時間を取り戻そうとする愚行。への応援コメント
定時出社、無遅刻無欠席。それは私の様な社会不適合的な性質を持つ者にとってはるか高い壁に思えます。
ほぼ毎日、その様な壁を越え続ける力は私には無いのだと気づいたのは社会に放り出された後のことです。
比べることに意味はないですが、3か月も続いたのは私からすれば偉業です。
ただなんとなく思うのは、実態のよくわからない何かに尻を叩かれ続けて何とか社会的な立場にしがみついていた頃よりも、それらをほぼ失い、ただ1匹のヒトとなった今の状態は何となく気に入っています。
自分語りコメント失礼しました。いつも読んでおります。
作者からの返信
あの仕事は、というよりだいたいの労働は「生きたい人が死なないために行う営為」であって、私にはまったく合わない価値観で行われるものでした。
本質的に苦しみしかない人生にさらに苦痛を積み増してまで生き続けたいと思う気持ちは未だに分かりませんが、それが支配的な価値観だというならそういう娑婆で生きていくしかありません。まさしく、苦しみのみです。
安楽死の必要と健康な自殺。への応援コメント
安楽死に関する議論において、たびたび目にする主張で「安楽死は"今"死を強く求める人々のみならず、ふと死を思う程度のいわゆる普通の人々にも恩恵をもたらす。」
というものがあります。
私も同様に思うところがあり、安楽死というものが、社会的存在としての自分という認識に偏りがちな思考に、1個の動物的、物質的な自分という認識を呼び覚ます様な作用があると思うのです。
いつでも離脱できる(実際には相当のプロセスを必要とするのでしょうが)と思うことで、人間社会という枠組みの中での役割を持つ自分、という認識を俯瞰できる様になるという感じで。
しかしながらその呪縛を認識してもなお、私の人生観の中では社会的な意義と1個の物質としての生き方、在り方が混在しており揺れ動いているような感じです。
なにを言いたいのか自分でもよくわからない感じになってしまいましたが、
今回の記事について共感するところがありましたので思わず書き込んでしまいました。
作者からの返信
人類が有史以来(だいたい200万年ほど前から?)死を恐れ死から逃避し生を求め生に執着し暮らす環境や社会のありようを続け結局「いかにして死すべきか」という問題に直面するというのは「変われば変わるほど元のまま」というフランスのことわざを思い出してしまいます。
寒い日々に思い出すこと。への応援コメント
私はルーチンワーク恐怖症の様な感じで、それらに直面した時どうしようもなく無気力な気持ちになり、しかし社会生活を維持するためにそれに取り組むのですが、その事に心が囚われるようで頭がいっぱいになります。
余暇の楽しみも無気力感に塗りつぶされるような感覚がします。
この自分の人生や精神が摩耗していく感覚に慣れることは一生ないのでしょう。
作者からの返信
(文意をとりきれているか分かりませんが)労働のために生活しているような気分になるのが苦痛ですね。
原始的な、眠る以外はほぼ一日中どこかでエサを探し続けなければいけない生活ならまだ納得できますが、現代の暇を暇として取り扱えない、怠けることに真剣になれない社会生活というのは非常に非人間的というか、非動物的でさえあると思います。
立ちっぱなしに疲れたなら。への応援コメント
「最終的な人生の可食部」最高な表現です。
「生きる時間をゴミ箱に捨てながら寿命を伸ばしているようなものだ。」
自分にも他人にも、無意識のレベルで奴隷根性的価値観を要求しつつ、表面的には主体性や自己などの存在を「信じて」いて、かくあるべきと思っている(そのように見せている?)健常者や社会に適応的とされる方達の精神の方がよほど「分裂」
しているのではないかと感じることがあります。
作者からの返信
どれだけ平均寿命が延びても「生きてる時間」は、下手をすれば原始時代からも大して変わっていないのではないか、というのは常に思うことです。
必要から労働が生まれたはずが、労働をして金を得るという「設定」だけがひとり歩きし、多くの人が健康をそこね「善く死ぬ」ことができなくなっています。
と同時に、これは社会の秩序を守るために必要なことなのかもしれません。自分もそうですが何もしてない暇人は元気です。そしてこの手紙のように「余計なこと」ばかり考える。
そんな人間が増え続けたら、よくないことが起こり社会秩序が崩壊してしまうのではないか、という不安を大なり小なり持っているのではないか。だから社会は人を適度に疲れさせようとする。そんな風にも思います。
等しく未完に終わる人生にて。への応援コメント
仏教で色即是空空即是色というのがあります。すべてが空になるのなら努力しても何をしても意味のない無駄になってしまう。これに反論することが私はできません。ムーミンでジャコウネズミさんがいました。彼の哲学は「すべてが無駄」ジャコウネズミさんが仏教思想を学んだかどうか知りませんが、かれは相当にすごい哲学者だとおもいます。
物事が完成しようが未完であろうがだから何です?結局すべては消え去るだけ、努力とは意味のない行動なんです。ぐるぐる考えてそうなってしまうのです
だから生きようが死のうが、自殺だろうが自然死だろうが関係ないです。ヒトは死ぬものです。
作者からの返信
ムーミンはアニメを保育園児の頃に飛び飛びでしか観ていないのですが、ジャコウネズミさんとはとても気が合いそうです。
思えば『完成』というのも非常に曖昧なことです。自作も「便宜上これで完結」とエンドマークを打っているだけであって、読み返すたびに細かい部分が気になって仕方がなくなる。完成を目指すという益体もない執着が心身から自由を奪っていたようです。
死ぬのは嫌だ。への応援コメント
祖父江直人様
死についてのご意見参考になります。よくわかります。私もあなたと同様死について積極的です。人生計画で自分の人生は神任せ運任せにするより自殺できるうちにした方が良いと思っていますしそれができる時間は限られています。60で年金を先倒してもらいはじめ65で逝く予定で計画してますが、やはり残り時間が少なくなるのが感じてくるとタイムリミットに恐怖を持ち始めてます。5年後。5年前はあんなことやこんなことをして遊んだ、それがつい最近のように感じますから時がたつのは恐ろしい。
でも死なないといけない。周囲には死ぬ死ぬといってます。これはそういう境地に自分を追い込まないとなかなか難しいからです
(テストで一番を取るぞ!)と周囲に言いまわってるようなものですね
死ぬ死に詐欺にはなりたくないのですが、実際その日が近づくとどう自分の心境が変わってくるか・・
よろしければご覧ください。私の死についてのブログです。ここは生と死についてのみ語っています
https://saiaku.muragon.com/archive/201905/
作者からの返信
直近16記事までブログ拝読しました。日本海溝を墓にする発想は「その手があったか」となかなかユニークで興味深かったです。ブックマークしましたのでまた折に触れて読ませていただきます。
少なくとも日本ではもう「いかに生きるか」より「いかにして安楽に死ぬか」という考え方をしていった方がよいと感じます。そのためには死を真っ直ぐに見つめる必要がありますが、考えるだけでもおっくうです。しかし逃れられるものでもありませんので考え続けようと思っています。
人生の恐ろしさを思う。への応援コメント
自宅であればお風呂にお湯をいれワインの赤い入浴剤を混ぜます。
静脈を切り開いて失血死です。ワイン風呂で失血死は中世貴族が行う安楽な方法です。あこがれます。
でも自宅はいろいろ面倒です。
河川敷はいかがでしょう?国有地です。私はそこで行く計画です。
河川敷でテントを張りヘリウムを使います
作者からの返信
酔うと酩酊し痛みは鈍麻するし血が出やすくなるということでしょうか。
河川敷に安楽死テント村ができそうですね。キャンプかなと思ったら皆さん安らかな顔で“眠って”いらっしゃるという。外で死ぬというのは良いかもしれません。今は死が極端に密室化されてしまっているのでリアリティがない。我々はもっと人の死を見た方がいいように思います。
書き続けることについて。への応援コメント
複数の狂気を持つものが正常で、一つの狂気しか持たないものが異常だと、何かの本で読みました。
私は、自身の狂気を理解していない、理性的だと思いこんでいる人間が一番恐ろしいと感じます。
あなたの作品を理解できている自信はありませんが、あなたの書く文章が、私は好きです。
作者からの返信
諸事情あって少し返信が遅れましたがありがとうございます。
理性的であることがすでに狂気ですので、その恐れは正しいと思います。野生に狂気は存在しません。集団で子供のクジラにのしかかり溺れ殺したあとに顎を齧り取って食べるシャチの様ですら、それは捕食という生き残るための本能的な行いでしかない。さらにいえば遊びのためだけに殺したとしか見えない行為があるとしても一匹の動物が起こせる害など本来たかが知れている。
しかし理性の仕業はそれを平然と超え大量の命を効率的かつ合理的に殺傷する道具を科学によって発明します。こんな狂気を我々は理性的に選択してしまえる動物であるという点で、狂気の分散化は確かに大事なことなのだろうとも思います。
何ひとつ進歩できない我々は、せめて雨に傘を差す。への応援コメント
狩りをして、洞穴で暮らしていた時の方が、人間幸せだったのではないかと、冷房の効いた部屋で思いました。
作者からの返信
これは本文に書き切れなかった部分ですが、便利な科学技術は、当初こそ『便利なもの』どまりですがすぐに『必要不可欠なもの』に変わってしまいます。車の無い社会、PCのない社会、スマートフォンの無い社会はまさしく原始時代になってしまい、クーラーもまたいつの間にか生活必需品になってしまい今年も発電所と家計を圧迫するわけです。
たとえこの人格が作られたものだったとしても。への応援コメント
私は私自身を含めた世界や他者に対して抱いてきた違和感に、本などの他人の作品の中の言葉を借りてでしか名前をつけることができず、自分の言葉で表現することができませんでした。
あなたの作品を読んでいて、「うんうん」と一人勝手に頷きながら、ご自身の思想や感覚を作品に昇華させる表現力に感服するとともに、とても羨ましく感じています。
あなたがご自身の性質についてどう感じておられるのか、本当の所は私には解りかねますので断定はしませんが、スキゾイド的な性格について客観的に分析した本などはあっても、当事者側の主観的な思想や感覚を言語化したものは、私が探した限りではあまり見当たらないので、大切に読ませて頂いています。
作者からの返信
自分の内に空虚を抱えた人間には追うべき背中やロールモデルがないというのはひとつ問題かもしれません。私自身がそうなれる気もしません。またそのようなものはないのでしょう。
内に空虚を抱えた人間と書きましたが、実際のところ私の中に空虚が存在するのかも曖昧です。むしろ、かかわるべき社会にどうしようもなく空虚を見出してしまい、何もできず何もやる気になれなかったという方が近いかもしれません。
やりがい、もしくは“生き応え”とでもいうのか、そういったものを世界に対してほとんどまったく感ぜられない。霞を食べ風を掴もうとし続けているような不毛さばかりが募ります。
そんなことを言ったが最後「他者や社会のせいにするな」とごもっともな正論が返す刀で飛んでくるというのが常で、さらにうんざりとしてしまうところでもあります。
頼むから、「やる気があるのか」などと訊かないで欲しい。への応援コメント
私自身のこともあり、スキゾイドについていくつか本など読んだことがあるのですが、乳児は母親との関係の中で、世界(他者)は自分が求めれば答えてくれる(以心伝心で母親が乳児の欲求に答え授乳する→自分が世界を創造しているという幻想)という「錯覚」を持つことで、世界や他者に対する信頼性を獲得し、それが後に主体的に世界に関わっていく原動力になるらしいのですが、何らかの要因(親の不適切な態度や子供の生得的な性質など)によって「錯覚」を持つことができないと、スキゾイド状態が生じるようです。
あなたのことを分析するつもりなどはありませんが、作中の「宗教」という言葉がまさにこの「錯覚」のことを表しているなと思い、やはりスキゾイド的な感性をお持ちなのだなと感じました。興味深く読ませていただいています。
長文失礼しました。
作者からの返信
スキゾイドについて大変に興味深いコメントです。ありがとうございます。
「世界は求めれば答えてくれるという錯覚」を持たなかった(持てなかった?)人間の目から見ると、周りの適応的な人たちがとても危うく思えてなりません。
そんなに現実世界に多大な期待をしてしまって大丈夫なのだろうか、といらぬお節介と知りつつ心配になってしまいます。
錯覚は正しく幻想であり嘘であって、上手く自分を騙せているうちはいいのだろうけれど、それができなくなったとき、内側と外側の現実がもたらすギャップに深く苦しんでしまうのではないかと思います。
とはいえ適応的な人々から言わせれば「人生は無意味だ、生命は無価値だ、幸福など錯覚だ、ただの宗教だ」などと言いつのる私の方が「認知が歪んでいる」ということにされそうですが。こうして認識の土台となる地点から話が噛み合わず誰とも話が通じないということを繰り返した先に、今の祖父江直人という男がいるわけでもあります。長文には長文に返すのが礼儀と心得て書かせていただきました。繰り返しになりますがコメントありがとうございました。
誰もが「生きたい」と思える“社会”をイメージできるか。への応援コメント
社会正義や共同幻想によって、「人間」の輪郭がだんだんハッキリしてきていることに、気持ち悪さを感じてしまいます。
私の好きな映画の中で、「悪人のいない社会は、社会それ自体が悪になる」というテーマが描かれているのですが、まさにそうなってきているようで、不気味です。
社会か求める「人間」に無理してなるくらいなら、「人でなし」でも、「畜生」でも構わないと私は思ってしまいます。
作者からの返信
「悪人のいない社会は、社会それ自体が悪になる」
これは一人の創作者としてもたいへん興味深い言葉です。社会から周縁が消えた果てでもいうのか、人間の営みに秩序のみが存在するのであればそれはもはや狂気なのではないか、など多くのことを考えさせられます。
一人くらいいなくなっても構わんだろうへの応援コメント
祖父江さんは、私たちの気持ちを代弁してくださっています。ありがとうございます。
すべてが、ただ生まれて生きて死んでいくだけなのに、面倒くさく意味づけして生きていくことにうんざりです。
作者からの返信
意味付けは確かに無意味ですが、そう思わない人々について考えることが最近は増えました。無価値であることに耐える能力というものが備わっているか、その資質の違いはどこにあるのか、などについてです。
商人の言葉が、人を殺すかへの応援コメント
ようやくたどり着いた万人への思いは、私も同感です。
むしろ遅すぎたくらいなのでしょうか。
作者からの返信
いつしか商売のために人が産まれなくてはならなくなりました。なんて酷い世界なのだろうと思います。
踊るのであればもっと楽しそうにせよへの応援コメント
ん〜、祖父江さんはもしかして敵国を滅ぼそうとしているスパイの様ですね。
あまりにも私の考えていることを述べて、
読む人に催眠術をかけられたようにうなずいて読んでいました。 ヤバいです。
作者からの返信
自分がそういった傾国を担うスパイになったら「国家なんぞいつかは滅びるのだからほっとけ」といって母国で銃殺刑に処されるでしょう。
毎日、何を食うかだけを考えるへの応援コメント
食って寝て、糞をしようとも思わず出てくる快感は何よりも幸福なのです
作者からの返信
むしろ排泄時になんらかの快楽物質が出ている可能性があります。快便のときほど何かしらの偉業を達成したような気分になります。これは自分だけかもしれませんが。
はからずも完璧な私の生活への応援コメント
ありがたい言葉を頂きました。
生んだ者は悪くない/生まれてきたことは悪くないへの応援コメント
そうですね、人間も動物で縄張り争いやら、色濃い沙汰、金銭への執着心など
すべて本能からくる行動や思想なのだと納得できます。
宇宙の中の塵のような地球上で、顕微鏡の中でうごめいている微生物やウイルスと同じなのだと考えます。
作者からの返信
先日とある番組を観ていて「すべての地球生命のもとを辿れば、たった一つの始まりに至る」みたいなことが語られていて、とても納得できたことを思い出しました。本当に偶然、たまたま生まれてきただけの人間に「良い」も「悪い」もあるものか、とそう強く思うのです。
続・スキゾイドという仮説。への応援コメント
私自身の内面を言葉にされているようで驚きました。興味深く拝見しています。
ありがとう。
作者からの返信
これからも気軽に読んでいただければと思います。だいたい週に一度、たいてい日曜日の夜に書いています。適当に、なので読み方も適当にでけっこうです。
よく知りもしない人間を、なぜそこまで憎めるのかへの応援コメント
祖父江さんのお考えにも同感です、いろんな人がいるのだからそれを批評するのは感想であって、自然に湧き上がる感情は正直なのではと考えます。
作者からの返信
特にコメントへの反論というわけではないのですが、果たして「犯罪者は死刑に!」などが『自然に沸き上がった感情』なのかという部分に少々の疑問を抱きます。
なんとなれば、盛り上がらないコンサートの醒め切ったコール&レスポンスというか、つまらない定石を打ち合う盤上遊戯というか、「この場面ではどうあれ大きな怒りを表明してみせなければいけない」とでもいうような、過度の共感圧力に屈しているように思えてならないからです。
動物的な反射でもなく、義憤でさえない、TPOに合わせた情緒を機械的に出力しているように見えてならないのです。
死にたくない人々への憐憫への応援コメント
蓮如上人の御文を思い出しながら読ませていただきました
人は地獄に生まれてしまったことを忘れがちですね。
作者からの返信
他者を好きになる、愛する、慈しむ、までで留まっていられないのが人の性であり、業のようです。絶対に失いたくないと執着してしまうのですね。
戦争・紛争・テロを軽蔑するへの応援コメント
私は、人間が生まれてしまったことが間違いだと考えています
作者からの返信
「進化するにしてもほどほどにしておけよ」と思うことが多いですが、ほどほどで止まらなかったからこその人間なのでしょうね。進化の自家中毒を起こしている種族だと思います。
編集済
自傷と自虐の禁止への応援コメント
自傷とは破壊の喜びです。
「手首を切っている最中は、痛みが無い。むしろ、快楽的ですらある。脳内麻薬か、ドーパミンが云々といった話」
と書かれますが、自分のタイプのものだとこれは実際そうです。
ただ、タイミングの問題があるのと、後から痛くなる時もあります。
シャワーやお風呂に入ると痛いので避けるようになるかもしれません。
低血圧の為に血が通らなくなった点とかを、掻いて楽になるだけです。
自己肯定感が低くなった際に。
普通の人でもあるかもしれませんが、眠い時につねって目を覚ますようなものです。
破壊の喜びっていうのは自傷以外にもありますよね。
自分が初めて自傷というものを知ったのは、ネット配信をしているギタリストが「生きている証なんだ」と言いながら血を見せたのです。
自分の場合生きている証とまでは思いませんがね。
外部で勝てないので内戦するようなものかと?
何故、孤立すると人は死ぬのか。への応援コメント
昔、誰かが言っていましたが、「抜け出せない環境にいることが孤立」だと。
他人事は放っておけへの応援コメント
2年前女子高生が電車に飛び込み自殺をし、さらにそれをSNSで配信するという出来事をネットで見つけ、病んでしまうということがありました。衝撃でした。私自身とても苦しい時期だったので、それもあると思いますが酷く心が病みました。それでもめくるめく日々を過ごしていくうちにそのことについて考える事が少なくなっていました。しかし最近になって身近な人に、生きることがつらい、死にたいと相談を受けふと2年前の出来事を思い出しました。また2年前から現在まででさらに同じような事件があったことを知ってしまい、さらにはその自殺配信を見てしまいました。再び考え込む事が多くなり、自分よりも幼い子が自ら命を絶つ瞬間何を思ったのか、命を絶った後世間の反応、弔いの声または批判の声を聞いているとしたら何を思うのか。いわば関係のない自分が記事を読んだけでここまで精神を病んでしまうのに、当の本人達にはどれほどの苦痛が襲いかかっていたのか。こういう言い方は嫌いですが、可哀想で可哀想で。いくら考えようが答えの出ない不毛な疑問がキリがないくらい頭の中を駆け巡っていました。
そんな時偶然あなたの手紙を拝見しました。とても衝撃的でまた共感でき、心を抉られた気持ちになりました。いつからか分かりませんが私は孤独感、劣等感、虚無感等人生において負の感情しかありませんでした。しかしそれがなぜと聞かれると全く私もわかりませんでした。が、読むにつれてモヤモヤした心が晴れたような感じがしました。私の拙い文章力では伝わりにくいとは思いますがとにかくすごかったです 笑
長々と申し訳ありません、これからも応援しております!
作者からの返信
長文は歓迎しています。なぜなら、書くことによってすっきりとする部分が必ずあるはずだからです。恐らく、書いたことで一つ、また何かが晴れたような気分があったと思います。それを、大切になさってください。
何故、金が無いと人は死ぬのか。への応援コメント
北九州…だったでしょうか?
「おにぎりが食べたい」という遺言でお亡くなりになった男性がいらっしゃいましたね。
残念なことです。
作者からの返信
行政の不手際でした。法は市民を飢えた盗人にすることを禁じているのなら、市民を飢えさせぬようにするのが公の義務といえますが、それを放棄した事例だと思います。
自分も、どこかでその事件が念頭にありました。「私を飢えさせるな」と強い態度で詰め寄ることもせねばならんのかなと思いつつ、この文章を書いたような気がします。
筋金入りの無気力への応援コメント
すごく面白くてつい読んでしまっている者です。私は、祖父江様が宛てる手紙の相手の1人だと自覚しています。そんな中で、読み進めるうちに、祖父江様のように諦めたい?ところもありつつ、現状と折り合いがつかず納得してそうできないところがあります。例えば今回のこの章のように、無気力になりきれないところです。幼い子供たちの子育てがあり、できない、じゃ済まされないものがあります。せいぜい、無表情で冷たい態度になりながら、ご飯を出すのが精一杯のところですが、無表情で冷たい態度となってしまうところに納得ができていません。気持ちは無気力で、頑張れないのです。ただ、そのままじゃどう考えたって良いわけないと思ってしまいます。
このような状況や心情を、祖父江様ならどう解説されますか?私は、今は働いてもいなければ、生活も最低限のことしかしない、でも趣味は毎日通う元気だけはあり、それ以外には無気力で、それを咎める人もいません、いつか咎められるのではないかという恐怖はありますが、とくにこれといって、周りからしてなにも辛い状況はありません、でも生きているのが辛いのです。
作者からの返信
まず、三点チェックすべきことがあります。寝られてるか、食べられてるか、出せているか(排泄のこと)です。
杓子定規ですが、大体七時間の睡眠と、三食の食事、あと、ちゃんと毎日形になったウ〇コが出ていればだいたい大丈夫です。
なぜこういうことを訊くのかというと、自身をシンプルに見つめられるからです。人間のやることなど、産まれたらあとは食って寝てウンコしたらまた食って寝て死んでいくだけなのですが、多くの人はそうはいかないと思っている、思い込んでいる。一旦、細かいことをなしにして、物事を簡潔に考えてみることが良いと思います。
そうしてシンプルになった頭で考えてみましょう。『無表情で冷たい態度になりながら、ご飯を出すのが精一杯』と、ありますが、人間のやるべきことは食う寝る出すの三点セットだけなので、無表情も冷たい態度も問題にはなりません。ご飯が出せている、また、お子様がご飯を食べれているのであれば十分です。
無気力で、頑張れない心の状態で、いわゆる“親の役目”は果たせていると考えられます。むしろ今は順調です。この調子でいきましょう。
さらに今は家事以外は趣味ごとに通っておられる。良いことだとは思うのですが、一点だけ、エネルギーが枯渇しやすい体質かもしれませんからちょっと面倒だと思ったらその気持ちに逆らわずに休んでください。そしてまたしれっとした顔で再開してください。文面だけでは分かりませんが、変に生真面目な性分だと趣味さえも義務のように感じてしまうことがあります。趣味は楽しむものだと心得てください。
最後に、生きているのが辛い。これは私自身もまだまだ途上のところではあって、「生きることに意味など無いのだから、辛さや苦しさなども意味はないはずだ」と頭では思っても辛苦は消えてくれません。きっと、それすらも無意味無価値と断じられるのが悟りの境地なのだと思います。
なので、辛いのはいっそ「辛い!」と叫ぶくらいしか対処のしようがありません。理屈も理由も考える必要はありません、おそらく、生きることは「辛い!」と叫ばねばやって行けぬものなのでしょう。
安楽死の蠱惑的な魅力についてへの応援コメント
おもしろいですね。安楽死を儀式という観点でとらえたことはありませんでした。「官僚制の手続き」を象徴するような死かな、と思ったことはありますが。でも
「安楽死とは、死という隣人に、せめて、ノックと、丁寧に履き物を揃えることを促す重要な儀式である」
よくしつけられて、ていねいな物腰になった死神が思い浮かびます。
作者からの返信
「いつかは死なねばならん」という考えから、思うままにほろほろと書いていたらこのような文章になりました。自分でも「なるほどな」と思いながら読み返しました(能天気)。
自殺対策基本法を読むへの応援コメント
私の個人的な考えでだれも言及していませんが。
自殺とは人間のみができる行為であってこれが人間とそれ以外の生き物とを区別するラインと考えています。
かつて人間の基準は「言語」や「道具を使う」などいわれましたが言語はイカも使うしカラスも道具を使います。
しかし、自殺はしません。チンパンジーやオランウータンは動物園で鬱になり死ぬことがあっても、自殺はしません。
自殺とは非常に高度な行為です。過去と経験から遠い未来を推測し希望がないと判断しないといけない。そして死の概念を持つ哲学。生きるよりも死を選ぶという非常に高度な選択。死ぬための計画と準備と行動。このようなことは相当の知性がないとできません。二足歩行サルからホモサピエンスまでの長い道のりの中、どこかで誰かが自殺をした・無名の勇者であり初の人間です。
ネアンデルタール人は人間的であったかどうかわかりませんが彼らが自殺をしたのなら彼らは違うヒトであっても人間といえるでしょう。
自殺は絶望するから起こる行為です。動物は希望は持っても絶望しません。できないのです。
作者からの返信
たしかに、自殺は人間(ホモ・サピエンス)だけが為す行為である可能性は高いですね。果たしてチンパンジーやイルカも「自分はいつか死ぬこと」を知っているのか。
ユヴァル・ノア・ハラリさん辺りに見解をお聞きしたいところです。
働くと、人はおかしくなるへの応援コメント
頭がおかしくなるギリギリのラインを歩かせようとしてるような気配が、世の労働現場にはありますよね。。。
タイミングを逸して書きそこないましたが、まえの部分で、「つらいのは孤独ではなく、群れに入れないことに対する羞恥心なのだ」というくだりも印象に残りました。
作者からの返信
人間様たちは、一体全体なにがしたいのか、と思うことしきりです。今年読んだ『サピエンス全史』という本で「人類は自分たちが何がしたいのか、何を求めているのか自分でも分かっていない」という文章があり、身につまされました。
みんないつか死ぬ、そしてそれは今日かもしれない。への応援コメント
以前から祖父江さんのブログや文章を読ませて頂いていた者です。
僕は「生きたきゃ生きようぜ!」のスタンスを以前から持っており、今もそれは変わらずにいるのですが、今回のコロナ→大不況→自殺という流れはどこかやるせない気持ちになってしまいます。
とある有名人のように「自殺するな」などと言うことはできませんが、せめて自殺に至る前に投げ銭をしてあげたりはしたいなとは思っております。
作者からの返信
経済的理由での自殺は、こと日本では明らかな政治的失策で、非常に納得ができないのですね。まだ突発的な事故の方が分かりやすいし、「まぁ、仕方ないか」と思えます。どうせ死ななきゃいけないのであるならば、どうせなら、みんな納得して逝ってほしいです。
生も死も、納得するしかないへの応援コメント
この回を読んで、『安楽死』が頭を過りました。
安楽死はある意味合法な自殺として成り立つ事もあるからです。
うーん、凄く考えさせられます。
まだまだ読ませて頂きます。
作者からの返信
『納得』こそがすべてだという感覚は、最近になってより研ぎ澄まされてきました。
レビューをありがとうございました。高尚な哲学と呼べるほど省察なものではありませんが、どうか長らく読んでいただければと思います。
編集済
明日も働くあなたへへの応援コメント
学生時代から新卒のころ。人口800人位のくっそ田舎で農業の真似事みたいな自営業してて、それこそ冗談抜きに湧き水の水をすする生活をしていた時期がありましたが、それはそれで文明のありがたみをしりました。まぁ地元に帰るとき電車の音が五月蠅く聞こえるったらありゃしませんでしたw
他の奴は人の言うことを聞いてりゃ給料20万貰ってて羨ましいよなぁ~て感じでしたねw
30近くまでやりたいものも碌に見つからず、ようやく天職というものをみつけ、紆余曲折してフリーランスのエンジニアになりましたが、社会情勢もあって仕事無い時はこんな時間まで書き込みできたりしてますw
まぁ幾らでも仕事がある職種だし、専門職なので金もそれなりに良いので、すぐに無理に仕事探して働かなくても何とでもなると気楽に生きてます。
新卒に拘らず、一生かけてでも好きな仕事を探すのが普通な社会になれば良いんですけどね。一番理解してくれないのが正社員という肩書にこだわる身内だったりしますけどね……。
作者からの返信
地位と肩書にこだわる人のことはよく分かりません。「それで、あなたは何をしたいの」と問うても、意味不明瞭な答えしか返ってこない。まるで、狂ったように不老不死の霊薬を求める皇帝のように、ただひたすら死に怯えて青い顔をしているように見えます。何とも憐れな姿です。
虐待についての私見 生んだ者が育てる社会への疑義への応援コメント
すごく深いですね。
言われてること、共感できますよ!
作者からの返信
人間という奴は、自分も含めて本当に本当に愚かで鈍くてどうしようもない生き物であって、期待することなどこれっぽっちもないのですが、せめて、虐待と、殺し合い(戦争)くらいはやめておけよと思うわけです。
脳みそがあるなら、それくらいはやれよと思うのです。
自殺の否定を軽蔑するへの応援コメント
この世には、生きなければならない命も、死ななければならない命も、ただの一つも存在しない
この意見、すごく共感します!
作者からの返信
生きたいと思ったから生まれてくるわけでも、死にたいと思ったら死ねるわけでもないですしね。
罪悪感をどう処すかへの応援コメント
「私は生まれてくるべきではなかった」
う〜ん、世間一般的にはその言葉を使うほどあなたは不幸なのか?
って言われちゃうかもですよね。
僕は共感しますよ。
少しわかる気がします。
だけど、自分の場合こう考えるんです。
所詮、たまたま今の世の中でそれはネガティブな意見というのが主流の価値観なのであって、時代や文化によってそれも変わっていくでしょって。
もしかしたら、その意見をポジティブに捉える時代もやってくるかもしれないって思うのです。
僕には僕の中での道徳観があって、たぶんそれは他の人とは違います。
僕は他者個人個人の価値観を理解したい、理解し合いたいと思う人です。
だけど、自分の中ではこれだけは絶対に変えたくない自分自身のアイデンティティーの部分があって、それについては例え他人と意見が合わなくたって、
僕は自分の意見を貫こうと思っています。
長くなってすみません。
世の中どんな思想を持って生きてもいいか?
残念ながら人間らしさという定義はそういう風には出来てはいないと思います。
だけど、自分自身でちゃんと考えずになんとなく世の中の一般論に流されて空気のように生きるよりも、
例え世間一般の考えと違っても自分自身の頭で考えることのほうが大切だと思います。
作者からの返信
正直、この手紙では少々主語が小さかったかもしれんなと思います。自分の気持ちをより正確に言い表すなら「人間は、生まれてくるべきではない」というあたりです。
他者からの不当な評価をどう処すかへの応援コメント
「生きていくことに、何の意味も持てません」
「死んでいくことに、何の興味も持てません」
生きていくことの意味、死んでいくことの意味。
どちらもこれと決まった答えは無く主観的なものですからね。
他の多くの人達が信仰している意味を自分では何も考えず当てはめるのは違うと僕は考えます。
自分で考えて出した答えなら、
他者の思想に干渉しなければ(他者個人の意見への一方的批判や思想の意図的拡散)、
例えば生きていく意味も死んでいく意味も無いって言う意見だって、それはそれで僕はありだと思います。
「いつか死ぬのに生まれてきたという事実を前にすると、ただただ虚しいです」
これについては、人生に意味があると考える主張、人生に意味は無いと考える主張、
両方の立場でそれぞれに違う解釈ができると思います。
作者からの返信
結局、自分は人生には何の意味もないというところに落ち着きましたね。異論は認めますが。
何故、彼らは死なないのか。への応援コメント
カート・コバーンの遺書が好きです。
それを美しいと思いました。
二階堂奥歯の遺書に似たブログが好きです。
それを美しいと思いました。
誰もが緩慢な自殺をしています。
作者からの返信
27歳でこの世を去った天才のバンドが『ニルヴァーナ(涅槃)』なんていうのも出来過ぎていて、狡いと思ったものです。
『無限の奉仕者』としての私への応援コメント
いつでもどこでも、独裁者やブラック企業の経営者が望むのは、レイパーの主人公を慕うエロゲのヒロインのような、心から喜んで、主体的に、滅私奉公する奴隷です。
そういう存在を、ありうると思う、そして求め、褒め称える。それに異議を唱える者を理屈をつれて罵る。
そういう人たちは確かにいます。
それなら、その対極として貴方のような人が実在することも、私にとってはまったく不思議ではありませんね。
作者からの返信
主体性というより、主体そのものが無かった反動ともいえます。主体が無い空虚さこそが本質であると気付けたのは、良かったと思います。
適応できない私に投げつけられた「死ね」についてへの応援コメント
生を『喜ばしいもの』として感じられない人間は、断罪される。
私は断罪しませんよ?
これは嗜好の問題と捉えているからです。
断罪するのが圧倒的多数派であろうと思いますが。
発見する自分自身についてへの応援コメント
次の冒険が始まるのですね!
(ちょっと意地悪が入ってる)
生んだ者は悪くない/生まれてきたことは悪くないへの応援コメント
いい感じにノッてきましたね。
人生という山の中腹で、座り込むへの応援コメント
そう貴方に言われた子供がいたとして、その子が「あの人が言ってくれたあの場所が本当の頂上だったのだ」と思ったとしたら、どう思います?
作者からの返信
やや質問の意図を図りかねているのですが、特に何とも思わないです。俺が何を言ったところで、行動の結果を引き受け、どう解釈するのかはその人次第だと思っています。
それは俺自身にとってもそうで、「○○さんが言ったから」という理由で行動を決めたことはないし、結果の責任を転嫁したこともありません。
生も死も、納得するしかないへの応援コメント
よくそんな映画観れるねえ、というのが正直な感想。
現実だけでお腹いっぱいです。
死にたくない人々への憐憫への応援コメント
私の妻が初めて私の前で持病の発作に倒れたとき、似て非なることを思いました。
「もし今、妻がこのまま死んでしまったとしたら、私は昨日、十分に彼女を愛したと言えるだろうか」と。
「今からでも構わない」では、もう遅いかも知れない。
虐待についての私見 生んだ者が育てる社会への疑義への応援コメント
「原因抹殺法」より「河童法」がいいと思います。
作者からの返信
癌治療の診療並みに丁寧な説明をしても、「それでも生まれたい」という頑固な阿呆がちょくちょくと出てきそうです。
「娑婆は地獄だって言ってるだろ。分からん奴らだな」と、赤ん坊に説教するのはなんだか嫌ですね。
自殺の否定を軽蔑するへの応援コメント
>「お前は死ななければならない。しかし生きなければならない」という地獄
「お前は死ななくてもよい。しかし生きなくてもよい」というのも地獄のような気がします。
作者からの返信
この娑婆に生まれさせられた時点で、誰もがそれぞれのプライベートヘルを生きていかなくてはなりません。ただ、「お前は死ななくてもよい。しかし生きなくてもよい」という地獄は、少なくとも俺にとっては幾分気楽な地獄です。
人間である自分を軽蔑するへの応援コメント
おうおう、私もまったく同様にいじめられた経験アンド自分の中に同じ悪意があることに気付きましたが、そこから先は違いますね。私は自分を半分許し、半分諦めました。意識的に自分をそのようなポジションに置いた覚えはないけど、幸運にも時間がそうしてくれたのです。相手のことは許したつもりはないけど、とりあえずネットでクソばらまく人程度には気にならなくなりました。
代償なき仕返しボタンがあったら押しちゃうかも知れないけど。
それにしても……人間であるだけで軽蔑するのなら、貴方が尊敬する人間はどのような人ですか?いや、もちろん、別に誰もいなくても貴方の人間的価値に変わりはありませんが。
作者からの返信
これは自分でも妙な理路なのですが、人間という種を軽蔑すると同時に、個々人を好ましく思う感情が完全に分かたれたところで同居しています。
博愛主義者の逆というか、「俺も含めてしょせんはろくでなしのホモサピエンスだろう」と分かっていれば、わざわざマイナスに評価することもなくなり、加点方式で見てしまえる。だから、尊敬する人はかなり多いです。分かりにくい書き方になってしまいます。この辺りの感情は、後々詳しく書きたいと思います。
治療が必要なのは個人か、社会かへの応援コメント
わくわく。
生誕の暴力をどう処すかへの応援コメント
その対処法は、結局すべての物事の対処法でもありますよね。
他者からの不当な評価をどう処すかへの応援コメント
このテキストを書いている意味は問うてもかまいませんか?
作者からの返信
自由です。とはいえ、「内心に立ち入るな」と書いたところで、どうせ立ち入って来ても碌に人の話など聞きやしない人間なので、あまり深く考えずにお気軽にコメントください。
検索を捨て、ゲームをせよへの応援コメント
ん?
ゲームは種類にもよると思うけど、貴方は読書をしているときに、作者とある種のコミュニケーションをしているという意識はないんですか?
作者からの返信
考えたことがありませんでした。読みながらいろいろ考えることはあっても、やはり活字という名の無機物、壁に向かって話しているような意識しかありません。
書く方も読む方も思いはあれど双方向性がないから、コミュニケーションだとは思っていないのかもしれません。
活き活き生きることの何が良いへの応援コメント
しいて挙げるなら、秋の余裕がある感が好きですね。
身体の反応こそがすべてへの応援コメント
史実を基にしたとある時代劇漫画で、主人公の侍が根性論に対して「ひと月、眠らずにすごせましょうか、糞を我慢できましょうか」との意で反論するシーンが記憶に残っています。で、このあと切腹して政策に抗議するんですよね。
働くと、人はおかしくなるへの応援コメント
頭がおかしくなる、は同意ですが、SNS絡みの「やらかし」はそれとは違うと思います。少なくとも彼らにはSNSをやる余裕があり、経営者側はそれを見逃す甘さがあるからです。
また、自己承認欲求のことを抜きにしたとしても、社会でも何でも、誰かに何かに不快で理不尽な目に合わされたときに、同じことをやり返してもよいと考えて、それを実際に実行する人と、思っても実行しない人とは、文字通り天と地ほどの違いがある、と考えています。
作者からの返信
SNSによる不適切/迷惑行為の投稿と、精神疾患や自殺、過労などといったことは、明確に違うということですね。しかし、自分にとっては同じ『炭鉱のカナリアの鳴き声』だと感じています。実際のカナリアは鳴き止むことが危険の合図ですが。
過労自殺であれバカ投稿であれ「こんなことやってられない」というメッセージの、それぞれの形での噴出だと思っています。
あと、俺は「思っても実行しない人」の枠組みに今現在たまたま入っていますが、これからもそうだとはなかなか思えません。違いはあると思いますが、天と地ほどではなく、せいぜいビルの一階と地下一階くらいの差かなと考えています。
ある自殺志願者の身体的困難への応援コメント
私もまったく同じ「症状?」で、「足ゆらゆらしないで」と妻によく注意されます。
自傷と自虐の禁止への応援コメント
自傷という定義は誰が決めるのか、という問いかけをしたいと思います。
貴方のテキストに私は好感と誠意と面白さを感じていますが、「このテキストは自傷である」と見なす人は実在すると思います。みずからの知らないところで、すでに他者の論理に巻き込まれているという事実に対して、どう感じているのか、それを知りたいと思います。
作者からの返信
この文章が、何らかの自分への攻撃となっているという意見があれば、当然傾聴し、その言葉を発した人の気持ちに共感し、その上で態度を決めますが、恐らくはそう言われたところで辞めないと思われます。
それは、俺が何を言い、書いたところで「それでも自分にはそれをやる必要がある/やりたい」という人は自傷も自虐も辞めないであろうことと同じことです。
相手の論理を聞き、知った上で、嫌だと思ったモノには拒絶の意思を示す。ここが肝要であると思います。また、自分にとって害が無い、または特に気にならないのであれば、適当に長いものに巻かれていれば良いと思います。他人の意見を丸呑みにしないということですね。
自己肯定感なる物に対する疑義への応援コメント
>自己肯定感は『承認の言葉』だと思われた。今では『商人の言葉』だと思う
これは面白い言葉ですね。「ショウニン」とフリガナをふるともっといいかも。
私は逆でした。
その詳細は私の結婚エッセイにて書きましたが、一般的に言われる「自己否定」が安易なロジックであることを看破することで、未来の自己肯定の入手を約束するロジックを得ることができました。
自慢? 単に死ぬ前に得られたということに過ぎません。
何故、孤立すると人は死ぬのか。への応援コメント
私は「自殺とは価値観に殺される」ことだと捉えています。
厄介なのは、「武士道」や「エンターティメント等における物語性」において自殺を強いかねない価値観、それを賛美する価値観もありうることだと考えています。
何故、金が無いと人は死ぬのか。への応援コメント
これから一緒に~
これから一緒に~
役所に行こうぜ~
……殴りに行きたくない人は、役所に行くべきかも知れませんね。
何故、彼らは死んでしまったのか。への応援コメント
彼らは適当に考えて、うっかり死んでしまっただけかも知れないけれど、それに反論できないということが、死ぬことの1面であると思います。
何故、私は死にたかったのか。への応援コメント
「飴細工の鞭」とは面白い表現ですね。
人によっては「鞭細工の飴」でもあるのでしょうか。
何故、私は死にたかったのか。への応援コメント
初コメント致します、私、鳥殻モアイと申します。
まず最初に私の書いた文章力のない駄文を読んで下さりありがとうございます!
また何かひらめいたら書いていくのでヒマな時にでもミツケテください。
しかし、祖父江さんの作品、内容が深いですねー
これから他のもじっくり拝見させていただきます。
作者からの返信
コメントありがとうございます。失礼ですが、どことなく同じ匂いを感じました。
頑張らなくていいへの応援コメント
どうしても頑張らないといけない場合は
頑張り方を考えないと駄目ですよね。
頑張らないのが一番ですが。
適当的幸福論への応援コメント
この国は真面目な人間から磨り潰されていく。
自己肯定感なる物に対する疑義への応援コメント
全ては無常。気ままに生きてよし。
何故、孤立すると人は死ぬのか。への応援コメント
才能を高みに追いやるほど孤立してしまうケースもありますしね。
何故、金が無いと人は死ぬのか。への応援コメント
借金が生活に使うある一定を超えると自殺率が増えるそうですな。
何故、彼らは死なないのか。への応援コメント
文章で生と死を表現してみよう。
絵で生と死を表現してみよう。
歌で生と死を表現してみよう。
音楽で生と死を表現してみよう。
何故、彼らは死んでしまったのか。への応援コメント
思考を一方行にだけ走らせるのは危険です。
何故、私は死にたかったのか。への応援コメント
自分を突き動かすものがないと生きづらいですよね。
前書き―ある自殺志願者の思考への応援コメント
何か生きる楽しみの一つでもあれば少しは変わったのかな。
なぜ私は死んでいないのか。への応援コメント
私は「うんこ製造機」という表現が好きです。
生きがいとか、死にたいと思ったかと思えばそれを恐れたりして。
そんなこんなで生きていて今日も糞をひり出す。
下品ですみません。
作者からの返信
言い得て妙というか、そう馬鹿にしたものでもありません。よき大便が出るということはそれだけ内臓の調子や食生活の状態がよいということで、下痢や便秘が続くのはその逆であると、私もひと月に一度のペースでこれはもうひと踏ん張りで漫画よろしくトグロを巻くのではという逸品をこしらえることがありますが、そのときの快感は筆舌に尽くしがたいものです。
できれば死の直前まで製造していきましょう。