第4話 健一の罠
……ふぅ。ゲームが始まって早速、まんまと悠人に騙された僕。崖っぷちに立たされたというより、もはや崖から突き落とされたといったほうが正しい。かなり厳しい状況だ。
でも、僕はまだ諦めていない。悠人はまだ、崖の下を確認していない。僕が崖のへりを掴んでいることに、気が付いていないんだ。
「……OK。設定完了したよ」
早く策を試そう。行動を起こすなら早いほうがいい。このターンは、悠人は終了ボタンを押すだろう。ポイントはその後。この状況をひっくり返す!
「それでは悠人様は会場に戻って下さい」
ゆったりとした足取りで悠人が戻ってくる。隠そうともしない。かなり余裕そうだ。
「さ、長いこと考えてたみたいだけど、どう? 成果はあったかな?」
……僕は何の反応も示さなかった。
「……ふーん、まぁいいやっ、さっさと終わらせるよ」
悠人が終了ボタンを押し、カルケーネに10万円を渡す。
「所持金は悠人様189万円、健一様102万円です。次は3回表になります。健一様は個室に入って下さい」
僕は個室に入った。ここまでは想定通りだ。悠人が勝利までに踏まなければいけない手順は、「自分の箱に一万円札を1枚入れる」ことと、「終了ボタンを押す」ことだ。どうなるかは分からないがこのターン、僕の読みが正しければ……
「健一様は会場に戻って下さい」
……早いな。まぁ、悠人からすれば、悩む必要もないから当然だろう。でも、そっちの方が都合がいい。
僕は、ドキドキしながら会場に戻った。『ドキドキ』と言っても、ただ緊張しているわけではない。出し抜かれるか、出し抜くか。僕は、少しずつその見えない駆け引きにはまっていっていた。
「さて、悠人に一つ、質問をしてもいいかな?」
「いいけど、何? 今更何を質問するっていうのさ?」
「悠人はこの回、マネーを入れた?」
僕の意味深な振る舞いに、悠人も流石に少し警戒していたようだったが、質問を聞いて気が抜けたように笑った。要するに、あまりにくだらない、ということだろう。
「……は? いきなり何を言ってるの? 隠す意味もないし、普通に答えるけど勿論入れたよ? 1万円」
よし、悠人は気付いていない。僕はもうすでに、ほとんど崖を登り切っていた。あとは仕上げだけ。
「それならよかった。……じゃあ、宣言するよ。お金は……」
「待て」
悠人が訝しげにこっちを見る。
「……お前、まさかお金が『ない』なんて言わないだろうな?」
悠人はゆっくりと喋った。
……流石悠人、この察しの早さは僕にはないものだ。でも、今になって気づいても遅い!
「そのまさかだよ。お金は『ない』」
僕は静かに、でもはっきりと言い切った。
静寂が会場を包みこむ。悠人は、もちろんお金を入れた記憶があるんだから、僕の行動の理由は分からないだろう。その証拠に、悠人は珍しくきょとんとしていて、一瞬時間が止まったようにも感じられた。僕は、次の言葉を発すタイミングを見失いかけていたが、その静寂はカルケーネが破ってくれた。
「……えー、健一様、正解です。所持金は、悠人様129万円、健一様152万円に――」
「は?……」
――思った通りだ――!
僕の脳内からドーパミンがどばどば溢れ出す。僕の作戦は完全に成功した。僕は、これまでに経験したことのないような快感を覚えていた。
「そう、そうだよ! 悠人の箱にはマネーは1円も入っていない!」
「いや、おかしいだろ、カルケーネさん。ほら、ちゃんと見ろよ」
悠人が『☆のマーク』の箱を開ける。確かに、悠人の箱には1枚の一万円札が入っていた。
「ほら、ちゃんと1万円、入っているじゃないか」
悠人は抗議の声をあげたが、それは受け入れられない。宣言の成功、悠人の反応、全てが思った通りだ。
「いいえ、間違いはございません。また、ただ今悠人様は『健一様の箱』に1万円を入れていたので、その1万円も健一様に譲渡されます。所持基金は悠人様128万、健一様153万です」
「そう。何も間違っていない。もっと言うと、今『☆のマーク』の箱は『悠人の箱』ではないんだよ」
「……どういうことだよ? お前は何を言っているんだ?」
悠人は、まだ僕がしたことを理解していなかった。よし、種明かしの時間だ。
「つまりね、僕はマークが描かれている箱の蓋はそのままに、箱の本体を入れ替えたんだよ。これで☆のマークだけど僕の箱、○のマークだけど悠人の箱という状況が出来上がったというわけさ」
「……なるほどな。」
悠人は、しばらく考えたあと判定の理由に合点がいったらしく頷いたが、どうも腑に落ちなかったようで僕に質問をした。
「でもこれ、かなり賭けというか、五分五分の作戦なんじゃないか? もし『自分の箱』の判断が箱のマークによって為されるものだったらどうするんだよ?」
「もちろん、それだったら僕に逆転のチャンスはない。でも、どのみちこのままじゃ勝てないし、この作戦が失敗しても、広がる差は3万円だけで、借金を負うこともないんだ」
一度最高潮に達した興奮も少しずつ落ち着いて、僕も良い感じに調子づいてきた。僕はさらに説明を続ける。
「そもそもルール説明のとき、僕はカルケーネが『悠人様は☆のマーク、つまり自分の箱』とわざわざ言い直していたところに何か引っかかるものを感じてたんだ。カルケーネにも聞き直したんだよ。僕が入れないといけない箱とは、『○のマーク』の箱ということで合ってるのかってね」
そう。ついさっきの準備時間、この作戦を思いついてすぐ、会場にいるカルケーネにこの質問をぶつけたんだ。
「そんで、カルケーネは何て答えたんだよ?」
「それは、本人に聞いた方が早いんじゃないかな」
僕は、カルケーネに質問に答えるよう促した。
「はい。防御側は、『自分の箱』にマネーを入れてください。無論、入れなくてもいいです」
「はぁ……」
カルケーネの端的な説明。これが全てだった。悠人もこのターンの一連の流れの中での敗北を受け入れたらしく、ため息をついた。
ため息は場を重くする。悠人と僕の話も一段落して、ついさっき熱くなった会場が、ちょっとずつ冷えてきた。
「これが、策士策に溺れるってやつかな?」
僕は、悠人に何か気の利いたことを言おうと思ったのだが、これに関しては却って笑われてしまった。
「ムカつくなぁ、それは全然違う意味だよ。なんでそんなんで、こんな奇策が思いつくんだ」
皮肉まで言われてしまったし、これでは少し締まらない。後で正しい意味を知ったが、これは確かにアホだった。
「……とにかく、まだ差は15万。まだお前も守っているだけでは勝てない」
……そうだ。リードしているとはいえ、とても安全圏とは言い難い。今までのことはそれとして、一回ちゃんと切り替えなくては。
悠人は、僕に逆転はされたものの、冷静だった。先を見据え、カルケーネに次の質問をする。
「ちなみに聞くけど、攻撃側は自分の箱には触ってもいいのか? カルケーネさん」
「はい。『自分の箱』には触っても構いません。但し、もし『相手の箱』に触れてしまった場合は反則負けとします。反則負けはコールド負けと同じ処分です。ちなみに、今回のように防御側の時に触れた場合は不問とします」
コールド負け……って借金200万だよな。ただ宣言の失敗を積み重ねて負けて、賞金0円になるのとはわけが違う。こればっかりは本当に気を付けないとな。15万円なんて、何の安心材料にもならないし、勝負はこれからか。
「それでは改めて、次は3回裏になります。悠人様は個室に入って下さい」
悠人が個室に入っていった。実質、ここからが後半戦だ。
さっき箱の本体を入れ替えたこだから、今の僕の箱は、『☆のマーク』の箱だ。この箱は……爪痕でもつけておけば印になるだろうか。よし、この箱に……ん?
驚いたことに、その箱には既に爪痕がついていた。
どういうことだ? もちろん、たまたまついたって可能性もあるけど……それは考えにくいよな。これは……
……はっ! そうだ。
さっきのやりとりが頭の中で繰り返される。
もしかすると悠人は、カルケーネがさっき、「僕の宣言が成功した」といった時には、もう僕のトリックに気づいていたのかもしれない。そして、悠人は自分で☆のマークの箱を開け、「お金が入っている」とアピールしたタイミングで印を残しておいたんだ。
……だとすると、恐ろしいな。悠人は外見動揺しているように見えたけど、あの時点ですでにトリックに気づいていたことになる。油断も隙もあったもんじゃないな。
さて、となると、どうしようか……
僕は、少し長めに時間を使ってどうしようかを決めると、カルケーネに準備終了を伝えた。
「準備が完了したので悠人様は会場に戻って下さい」
悠人が個室から戻ってくる。そして、戻ってくるなり箱を観察し始めた。
「……あれ」
……やっぱり。悠人が故意につけた痕だったんだ。僕はもう一つの箱の全く同じ場所に痕をつけた。僕はリスクを抑えて1万円を入れたから、悠人は宣言さえすればどっちが自分の箱だったのかは分かる。だから、その場合は次のターンは今度は立場が反対になる……けど、今の悠人と条件が同じなら状況は互角だ。
もし悠人が終了ボタンを押せば悠人も分からないまま次に行くし、ここで差がつくってことは無いはず。
……と、思っていのだが、ここで悠人は意外な行動に出た。
「いや、☆だな。箱はまたシャッフルされている」
悠人は余裕の表情で『☆のマーク』の箱を開けると、カルケーネの方を向いた。
「…………」
カルケーネは、そのまま沈黙を貫いている。
「うん、何も言わないっていう事は続行でいいのな。こっちが俺の箱だ」
……まさかこの短時間で見破られるとは。流石に動揺を隠せない。
「ふぅ。やっぱりお前、分かりやすいよ。色々考えるようになったのは身を持って分かったけど、心理戦は向いてない。俺が今観察していたのは、箱じゃなくてお前自身だ」
さっきの逆。今度は僕が、悠人の言っていることが分からない。僕は一度ため息をついてから、悠人に詳しい説明を求めた。
「あー何? 結局どうやって判断したの?」
「今、ポイントは『爪痕』だっただろ? 健一は、無意識に自分がつけた跡の方を見てるんだよ。というか、俺がわざと爪痕を意識するように誘導したのもあるんだけどな。お前は素直だから、俺が両方とも跡がついていることに気づいて驚いたふりをした瞬間、自分がカモフラージュした跡がばれないかが気になって、明らかに『☆のマーク』の箱を見た。そんで、お前がつけた爪痕は、『俺の箱』についたものだから……あとは言わなくてもわかるよな?」
僕は、途中から悠人の話をほとんど聞いていなかった。流石にやばすぎる。確かに、僕は悠人が箱を観察してリアクションしたとき、自分がつけた爪痕のことを考えていた。
でも、ミスしたら借金200万円だよ? それで悠々と『☆のマーク』の箱をとるなんて、いくら自信があっても、とてもじゃないが僕にはそんなことは出来ない。
「そして、なんでこのターンでリスクを冒してまで自分の箱を取ったのかというと、それはここで終了ボタンを押すからだ。自分が防御側のときに自分の箱が分からないなんて状況は避けたい」
悠人はサッと終了ボタンを押し、カルケーネに10万円を渡した。
……え? 悠人の行動の意味が分からない。普通に考えたら、終了ボタンをどっちが自分の箱か分からないまま押しても借金200万背負うよりはましなはずだ。
何だ? もしかしたら、自分の箱に関してはものすごく自信があって、ただプレッシャーをかけようとしているだけかもしれないが……
「あれ? というか、悠人、差が広がちゃったけどいいの?」
「別にいいよ。どうせお前は4回表終了ボタンを押すんだろ。一応押さなかった場合の対応も考えておくけど、あとはほとんどお前が4回裏にどっちの箱に1万円入れるかでこの勝負は決着する。自分の箱に入れることが出来ればお前は勝つし、3回表の俺みたいなことが起これば俺が勝つ」
「……あぁ、なるほどね」
確かにそうだ。一番最初に言ったが、ターンの規模を決めるのは防御側だ。攻撃側には終了ボタンがあるが、もしボタンを押さずに宣言をするとなると、その時点でそのターンの重要性と状況を分かっている防御側の方が有利だ。それに、今更悠人の箱にお金が入っているかどうかを考えるより、そこを流して自分の箱にお金を入れることを考えた方が判断材料も多いし、勝算もある気がする。
「所持金は悠人様128万、健一様153万です。続いて4回表です。健一様は個室に入って下さい」
さぁ、いよいよだ。とりあえずこのターンは素直に終了ボタンを押すとして考えよう。その後が最後の勝負になる。
今までのことを全て思いかえす。少しでも勝率が上がる方法はないか?
最初は悠人に騙され、一気に窮地に立たされた。その後30分の制限時間を目いっぱい使い、すんでのところで箱を交換するという策を思いついて逆転。悠人は間違えて僕の箱は1万円を入れ、僕は宣言で50万円、そして……
……あ!……ギリギリで……また思いついた。
仮に防御側が攻撃側の箱にお金を入れてしまっても、それは相手にそのお金が渡ってしまうだけだ。悠人は宣言の50万円と、間違えた入れた1万円を失ったが、それ以外のペナルティは何もなかった。それなら……
僕の脳裏に勝利へのビジョンが映し出される。悠人が終了ボタンを押したから、今の悠人との差は25万円。だとしたら……いくら悠人が箱をシャッフルしようと関係ない。僕はまず終了ボタンを押して、その後『両方の箱』に1万円を入れればいいんだ、そうすることで悠人はこの差をひっくり返すことが出来なくなる。何しろ、ターンの規模を決めるのは防御側なのだから。僕は一番小さな勝負をすればいいんだ。これが、必勝パターン……!
僕は必勝パターンを何度も何度も頭の中でイメージした。元々、僕は悠人の必勝パターンを崩したのだ。何か僕の作戦に穴はないか……?
考えていたが特に思いつかない。そうこう考えているうちに、カルケーネからの放送がかかった。
「準備が出来たので健一様は会場に戻って下さい」
僕は個室を出た。個室から会場までの道は、まさに僕と勝利をつなぐ道だ。僕は、その道を一歩ずつ、着実に、歩んでいった。
会場につく。悠人の様子をうかがったが、特に何かに気づいたような様子は見受けられない。これは、この勝負、貰った!
「さて悠人、戻ってきて早速だけど、実は僕はもう、必勝パターンが見えてしまったよ」
「ふーん、そうか。じゃあ説明してみなよ」
悠人、やけに余裕そうだ。でも、そうしていられるのも今のうちだ!
「今終了ボタンを押して、4回裏に『両方の箱』に1万円を入れる。悠人はさっき終了ボタンを押しちゃったから差は25万円。この方法なら絶対にこの差は埋まらないでしょ?」
――残念ながら、『そうしていられるのも今のうち』だったのは、僕だった。
「確かに、それができるならば必勝だろうな。できるならば、だけどな」
「え?それってどういう……って、終了ボタンが無い!?」
――最後の勝負が今、始まる。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます