魔王と王妃の寝室戦争

エノコモモ

第1話 世界でいちばん不幸な結婚


「世界でいちばん不幸な結婚」


西オリアン王国第6代フレデリク王が娘、アンナ・オングストレーム第1王女の結婚は、そう呼ばれた。


ただ運が悪かったとしか言い様がない。父フレデリクの代、彼女が王女である時代に、東と西に分かれて行われていた戦争が終結したのだ。アンナの属する西オリアン王国の、降伏と言う最悪な形で。


勝利国、東オリアン王国はオングストレーム王家の根絶こそ望むことはなかったものの、西オリアン王国の為政者達は恐れおののいた。6代に渡って戦争を繰り返してきた東と西の確執は深い。一体自分達に、どのような仕打ちが待っているのかーーー。


そうして彼らが下した決断が、第1王女を差し出すこと。


国民からの信頼が厚い彼女を、勝利国の王の元に嫁入りさせることには各地で批判の声が挙がった。それでも、ほんの幾らかでも、西オリアン王国の待遇を緩和する為、その措置は実行された。当然、かねてより決められていた公爵子息との婚約も破棄。勝戦国に、敗戦国の姫が嫁ぐ。嫁入りと言えば聞こえは良いが、実質の生け贄に相違はなかった。


そもそも、400年ほど前は東も西も関係なく、オリアン王国はひとつの国であった。それが東西に割れた理由はただひとつ。種族の違いである。西オリアン王国は人間、東オリアン王国は魔族が統べる国だった。


種族が違えば文化も違う。人間にとって魔族とは、得体の知れぬ蛮族であった。こうして何ひとつ罪を犯してなどいない人間のお姫様は、残虐非道な魔族の元に嫁入りすることが決まったのだ。


「わたくしは、西オリアン王国第6代国王フレデリクが娘、アンナ・オングストレームです」


婚姻の日は、大粒の雨が落ちる悪天候だった。東西を分かつ川には急ごしらえの橋が掛けられ、それをたったひとりで渡ってきたのが新婦のアンナであった。

雨のせいでしとどに濡れて、世界でいちばん不幸な王女様は立っていた。その群青色の髪に、傘を傾ける者すら居はしない。


「…ひとりきりで来たのか」


東オリアン王国第11代国王、エドヴァルド・セイデリアは第一声、そう呟いた。全身を覆う緑青の鱗に燃えるような赤い瞳。背丈は魔族の中でも一等高く、人ならざる角に牙を持つ。竜人の一族である。


「父に願いました。どうかお許しください」


彼に掛かれば、まるで踏み潰せてしまいそうなほど小さな人間の姫は深々と頭を下げた。


「その度胸に免じて、逃がしてやっても良い」


異形の者達を背後に、魔族の王は意地の悪い提案をした。


「お前は評判の姫だと聞いている。匿ってくれる者などいくらでもいるだろう。少なくともーーー我の元で妻と言う名の奴隷として生きるよりは幾分かマシな人生だろうな」


夫となるエドヴァルドから漏れたのは非情な宣告であった。アンナを本妻にする予定など毛頭ない。それどころか人としての扱いをする気もない、それをはっきりと明示したのだ。逃亡の道を掲げたことが唯一の優しさだろうか。


ところがアンナは祖国を一切振り返りもせずに、静かに顔を上げた。


「生まれてから今日この日まで、わたくしは民に育てられました」


彼女がまっすぐに見据えたのは、例え臣下でも畏怖の念から視線を逸らすエドヴァルドの瞳。群青の睫毛に乗った雨粒が、音を立てて落ちていく。


「頭の先から爪先に至るまで、わたくしの全ては民のもの。それが国のためになると言うならば、この身など喜んで差し出しましょう」


分厚い雲の下、降りしきる雨の中。その黄金の瞳だけはまるで太陽のような輝きを放っていた。






そうして世界でいちばん不幸と呼ばれた婚儀が行われてから1か月後。彼女の黄金の瞳には暗い影が落ちている。


「わたくし、悩みがあるのです…。聞いてくださいますか?」


アンナの言葉に、侍女のヘルガは振り向いた。長く尖った角を傾け、眠たげな瞳を主人に向ける。


「悩みですか?」

「ええ、史上最大にして最難関、打つ手無しとはまさにこのこと」


読んでいた本をぱたんと閉じ、アンナは宙を睨む。


「他言無用ですよ…。これは、国を揺るがす一大事ですから」


室内にふたり以外誰の姿も無いことを確認して、アンナは声量を落とした。そう、これは一大事である。東オリアン王国、その魔王に関わる一大事なのである。緊張が走る雰囲気の中、王妃は再び口を開いた。


「エドヴァルド陛下が…つゆ些かも、わたくしとセックスしてくださらないのです…!」


ヘルガが宙を見上げる。それからかくんと顔を元の位置に戻した。


「はあ、せっくす」

「ええ。わたくしも覚悟を持って嫁入りを果たしました。魔族の陛下と結婚をしたからには当然普通の行為など出来はしないのだと、ともすれば最中に八つ裂きにされる可能性もあるのだと自分に言い聞かせておりました」


そうして生死を懸けて迎えた初夜。寝室に現れたエドヴァルドを、アンナは静かに歓迎した。

ベッドの縁に腰掛け瞼を閉じ、走馬灯を見る彼女に魔王は指一本触れることなくーーーそのまま寝た。


(…あら?)


その夜は行為に至るどころか言葉を交わすこともなかった。疲れていたアンナは、そして少しばかり神経が太かったアンナは彼の横で静かに熟睡してしまった。


そして2日目の夜。エドヴァルドは再び彼女の居る寝室に姿を現した。昨夜は何かの間違いか、ただの気まぐれで何事もなく終わってしまったが、それももう終いである。ほんの少し余命が延びただけなのだ、アンナは心の中でこの世に別れを口にして、そっとエドヴァルドの隣で瞼を閉じた。


そして気がつけば朝だったのである。


「あれから毎晩褥は共にしてくださるのに…けれどほんの少しも触れてくださらないとはこれ如何に…!」


テーブルに額をくっ付けて震えるアンナに、ヘルガはあっけらかんと微笑んだ。


「良いじゃないですか。殺されることもないんだし」

「いいえ。これはわたくしの沽券に関わる問題です。殿方はセックスで癒されるものだと小耳に挟みました。ならば夫であるエドヴァルド陛下を癒すこともできないとは、妻として失格でございましょう!」


このように摩訶不思議な夜伽が続いて1ヶ月。アンナにも意地がかかっていた。それでもこちらから手を出すことなどできはしない。何せ彼女は深窓の姫、正真正銘の生娘。

性行為の勝手など分からない上に、相手は魔族である。書庫にある書物など熱心に読み解いてはいるものの、扱う言語が違っていたり種族によってあまりにも差がありすぎる情報はそうそう役に立つものではなかった。


「そこでヘルガ。貴女に聞きたいのです。やはり魔族の殿方にとって、人間の女など性的魅力のひと欠片さえ感じないものなのでしょうか…」

「うーん。どうですかねえ」


手元のポットをくるくる回しながらヘルガが悩む。雑な物言いに聞こえるがこういった性格なだけで、彼女としては意欲的に相談に乗っている方である。


「なんだったかなあ。昔、聞いたんですよ。トロールに。アンタらは緑色の太った女じゃないとおっ勃たないのかって」


主人の前で相当卑猥な物言いをしているが、こういった性格なだけで、ヘルガに悪意はない。そう、悪意がないとは恐ろしい。護衛の腕前は折り紙つきの彼女は、少しばかり適当だった。


「ああそうだ!胸だ。胸が大きければ何でも良いって言ってました!」

「胸…!?」


そう言われて、アンナが慌てて自身の胸を見下ろす。決して豊かとは言えない控えめな膨らみは、ぽつんと寂しく彼女の胸部に乗っている。

続いてヘルガに視線を戻せば、メイド服の上に着た白いエプロンさえも押し上げる強大な塊がそこにはあった。


「こっ…これが原因に、違いありませんわ…!」


婚姻から1か月後、世界でいちばん不幸な王妃は、発育が頭打ちの自身の胸のことで、深い絶望を抱えていた。

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