稲妻トリップ 9 スパーク
街に降る雨は、汚い空気を流すシャワー。
ビルの間を駆け抜ける風、強い音。
街路樹の葉が、雨粒と飛んでくる。肩をかすめて後ろに流れた。
「平気か、新人?」
細い足場ですれ違うとき、先輩の鳶職人が、俺に聞いた。
「もし高所恐怖症だったなら、」
俺は向かい風に負けない、大きな声を張り上げた。
「誰も、面接には来ませんよ!」
「よく働け!」と、鳶職人。
「この仕事には遣り甲斐がある。街の未来を築くという、夢がある。それは、誇りだ!」
「はい!」
俺は威勢のいい返事をした。
何本もの鉄骨の、骨組からなる足場。乱雑に横に通した、仮の橋にしたベニヤの板が、強風にカタカタと揺れていた。俺はその上を歩いていた。
電波塔。情報も混雑する都会の中心に、電波の感度をより上げるため、新しい塔を建てる、という仕事だった。
重い資材はクレーンが運ぶ。俺は吊り上げられたそれを、先輩たちと引き寄せ、大工たちの手に渡す、という地道な作業を、繰り返し行っていた。
ここから見下ろす街の景色は、灰色のブロック。どの建物も高さが違う。小さくて、デコボコしていて、玩具みたいだ。
そのうちに、緑の作業着には雨が浸透し、体はだんだん重たくなった。ヘルメットを流れる雨も、滝のように見えだした。
「雷が鳴ったら、撤収だ!」
大工の怒鳴り声がした。
「避雷針が引き寄せて、危ねえ! あと十分ほどだろうな!」
「はい!」
俺は返事する。
歩く場所まで、足場の骨組みに、自分から伸びた命綱を滑らせる。時には外したり付けたりして、移動する。軍手の指で慣れないし、まだ難しい。
辺りが一瞬、スパークした。真っ白な稲光が二、三度起こった。俺は目をしばたいた。
「撤収!」「降りろー!」と、すぐさま大工たちが大きく叫んだ。
空がゴロゴロ言っている。
「やっぱり、今日はダメだったんだ」「でも、期限までに建てちまわねぇと……」「もっと人手がいるな……」
大工たちの声が遠ざかって行った。
俺はというと、さっきからずっと、宙に突き出したベニヤの、その先端を見ていた。
さっきの光で目がかすんだのか、なぜか、なぜだか分からないが、秋吉が見える。
秋吉が……、アキが、その端っこに立っている。
俺に向かって何か言っていた。俺はアキを凝視した。アキの唇が、ゆっくり動く。
「明日、夜の……じに、……時、ぴったりに……、私をここに、連れて……」
「え? 待て待て、何時だって?」
聞き返した。土砂降りの雨音に消されて、上手く聞き取れない。
アキは、自分の腕時計を、一生懸命、人差し指で叩いた。
「あ、分かったよ!」
「おい!」
急に後ろから、先輩にどつかれた。ヘルメットをしていて、痛くはなかった。
「なにしてるんだ、新人! 帰るぞ!」
先輩が俺の命綱を引き寄せた。俺はアキを振り返る。彼女は、そこにいなかった。
今、ここにいるはずがないんだ。俺には分かった。
俺は今、未来から来た彼女を見たんだ……。
「だから明日、仕事は休め」
俺はアパートで、アキに伝えた。部屋の棚の上にある、小さな時計の針は、もう明日になっていたが。
アキは眠たそうに目をこすった。それから、青村という男の話を、静かな声で俺に話した。
意識を集中させた日の彼女は、眠くなる。青村の過去へ行ったあと、一日中、ずっとアクビしっぱなしだった、と言った。
「それじゃあ、明日はシフト……早上がりで、帰るわ……」
と言って、アキはその場で、崩れるように横になった。
「部屋で寝ろよ……」
そう呟いておきながら、俺も自分の寝室には戻らず、彼女のそばで、しばらくの間、座っていた。
アキは、自分の好きな場所に、時間に、自由にトリップできるわけじゃない。
もしもできたなら、秋吉博士も、簡単に見つけられていたはずだ。
どういった仕組みか、まるで理解しがたい力だった。
だが、俺はアキを疑ったりなどしないし、彼女も自分を信じている。
それでいいんだ。
俺は、アキの細い手に触れた。
アキ。街はどんどん発展してゆく。俺たちは、このままでいいのかな……。
眠る顔を見ていると、ざわめく心は、しだいに落ち着いていった。
彼女が俺を、異性として認識していないのは、この無防備な様子から、知ることができた。
俺は彼女の部屋から布団を持ってきて、彼女の体の上にかけた。
自室に戻りながら、少し俺は、自分に笑った。
馬鹿だな、リュウ。アキを信じているのなら、彼女をサポートするだけだ。
それ以上の幸せなんて、この世界にはないだろう。
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