1-13 先代勇者の懸念
先代勇者、村松アキラは後悔していた。
ロックが再び向こうへ戻った後、タイムラグにより意識を未だ持っていた彼は、自分の子孫の性格に言い様のない不安を募らせていた。
「本当にあいつに宝玉を埋め込んで良かったのか?」
彼は先程まで必死だったのだ。
なにせ、四百年経ってようやく後継者が現れたと思ったら、死に掛けである。
ここは精神体の世界であり、時間経過など関係がないが、もしあのまま何もせず帰していたら、そのまま死んでしまった可能性の方が高かった。
だから勇者に執着する様に、欲望を強く刺激する精神魔術を具現化し、宝玉として埋め込んだ。
その結果、彼は時空間魔術によって生き返り、敵を倒す事が出来た。
しかし。
「まさか本当に執着していたのが勇者ではなく宿屋だったとは……」
誤算は宝玉が作用したのが、勇者に対してではなく、宿屋に対して作用したからだ。
そしてその
「同じだ……あいつ。妻のアリサと全く同じ」
彼が宿屋に拘るロックという子孫に見たのは、自分の面影ではなく、彼の妻――アリサの常人とは異なる独特な性格であった。
“勇者に興味ありません”
その言葉に妻に見せられたあの悪夢が蘇る。
“勇者に興味はないわ。あなたが勇者を辞めない限り私はあなたとは結婚しない”
それはアキラが勇者として、こちらの人間が魔王と呼ぶ――異世界からの侵略者たる二柱の神を退け、英雄となった少し後のこと。
彼の周りには彼の優秀な遺伝子を取り込もうと、また彼自身を味方につけようと、各国の王女や神殿の巫女、貴族の令嬢からSS級冒険者、そして彼が救った女奴隷達が押し寄せ、美女美少女を侍らせてこの世の春を満喫していた時の事だ。
――そういえばこちらに転移して、最初に好きになった幼馴染がいたな。
アキラは転移者である。たが年齢が幼かったこともあり、転移した当初は大した力も使えず、拾われた村の子供として育てられていた。
そのためアキラには、転移してからの幼少期を一緒に過ごした幼馴染がいた。
その事を思い出した彼は、意気揚々と幼馴染をハーレムに加えようと故郷を向かい。
「勇者になったあなたと結婚したら、余計な騒動が起きて宿屋が出来なくなるじゃない。お断りよ」
「――」
“勇者”だからという、他の女達がその肩書きに群がる中で、逆にその肩書きにより、拒絶された。
唖然呆然である。
この時、周囲の女から何もしないでも抱いて! とせがまれていたアキラは、全身の骨を砕かれたかの様な衝撃を受けた。
とはいえ、彼はモテモテである。
何も宿屋の女将なんぞわざわざ相手しなくとも、もっと良い女達はいっぱいいる。
そう自分に言い聞かせ引き下がった彼だったが、やがて本性を現した女達や、下らない権力・派閥争いに疲れ、自由奔放な冒険者達にヤキモキし、自分のイエスマンの奴隷達にも辟易し始めた頃には、頭の中は彼女の事でいっぱいだった。
そして意を決して再び行ってみると、なんと未亡人になっていた。しかも子供までいるのだ。
そう。彼女は知らない間に結婚し、子供を産み、そして夫が魔物に襲われ死んでいたのだ。
しかも結婚相手は村にいた頃に舎弟の様に扱っていた、まるで冴えない村人であった。
女の取り合いで、勇者が舎弟の様に扱い内心で見下していた村人に敗北したのだ。
その屈辱は凄まじく、アキラは大激怒したが、自分の事を省みると自業自得過ぎて文句も言えない。
そして彼はようやく彼女への恋心を自覚したのだが…………そこからがまた地獄であった。
「俺が君を守る。例え神であろうと、君を守ってやる」
「営業中だから帰って貰える?」
「君の元夫は魔物に襲われて死んだんじゃないか! 君だってその危険はあるんだっ!」
「それで死ぬのなら、それはそれよ。致し方ないわ。少なくとも宿屋として生きた私に後悔はないわね」
まるで興味を持って貰えない。
そもそも彼女、昔はアキラと相思相愛であったのだ。
にも関わらず、もう完全に終わった男扱いで恋愛対象としてすら見て貰えない。
「勇者の妻になれるんだよ!?」
「世界を救ってくれた事には感謝してる。けど宿屋に聖剣も女神の加護も必要ないわ」
そうした苦難の日々の中で、アキラは彼女という存在の恐ろしさをようやく理解した。
彼女は欲が人と異なるのだ。
何より宿屋というその変な欲は、簡単に満たせてしまう。
だから彼女は現状で満足しているので、それ以上は何も望んでくれない。
つまりアキラだけが一方的に彼女を欲している永遠の片思い。
彼が獲得してきた権力も財力も武力も名声も彼女を口説くのに何の役にも立たなかったのだ。
まぁその結果、彼は勇者を引退し、侍らせていた女達全員と縁を切り、手切れ金代わりに能力を分配し、終いには全裸で三日間土下座して、ようやくお友達からスタートした。
それでも何とか最後には結婚してくれて、子供も産んで貰え、ラブラブで幸せな余生を送ったのだが――。
そんな訳で勇者アキラは人をコントロールするに、最も大事な手が何か骨の髄までよく分かっていた。……同時にそれが通用しないとどれだけ悲惨な事になるかも。
そう、欲である。
多くの英雄が色を好んだ様に、冒険者が金銀財宝を欲した様に、貴族が権力を求めた様に、俗物的な欲によって世界は回る。それは当然であり、決して悪い事ではない。
だがそれを先程までいた子孫に照らし合わせると、あらまぁ、大変な事になってしまうのだ。
「あいつ………………ちゃんと世界を救うよな? 宿屋になるから世界とかどうでもいいとか言わないよな? ほんとマジ大丈夫だよね?」
ロックは間違いなく世界の命運を握る存在となるだろう。異世界からの侵略者を撃退出来る可能性を持つのは彼だけなのたから。
故に世界はロックを絶対に放っては置かない。
きっとそれだけの地位を与えようとするだろう。
きっとそれに報いる褒美を与えようとするだろう。
きっとそれに見合う武具を与えようとするだろう。
きっとそれ程の力を取り込む為にあらゆる美女達を娶らせ様とするだろう。
アキラがそうだった様に。
これでもし、ロックが豪胆な性格なら話は早かった。
何百人という女を好き勝手に抱いて、多くの子孫を残し、その子たちを権利により保護し、成長するに十分な金を使い、次世代へ時空間魔術を確実に継承する事が出来る。
が。
“勇者に興味はありません”
アキラは再び頭を抱えた。その肝心の欲がまるで妻の様に乏しい。
いや、ない訳ではない。だがやはり、宿屋という仕事は莫大な資産も、他がひれ伏す権力も、何百人という美女達も、あらゆる敵を討ち果たす力も、まるで必要がない。
つまり、ロックは妻と同じで何も欲しがらない。
家と身一つで完結してしまう。
ある意味、誰にも囚われない生き方。
普通、彼らの様な人間はひっそりと生きてひっそりと死ぬ。満ちたりているからだ。
だから人の害にもならず、人から構われる事もなく、スポットライトの当たる表舞台とは掛け離れた日向で生涯を終える。
それが、主役となったら果たしてどうなるのか?
「やばい……きっと誰にもコントロール出来ないぞ、あいつ……」
勇者として世界を救ったアキラが、妻に散々振り回され勇者を辞める事になったのだ。
同じ様に世界がロックの価値を知り、彼を我が物にしようとすればするほどに、世界はきっと彼の欲を理解できずに振り回される。
「………………まぁ。考えすぎだろうか」
そこまで考えて、アキラは頭を振る。
もしかしたらロックは恋をするかもしれない。金に目が眩むかもしれない。権力が必要になる事もあるだろう。
きっと大丈夫。
ただ。
「やべぇ……会話なんてまだ数分しかしてないのに、なぜかアイツが勇者になるビジョンが全く見えねぇ……」
そうして彼は目を閉じて天を仰ぐ。
そうして暫く瞑想し、先代勇者の偉大なる英知の果てに一つの素晴らしき結論に至った。
「まいっか! 俺もう死んでるし! 魔王さえ退けられりゃあ人類滅ばないっしょ!」
人生を生き抜くコツはやはり、ポジティブシンキングである。
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