稲妻トリップ 11 世界
警察署で事情を説明し終わると、僕はすぐに病院へ向かった。
逮捕を逃れていた、組織の最後の信者、と同時に、前の警備員の殺人犯。そいつを捕まえることができた喜びよりも、何より、彼女のことが気がかりだった。
彼女、秋吉さんは、あのあとすぐに、「眠い」と言って、僕に体を預け、寝てしまった。
病院へ運んだあと、目覚めを待たないで警察署へ向かわされた僕は、彼女がどんな状態でいるか、すぐにでも知りたかった。
病室のドアをノックすると、中から男の声で「はい」と聞こえた。
「青村さん?」
その若い男は、僕の顔を見て、深々とお辞儀した。
「竜野です。アキの友達です。助けてくれて、どうもありがとうございました」
「いや……。それより彼女は、体は大丈夫なのか?」
「はい。トリップのあとは、よくあることです。寝てるだけなんで。起きたら、連れて帰ります」
一緒に住んでるんです、と彼は言った。僕は、表情を変えずに、ただ「そうか」と頷いた。
竜野という存在を知ったのは、それが最初だった。相手は僕のことを、秋吉さんから聞いて、すでに知っている様子だった。
あの、トリップのことも。
僕は彼女の眠るベッドの横に、椅子を置いて座り、しばらく様子を見ていた。
彼女の髪が、彼女のまつ毛にかかっている。それを払おうと伸ばした手を、僕はすぐに引っ込めた。
竜野が何か言いたそうに、僕のほうを見つめていた。が、僕も、特になにも尋ねなかった。
彼に配慮して、僕は早々と病室を出た。
病院の広い玄関ホールに出たとき、竜野があとを追いかけてきて、僕に言った。
「あの俺、アキとは兄弟として育ったんです。だからその、妹だし、姉ちゃんだし……なんでもないですから」
僕は、緊張したように話す竜野に、軽く笑って見せた。竜野は、
「これからも、彼女を守ってやってください」
と、また深いお辞儀を僕にした。
僕は返事をする代わりに、片手で敬礼して見せた。
竜野は笑っていた。何か、肩の荷が下りたような、ほがらかな顔だった。
デパートに戻ると、入り口の広場で、社長やマネージャーが待っていた。
あまり面識はなかったが、社長の顔は覚えていた。僕は社長に連れられて、応接室へと通された。
「まさかあの万引き犯が、うちの常連客だったとはねぇー」
と、社長は驚いたように、大きな目をして言った。
「しかも例の宗教団体。人類を抹殺するだなんて、恐ろしい世の中だ……」
「私はね、青村くん。あなたなら、何かやってくれるだろうと、思ってたのよ」
直感っていうものかしら、と、マネージャーが、眼鏡を光らせながら僕に言った。
「すごいわぁ、青村くん。あの爆弾を止めるなんて。私たちの命の恩人よ。ねえ、社長」
「そうとも。きみを表彰したい。後日、表彰式を開催しよう。従業員一同と、記者も呼んで、盛大に」
僕は押される力の強さに、断ることができなかった。
それより、所属している警備会社の、直属の上司が、この場にいないことにほっとした。
あの上司に限って、そんなことはないと思うが、もし手の平を返したような、猫なで声を聞いたとしたら……心が揺れる。
僕は、どう対応すればいいだろう。ずっと虫けらのように思っていた自分が、まるでヒーローのように扱われている。
くすぐったいような、でもどこか、晴れやかな気持ち。上手く言えない感情を、けれど確かに、僕は感じる。
僕を取り巻く世界が、変わってゆく。
明るいほうへ。僕自身も、きっと変わるだろう。
彼女が色を、変えてくれたように。
雨上がりの空気は、少し湿気を含んでいて冷たかった。
一人、屋上へ出た僕は、夜の静けさの中で、景色を眼下に眺めていた。
ちょっと前まで、警察の鑑識により、ここは封鎖されていた。
今はもう、所々に溜まった水溜り以外に、何の形跡もないように見えた。
水溜りだって、この風に震えながら、すぐに乾いていくことだろう。
自分の住む街の方向には、たくさんの光の粒が見える。黒い空の下に瞬く、摩天楼の、美しい輝き。
僕は手すりの柵に沿って歩いた。
海の見える方角に、影絵のような、灯台のシルエットがあった。
灯台の天辺から、わずかな光量の黄色い筋が、時計の針のように右回りで放たれている。
僕は、秋吉さんがここで話していたことを、心に思い返していた。
小さい頃、あの近くに住んでいた。今は灯台が建っている、あの辺り……。
彼女はそう言っていたな……。
僕はしばらく、その灯台を見つめていた。
闇の中を泳ぐ、光の筋と、軌跡の残像。
……おかしいな……。
僕は片目を、片手でこすった。もう一度、灯台のほうを見る。
小さな工場が、灯台と重なって見えた気がした。
片目をつぶって、片方ずつ見る。
同じだ。同じ場所に、建物が二重に見える。
そうだ。僕はあの日、高架橋の近くを、パトカーで走っていて……。
僕は、そばのベンチに腰掛けた。
彼女のことを、目を閉じて思う。
想像を超えた、大きな何かが動くのを、どこかで感じる。
その力によって、この世界はまだ、変わりつつある……。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます