episode1

 



「父上……それは、どういう……?」


「そのままだ。怪我で表に出られないリリアンヌの代わりにお前がなれ」


「……しかし……僕は……」


「異論は認めぬ」


「………はい」




 ピシャリと若干の苛立ちと威圧を込めて言われた父の言葉に私は黙って頷くしかなかった。父の執務室を退出した私は、無機質で長い廊下を通り、侯爵邸を出て隣の別棟に向かった。




「フィロナンテ様!」




 別棟――私の家に帰ってくると、侍女のユーリが出迎えてくれた。私の数少ない信頼出来る人のうちの1人だ。心配の色を瞳に浮かべているユーリに私はにっこりと笑いかけた。




「大丈夫。僕は大丈夫だよ。ちょっと仕事を頼まれただけ」


「仕事……ですか。旦那様がフィロナンテ様に……」


「………そう。…………リリアンヌになりなさいって言われたよ」


「え……?!え、で、ですが、ど、どうすれば」


「落ち着いて、ユーリ。大丈夫、考えはあるから」




 動揺して挙動不審になっているユーリを窘め、話の続きはゆっくりする為に自室に向かった。まだ顔色は青いものの落ち着いているユーリは、手馴れた手つきで紅茶を注ぐ。紅茶を口に含むと、茶葉の香りが鼻に抜けて心が穏やかになる。




「……ユーリ。ごめん。僕のせいで。僕がもっと……」


「フィロナンテ様!そんな事は仰ってはいけません!」


「だけど」


「だけどではありません!」




 泣きそうに顔を歪めて私を止めるユーリ。彼女はずっと真っ直ぐで、ネガティブになった私をそうやって叱ってくれる所も知り合った頃から変わっていない。




「フィロナンテ様………いえ、様」


「ユーリ」




 その名は呼んではいけないと首を横に振る。「ツェルシー」関連を話題に出すのは厳禁なのだ。私も口にするべきではないと思っているし、寧ろしたくない。私の本気の目を見たユーリは、唇を噛んで悲しそうに「はい」と頷いた。




「ツェルシーは、もう、死んだ。僕はフィロナンテ=ヴァルトリア。男だよ」


「………はい」


「……強く言ってごめんね。僕は決めたんだ」




 私は父から見放されたツェルシー=ヴァルトリア、ヴァルトリア侯爵家の長女だった。生まれて直ぐに戸籍を作ってしまったため、追い出すのは侯爵家の名に傷がつくからと家名は剥奪されなかった。しかし、同居するのは吐き気がする、と、母の死をきっかけに早々に母の姉――隣国にいる私の叔母の元へ送られ、私は6歳までをそこで過ごしたのだった。一生このままだと、当時は誰もが思っていた。


 しかし、その状況は3つ子の兄の死によって一変する。


 身体の弱い母の体質が遺伝し、病に掛かりやすかった兄・フィロナンテ=ヴァルトリアは、風邪を拗らせ衰弱していき、そのまま亡くなってしまったのである。


 この国は長男が家督を継がなければいけない。だが、長男が死亡してしまった今、跡継ぎが居なくなってしまった。その為には男児を産まなければならないのだが、亡くなった母を溺愛していた父は新しく後妻を娶ろうという考えは一切なかった。養子をとるのも考えたそうだが、兄の死自体を知らないリリアンヌにそれを告げるのは憚られたようだ。


 そこで父は思い出した。私という娘がいた事を。


 突然実家に手紙で呼び出された時は、叔母の家全員が絶句した。必死に行かなくていいのではと止められたが、状況を幼いながらも理解していた私は抵抗せずに実家に戻った。


 ヴァルトリア侯爵邸に着いた私は、使用人達には怯えたような目をされたり、蔑むような目を向けられたり。傷ついたりという事も無かった。私の藍と真紅のオッドアイを見て怯えない者はこの国には居ないと分かっていたし、この家の者にそういった類の視線を向けられるのは初めてでは無かったからだ。


 ドアから漏れるピリと張り詰める空気に中てられながら震える手足を押さえ、案内された父の執務室に入室した。




『お前は今日からフィロナンテだ』




 入室早々に言われたその言葉に私は意味が分からず目が点になる。父の突き刺すような視線に耐えながら頭を働かせて意味を考える。しかし、当時6歳の幼い頭で、恐怖心を抱きながら落ち着いて考えて答えを導き出す事は出来なかった。




『………どういうことですか?』


『死んでしまったフィロナンテの代わりにお前がフィロナンテになれ。出来ないとは言わせん。やれ』


『…………はい』




 選択肢は「Yes」の一択で、抵抗は勿論出来なかった。叔母に結われるのが好きで伸ばしていたお気に入りの紫掛かった白髪はバッサリと切られ、言葉使いや歩き方、ダンスの型などのあらゆる事柄を男性用に変更させられた。髪色はあまり兄と変わらなかったので染められはしなかったが、目の色は魔術で赤目を藍色に変更させられた。叔母の家にも帰ることは許されず、別棟に追いやられてそこで過ごすことを強要された。


 そうして、ツェルシー=ヴァルトリアは病死した事に戸籍上はなった。


 父の決めた家庭教師、父の決めたご学友、父の決めた学校。


 全て父が決めたものを求められた以上にこなさなければならなかった。


 だが、それ自体は苦では無かった。勉強したり、剣術を学んだりするのは楽しかったのだ。本物ではない兄を無邪気に慕うリリアンヌを愛でるのも至福である。


 現在14歳の私は、今ではすっかり「フィロナンテ」が板につき、知らない人から見れば男にしか見えない。身長さ女性の中では背は高めだが、男性の中だとやはり低い。だが、フィロナンテは病弱設定なので、発育が良くないという事にしておけば問題なかった。


 フィロナンテでいる事で、この家に、父に、必要とされるなら、女を捨ててこのまま一生を過ごすことに異論は無かった。


 しかし、今日父に言われたのは、「妹・リリアンヌに扮せ」。


 確かに私達3つ子は顔もそっくりだ。しかし、男として8年生きてきた私にとっては、リリアンヌに成りきる事はかなりリスキーに思えてならなかった。何せ私は淑女教育を受けていない。


 階段を踏み外して骨折したリリアンヌの代わりなので一時的なものだが、フィロナンテとリリアンヌを両立するのは、ユーリには大丈夫とは言ったものの、自分でも心配ではある。


 だが弱音は吐いてはいけない。こなさなければならないのだ。


 じゃないと私は、確実に父に――――。






 **






 そこから鬼のような淑女教育が始まり、1週間程で完璧に仕込まれた。フィロナンテである私は、今は肩ほどの髪しかないので、リリアンヌでいる時はウィッグを付けて過ごす事になる。


 鏡の前にいるドレスを着た長い髪の女性は完全にリリアンヌだ。




「………まさか女装をする事になるなんて、ね」


「女装じゃありませんっ!!!!」




 ユーリにかなり怒られた。

 ユーリは鏡越しに私の女装姿を見て目を爛々と輝かせている。私を着飾るのは昔からの夢だったみたいだ。私はそれにとても申し訳なくなった。




「入っていいか?」




 ノックと共に聞こえた低めの声。入室を促せば、栗色の少し癖毛の髪の持ち主がふらりと入ってくる。




「ふっ、完璧な女装だな」


「ロズ!貴方フィロナンテ様になんて事を!恥を知りなさい!」


「ユーリ、怒らなくて大丈夫だよ」




 ニヤニヤと口元を引き上げる彼の名は、ロズ。私が叔母の家にいた時に仲良くしてくれていた謎の男の子で、現在は私の従者兼護衛だ。「謎の」というのは、彼の身元は私は知らないからなのだが、叔母は分かっているようなので、危険でない事だけは分かっているし、私も昔からロズを信頼している。


 私が隣国の叔母の家からこちらに来る際に、ロズが同伴すると願い出てくれたらしい。その経緯も不明だ。


 そんなロズはユーリと馬が合わずしょっちゅう喧嘩をしている。ユーリはどうもロズの私に対する態度が解せないらしい。




「それにしても今度は、妹、ね」


「……………」




 顎に手を当てて何やら含ませるように言ったロズから、私は無言で目を逸らした。ロズは私が女性だと知っている。そして、私は彼に何度も弱音を吐いてきている。全てロズに見透かされているようでそれが偶に居心地が悪く感じるのだ。




「ロズ、もう少し弁えなさいっ!」


「はいはい」


「………僕はそろそろ行くよ」




 眉を顰めて怒るユーリに、ロズは手をヒラヒラとさせて適当に流すものだから、ユーリは噴火寸前だ。私は苦笑いをしつつ学園に行こうと2人を促した。






 **






 コルセットの圧迫感とヒールの不安定さに苦戦しながら、表情を崩さないように学園の門を潜った。侯爵家なので、数多くの令嬢らが「ご機嫌よう」と頭を下げて私の後ろにつく。



 ――――なんかどんどん増えてるんだけど………!



 気がつけば私を頂点にした令嬢達の三角形が構成されており、私は愕然としていた。若干の恐怖心も覚える。ユーリとロズは学園には通っていないので、私の近くには誰も居ない。


 リリアンヌがこうして三角形を作っていたとは知らなかった。リリアンヌ自身からも色々情報は聞いてきたので、大丈夫だと高を括っていたが初っ端から叩き潰された。


 気が遠くなりながら教室に向かい席に付く。リリアンヌは左から2番目の1番前、彼女の婚約者の王太子の隣の席だ。


 リリアンヌは婚約者に毎朝話しかけるらしいのだが、私は既に着席して読書をする彼を見てある事を思い出し、顔を引き攣らせた。




(どうしよう………)




 ―――リリアンヌは婚約者に嫌われているのだ。






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