第11話 その玉座は誰が為に


橋の袂から悲鳴が上がる。


「あ、あの、女…!」


そして、アレクサンデルは橋の中央で呆然と膝をついた。つい先程まで橋上に居た小さな影は跡形もなく消え、彼の目の前にはただ渓谷の景色が広がっている。


アレクサンデル・グランクヴィスト。西オリアンの議員の1人。そして旧オリアン王国時代の王族の末裔である。彼の目的はただひとつ、グランクヴィスト家をあるべき形に戻すこと。それは即ち王国の統一と王権の復活、そして自身の王座への即位。


「ぐ、グランクヴィスト卿!これは一体!どういうことですか!アンナ様を助けられると言うから、我らは貴方様に付いてきたのに!」


叫び声や叫喚に混じり飛んできたのは、アレクサンデルの責任を問うものだった。


「っ…!」


これだけの人数の前で起こった出来事だ。箝口令を敷いたところで露見するのは目に見えている。元々強引に政策を進めていた彼には敵が多い。それがここへ来てこの責任問題。彼が玉座へ戻ることは不可能になったと言っても、過言ではない。


自分以外の何もかもを犠牲にしてきた彼からすれば決して有り得ない方法で、アンナはアレクサンデルの野望を阻んだ。


「ま、魔王だ!」


その一言に、放心状態だったアレクサンデルが我に返る。視線を動かせば、彼らが通ってきた道を歩く、大きな影が目に入った。煌めく緑青色の鱗に深紅の瞳。


エドヴァルド・セイデリア。東オリアンの王、そして全ての魔族の上に君臨する魔王の姿だった。


(何故、この場に…!?)


心中が疑問で埋め尽くされる前に、アレクサンデルの頭に閃きが光る。


「こう、なれば…!」


剣を抜き、切っ先をエドヴァルドに向けた。まだ橋の東側に残る、西オリアンの民に向かって叫ぶ。


「アンナ様は魔族の陰謀で身を投げたのだ!魔王を討ち取るのです!」


野心が再び燃え上がる。エドヴァルドを討ち取ったとなれば、西オリアン側はもちろん、主人を失った東側も陥落する。


(まだだ!まだ、私は王になれる!)


「エドヴァルド陛下。お下がりください」


アレクサンデルが剣先を向ける先、王の隣に控えるグレーゲルとヘルガが一歩前へ出た。エドヴァルドを庇うように立ちはだかり、腰を落とす。


「良い。貴様らは手を出すな」


ところがエドヴァルドはふたりを制止させ、前へと進み出た。戸惑いながらも剣を抜く兵士に目もくれずに、真っ直ぐにアレクサンデルの元へ向かう。途中で何人かの兵士に斬りつけられるが、エドヴァルドの頑丈な皮膚に弾かれ、傷ひとつ付くことは無かった。


そうして橋の中央、アレクサンデルと相対したところで、彼は足を止めた。


「この…!」


圧倒的な力を持つ魔王を前に、彼が手にしたのは竜殺しの刀剣。アレクサンデルが用意した最後の奥の手。竜の強堅な鱗を引き裂き心臓を貫く、この世にふたつとない名剣である。


「私こそが!王だッ!」


浴びせた一太刀は、エドヴァルドの右手で阻まれた。刃を掴まれ、強く握られる。


「っ!?ぐ、この…!」


どれだけ力を入れようともびくともしない。それでも剣の威力は本物で、竜鱗は弾け血が流れるものの、それを意にも介さず、エドヴァルドは口を開けた。


「貴様に」


地の底から響き渡る重低音。まるで心臓を握られたかのような感覚に、アレクサンデルの肌からは汗が噴き出した。

そして発言のひとつひとつを区切るように、エドヴァルドは続ける。


「貴様に、剣の1本も持たず、護衛も付けずに、ただひとりきりで、この橋を渡って来る覚悟があるか…?」

「っ…!?」


エドヴァルドの手の中で刀身が割れた。彼自身の鮮血と竜鱗が飛び散るものの、牙の生えたその口が止まることはない。


「貴様は、自身を殺そうとした民の為に、心身を懸けることができるか…?」


アレクサンデルを射抜くのは、恐ろしく燃え上がる深紅の瞳。


「貴様は、この我と対峙しそれでも尚、自身の信じる道を貫き通すことができるか?」

「っ…!」


がらんと音を立てて折れた剣が落ちる。両膝をつくアレクサンデルを尻目に、エドヴァルドが空に視線を移した。


見上げた先には羽根を広げ滑空する鳥の姿。クリストフェルである。気絶したアンナを抱え、慎重に飛んでいる。それを見ながら、エドヴァルドは小さく呟いた。


「彼女の前では王の資質など…貴様も我も、無いに等しい」











アレクサンデルの目論見が破綻した後、エドヴァルドとアンナは正式に離婚した。


『東オリアン王国と西オリアン王国、この二国を統合し、新オリアン王国とする』


そしてそれから3か月後、東オリアンの王、エドヴァルド・セイデリアは西オリアンを前に、そう宣言した。想定はしていたことである。元々ひとつだった国が、またひとつへ戻るだけだ。敗戦国に抗う術などない。例えそれが、魔族に隷属することになる未来でも。

ところがエドヴァルドが次に放った一言は、どんな予想をも大きく越えたものだった。


『我ら全員、王から末端の民に至るまで、種族による一切の差別、敵視、排斥を禁ずる』


これには西側の人間が大いに驚いた。何せ東は戦争に勝利をしたのだ。それにも関わらず、敗戦国を対等に扱うと、彼らはそう宣言した。


「アンナ様ぁ」

「ヘルガ!お久しぶりですわ!」


見覚えのある角を捉えた瞬間、アンナが彼女の首元へと飛び付いた。華やかな衣装の裾がふわりと舞う。


エドヴァルドの宣言通り、新オリアン王国の国家機関は人間と魔族の両者で構成されることになった。その第一手として決められたのは王座。東オリアンからは当然エドヴァルド、そして西オリアンからはアンナが選出された。


「ふふ、陛下には感謝しなくてはなりませんね。こうしてまた、貴女が侍女になってくださるなんて」

「…アンナ様が居なけりゃこうはなりませんでしたよ。自分ら魔族の為に2回も命を懸けられたら、そりゃ人間を奴隷にするなんて出来ません」


今度は嫁入りでも入内でもない。新しい国の西側の代表として、正式に、エドヴァルドと対等な立場で、彼女は王妃の座に就いたのだ。


「猫オジサンが死ぬ気で準備はしてましたからね。警護だけは万全ですよ」


国境にあった貧弱な吊り橋は、石造りの頑強な橋梁へと建て直され、一度に何百人が乗ろうともびくともしない物に変わった。


そして東と西を繋ぐ和平の象徴で、今日。エドヴァルドとアンナはもう一度結婚する。


「陛下、お久し振りでございます」


橋の中央。晴天の下を、彩り豊かな花と絢爛な演奏が踊る。温かな祝福に見守られる中、花嫁衣装に身を包んだアンナは、深々と頭を下げた。


「国王陛下、王妃殿下。民が見ておりますから、な、なるべく笑顔で」


目を潤ませたクリストフェルが声を掛けてくる。その言葉に頷き完璧な笑顔を浮かべるアンナとは打って変わって、エドヴァルドは一切変わらない表情を返す。


「陛下。あの、できれば笑って頂きたいのですが」

「……笑っているだろう」

「えっ」

「……?」


クリストフェルとエドヴァルドが価値観の相違を感じている最中、アンナは別のことに気をとられていた。

結婚式である。そして彼女の一度目の結婚では、まともな婚儀も行われなかったのだ。花嫁の心中はさぞや幸福に満ち溢れているのだろうと思いきや、アンナはまた違う達成感を感じていた。


(エドヴァルド様はわたくしを、一国の共同経営者に選任してくださいました…大変に光栄なことです)


そう。アンナは未だ、エドヴァルドの気持ちを知らなかった。用意された王妃の座は、彼女の実力を見込んでのものだと思っていた。それも決して間違いではないのだが、着飾った上に久方ぶりに目にした彼女に彼が胸を押さえていたことも、残念ながら視界に入ってはいなかったのだ。


(けれど!わたくしの目的は変わりません!例えエドヴァルド様の愛が得られなくとも、わたくしは決して、絶対に、諦めませんわ!)


新たな目標を胸に掲げ、王妃様はうんうん頷く。


(仕事の相方には選んで頂けたのです!人生の伴侶としてもこの方のお側に居られる方法も、きっとあるに違いありません!)


「アンナ」


降って湧いたのは名を呼ぶ声。突然のことに、反応が遅れた。いつの間にかクリストフェルは脇へと引っ込み、ふたりの傍から人が消えていた。今名前を呼んだのは、隣に立つエドヴァルドであると理解するのに、少しばかり時間が掛かった。そしてその間、彼女が返事をする前に、エドヴァルドが口を開く。


「…愛している」


突風が吹く。一瞬、舞い上がった花びらで目の前が一面薄紅色に染まった。けれど彼の声は確かに、アンナの耳に届いた。


「…へいか、」


信じられない面持ちで、隣に立つエドヴァルドを見上げる。何かの間違いだと思った。だって今彼が言ったことは、彼女からすれば有り得ないことだったのだ。


けれど、その耳。鮮やかな緑青色は熱烈に赤く色付いている。それを見た瞬間、彼が放った言葉の意味も、想いも理解した。


「……」

「……?アン、ッ!?」


黙ってしまったアンナを見て、エドヴァルドが息を呑む。それもその筈、彼女の瞳からはきらきらと輝く大粒の涙がこぼれ落ちていたのだ。


「も、申し訳、っございません…」


頬を滑る雫は拭おうとも、次から次へと溢れてくる。エドヴァルドは隣でおろおろ戸惑った後、控えめな動きでアンナの手を握った。

決して強くはない握り方、厚い皮とつるりとした鱗の独特の感触。意識のない時に触れていたあの手だと、確信を抱いた。


「っふ、」


涙で滲んだ視界は柔らかな色彩で染まり、手のひらから昇る体温は優しくアンナを包む。


橋から身を投げたあの日。死を覚悟したあの瞬間。何の根拠も無かった。自分でも信じられないくらいだった。それでも、誰になんと言われようとも、例え事実がどんなものであっても、エドヴァルドとの生活は世界でいちばん幸せな結婚だった。確かにそう思ったのだ。

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