野蛮で不条理で柔らかく湿った場所。

渋谷のスクランブル交差点を越えなくては行きたい店に行けない。なので信号が青になるのを待つ。人がたくさんいる。目的地に向かって速足で人々は歩いていく。「映え」る写真を撮ろうとする海外旅行客がいる。お喋りしながらだらだらと歩く人もいる。
人間はたくさんいる。
それぞれがあまりに孤立し断絶していることに驚いてしまう。
私と他者。私の知らない物語がごった返しているのが、世界だった。語ることもなく、ごろごろ物語はある。

ツイッターのタイムラインで「おすすめ小説」が流れてくる。Webでタダでこんなすごいものが読めるなんて! とかプロの書くものより可能性が、とか。で、読んでみる。センチメンタルと暴力の物語だ。すごい! すごい! と検索してみるとみんながいっている。
誰かに読んでもらいたい、君に届け!

届くためにはいったいなにが必要なんだろう? と考えこんでしまった。

信号は赤になる。

なにかを書きたい人は、その作品を理解してくれる人、称賛してくれる人、偉い人(本にしてやろうとかいってくれる人)をもとめている。

この作品は、「聞き手」の物語だ。あるいは「君にこれから重要なことを語る」と選ばれた人の話だ。
素人の話はオチがない。しかし真剣で個人的で切実である。
私たちは小説と僕を通して、他者の言葉に耳をすます。
他人の心があるという皮膚の先に触れようとする小説である。
だからここに綺麗事はない。

なぜか内田樹の『街場の文体論』を思い出しました。



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