episode8
遅くなりまして申し訳ありません!
*****
本宅の方に入ると、怯えた目をした使用人達から挨拶をされる。その一部には、穢らわしい物を見た、と侮蔑の視線が混ざっていた。いつもの事だ、と傷つく訳でもなくスルーをする。
こんこん
「リリ、僕だよ」
声をドア越しに掛ければ、中にいた侍女がドアを開け通してくれる。リリアンヌは刺し途中の刺繍から目を離し、私を見た途端、ぱっと花開くように笑った。
「お兄様!」
「怪我は大丈夫そうだね。良かった」
頭を撫でて額にキスを落とせば、リリアンヌは頬を染めてはにかんだ。
「どうなさったの?」
「実は――――」
リーゼロッテとのトラブルを簡潔に伝えれば、リリアンヌの額に皺がより顔が歪む。経験した今だから言えるが、確かにあれは体力的にも精神的にも疲れるので、リリアンヌの気持ちが大いに分かる。
「あの方………やめて欲しいわ。わたくしをどれだけ陥れたいのかしら………」
「でも殿下が庇ってくださって、事なきを得たから大丈夫だよ」
リリアンヌはその藍色の宝石がこぼれんばかりに見開いて驚いた。今まで令嬢の揉め事は見て見ぬふりをしてきたセルヴェスだ。婚約者であるリリアンヌならよく理解しているだろう。
「……セルヴェス様が……?……そう、なの」
何度も瞬きをして顔を赤くするリリアンヌは、まさに恋する乙女の表情である。「嬉しい」と可愛らしく笑うリリアンヌは、縫い途中の刺繍を細い指先でなぞり、「今度こそ貰って下さるかしら」と寂しげに呟いた。
「大丈夫だ、きっと。僕はリリアンヌとセルヴェスを応援してるからね」
**
「フィロナンテ様」
剣の型を振っていた私をユーリが深刻そうな顔で呼ぶ。ユーリがその顔をする時は決まって父親関連の事だ。おそらく私が父に呼び出されているのだろう。案の定、父の執務室に呼び出された。
俯き気味のユーリの左肩に手を掛けて、大丈夫だ、と告げる。弾かれるように顔を上げたユーリは、顔を顰めると直ぐに目を伏せた。ユーリの斜め後ろに居るロズも不本意そうにそっぽを向いている。
(困ったなぁ……)
負の感情が篭もった部屋を変えようと窓を開ける。カーテンが風に揺られ、後ろで縛った私の髪の残り毛が頬を撫でた。
「大丈夫だって!二人ともそんな顔しないで?多分リリに化けて学園行くのがもうすぐ終わるって事を伝えられるだけだと思うから」
本当は怖い。たまらなく怖い。
だけどそれを見せて何が変わる?何かいい事がある?
私がそれを見せたところで2人をもっと不安にさせてしまうのだから、笑っている方がいい。
……それに、笑っていないと私が辛くなってしまう。後ろを向いてしまう。だから無理矢理でも笑う。“笑う”のは隣国で味わった。だから笑い方は知っている筈だ。
私は何故か2人の顔を直視出来なくて、俯き気味に二人の間を通り抜けて部屋を出た。
**
やはり父からは扮装の期限を言われた。勿論顔も見せず、デスクの前の椅子に背中を向けて腰掛けたままだった。
私が学園に入れるのもあと3日。今のうちに興味のある本は全部読んでおこうと、終業のチャイムを聞いてから図書室に向かった。ゴシック式が色濃く表れている廊下を、窓に嵌め込まれるステンドグラスを鑑賞しながら歩く。
その為大量の書類を持っていた通行人に気が付かなかった。
「―――――った………す、すみませ……っ!」
「いや、構わな………っ」
あちこちに散らばった紙を拾おうと慌ててしゃがみ、当たってしまった通行人に謝ろうと顔を上げて、私は息を飲んでしまう。それはあちらも同じなようだ。
「………大変、申し訳ありません。セルヴェス様。お手伝い致し……いえ、これで失礼致します」
手伝おうと思ったのだが、これは生徒会の仕事だろう。生徒会の人間ではない私が手助け出来るようなものではない。それに、リリアンヌがセルヴェスに擦り寄っていると彼にまた誤解されるのも嫌だ。私は礼をして去ることにした。
―――が、低く爽やかな声で呼び止められる。
自分で引き止めたのにも関わらず、少し気まず気に視線をずらしているセルヴェスに、私は黙って待っていた。
「――――手伝って、貰えない、だろう、か……」
私は驚きで口をぽかんと開けてしまった。リリアンヌには何がなんでも近づかまいとしていたセルヴェスが今、リリアンヌに声を掛け、そばに居ることを許したのだ。
(良かったね、リリ……!)
「はい、喜んで――――」
微笑めば、今度はセルヴェスが目を見開いて分かりやすく固まった。何事だと首を傾げてみれば、彼は「行くぞ」と顔を逸らした。もしかしたらリリアンヌを誘ったことをまだ戸惑っているのかもしれない。耳が赤くなっていたので羞恥によるものだろう。
**
生徒会室に足を入れれば、そこにいた生徒会役員達がどよめく。セルヴェスとリリアンヌの仲が芳しくないというのは周知の事実だ。混乱しない方がおかしいと言えよう。セルヴェスはそれを気にもとめずに奥のサロンに私を連れて行った。
「わたくしは何をすればよろしいのでしょうか」
「これを――――」
ソファーに腰掛けて早々に私は話を切り出した。セルヴェスから渡されたのは生徒達からの要望が書かれた紙。先程セルヴェスが持っていたものだ。これを分類して纏めて欲しいんだという。
私は黙々と作業を続けた。外野からの視線は痛いほど感じるが、そこはやはり生徒会役員で、噂話に花を咲かせることなく、部屋一帯はしんと静まり、時計の針が刻む心地よい音が響くだけだ。
仕分けが終わり、セルヴェスに報告しようと顔を上げると、彼の瞳とバッチリ合う。お互いに目を見張ったが、別に動揺はしない。
私は邪魔になってしまうからと直ぐに立ち去ろうとして、腕を掴まれる。
私は驚きを通り越して怪しんだ。
今日のセルヴェスはおかしい。何があったのだろうか。生徒会役員達もセルヴェスを凝視して、書類やペンを落としている者までいる。
「…………どうされましたか」
「―――送っていく」
ぶっきらぼう、とまではいかないものの、素っ気なく気遣いを見せるセルヴェス。セルヴェスは、無理矢理だが優しく私の手を引っ張ると、彼自身の腕に添わせた。突然のエスコートの形に混乱している暇など無く、セルヴェスについて行く。
歩幅をリリアンヌに合わせ、ゆっくり歩く彼の親切心に、益々訝しむ。リリアンヌに対する態度が180°違うので、理解し難い事が多すぎる。
何が彼を変えたのだろうか。
思い付くこととしたら、リーゼロッテとの件だろうが。
セルヴェスを横目で盗み見ながら、私達は黙って歩いたのだった。
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