2013年【行人】「秋穂に会いに行こうと思います」
ミヤが言った秋穂のいる街へ行く前の日に、僕は秋穂の家を訊ねた。
井口は忙しいと言っていたが、一度ちゃんと訪ねておくべきだと思った。
門前払いされるなら、それで良かった。
チャイムを鳴らすと、秋穂のお母さんが顔を出した。
僕の顔を見ると、笑った。
「いらっしゃい。丁度良かったわ」
「こんにちは」
以前となんら変わらず、リビングに通された。
見慣れたソファーに腰を下ろし、秋穂のお母さんが淹れてくれたコーヒーを飲んだ。
「もう少ししたら、お父さんが帰ってくるから」
「はい」
三十分くらい僕は秋穂のお母さんと他愛のない話をした。
ナツキさんの話も秋穂の話もしなかった。
玄関の開く音がして、秋穂のお父さんが帰ってきた。
僕はソファーから立ち上がり、頭を下げた。
秋穂のお父さんは僕を見て何かを悟ったようだった。
「やぁ行人くん」
「御無沙汰しています。少し、話を聞いていただけませんか?」
「いいよ」
言って、秋穂のお父さんは差し向かいのソファーに腰を下ろした。
「行人くんも座りなよ」
はい、と言って、僕は腰を下ろした。
そして「秋穂に会いに行こうと思います」と続けた。
「うん。好きにすれば良い」
「そうします」
「それだけかい?」
いえ、と言った。
「僕には兄がいます」
「ああ、いるね」
「少し前から兄の行方が分からなくなってました。正直、興味はなかったです」
秋穂のお父さんが話を聞く姿勢になったのが分かった。
「でも、あるきっかけで兄貴が犯罪を犯し、亡くなっていることを知りました」
「それで?」
秋穂のお母さんが、お父さんの分のコーヒーを持って現れた。
僕は短く息を吐いて続ける。
「秋穂と同じ立場に僕はいる、と思った訳ではありませんでした。
更に言えば、秋穂の気持ちが分かると考えた訳でもありません。ただ話がしたい。真剣に、会って話がしたいって思ったんです」
「どんな話をするんだい?」
「分かりません。でも多分、色んな話です。夢とか将来の話も含んだ、過去と現在と未来の話をしたい」
「いいわね」
と秋穂のお母さんが頷いた。「行人くんは、どんな夢を持っているの?」
「僕は好きな人と毎晩一緒に眠りたい。そうして年を取って、色んなしがらみがなくなったら、南の島に住みたい」
「その好きな人ってのは秋穂だってことね」
秋穂のお母さんが笑みを浮かべた。
「そうでありたい、と思っています」
「うん。さっきも言ったけれど、好きにすれば良いよ。行人くん」
秋穂のお父さんがまっすぐ僕を見た。「ここに来てくれたってことは、今この家族が抱えているものをちゃんと分かって、いや分かろうとしてくれていると思っている」
「はい」
「だから、行人くんに任せるよ」
「はい」
「私たちが何を言ったところで、決めるのは秋穂だ。娘に任せるよ」
「はい」
秋穂のお母さんも小さく頷いた後「ねぇ、行人くん」と言った。
「はい?」
「最後に南の島に一緒に住みたいって、行人くんのお兄さんが書いた小説のラストみたいね」
僕はしばらく迷った末に頷いた。
「はい、あの小説は本当に好きなので」
僕の夢の一部は兄貴が作っている。
拉致した女性をレイプするような救いようのない人間であっても、僕に憧れを与えたことに変わりはなかった。
「そう」
と秋穂のお母さんは笑った。
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