稲妻トリップ 6 今日のこと


 現場監督の一撃は強烈だった。


 俺は切れた左頬から、血を流れるままにさせ、交差点を横切った。


 人々の白い目をかわし、歩いて繁華街までやってきた。


 心がざわついている今、一人になってしまった途端、バイクでは暴走してしまうだろうと、思ったからだ。


 俺だけなら、どんなことになってもいい。


 だが彼女には、あいつにだけは、絶対に迷惑をかけたくはない。


 不意に俺は、電器屋の前で足を止めた。


 売り物の液晶画面から、臨時ニュースが飛び込んできた。


 各地にわたって秘密結社を結成していた、謎の宗教団体の一団が、先ほど、警察官らに一斉に逮捕された、という内容だった。


 俺は思わず空を見た。


 ビルとビルの間に見える、細くて高い空の中を、一台のヘリコプターが横切って行った。


「秋吉博士……」


 周りにも聞こえないような小声で、俺は言った。


「もう終わりましたよ。早く帰ってきてください。あなたのために貯めた金が、使い道を欲しています」


 停めたバイクのある方面へ、俺はスキップをするような軽快さで、駆けていた。


 頬の血は風に乾き、汚れたシャツははためいた。




 高架下の波を見ながら、ただただ、長い時間を俺は潰した。


 彼女の姿が見えたのは、もう夜の十二時を回ろうとしていた時だった。


 遠くから、彼女の姿が見えてくる。暗くても、そうと分かったのは、見慣れた肩のラインだったからだ。


 あれ……なかなかこっちに来ないな、と思えば、彼女が橋の真横に、ずっと立ち止まっていることに、俺は気づいた。


 彼女のほうは気がついていない。俺はしばらくそれを見ていた。彼女の目線は眼下の海へ注がれている。


 何台かの車が通り過ぎた。青い車が低速で彼女の横を走行したが、彼女もチラリと見ただけだった。


 そのうち、何かのアラームの音が、向かい風に乗って聞こえた。


 彼女が腕時計を触る、音が消える。


 ハイヒールの硬い音が近づいてきて、目の前で止まった。


「リュウ……。いつからいたの?」


 彼女が街灯の下で柔らかい笑みを見せる。


「ずっといたよ。最近、ちゃんと話す時間もなかったから、迎えにきたぜ。仕事は、今日、辞めてきた。でもまたすぐに見つけるよ。当てがあるんだ」


 俺はバイクを押して、彼女の歩く速度に合わせて歩きながら、静かに話した。


「そっちの労働時間、長すぎないか?」


「マネージャーに無理言って、内緒にしてもらっているの。家賃が高すぎるのよ」


「海から離れたくない、って、アキが言うからだろ。今のアパート、橋のすぐそばだから、まだ安いほうだぜ」


「本当はまた、海沿いで暮らしたいの、パパと一緒に」


「うん、知ってる」


「でも、見つからなくて……」


「それも、知ってる」


 俺は何度も頷いて見せた。いい家も、秋吉博士も、見つからない。そしてこの話は、いつもそこで終わる。


 アラームのことを聞けば、アキは照れたように笑った。


 一日の終わりに、海を見て気持ちをリセットさせている、と教えてくれた。


 でもずっと見ていると、時間を忘れてしまうから、タイマーをセットしているのだ、と。


 俺は無性に胸の奥が熱くなった。


 足が痛い、と言うアキをバイクに座らせ、それを歩いて押しながら、俺は言いたい気持ちを心の中で呟いた。


 好きだよ。ずっと好きだよ。でも、友達でいよう。


 悲しい子供のままでいることで、俺たちはずっと一緒にいることができるんだ。


 彼女がどう思っていても。


「リュウ、またケンカしたの……」


 そう言って笑う彼女の顔は、今日あった嫌なことなど、すっかりと忘れさせてくれる力があるんだ。


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