第2話 魔王陛下はしたくない
東オリアン王国。城内の中央に位置する王の間は、例によってただならぬ緊張感に包まれていた。
「我が君、本日の報告でございます」
大臣が言葉と視線を向ける先は、東オリアン王国第11代国王、エドヴァルド・セイデリア。孔雀石に似た鱗は暗く煌めき、深紅の瞳は苛烈な激情を閉じ込めているように輝く。
「続けろ」
たった一言、短い言葉。だがしかしその一挙一動だけで空気が動き、皆が皆ひれ伏したくなるような威圧を放っている。
心臓が縮み上がるような緊張感は、何度この王を前にしようとも慣れることはないのだろうーーー全ての大臣は深く頭を下げ、静かに切り出した。
「…シーデーン地区の灌漑作業は順調です。このまま行けば今年中には完成するかと」
「そうか。滞りがあれば報告しろ」
「西オーバリの森にて、人狼の一族に襲われる事件がありました。隊を派遣し直ぐに鎮圧致しましたが…少し妙な話もございまして」
「妙…?」
そうして通常通り、一定の緊張を孕んだ会議は滞りなく進んだ。ところがその空気ががらりと変わる瞬間は突然訪れた。大臣のひとり、蜘蛛の魔族がエドヴァルドに対する苦言を口にしたのだ。
「あのような人間の小娘を王妃に迎えるなど…陛下にしては少し、早計であったかと」
バキンと何かが壊れるような物音が鳴り響いた。見ればエドヴァルドの肘掛け部分がまるで紙のように潰れている。空気が変わり机が震え、その覇気だけで壁が割れた。
「貴様は我の決定に物言いを付けたい…そう、言っているのか…?」
エドヴァルドの深紅の瞳が燃え上がる。その場の全員が息を呑んだ。
同じだけの歴史を持つ西オリアン王国に比べ、東オリアン王国の歴代王は倍近い数が存在する。それが何故かと問われれば、世襲制ではないからだ。彼らの王は、数十年に一度執り行われる政権奪取の決闘にて決められる。そう、東オリアン王国の王の選定は、完全なる実力闘争であった。
つまりエドヴァルドこそがどの魔族よりも強いが為に、彼は今その座に就いているのだ。
「っ…!さっ差し出がましいことを申し上げました!申し訳ございません!!」
まさに百獣の王から絶対的な殺意を向けられ、複数の目を持つ大臣は竦み上がる。その様子に鼻を鳴らしながら玉座に座り直したところで、秘書官が近付いてきた。口に手を当て、エドヴァルドの耳元で囁く。
「陛下。こちらはただの報告になりますが…王妃様が厨房にて何かしらの調理しておられたそうです」
「…あれも祖国が恋しいのだろう。放っておけ」
妻に向けられたとは思えないほど冷たい一言。しかし彼の深紅の瞳は、相も変わらず火傷するほどの熱情を抱えていた。
『少なくともーーー我の元で妻と言う名の奴隷として生きるよりは幾分かマシな人生だろうな』
あの一言に嘘はなかった。実質、エドヴァルドにとっては然して乗り気ではなかった婚姻だ。けれど彼女が従者も付けずひとりきりで来たことには一目置いた。誰ひとりとして巻き込むまいとした行為だったのだろう。だから逃亡の選択肢を与えたのだ。
けれどアンナから返された言葉は彼のどんな予想をも上回るものであった。エドヴァルドでさえも持ち得なかった王族の誇りを、人間の姫は突き付けてきた。冷たい雨に晒されてもなお燦然と輝く、あの黄金の瞳を生涯忘れることはない、そう確信を持った。
色々と理由を付けてはいるが、これ以上単純な話はない。あの時あの瞬間、エドヴァルドはアンナに心底惚れ抜いたのだ。
周囲の反対を黙らせアンナを王妃の座に就けたまでは良い。下手に地位の低い側室のままで居させれば、彼女の身が危うくなると判断しての決断であった。幸いにもエドヴァルドには妻が居なかった。国を統べることに人生を懸けた男にとって、女人に然したる興味もなかった為である。
だがそれがここへ来て災いした。彼にこれほど似合わない言葉もないが、エドヴァルドにとってアンナは初恋。初恋であった。
そして初恋を迎えたエドヴァルドの心中はほんの少し、おおよそ、いやはっきり言ってしまえば大いにーーー純情であった。
初夜はなんと声を掛けて良いのか分からず時が過ぎた。やっと一声、「おい」そう掠れる声を出した時には、アンナは健やかな寝息を立てていた。
2日目の夜も同じであった。何とか声を絞り出した瞬間にはアンナは寝ている。その規則正しい睡眠時間を恨みがましく思ったものだ。けれどあどけない寝顔を見て、これはこれで良いと満たされた気持ちにもなってしまった。
ところがいつまでもこのままでは困る。エドヴァルドはいい加減睡眠不足である。せめて触れるところから、あわよくば接吻までいきたい。だがしかし焦りは禁物だ。アンナはまだ慣れない生活に馴染むことに必死で、気持ちはこちらに向いてはいないだろう。しかもエドヴァルドとしてはアンナに下手に手を出してしまえば、タガが外れる自信がある。大いにある。勢いでセックス。それは駄目だ。大いに良くない。
何せ竜人と人間の性交はそう例がない。400年ほど前は人も魔族も共に暮らしていたわけで、実質不可能ではないのだろう。だがあれから時が経ち過ぎている。人間も魔族も流れる血はより濃くなり、ここ最近は純血種に近い魔族も多く誕生している。人とかけ離れた容姿を持つエドヴァルドなど、その良い例だ。ただでさえも大きさに違いがある彼らには、抜き差しならない問題がある。いやむしろその抜き差しができるのかと言う重大な問題が。
何せ彼にとって最悪な事態は、アンナに無理をさせて嫌われることだ。もう二度としたくないなどと言われてしまえば、一巻の終わりである。絶望で死ぬかもしれない。
だからまずは触れるところから。そう、手などちょうど良いのではないだろうか。魔族の厳つい手に比べれば、あの小さく華奢な指は壊れ物のようで少々の不安には駆られるが、何、グラスを持つような感覚で行けば問題はないだろう。
だがエドヴァルドも男。それで満足するような性質は持ち合わせてはいない。そこから少しずつ上に上がっていきたい。例えば胸。文句のつけようのないあの小さく愛らしい膨らみなど、なんとも惹かれ、いや駄目だ。想像しただけで何かしらの血管が切れそうだ。やはり手。手で行こう。指を絡ませるぐらいが今日の最終目標であるーーー。
「……?」
そんなはち切れそうな乙女心を抱えて寝室にたどり着いたエドヴァルドは、目の前の光景に憮然たる面持ちを向けていた。
「…何だそれは」
一言呟くと、目の前のアンナは珍しく視線を逸らす。そのままばつが悪そうな顔で、口を開いた。
「な、何のことでございましょう…」
「……」
エドヴァルドが不審な目を向ける。それもそのはず、アンナの胸に膨らみがあるのだ。いやそこは彼女も女性である。胸部に凹凸が存在するのは至極当然の話なのだが、その大きさが普段と違った。
下からふんわりと寝間着を押す胸は通常の倍近い容積を持ち、その存在を主張している。
「……」
アンナの言葉に瞬きをしてもう一度視線を落とす。いややっぱりおかしい。何だそれは。何が詰まっている。
「エドヴァルド様に嘘はつけませんね…。愚かなわたくしをどうかお許しください…」
彼の確信に満ちた疑惑の視線に耐えられなくなったのか、アンナが諦めたように息を吐いた。
「調理場の隅をお借りして、形や大きさについてはヘルガと慎重な検討を行った末に決めたものでしたが…少し欲張りすぎたようです…」
そうして頬を真っ赤にさせて恥ずかしそうに、小さな声で呟いたのだ。
「に、肉まんで、ございます…」
その瞬間、エドヴァルドは何かしらの血管が切れて、倒れた。
「巨乳大作戦は…ものの見事に失敗致しました…」
「あちゃあ」
主人の一言に、ヘルガはぱかっと口を開けた。悔しそうな顔をしながら、アンナは割った肉まんの端を口に運ぶ。
「大きさや感触などちょうど良いと思いましたのに…まさか陛下のご興味を引けるどころか、寝てしまうほど呆れられるとは、思ってもおりませんでした…」
胸に詰めていたモノは回収し、温め直した上で王妃の朝御飯となった。エドヴァルドが何か物欲しげな目を向けていたが、アンナがそれに気付くことはない。
「はあ…陛下はまだまだ、わたくしのことがお嫌いなのですね…」
エドヴァルドが手を出してこない理由は未だ認められていないからだ、彼女はそう思っていた。毎晩寝室を共にするのも、自分は居ても居なくても変わらない存在、その程度なのだと。
けれど東オリアン王国第11代国王王妃となったアンナ・セイデリアは、この程度のことではくじけない。彼女の座右の銘は七転び十四起き二十一ジャンプである。
「王妃となったからには必ずや!信頼とセックスを勝ち取って見せますわ!」
今日も今日とて王妃は意気込む。今夜は絶対、セックスしたい。
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