2013年【行人】目があったら三秒以内に声をかける。
目の前を母親と少年が手を繋いで歩いて来るのが分かった。
五歳くらいの少年は熱心に母親に話かけていて、母親もそれにちゃんと耳を傾けていた。
幸福な姿だった。
僕は少し嬉しい気持ちになって、二人とすれ違った。
右には海が広がっていて、左には木々の生い茂った山があった。
僕の目的地は山の方にあった。
道を進んで行くと、山に登っていく石の階段が見えた。
昼間の石の階段は決して不気味な感じはなかった。ここで腰を下ろして海を見下ろせば気持ちが良いだろうと思えるほどに見晴らしが良かった。
階段を全て登り終えると、墓場だった。
良かった、間違っていなかった。
僕は立ち並ぶ墓石の名前に注意深く確認しながら歩いた。
中ほどに進んだところで、藤田の名前を見つけた。
西野ナツキが半年前に殺害したという藤田京子のお墓と向き合い、僕は買ってきた花を供えた。
ひしゃくと手桶を借りて来ようかとも思ったが、まずは手を合わせて目を瞑った。
ごめんなさい。
僕はどうしてもナツキさんの味方です。
彼を嫌いにはなれませんし、憎むことさえできません。
でも、一つだけ約束します。
藤田京子さん、僕は貴女のことを覚えています。
目を開けて、手を下ろした。
それから考えたのは昨日、陽子と凛と飲んでいる時の里菜さんの話だった。
秋穂にとって行人はどういう存在なのか、と里菜さんは尋ねた。
「行人は私の小さい神様なんです」
「神様? しかも、小さいんかいな。どーいうことやねん」
「神様にも未熟、成熟ってあると思うんです。だから、私にとっての未熟な小さな神様は行人なんです。欠点とか見つけても、まだ未熟だもんねって思うと許せちゃうんですよ」
「コイツ、欠点だらけの男ちゃうん?」
「そうですね」
と言って、秋穂が苦笑いを浮かべた。
「でも、行人は私が一番辛い時に隣にいて、救ってくれたんです。どんなに欠点があっても、行人は私にとっての神様なんです」
欠点しかない、小さな神様やな!
と里菜さんは笑った後、「まぁ確かに神様を信じるっちゅうんも、私らからすれば趣味の範疇やわ」
と続けた。
こんな奴でも、と里菜さんは指差して僕を見た。
「神様として信じてもええんとちがう?」
神様って言うのは、どこまで行っても神様で、つまり他人だ。
僕は他人として今ここに立っている。
そして、同時に支配した空気を乱す水としてもここにいる。
足音が聞こえた。音の方を見る。
目が合う。
僕は笑って、声をかけた。
「やぁ」
目があったら三秒以内に声をかける。
なんとなく決めたナンパのルールだった。
「やぁ」
と秋穂は乾いた声で答えた。
遠くで車のエンジン音が唸るように鳴り響く。
それは僕を鼓舞するような力強い音だった。
了
南風に背中を押されて触れる 郷倉四季 @satokura05
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