第3話 魔女が願うは巧みな話術


東オリアン王国。魔族の国を統べるはまさに魔王。その肩書きに相応しい風格を持つエドヴァルドの執務室にて、クリストフェル・ベルマンは深く頭を垂れていた。


「ベルマン。貴様に頼みたいことがある」

「は。何なりと」


漆黒にどこか茶の混ざる羽は整然と並び、眼球にぽつりと浮かぶ黒い瞳は凛々しく輝く。クリストフェルは、魔王の秘書官であると同時に鷲の魔族である。

そしてその主君、エドヴァルドと言えば、膝を付いた忠臣に静かに紙を差し出した。


「この蔵書を…秘密裏に揃えてはくれないか」

「陛下に頂いた勅命、このクリストフェル・ベルマン。必ずや遂行致します」


魔王直々の命令である。さらには極秘任務。一体どのような蔵書なのか、恭しい動作でそれを確認したクリストフェルはびしりと固まった。なぜならそこに並ぶ本の題目は、彼のどんな予想をも越えたものであったからだ。


言ってしまえば、『好きな相手に想いを伝える方法』に『相手の心を掴むための10ヶ条』、『怖がらせない接し方』の3本立てだった。






クリストフェルにとって、東オリアン王国第11代魔王は、まさに理想の君主であった。何者も寄せ付けないその強さに、有無を言わさぬ迫力はまさに王者の風格。それでいてほんのひとつの弱点などもないのだから、仕えるにこれ以上の主人はいないーーーと思っていた。


だが今まさに、その忠義が試される時が来ている。


主人に対しこのような感情を抱いてしまうなど、非常に不適切であるとは理解している。忠臣の彼からすれば、打ち首になろうとも致し方ない案件だ。だが非常に厄介な話で、感情とは表層への発現こそ抑えられるものであっても、その発生自体を止められるものではない。そう、彼は思ってしまったのだ。


最近のエドヴァルドが、ちょっとキモいと。


ほんの少し前の主君ならばこんなものを望むことはなかった。そうそう本を読むような気質の男ではないが、読んでもよしんば『殺したい相手を殺す方法』とか『相手の心臓を抉り出すための10ヶ条』とか『恐怖だけで息の根を止める接し方』とか、そういったおどろおどろしい主題の本である筈だった。だがしかし一体なんだこの桜色の可愛らしい本は。


主人所望の品をぶん投げてしまいたい気持ちを抑え、クリストフェルはそれをそっとエドヴァルドの机に置く。もちろん万が一にでも他人に見られる訳にはいかないので、頑丈な鍵を掛けた箱の中に入れて。


「……」


律儀な彼は誰もいない執務室に黙って頭を下げ、廊下に出る。そう、彼の主人の奇行はこれだけにとどまらない。


(先週などはひき肉を包んだ饅頭を机に置き、物欲しげにじっと見つめている始末…!)


意図が図りかねる出来事ではあったが、その原因についてはひとつしかない。クリストフェルは確信を持ち、廊下を闊歩する。猛禽類特有の精悍な爪が音を立てる。迷いのない足が向かう行き先はただひとつ。

何せ彼の務めは魔王秘書官。国のためにも王を惑わす懸念事項は芽を潰さねばならない。そう、例え相手が王妃であろうともーーー。


「この魔女め!一体陛下に何をした!」


扉を盛大に開けて図書室に入ってきた秘書官を、アンナとヘルガはぱちぱちと瞬きをしながら迎えた。


「貴様が陛下に悪事を働いているのは明白な事実!とぼけても無駄だ!」

「仰る意味が分かりかねますが…」


続いて畳み掛けるクリストフェルにも、王妃は首を傾げる。だって彼女は何をしたどころか、何もできていないから困っているわけである。


だがクリストフェルには確信がある。何故なら主人の奇行、その全てが人間の姫が嫁いできてからの出来事であるからだ。この女が何かしらの権謀術数を弄していることは火を見るよりも明らかである。


むっと嘴の端を結ぶ彼を前に、ヘルガが呑気に眠たげな瞳を向ける。おおらかな彼女にとって、秘書官殿のそんな様子などどこ吹く風。クリストフェルの顔とアンナの手元を見比べて、声を投げ掛けた。


「アンナ様。ちょうど良いんじゃないですか?」

「そうですね、ヘルガ。ベルマン秘書官殿。お伺いしたいことがあるのですが」

「む。何だ」


例え敵と見なした相手に対しても、律儀な彼は真面目に話を聞く。アンナの手元には東オリアン王国の全体が描かれた地図。その小さく細い指が、端の方を指差した。


「シーデーン地区で現在灌漑工事を進めているでしょう?」

「ん…?そうだが…」

「こちらの川から水を引く予定だと伺っています…けれど水源ならば見たところ、より近い場所にあるでしょう?同程度の標高にある同程度の大きさの川のようですが、わざわざこちらから引っ張ってくるのには、何か理由があるのですか?」

「ああ、この地図は少し古いものだな。この地域を流れる川は、数年前に干ばつの影響で細くなっていて…灌漑整備を行ったところでほんの数年しか持たないだろうと予測が為されたんだ」

「そうなのですか。できれば最新版の地図が欲しいのですけれど…」


そう言うアンナの側、机上には新聞に大量の本が積み上げられている。新聞の一面には灌漑工事の進捗の様子が書かれ、揃えられた本はどれも国の成り立ちや地形、政治経済に関わるものである。白い指先はインクで黒ずんでおり、走り書きで情報を纏めた調書までも存在した。1日2日で作れるものではないだろう。今度はクリストフェルがぱちぱち瞬きをする番であった。


「何故このような真似を…」


言いながら、アンナに視線を戻す。訝しげな表情で口を開いた。


「別に、人の王妃に誰も期待などしていないぞ」

「関係ありませんわ。例え人間であろうとも、今のわたくしは魔族の王妃。民の生活を守る責務があります」


クリストフェルの嫌味が込められた言葉もあっさり退けて、彼女は先を続ける。黄金の瞳が彼の顔を捉えた。


「何より陛下がご公務をこなしておいでの中、妻たるわたくしがのほほんと構えていては合わせる顔がないではありませんか。せめて知る努力は怠るべきではないと思うのです」

「そ、そうか…。…最新版の地図ならば僕が持っているから、その複写をくれてやっても良い」

「まあ、感謝致しますわ!ありがとうございます!」


アンナの表情がぱあっと輝いた。たじたじになるクリストフェルを置いて、新聞の次の頁を捲る。


「ところで、新聞に載っているこちらの事件なのですけれど」

「あ、ああ。魔族の一部が意識を失い暴走する事件か。それは伝染病ではないかとの見方がある」


そうして話し始めたふたりを前に、ヘルガはポットを抱えてのんびりと頷いた。


「良かったですねえ」






「僕は一体…何をしに…?」


それから数時間後のことである。クリストフェルは壁に額を付けてウンウン唸っていた。

そう、彼の目的はあの王妃を止めることだったのだ。だがしかし実際に行ってみれば真面目に意見を交わしてしまった上に、何なら指南まで行ってしまったのである。


「だが確かにあれは…とってつけたような知識量では無かった」


表立って外には出られない立場上、持つ知識には偏りがあったものの、それでもアンナはクリストフェルが舌を巻く程度の情報は頭に入れていた。さらにそこから考え自分の答えを出そうとする勉強熱心な様子に、文句を言うのも忘れて彼は話に聞き入ってしまったのだ。


「下手な政治家よりよほど熱心ではないか…権力を持てば娯楽にうつつを抜かす者も多い中…意外と良い王妃なのでは…いっいや!何を言ってるんだ僕は!あの女は陛下を奇行に走らせる魔女だぞ!」


慌ててぶんぶんと首を振る。羽根が1枚抜け、ふわりと宙を舞った。

そう、クリストフェルの務めは魔王秘書官。国のためにも王を惑わす懸念事項は芽を潰さねばならない。人間の王妃の術中に嵌まっている場合ではないのだ。


「おのれ魔女め…このような話術で陛下を誑かしているのか…」






「……」

「……」


さて、そんな魔王を誑かす話術を使いこなす王妃は、ベッドに無言で横たわっていた。


(ど、どうしましょう…)


思い悩む原因は、今日も今日とてセックスができない案件である。仰向けに寝転がったアンナは、こちらに向けられた大きな背中へと視線を走らせる。


(お話…お話を、しなくては…!)


胸に肉まんを詰めたりもしたが、何はともあれまずは会話。会話である。性行為とは互いに了承した上で至るべきものだと耳にした。だがしかし熱視線を浴びせながら「やらないか」と直接的な言葉を投げ掛けるわけにもいかなければ、無言で襲い掛かる訳にもいかないのが現実である。


ならば会話で誘導するしか道は無い。ところがどっこい、それは絶望的であった。なぜならアンナは生娘である。ムードを演出する会話術などからきし分からない。一体どうすればセックスに持っていけるのかとただひたすらに思案を巡らせていたのだ。


「……」

「……」


(相手を褒めるところから始めると、承認欲求が満たされ警戒心が解きやすいと聞いたことがあります…)


アンナの頭に一筋の光が射す。だがしかし相手は百獣の王。下手な媚びへつらいは、文字通り命取りになる可能性がある。アンナはまだ死ぬわけには行かない。せめてセックスを行わなければ死んでも死にきれない。視線だけをエドヴァルドの方に向けると、目の覚めるような美しい鱗が目に入る。


(綺麗ですねと鱗に手を添えお声を掛けながら、気付かれないようゆっくりと手を移動させ撫で回すなど、いかがでしょう…)


アンナが女性経験の少ない男性のようなことを考え付いた。しかし他に方法はない。ゆっくりとその背中へ手を伸ばす。口を少しだけ開いて、声を出す準備をした。そう、できるだけ自然にーーー。


「……おい」

「ひゃっひゃい!」


突如エドヴァルドから声が掛かり、その手を慌てて引っ込めた。

(と、止められた…!)

未だこちらに背を向けたままだが、邪念を察知され先手を打たれたのたとアンナは判断した。ごくりと息を呑む。


「……」

「……」


(起きていた…)

そしてエドヴァルドと言えば、きゅんと胸を高鳴らせていた。非常に似合わないことこの上ないが、どんでもずんでもなくきゅんである。


なにせ彼にとっては、ベッドの上でアンナと会話したのはこれが初めてだった。肉まん事件の際は寝室ではあったがベッド上ではなかったし、そもそも彼は「何だそれは」しか声を発していないのだ。ムードもへったくれもありはしない。


「……」

「あの…?」


無言で感動を覚えていると、アンナから控えめに声がかかった。その声に我に返る。返事が返ってきたことに満足していたが、まだ何も始まってはいなかった。慌てて頭の中の引き出しと言う引き出しを開けまくり、話の取っ掛かりを探す。そしてしばらく経った後、彼はゆっくり口を開いた。


「今日1日…何をしていたか、話せ」

「へ…?」


まるで尋問のような質問が飛び出した。本当ならば「今日は何か楽しいことあった?」と新妻との会話を盛り上げたかっただけなのだが、何せ彼は魔王、魔王である。緊張のあまり少々高圧的になってしまうのも致し方ない。


「え、ええと、わたくし新聞を読んで、その後は図書館におりました」

「…そうか」

「は、はい…」


急に静かになった。時計の針がチッチと音を立てる。


「……」

「……」


あれほどお互い願っていた会話が、これで終わってしまいそうだ。何とか引き延ばしセックスに繋げなくてはーーーアンナも慌てて頭の引き出しと言う引き出しをさらう。


「あっ!ああ、そうです。ベルマン秘書官殿に教えて頂きましたの!」

「…ベルマン?」


エドヴァルドが反応し、首を持ち上げた。赤い瞳がこちらを捉える。その今までに無かった反応が嬉しくて、アンナはにこにこ笑顔浮かべ口を開いた。


「ええ、ヘルガはあまり地理や政治関連には明るくないとのことでしたので…本当に助かりました!」

「…そうか」


だがエドヴァルドの反応は芳しくない。元々低い声が1階層ほど低くなった。


(何故…ベルマンなのだ…)


ヘルガと親睦を深めるのは良い。侍女さえ連れてこなかったアンナに、彼女をあてがったのは自分である。少し明け透けすぎる欠点はあるものの、人に近い容姿をしていてあれだけ強い者はそうは居ない。

知人のひとりもいないこの城で、アンナが心地よく過ごせようにと彼なりに配慮した人選であった。


(だが何故…ベルマン…!?しかも、あんなに楽しそうに…!)


何故自分には聞いてくれないのか。それは仲良くないからである。エドヴァルドには聞きづらいからである。それは理解しているが、彼の心は嫉妬で満ち満ちた。


(殺す…)


「……」

「……」


(わたくし…今何かミスを…?)


エドヴァルドの心中全てをアンナが理解することはなかったが、その背中が何やら不機嫌になったことだけは分かった。アンナとしては彼の腹心の部下を褒め称えたつもりであった。エドヴァルドからも是非クリストフェルにお礼を述べて欲しいと、遠回しに示唆したつもりでもあった。まさか彼が感謝どころか殺意の念を向けているとは思いもしない。


アンナは天井を見上げる。瞼を閉じると睡魔が忍び寄ってきた。口惜しい気持ちを抱えつつも、意識はとぷんと底へと落ちてく。


(どなたか…わたくしに話術を教えてください…!)


祈りが通じることはない。自覚はないがアンナ以上にエドヴァルドを翻弄できる会話術など、誰も教えられないからだ。


目的は同じくしながらも、ふたりが並ぶ隙間が狭まることはなかった。やっぱり今夜も、セックスはできない。

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