男は、どうしようもなく好きだった。




                ◆


 夢を見ていた。

 その『世界』で、俺は……ろくでもない奴だった。

 軽犯罪はガキの頃からやっていた。中身がわからない運び屋もやったし、金の取り立てもやった。多分小説やドラマに出てくるグレーな仕事(ブラックも少々)は、おおよそやっていたと思う。喧嘩を吹っ掛けられて、少年院に入れられたこともあったみたいだ。

 それは、『今の』俺の人生じゃない。

 けれどもし、あのまま誰にも助けてもらえなかったら、そうなっていただろう。


 俺は、ビール缶を持ちながら誰かに話していた。多分、数少ない友達にだ。それが、今いる友人とそっくりな顔だったため、笑ってしまう。――あんないい奴が、そんなとこにいるわけねーじゃん。夢だな。

 むちゃくちゃタイプの子を見たんだ、一目惚れだ、と俺が話す。

 夜道で男に襲われてて、ほとんど反射でそいつぶっ倒してたんだけど。助けた奴、外見も話し方も性格も全部好みだったんだ、びっくりしたわ。

 そしたら上機嫌に友人がいった。それ、最近たまり場によく来るあの子か? 家庭的で素朴な感じの。

 俺の脳裏には、鮮やかにあいつの姿が浮かぶ。

 なんだ、この『世界』の俺は、あいつを助けられたんだ。逆だな、『今の』俺と。

 あっちもお前に気があるじゃん、付き合わねーの? と言う友人に、馬鹿いえ、と自嘲する。そんなことして、あいつに何のメリットがあるってんだ。俺みたいな奴と付き合って、人間関係とか仕事とかに影響したらどうすんだ、というと、まあそうだな、と友人が言った。


 その『世界』の俺は、俺をストーカーしていた女が、あいつにナイフを刺そうとしたのを庇って死んだ。



 次の『世界』では、出会い方こそ一緒だったが、『前』と違ってあいつはそれ以降俺に近づこうとしなかった。それを寂しいと思ったし、当たり前だとも思った。

 けど、やっぱりと言おうか、あいつはちっとも俺を怖がりもせず、痴情の縺れ(俺は手出してないのに、女が俺につきまとい、その女の男が真に受けた)で水をぶっかけられた俺に、タオルを渡してきた。

 いくら平和な家庭生活で育ったからって、あんなポヤポヤして警戒心がないなんておかしすぎる。

 でも、だからこそ俺を攻撃しないと確信した。

 塾のアルバイトをしていたらしく、俺は何かとその授業の内容を聞きたがった。本当は、独学で高校までの勉強はしていたんだ。教わらなくてもわかることばかりで、でも、あいつがあんなにも楽しそうに喋っていたら、自分がバカだと笑われてもいいと思った。

 俺が勉強できなくても、あいつは一度もバカになんかしなかった。楽しそうに、何度も教えてくれた。


 結局、この『世界』でも殺されるんだけど。


 いくつも、いくつも、あいつとの出会いが繰り返される。けれど、出会い方や思い出が変化していく。

 にしても俺、どんだけ殺されてるんだ。それもいつも、あいつの前で。

 あいつ、傷ついただろうな。とても優しいやつだから、人が死ぬところを見て、悲しまないわけがないんだ。親しい人だったら、なおさら。


 だから。

 戻らないと。













 見知らぬ部屋にいた。あたりを見渡すと、どうやら病室のようだ。

 ベッドの傍で、椅子に座ったあいつが布団の上に突っ伏している。

 死んでないようだ、俺。割と全身痛いけど、骨折はしてないようだし。


「説明してくれる?」

「……冬用の タイヤにしない 車事故。スリップ怖い キミ吹っ飛んだ」

「短歌にしろとは言ってねぇ」


 こいつ、心配してるかと思ったらそうでもないな。――と、思ったら、顔を上げると目がものすごく腫れていた。

 瞼の裏に、夢の中の出来事が浮かぶ。

 ごめん、と気づいたら謝っていた。すんなり、普通に、謝ることが出来る自分に驚く。

 けれど彼女は初の謝罪に気に留めることなく、目を伏せたまま、神様は、と掠れた声で言った。


「……与えて奪うんだってこと、忘れてた」


 死ねばいい、と言って、また布団に顔を埋める。

 おいおい、おっそろしいこと言うな。無神論者な俺でもびっくりだ。


「なんでも持ったままじゃ、新しいものは手に入らないだろ。人間、奪われて与えられての繰り返しがいいんじゃないか」

「いらない。新しいものなんか」


 君だけでいい、とくぐもった声。俺は旧いものかよ、梅干しか。そしてそれ、プロポーズの返事でいいんじゃないか。ダメなんか。

 と思っていると、プロポーズ、と彼女が言う。


「受けてもいいよ」

「いいよって」

「今回は奇跡的にほぼ無傷だったけど、これが重症だったら、家族以外ダメって言われるじゃん。そういう時傍にいれないのやだ」


 ……なんでこいつは俺を死なせたがるんだ。


「死ぬかもしれないからって、どんだけ俺弱い奴なんだよ、お前の中で。赤ん坊抱える母親じゃねーっつのに」

「いつも君をたたき起こしに行く奴は誰だっけ?」


 お前だな。ついでに飯作ってくれるのもお前だわ。


「母親みたくさせてんの、俺のせいだな……」

「別にいいんだよ。無賃金で無休で君のところに永久就職したってさ」

「やめとけ。んなもん、DVの温床だ。自分の金持っていた方が、いざという時逃げられるぞ」

「君だって自分がDVする前提で喋ってんじゃん。そんで私が逃げる前提」

「…………後者はおめー、どの口で言ってんだ?」

「それは素直にごめんなさい」ペコ、と頭を下げられる。ホントすぐに謝れるよな、お前は。


 ……とりあえず、俺の性格云々で振られたわけじゃないらしい。というか。


「ここまで気があるそぶり見せといて、お前がどーして断るかがわからないんだが?」

「わからなくていいよ」


 そういうわけにはいかねーだろ。


「……執着と愛情の違いが、わかんなかっただけ」


 もう、それはいいんだ、と。

 顔を上げた彼女は、俺の首にしがみつくように腕を回した。芯の通った声が、耳元で囁く。



「君は私であれ誰であれ、奥さんになる人を殴ったりしない。絶対にしない。でも、私だったら、多分君が殴る前にぶちのめせるよ」

「物騒だなおい」多分後者は正論だけど。

「……でも、私以上に強い人だったら、そういうこと気にしなくてすむじゃんか」


 私じゃなくてもいいじゃんか、と彼女は言う。

 いやそれ、前提がおかしい。


「俺はお前を傷つけたくないのであって、吉田選手みたいな女が好みってわけじゃねー!」

「え、違うの? 自分の暴力止めてくれる人がいいのかと」


 腕を外した彼女の顔が、真正面に来る。口が空いていた。無防備だなー、キスしたい。じゃなくて。


「おめーが吉田選手並みに強いのはかまわねーけど! 俺はお前がタイプなの、わかる⁉ 他の奴なんか選ばねーよ!」

「そんな君……まるで世界中の女の子と付き合って私を選んだみたいな言い方……女性経験ゼロなくせに」

「今俺結構いいこと言ったよな⁉」


「だってタイプって何⁉ 優しいだけとか、それだけじゃないことなんか君が良く知ってんじゃん!!」


 ボロボロと泣きだした。

 なんだ今日は情緒不安定だな。けど割といつものことなので慌てない。

 彼女の顔を自分の肩に埋めさせて、背中を撫でる。


「……目の前にいて、傍にいてくれる人間だったら、誰でも良かったんじゃない」

「怒るぞ」そして泣くぞ。そこまで疑われるようなこと、俺したっけ?

「だってもう、わけわかんないんだよぉ……」


 私じゃない良い人がいたかもしんないじゃんか、という言葉は、嗚咽で聞きづらかった。

 俺はその背中を、一定の間隔で軽く叩く。そう言えば昔、怯えてしがみついていた俺にこいつがしてくれた。けど今のこいつは、抱きしめて離すもんかという風にしがみついている。逆転してるなと、思わず笑う。

 こいつが落ち着くのを見計らって、俺は続けた。


「……確かに経験ねーけど、選ぶ自由ぐらいあったっての。俺結構モテてたの知ってるだろ?」

「そうね。男子にもラブレター貰ってたもんね」

「そこまで選択肢を広げなくていいから」


 仮にこいつが男だったとしても、選んだかもしんないけど。「もしも」なんて、実証することは不可能だ。誰も立ち入らなかった雪の公園が綺麗だと言われても、俺はあいつが足跡つけて歩く姿しか見てないし、それ以外綺麗だとは思わない。全部の選択肢を吟味する気なんてない。

 結局いたのはこいつだけなんだから、たらればを話されても困る。


 ……まあ、色々あったけど、ひとまずはやり直しだ。


「プロポーズは勢いでしてしまったし、今度やり直させて」

「うん」

「……付き合うのも、ゆっくり考えていいから」

「そこは容赦なく追い込みなよヘタレ」

「なんでお前今日はそんなに辛辣なん?」

「そこまで優しくされると、自分のダメさ加減が際立ってしんどい」


 ホント理不尽すぎる。もう怒っていいかな俺。


「……早く私を口説いてね」



 でも、その一言で許せてしまう俺は、どうしようもないんだろう。

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雪についた足跡をたどってみたら 肥前ロンズ@仮ラベルのためX留守 @misora2222

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