最終話 魔王と王妃の寝室戦争


「ヘルガ…そしてウルリーカ…」


柔らかな暗闇に包まれた夫婦の寝室。アンナは真剣な表情で口を開いた。


「アンナ様…!」


彼女の手を握るのは人間の少女。

東西分裂時代に、西にてアンナの侍女に就いていたウルリーカである。東まで主人を迎えに行ったのも彼女であり、現在は新オリアン王国にて、ヘルガと共に再度アンナの侍女を務めている。


「支度を整えてくださったこと、おふたりには感謝致しますわ…」


寝間着に身を包み、灯りを手で持ち、アンナは静かに礼を述べた。これ以上ないほど緊張を孕んだ彼女の表情も道理。今日はエドヴァルドと婚姻し初めての褥。即ち、初夜である。


「アンナ様…!いよいよ大人の階段をお上りになるのですね…!思慕する殿方と…なんと素敵なことでしょう!このウルリーカ、幸せでございます!」

「ウルリーカ。陛下に八つ裂きにされたくなきゃ行きますよ」

「ああヘルガ!ウルリーカは例え八つ裂きにされようとも幸せでございますよぉお」


黙っていれば一晩中ここで泣き明かしそうなウルリーカを、ヘルガが引きずり連れていく。残されたアンナは白湯だけを口にして、室内を見渡した。


国の体制が一新されたことに伴い、王城もまた建て直された。魔族と人間が共生することになるこの国で、双方が暮らしやすいよう造り変えられたのである。


そうして新しくなった寝室にて、アンナはエドヴァルドを迎えた。


「陛下…。わたくし、この身命は国民のものと思って生きて参りました」


この国のどんなそれよりも巨大なベッドの上。それに見合う大きな夫を前に、アンナはぐっと拳を握って続ける。


「けれど、どうか!寝室でだけは、陛下のものにしていただきたいのです!」

「あ、ああ…」


エドヴァルドと言えば、小さな妻からの力強い誘い文句に戸惑いながらも頷いた。あまりの力強さに少しばかり出鼻は挫かれたものの、このような熱烈な告白を前に、何もしないと言う選択肢は無い。何せ彼らは既に互いの想いも、その度合いも、きちんと確認しているのだ。


「……」

「……」


はち切れそうな心臓の鼓動を抑え、エドヴァルドはアンナの顔を引き寄せる。


「ん…」


触れるだけのキスをひとつ。続いて唇を舌でこじ開け、口内へと侵入する。牙で傷付けないよう慎重に。小さな舌が戸惑ったように反応する様子に、体の奥から慕情が沸き上がってくる。アンナの口から苦しそうな息が漏れ、エドヴァルドはゆっくりと唇を離した。


「っ、ぷは」


ふうふう息を吐きながら、アンナがエドヴァルドの胸に寄り掛かる。ふたりを包むのは例えようのない幸福感。何せこんなに強く結ばれたことは今までなかったのだ。たかがキス、されどキス。


キス、接吻、口づけ。そう、大事なことなのでもう一度言うが、それ以上でもそれ以下でもない、キスである。どう足掻こうとも、ちょっとえっちなだけで歴としたキスである。当然、ふたりの目的であるセックスはこれからなのである。

ところが、意気揚々と次へ進む算段に入るエドヴァルドの胸の中で、アンナは衝撃的な台詞を口にした。


「これが…セックスなのですね」


一瞬、室内を沈黙が支配した。


「……は?」


なんて?

固まるエドヴァルドを前に、アンナはうんうん頷きながら続ける。


「話に聞く通り、なんと幸せに満ち溢れたものなのでしょうか…」

「……アンナ?」

「舌を突っ込まれ深く結ばれる…聞きしに勝る激しい行為でございました…!」


そう、アンナは止まらない。初めて「セックスなるもの」をした喜びに打ち震える彼女は止まらない。そして、生き生きと語る妻を前に、エドヴァルドの思考も停止していた。


さて。重大な話をしよう。

まさに寝耳に水、衝撃的な事実だが、アンナはセックスを知らなかった。


そもそも、彼女は深窓のお姫様である。当然性行為だの男女の営みだのと言った俗物的な事柄とは切り離され、それこそ赤ん坊はキャベツ畑から出てくるのだと教えられて育つのだ。


もちろん嫁入りをしても何も知らないままは支障を来すので、ある一定の年齢になれば房中術を学ぶ用意はあった。だがしかしどうして、アンナの結婚は色々あって、本当に色々あって、ありすぎた。


最初の結婚では世話役は深い哀しみのあまりそれどころではなかったし、ヘルガは何となく気が付いたが面白そうだったので意図的に黙っていたり、残りはまさかそんな知らん筈がないだろうと思い込んでしまったのだ。そもそもアンナが知らずとも、エドヴァルドが勝手にやってくれるだろうとさえ思っていたわけである。


と言うことで、今のアンナはさすがにキャベツ畑のくだりは信じてはいなかったが、おしべとめしべの話は半端な知識しか持ち合わせていなかった。胸を盛ったことも全裸になったことも、こうすればセックスに至れると小耳にはさんだが故の行動であり、行為に至る過程で必要になるとは露程も理解しては居なかったのである。


「ふふ。エドヴァルド陛下と無事にセックスができました!」

「……」


幸福に包まれるアンナの前で、エドヴァルドが絶望に包まれる。だがしかし、彼の胸に再び顔を埋める可愛い妻に、その瞳は直ぐに闘志を取り戻した。


(こうなれば…!)


エドヴァルドは魔王、魔王である。それに少々語弊のある言い方をしてしまえば、彼はアンナと結婚する為に国を統一させたのだ。ここで諦めてたまるものか。短編の時とは違うのだ。


(少し強引に…)


本意ではない、非常に本意ではないが、ここは強行突破を図るべきだとエドヴァルドは判断した。彼は己の力のみで頂点に上り詰めた王。ならば妻と結ばれることも、実力行使に出て何が悪い。

後ろめたさと罪悪感、しかしどこか昂るものを感じつつ、エドヴァルドはアンナに手を伸ばす。


「エドヴァルド陛下」


突然話しかけられ、びくっと心臓が震える。その手が止まった。そんな様子などどこ吹く風、アンナは彼を見上げ、全く違う話を始めた。金の瞳が迷うように揺れる。


「その、白状させて頂きたいのですが、宜しいでしょうか…?」

「白状…?」


一体何のことだと、エドヴァルドが彼女の瞳を見つめ返す。言い辛そうに、アンナは口を開いた。


「お恥ずかしながら…最初の結婚、東に嫁いだ際、行動の最初から最後まで全てが全て、民の為だったと…そう断言できるほど、わたくしは出来た王妃ではありませんでした」


何かしらの懺悔を始める彼女は、申し訳なさ気に眉尻を下げて続ける。


「その、最初は、下心もあったのです…」


エドヴァルドの脳裏に、泥酔事件の際の記憶が甦る。何故そうまでして民に尽くそうとするのか、その理由を聞いた時。あの時アンナの口ぶりは確かに、何かしらの真意を示唆していた。


「もし…東オリアンの皆様から支持を得られれば、名実ともに正式な王妃として認められるかもしれない…」


そして今、アンナの口からはその真意が溢れる。ヘルガにさえ語ることはなかった、彼女の秘密。


「そうなれば、あの茶を飲まずに済む日が来る…世界でいちばん好きな殿方のお子を、授かることができるのではと…そう、信じていたのです」


本当に叶ってしまいましたね、アンナはそう言いながら、頬を染めて笑った。


「っ…!」


1拍遅れて、今度はエドヴァルドの顔が真っ赤に染まる。伸ばしかけていた手は宙に浮いたまま。当然、実力行使の腹積もりなど、世界の果てに吹っ飛んで行ってしまった。


そう、今の彼は人間も魔族も率いる王、王である。それでも、このほんの少しも思い通りにはならない、そしてどうしようもないほど愛しい小さな王妃様には生涯、敵うことないのだ。今夜もやっぱりーーーセックスはできない。


新オリアン王国。長きに渡る軋轢を乗り越え、再びひとつになった国。ところがどうして、その魔王と王妃の寝室戦争だけは、終結には程遠い。

そうして難攻不落の褥の末に無事に契りを結んだ夫婦は、5人の可愛らしい子供を授かることになるのだが、それはまだまだ先の話なのである。

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魔王と王妃の寝室戦争 エノコモモ @enoko0303

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