稲妻トリップ 10 ビー玉


 お婆さんは、試着室の前の椅子から、ゆっくりと立ち上がり、エレベーターのほうへ向かった。


 私はその椅子の上に、うちのデパートのロゴマークが入った、紙袋を見つけた。


 お婆さん、忘れ物、と言って、私は紙袋の取っ手を持ち、あとを追いかけた。


 違和感がした。なんて重いの。これ、なにを買ったんだろう。


 お婆さんが、エレベーターのドアの前で待っていた。よかった、追いついた。


「まあ、ごめんなさい……」


「いえ。お持ちしますよ」


 私は、お婆さんの荷物を持って、入り口まで見送ることにした。


「秋吉さん」と、声がした。振り返ると、青村さんが立っていた。


「青村さん」


「明日、定休日だし、行ってこようと思っている」


 と、青村さんが私に言った。行くって、警察へかな。パパの消息を知る人が、組織にいる可能性があるのかもしれない。


「それで……」


 青村さんの話す声に重なって、前のドアが中央から開いた。私たち三人は、中の箱に乗り込んだ。


 ドアが閉まる。私は入り口のある、「1階」と書かれたボタンを押した。


 お婆さんが、手を上に伸ばして「屋上」を押した。


 え……と思った時には、もう私は、お婆さんの取り出したスタンガンで、首の後ろを押さえられ、意識を失ってしまっていた。




 青い稲妻が光を放ち、私をどこかへ連れてゆく。


 どこなの。ここは、いつ、なの……?


 白いもやが晴れるように、視界が徐々に鮮明になった。


 目の前で、小さな男の子が、地面にしゃがんで、何かをしていた。


「ど、れ、に、し、よ、う、か、な」


 男の子は歌いながら、地面に広げたガラスの玉を、小さな指で触っていった。


 たくさんのそれは、コンクリートの地面に光の影を落とし、色鮮やかに揺れている。


「なにしてるの?」


 私は優しく、男の子に話しかけた。男の子は、小学校の制服を着ていた。歳はたぶん、十歳くらい。


 振り返ったその子の胸に、「青村」と書かれた名札を見つけた。


「こっちは、赤紫色。こっちは、青紫色だよ」


 と、青村くんが言う。両手に一つずつ、その色の、丸いビー玉を持っていた。


「僕は、青紫がキライなんだ。友達に、おい、アオムラサキー、って変なあだ名で呼ばれるんだ」


 だから、こっちのビー玉はキライだ、と言って、地面に投げ捨てる。一度弾んだあと、コロコロと転がり、私の足に当たって止まった。


「あら、いい色じゃない」


 私は言って、拾い上げる。


「私は好きよ、青紫」


 キライさ、と青村くん。


「変なの、青村くん。自分のことがキライなの?」


「うーん……」


 青村くんは、照れたように下を向いた。そして、少し考えたあとで、私のほうへと手を伸ばした。


「よし、決めた! やっぱり、青紫色にする!」


 青村くんの元気な声は、引き戻されようとする私の意識に、リフレインした。




「秋吉!」


 目を覚ますと、青村さんの顔があった。


 私は、首を押さえながら起き上がり、周りを見た。雨が降っている……ここは、屋上だ。髪が濡れている。


 大丈夫か、と青村さんが、私の両肩に手を置いて、瞳孔を確認するように覗いてきた。手の温かさが伝わってきた。


「私、今……子供の頃のあなたに、会ったわ」


「あの老婆、組織の信者だった」


 青村さんは、屋上に仰向けで倒れていた、一人の女性に近寄って行った。そばには、バラバラに乱れた白いカツラと、割れたサングラス、そしてスタンガンが落ちていた。


「こいつは、老婆に変装していた。ずっと前から、きみを見張っていたと、言ったよ」


 急には、何のことだか分からなかった。青村さんのそばに寄り、私は風の冷たさに震えた。


「乱闘になったけど、気絶させただけだ、心配ない。この素顔を見たとき、僕は思い出したんだ」


 青村さんは腰のトランシーバーを、自分の口元に引き上げた。


「監視室。屋上に、救急車の要請をお願いします。それと、警察に……」


 青村さんが、口早に喋った。


「前の警備員を殺した、殺人犯を捕まえたと、通報してください」


「彼女が……?」


 驚く私の横で、青村さんは前を向いたまま頷いた。


「それよりもっと、大事なことがある。店内のすべての人を避難させたいが、もうあまり時間がないんだ……」


 青村さんは静かに、その指先を前方に伸ばした。屋上の手すりの近く……そこには、見慣れた紙袋が転がっていた。


 濡れて、へしゃげた袋の中から、小型の機械が見えていた。赤い光のデジタル時計が、忙しく時を減らしながら、動いていた。


「爆弾処理班は、間に合わないだろう……。だけど僕には、選べやしない……」


 私は、それに目を凝らした。外枠が剥がされ、中からいろんな色の、細いコードが、何本も飛び出していた。


 いつからだろう……自分の手の中に、小さな丸い、硬い物が触れていた。


 私は青村さんに、手の中のそれを、開いて見せた。


 青村さんは何かを探るように、私のことを見下ろしていた。


 そして、意を決したような硬い顔で、静かに爆弾に歩み寄り、青紫色のコードを、本体から引き抜いた。


 デジタルの時計が、一分前を表示したまま、停止した。


 私は持っていた青紫色のビー玉を、青村さんの手の中に、そっと返した。


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