07: restart -復帰-
その日の夕方、
六係を離れていた経緯が経緯なので特殊犯捜査室室長も多少難色を示したが、当分の間は係長預かりとすることで手打ちとなった。気象捜査官はなり手不足で、傷病兵と言えども戦力は欲しいというのが室長の本音だったからだ。
広重は、自分が担当している研修生の
雨と雲がよく見える最上階の六係オフィスで、由利はきちんとソファに座り、天羽は別のソファに横になり、広重はその足の方に座っている。
五年前ドロップアウトするまで雨仕事のあとはいつもこうだったんだ、と広重は笑う。天羽は
自身も気象捜査官である広重は、加齢で感覚が閉じてきているという。今は相棒を持たず、現場仕事よりも係長職に集中しているというが、本当は天羽の復帰を待っていたのではないかと由利は思う。
「それにしても由利、思った以上に過敏というか……そのへんのご同類の感覚拾っちゃうんじゃ、これまで大変だったろ?」
「そうでもありません。私としては、捜索の手掛かりが増えるという感じなので。同じ視覚タイプ同士だと干渉し合って前が見えにくいみたいなことはありましたが」
由利の声は透明な雨粒に似ている、と天羽は気付く。それが全く嫌ではない。
「それより、逆に私の感覚を傍受した
――こっちの台詞だ。ブレスもなしに吠え続ける悲鳴みたいなもの、急に聴かされて平気だったのか。
「屍体の子供たちには悪意はないので」
由利は事も無げにそう答えた。
「生きてる人間の方が余程、はっきり意図を持って私を傷付けにくるでしょ。でも天羽さんは私を傷付けようとしてあの音を傍受させたわけじゃない。それが分かるから平気ですよ」
けれども感覚と事情の理解は別の話だ。由利もいずれ心身が耐えられなくなるのではないか、自分のようになるのではないか、と天羽は危惧する。
小さな骨を抱いたままあんな場違いな笑顔になれる、ちぐはぐな精神性が由利にはある。ことによると、もうずっと以前から壊れている可能性もなくはない。
だからこそ側について見ているべきか。天羽にも広重にも、由利をスカウト候補のリストに入れた責任があるのだから。
――広重、とにかく明日は休ませてくれ。今のままだとここの仕事はやりにくい。病院に行く。
「いいよ、ちゃんと治してこい。事件は一課が片付けるだろうし、また別の呼雨が来ても由利には俺がつくから。……それにしても、デスクワークとはいえ、よくそのままで仕事してたよな」
ぐったりとソファに横になったままの天羽を、広重は呆れたように見る。
天羽はかつての相棒の顔に視線を向けることもせず、
――喋る必要なんて、ほとんどなかったから。
五年前の自殺未遂で天羽は、外傷のために声帯を失っている。その後、残っていた録音から声紋を取り出して再設計した人工声帯を埋め込んでいたが、メンテナンスのための定期通院を勝手にやめてしまい故障して、現在は正常な発声ができない。
六係から別フロアの内勤に異動し資料整理担当部署で時短勤務していたため、業務上喋ることはほとんどなく、あっても今のようにテキスト入力して合成音声に喋らせればこれまでは事足りていた。しかし気象捜査官の現場仕事に戻るなら、現状ではあまりにも時間的ロスが大きすぎる。
「天羽さんってどんな声なんですか?」
「こいつは割と声低くてぼそぼそ喋るタイプ。うるさくはないし怒鳴ったりもしないから大丈夫だよ。全然暴力的じゃないから」
この六係に来るまでの由利の人生に何があったか、天羽も広重も知っている。子供時代、
だからスカウト候補リストに入れた。六係で保護したかった。ここに来れば
それでも多くの同類が能力の衰えを待てずにバーンアウトし、心身を病んで現場を離れていくけれど。
ふと気になって、天羽は短いテキストを入力した。すぐに合成音声がそれを喋る。
――君は雨が嫌い?
すると由利は、迷いなく答える。
「雨の日殴られなくなってからは、好きになりましたよ。綺麗ですしね」
いかにも素直な言葉が、天羽にはやけに眩しく感じられた。
死に損ないの自分にもできることがあるとするなら恐らくそれは、由利をこのまま雨が好きと言える状態でいられるよう守ってやることなのかもしれない。これからも現れるであろう
同類たちの未来を助けることで、過去の自分を少しは救えるのかもしれない。
そう思えばきっと、またここでやっていく勇気が持てる。生きることに意味が生まれる。
天羽はソファから起き上がると、ひとつため息をつく。それから改めて由利に片手を差し出し、合成音声ではなく自分の口で、無声の
「宜しく」
由利がその手を握り返す。
柔らかくて少しだけつめたい、まるで子供の頃に触れた雨のような温度。
自分は本当に今、五年振りに世界を感じているのだな、と天羽は思った。
〈了〉
雨鎮師:Rain-breakers ―警視庁特殊犯捜査室「雨係」事件ファイル― 鍋島小骨 @alphecca_
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