第3話 悠人の罠

 はぁ、あと5分くらいだろうか。長すぎる10分。重すぎる空気。

 悠人はついさっきトイレに行った。カルケーネはまだ戻ってきていないから、部屋には僕一人しかいない。僕は、仕方なく箱と終了ボタンを眺めていた。無いとは思うが、もしかすると悠人に気づかれることなく何か仕掛けを発見できるかもしれない。


 えぇと……箱は……ただの箱だ。ちょっと硬めだけど紙製の、お菓子が入っているような箱。終了ボタンは……パッと見た感じだと爆弾の起爆スイッチのように見える。

 でも、どっちも大した仕掛けはなさそうだ……


 観察も終えて、することも無く座っている僕。僕の体内時計ではそろそろ10分なのだが、チャイムはまだ鳴らない。悠人はしばらくして帰ってきたが、もちろん仲良くおしゃべりというわけにもいかない。いい加減早く始まってほしいのだが……ダメだ。時間はゆっくりとしか流れていかない。


 お互いに黙ったまま、時間がたつのを待っていた。僕は2,3回ルールを思い返していたが、それにももう飽きてしまった。決して途切れることのない直線をたどっているような気分。この空気にも耐え兼ね、ついに口を開こうとしたところで、ようやくチャイムが鳴った。



カーン……カーン……カーン……



ゆっくりと3回。重たい空気がゆっくりと解きほぐされていく。3回目のチャイムが鳴り終わるとほぼ同時に、カルケーネがまた部屋に入ってきた。


「時間になりました。一回戦を始めます」

「ふぅ……」

 思わずため息が出てしまう。負けたら借金のゲームが今から始まるというのに、ゲームが始まった事に安堵しているなんて、どこか感覚がおかしくなってきている。何かに洗脳されている気分だ。

 ……でも、今更そんなことは言ってられない。もうやるしかないのだ。


 カルケーネがコインを取り出し、不正がないことを僕と悠人に確認させる。

「まず、コイントスで先攻、後攻を決めます。表が健一様、裏が悠人様です」


 カルケーネが親指でコインをはじく。コインはくるくると回転して、またカルケーネの手に収まる。


「表が出たので健一様が先行です。それでは、健一様は個室に入って下さい」


 えらく手際がいいな。150万円がかかっているゲームがすんなりと進行していくものだから、さっき腹をくくったにもかかわらず僕は少し動揺していた。


 一人別の部屋に入る。机とソファーもあり、この部屋自体は決して居心地の悪いものではないのだが、一人でいる時間はどこか気味が悪い。

 僕は取りあえずソファーに座って、作戦を考えた。考えたからといって思いつくわけではないが、考えないことには何も始まらない。


 なんだかんだ言いつつも、この時間はチャイムが鳴る前ほど苦痛ではなかった。何も事態が好転したわけではないのだが、取りあえずはゲームが始まったという事実が、少しはこの状況をまっすぐ受け止めさせていた。


「悠人様が準備を終えたので健一様は会場に戻って下さい」


 僕はまた会場に戻った。悠人は『☆のマーク』の箱の前に座っている。そうそう、僕は『☆のマーク』にお金が入っているかどうかを当てるんだ。


 悠人は何も言わなかった。よし、まずは一つ、質問をしてみよう。これは心理戦だ。

「ズバリ聞くよ。箱にお金は入っている?」

「入っているよ」


 悠人は堂々と答えた。そういえば、リハーサルでも悠人は即答していたな。

 ただ、流石に本番となれば少しは悩むと思っていたのだが、これは予想外。とにかく、もう少し揺さぶってみることにした。


「本当に? 断言できる?」

「できるよ」


 また即答だ。ここまではやってみたものの、結局どちらなのか全くわからない。

 しょうがない、決めないわけにもいかないけど。直感に頼るのも嫌だから……

 そうだ、一度悠人の目線で考えてみよう。


 ……まず自分が防御側で負けた時、お金を入れていたらその入れた額、入れていなかったら50万円が差し引かれる。

 自分のリスクを考えるなら、50万円より少ない額のお金を入れるはずだ。もし入れなかったら、初っ端から100万円の差がつく可能性だってあるし、このゲームは4回裏まであるんだ。そんなゲームで、こんなに最初の、勝算のないうちに賭けに出てくるとは思えない。そもそも、入れた額が少なければ当てられた時の損失も少ないのだ。


「よし、決まった。宣言するよ。お金は『ある』!」


悠人の反応を見るが、よく分からない。悠人は少しだけ沈黙していたが、すぐに『☆のマーク』の箱を開けた。


「……ん、正解だ」


 中には1枚の一万円札が入っていた。

「よっしゃ!! ……って、あれ? 1万円しか入ってないじゃん」


 僕が悠人の方を見ると、悠人は少しだけばつが悪そうだった。

「……まぁ、最初だからな。あまり差を点けられたら困るし」


 はぁ、なるほど。自分が読んでいた通りなんだから別にいいんだけど、いざ1万円しか入っていないとなると、少し寂しい。


「これによって、所持金は悠人様149万円、健一様152万円となります。続いて、1回裏を行います。悠人様は個室に入って下さい」


 悠人は、さっきの僕と同じように個室に入っていった。


 ふぅ。今度は僕が防御側だ。少しだけこのゲームのことが分かってきた。このゲーム、今みたいにお金が大きく動かないターンは、勝っても負けてもあまり状況は動かない。

 このゲームのポイントは、大金が動くターンにある。いくら負けた回数が多くても、1つの大きな勝負で勝てばそれが全て。その逆も然りだ。

 そして、ターンの規模を決めるのは防御側。攻撃側に、そのターンの規模は分からない。今は一番最初で、悠人も小さな勝負しかしてこなかったからよかったけど、これからはもっとしっかり考えないとダメだろう。


 さて、ここは悩みどころだが……よし。ここはあえて、規模の大きな勝負をしてみよう。今回は、お金を入れない。まだ1回裏だし、悠人だってまだ様子見の段階のはず。後半になればなるほど悠人を欺くのは難しくなるだろうし、ここが一つ、勝負のターンだ。



 ……でも、すぐ準備終了すると怪しまれるかもしれない。ここは一つ、もう少し悩んでいるふりをしよう。

 僕は何もせずにしばらく待った。さっきより大分気分が軽い。そろそろ5分くらい経ったかな? と思ったころに、準備が完了したとカルケーネに伝えた。


「悠人様は会場に戻って下さい」


 悠人は、何か考えているような様子で会場に戻ってきた。


「……えぇと、いきなりなんだが……」

 と、言うなり悠人は10万円を消費する代わりにそのターンを終了させる、終了ボタンを押した。


「え? なんで? 悠人負けてるのに。差が広がるけど?」

 せっかく色々考えていたのに、あっさり終了ボタンを押されてしまって、僕は悠人に心を見透かされたようで、少しドキッとした。


「……まぁ、別に勝つことを目的にしてるわけじゃないからな」

 悠人が意味深な発言をする。一体、どういうことだ?


 僕は少し考えていたかったが、悠人はさっさとカルケーネに10万円を渡してしまったし、カルケーネがそれに続けて進行し始めたため、ひとまずそれはおあずけ、ということになった。

「所持金は悠人様139万円、健一様152万円です。続いて2回表になります。健一様は個室に入って下さい」


 僕は個室に入った。まさか終了ボタンを押すなんて思ってもいなかったから、まだ今の状況をイマイチ呑み込めていない。取りあえず一人になったことだし、改めてしっかり考えてみよう。


 まず、最初に分かったことは、勝負の規模を決められるのは防御側だが、勝負をするか決められるのは攻撃側だということだ。当然のことなのだが、悠人がここで終了ボタンを使ってくるとは思っていなかった。

 そこで今考えたいのが、悠人がなぜ終了ボタンを押したのか、ということだ。

 悠人は「勝つことが目的ではない」と言った。これがどう終了ボタンにつながるのか……?


 幸い、悠人も悠人で悩んでいるらしく、僕には時間がたっぷりあった。色々考えてみて、1つだけ納得がいく答えを思いついた。

 それは、悠人はただ、借金を負わなければいいだけということ。悠人はこのまま「防御側の時に1万円入れる⇒攻撃側の時に終了ボタンを押す」を繰り返せば、所持金がマイナスにならないから、借金を負うようなことにはならない。

 そうか! 僕の中で全てが繋がった。それなら次も『ある』を選択すればいい。悠人はただ、自分のリスクを完全に切り捨てただけだ。


 丁度そこまで考えたタイミングで準備完了の知らせも来たので、僕は意気揚々と会場に戻った。



「僕、悠人の考え方は分かったよ。このターンもお金は入っている。要は、悠人はただ、借金を負わなければいいだけってことでしょ? 反応を見るまでもない。すぐに宣言するよ。お金は『ある』!」


 僕は悠人の返事を待たずして、勝手に"☆のマーク"の箱を開けた。

 僕の見込みが正しければ、ここには一万円札が1枚だけ……












 ……ない! 1枚どころの騒ぎではない。1枚も入っていない! 中身は空っぽだ!


「ど、……どうして……?」


 それ以上の言葉は出てこなかった。

 悠人は「全て上手くいった」という顔をしていた。

 僕は軽くパニックに陥っていたが、そんなことは気にせずにカルケーネはゲームを進めようとした。


「この結果を受けて、所持金は悠人様199万円、健一様102万円になります」


 ここでようやく、思ったことが言葉に表せるようになった。

「どうして……どうして、何も入っていないの? どういうこと!? 悠人は勝つことが目的じゃないって言ったじゃん!」


 悠人は、呆れたように笑うと、その発言の説明をした。 

「あんなの嘘、というか罠に決まってるだろ? ホントにお前さー、考えが安直すぎるんだよな。小さな謎が解けたらそれを疑わないあたり、さすが健一だよ」


 ……答えを聞いてしまえば、それは実にシンプルだった。大体、本当に勝負する気がないなら、それを僕に直接言って、僕にも終了ボタンを押させればいいだけの話じゃないか。僕は、簡単に騙された自分が情けなくなった。


「……でも、でも! まだ勝負は始まったばかりだ! 絶対逆転する!」

「いやぁ、本当にそうかなぁ? 俺はもう、雌雄は決したんじゃないかと思うけど」




「……え、なんで?」

 傍から見ても僕は平静を失っていただろうと思うが、それを聞くだけの力はほんの僅かに、残っていた。


「だってさぁ、俺は今こそ『攻撃側の時に終了ボタンを押す⇒防御側の時に1万円入れる』で勝てるじゃん。俺は所持金が32万円減って、お前が増える所持金は4万円。数の計算くらい、できるだろ?」


 ……勝負の規模を決められるのは防御側だが、勝負をするか決められるのは攻撃側。僕は、さっき自分が考えていたことを思い出して、ため息をついた。

「そんな……くそ、悠人にだけは負けたくない……」

「まぁ、そんなことを今になって言っても、もう遅いけどなぁー」

 これほど人の笑顔が憎たらしいことはない。僕は悠人を睨みつけたが、それは何の効力もなさなかった。


「続いて2回裏になります。悠人様は個室に入って下さい」

 悠人は、カルケーネの指示を受けてすぐに個室に入った。悠人が部屋に入ると、僕はどこか悠人に置いて行かれたように感じた。


 これが『FAKER』か……。

 僕は、絶望と怒りを混ぜ合わせたような気持ちになっていた。


 2回表で決着とか、そんなことがあっていいのか?

 悠人はマネーを入れなかったが、その行動自体、かなりリスクも大きかったはずだ。それをいとも簡単にやってくるとは……


 騙された自分も大概なのだが、僕のやり場のない感情はどんどん膨れ上がっていた。

 舐められている……そして嵌まっている! 悠人の罠に!

 くそ! 何かないのか!

 悠人は終了ボタンを押して、一万円札を1枚入れていれば、それだけで勝ってしまう。

 どこかに穴はないのか!? どうにかできないのか!?


 カルケーネには、準備時間は最大でも30分と聞いた。

 ――5分――10分――15分――。開始前にあれだけ持て余していた時間が、今は飛ぶように過ぎていく。


 そして、カルケーネに「あと5分」と言われた時だった。



 ……あ! そうだ!


 僕は、カルケーネがこのゲームの説明の中で言った言葉を頭の中で反芻した。


 もう、時間は残されていない。上手くいくかは分からないけど、まだ可能性があるのは、この方法だけだ。


 とりあえず、やってみるしかない。


 僕は、ある作戦を実行することにした。

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