近未来、先進国の都合により、内戦に巻き込まれたアザニアという国の復興と再開発による、またもや先進国の都合による格差を前提とした社会。
そのなかで、人が生きるうえでの立場のちがいが、そのまま行き過ぎた資本主義の犠牲となるものを踏みつけ続けている。
これは現代社会の、生きることが保障された、つまり国家、社会として恵まれた我々をふくめた人びとの一分、一秒が、その間、物理的にも精神的にも死に絶えていく人びとたちが生産されつづけることによって成り立っている、風刺の物語です。
より良い社会を構成する人びとが持ち合わせるべき倫理は、消費を促すための競争、その社会的ゲームを本質としたこの世界というシステムの前では、あまりにも脆弱で、けれど、それでも、犠牲となる側の願いから出た狂気に、主人公のコウタは対面せざるを得なくなります。
その瞬間、湧きあがる人間的な感情は、人間的だとして、「善し」として、おさめてしまってよいものなのか。
この物語のなかで、生まれてきてしまった世界によって犠牲を強いる立場とされた人びとへ向けられる狂気を見つめてみてください。
魅力的な人物と作り上げられた世界、そこでの謎を追う物語。
短編にしておくにはもったいない題材で、もっと長いものにしていただいて、じっくりと味わいたい、そういう作品である。
特に近未来(?)の架空の国に関する出来事や、政治、また宗教といった話題についてはしっかりした設定があることが伺え、それらについてもっと知りたいと思えてくる。
また政治的意思決定支援システム『ミソラ』等が登場することから、作者の他の物語と共通の世界観による作品だと思われるが、それならば尚更、彼らにもっと活躍する紙面を割いてあげてもらいたいと思ってしまう。
ちなみに某映画を少し思わせる作りは意識されたのでしょうか?
――本、落としましたよ。
電車内で、不思議な文字の本を拾った主人公は、女性に声をかけた。
――ありがとう。大事な本だったから。
二人はこのことをきっかけに、親密な仲になる。
そこはストロナペスという貧富の格差が建つ国だった。
そんな中「人間の社会的七つの罪」の見立て型連続殺人事件が発生した。
主人公は植民地的社会の中で、公安の刑事の職に就いている男性だ。そして敬虔なキリスト教徒である。主人公は相棒と共に、犯人に迫る。しかし思いもよらぬところから、犯人に対する情報が浮き上がってくる。
『あなたを見捨てた神に、信仰が誓えるのか?』
遠藤周作の『沈黙』においても問われているこの問いに、主人公が出した答えとは? そして、読者に突きつけられるラストとは?
是非、ご一読ください!