自己にとっての幸福とは、「できるはずのことが実際にできる」ということ、すなわち「自分自身によってできたことで自己自身が満たされる」ことであり、それにより「まっさらな自己という空白」が埋められることだ、というように考えることができる。
人は「まっさらな自己」として、他の者が獲得しうるところのさまざまな社会的な属性や地位あるいは財産や名誉や権力を、「自らもまた獲得しうる」と考える。それが社会的な平等であるはずだ、と考える。そのような平等に基づいて、自己はさまざまな社会的な自己性を、「まっさらな自己」の上に付け加えていく。社会的な自己の自己性、すなわち社会的な『個性』とは、そのような社会的諸属性の獲得・所有の量ならびに質あるいは価値によって測られる。そして、より多くよりよい社会的属性を獲得・所有することが、社会的個性を高めていくことになり、それらが自己に還元されることによって、自己と自己の社会的個性が一致したものとして社会的に認知されるのだ、と考えられている。ここで自己が強く意識しているのはまさにその、自己の社会的個性の高まりであり、「自分は他の連中とは違うのだ」ということを、「自分は他の連中と同じなのだ」という平等の意識よりもはるかに強く意識している。
繰り返すと社会的自己性とは、その条件が適えば誰にでも獲得・所有できるものと見なされている。その可能性において、社会的に自由な個人はみな平等であるというように、一般的に、また社会的に考えられている。それがもし、自己には与えられていないと思えるとき、逆に人はそれに不平等を感じ、不幸を感じる。「自分は他の人々と違う扱いを受けている」と強く意識する。
自己が他の者と同じものとして扱われているときには、いかにしても他の者とは違ったものとなろうと欲し、他の者と違うものとして扱われているときには何としても他の者と同じであることを求める。社会的な自己の自己自身であることにおいての欲求は、このように常に逆説的であるものと思われる。
人は思う。いや、「社会的諸個人」は思う。「私たちにとっての幸福」とは一体何だろうか?それは「社会的な意味」では、その社会において生活する人々の、その身の上で生じる彼らの要求・欲求を満たす何らかの「出来事」を指しているのだ、というように考えてよい。人々の生活において、人である限りそのような幸福な出来事というのは「誰でも平等に訪れるはずだ」というのが大前提としてあるのだと考えられている。
社会における諸個人の、その立場においての前提や条件が「みんな同じに与えられている」のが『平等』であると言うならば、「その結果」もまたみんな平等であるべきだろう。なぜなら、「みんな同じことをしているはず」なのだから。「あいつ」がもし幸福ならば、「私」もまた幸福であるべきなのだ。
しかし平等を意識すればするほど、人は不安を感じるところとなる。「それ」は、本当に訪れるのだろうか?
平等を意識することにおいて、人はむしろその平等からの孤独を感じているのだと見なすことができる。「自分」は、みんなと同じに平等であるのならば、みんなと一緒にその平等の「力」を持っているはずなのだが、「自分一人」として見たときに、その力を持っているということが感じられないし、逆に「自分だけ」がその力を持っていないようにさえ感じられるのだ。なぜだろう?
平等は、「誰もが同じ」あるいは「みんな一緒」だとされているから、「自分一人」を見ると「自分だけ取り残され切り離されている」ように思えてくる。みんなと同じ自己を持つことにおいて、「自分一人の自己」は孤独なのである。では、「他の自己」は一体どうなのだろうか?みんな、「このような自己」を持っているのだろうか?それは、「自分だけ」では確かめようもない。だから、自分が本当に「自己を持っている」のかどうかという実感も持てない。
自分と同じように生きているはずの人たちが、不意に「自分とは違う人」であると感じはじめるとき、人はそのことに対して孤独を感じはじめる。自分と同じように生きている他の人と「共に生きている」と感じるだけでは、人は孤独から免れることはできない。人の孤独とはむしろ、そこからはじまる。
人はそもそも「孤独に生まれる」ということがない。人は、他の人たちとの関係の中に生まれ、その中に生きる経験から、「その他の人」に対して「自分自身」を見出し、「自分自身であることの孤独」を知ることになる。そして「他の人たち」に対して、「自分だけが違う」と感じられるとき、その孤独は、「自分自身として生きていることさえ耐えがたい」ようにさえ思えるものとなる。
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