第7話 巳之吉の見たもの

 尾根を這いまわる鈍色にびいろの雲から、季節外れの雪が舞いはじめた。

 木樵きこり巳之吉みのきちは、仕事を諦め山を降りはじめたが、杣人峠そまびととうげの渡し場で吹雪に追いつかれてしまった。粗末な番小屋に閉じ込められて酷寒の夜となり、二人は寒さに気が遠のいていった。


 その夜更け、巳之吉がはっと我に返ると、固く閉ざしたはずの木戸が開いている。

 ごうごうと押し寄せる吹雪を連れて白装束の女が入ってきた。黒洞々こくとうとうたる闇に浮かぶ白い顔は怖ろしいまでの美しさだった。


 ――雪女だ。


 目を見開いたまま、巳之吉は身じろぎ一つ出来ない。

 雪女は眠っている相方に身をかがめ、ロウソクの炎を吹き消すように氷の息を吹きかける。するとその寝顔が一瞬で白く凍りついた。


 闇夜のような黒髪が揺れる。その眼差しが巳之吉に向けられた。

 雪女がささやく。


「人に言うな。同じ目に遭うぞ」





 その恐ろしい夜から程なくして、巳之吉の家に旅の女が一夜の宿を請うた。

 訊けば身寄りを失い、これから遠い親戚を頼って行くところだと言う。気の毒な娘は巳之吉の母にすっかり気に入られ、そのまま巳之吉の女房となった。



 巳之吉は最初から気づいていた。

 貧しい木樵の嫁になってくれた美しいひとが、あの夜の雪女だと。

 そして自分が「雪女を見た」と口にしたら、この幸せな日々は終わりになると。

 命が惜しいわけではない。巳之吉は妻を心の底から失いたくなかった。


 ただ一つ、分からない。何故妻はあの男を殺したのだろう。

 心の優しい妻が意味も無く殺生を犯すはずがないのに。

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