pétale.08 ともだち ~或る筈の無い憧憬~
そうして四人が調理場で新商品の開発を行っている途中のことである。
「あ、しまったわ」
「どうしたんですか?」
調理場の中央にある大きな台の上には、ガラスのボウルが置かれている。
その中に手を突っ込んで中身をかき混ぜようとしたところで、リゼットは申し訳なさそうな顔でユミトとフィリアの顔を見た。
「ライ麦粉を入れようって思ってたんだわ。ごめん、ユミト、フィリア」
リゼットは粉だらけで真白くなった手で後ろを指さした。
「裏にある粉置場からライ麦の粉を持って来てくれる? 鍵は二階の私の部屋に入って、すぐわきの壁にぶら下げてあるから」
「はーいっ」
「はーいっ」
二人が声をそろえて元気に返事をした後、調理場から出て行った。
ぱたぱたと仲良く走る二人の姿に、リゼットは胸をなでおろす。
「とりあえず、あの子たちに笑顔が戻って良かったわ」
そうこぼすと、モモは優しく笑っていた。
「リゼットさんはあの二人が大好きなんですね」
穏やかな響きはこちらをからかって遊ぼうというものではない。
だからこそ、リゼットも素直に万感の思いを込めて肯定することができた。
「ええ。……それだけじゃなくて、二人は私の恩人だからっているのもあるけど」
「恩人?」
「二年前に両親が亡くなったって言ったでしょう? 実はその時、パン屋を辞めちゃおうかなって思ってた時期があったのよ」
「どうしてですか?」
リゼットは水場で手を洗いながらさらりと答えた。
「続けられる自信がなかったから。後、お父さんもお母さんもいなくなっちゃって、これからもパン屋を続ける意味ってあるのかなって思ったりしたの。今までずっとそばにいてくれた人がいなくなっちゃって、どうしたらいいかわかんなくなっちゃってたんだと思う。一人になって、これから一人で生きていかなきゃならなくなって、途方に暮れてたの」
そんな昔話を語りながら、脳裏に思い浮かぶのは幼子二人の必死な姿だった。
「そんな時、あの子たちがね、私のパンが大好きだって、大好きでこれからも食べたいからパンを作って欲しいって必死にお願いに来たのよ」
「へえ、そんなことがあったんですか」
「もちろん、最初は私も無理だって言ったわ。私が店の手伝いをしてたとはいえ、元々あった商品の半分ぐらいのパンしか私は作れなかったしね。でも、あの子たちは毎日来ては一生懸命私を励まして、新しいパンを作るのを手伝ってくれた。店の掃除とかも手伝ってくれてね。で、お父さんの時から売っていたパンをベースに私なりにアレンジしたものを増やして、時間を掛けて、ようやく店として成り立つようになったっていうわけ」
それを聞いたモモがゆっくりと染み入るような言葉を返してくる。
「……いい子たちですね」
「ええ。大切な恩人で……大好きな友達なの。だから、あの子たちには笑ってて欲しい。それに、あの子たちが笑うと私も嬉しいしね」
そう屈託なく笑う。
モモは幸せそうな顔で、えへへ、と笑っていた。
「……そのへらっとした顔、なんだか微妙に腹立つわね」
じと目を向ける。恥ずかしい昔話をぺらぺらとしゃべったのはリゼットだが、そのふにゃふにゃと軟弱そうな笑顔は見ていて少し反発心が沸いてくる。
モモは心外だと言うようにうろたえた。
「ええっ? 僕は純粋に大切な人に笑っていて欲しいとか思う気持ちって素敵だなって思ってただけなんですけど」
正直な気持ちなのだろうが、聞いているリゼットとしては茶化されているように聞こえてしまう。
「混ぜっ返さないでよ。あと恥ずかしい」
「いいなぁ、そういうの。リゼットさんみたいに、大切な人がいるってうらやましいです」
どこか遠い出来事をうらやましがるような眼差しに、リゼットは聞き返していた。
「あなただって、大切な人とか、友達の一人や二人、いるでしょう?」
なんてことはない普通の質問のつもりだったのだが、何か琴線に触れるものがあったらしい。不思議な間があった。
やがて、モモが苦笑しながらゆるりと首を横に振った。
「……いないですよ。だって、僕は根っからの旅人ですから。あちこちで知り合いはできますけど、友達はできないですよ。根なし草ってやつです。それに、大切な人ができたとしても……僕は……」
徐々に小さくなる語尾。その先を追求しても良かったのだが、モモは思いつめたようにうつむいたまま顔を上げようとしない。
どこか寂しげなモモに、リゼットは当たり前のように洗い終わって拭いたばかりの手を差し出していた。
「じゃあ、私と友達になりましょ」
「え?」
「ここまで手伝っておいて、あなたまさか私のこと、ただの知り合いとか恩人だとか思ってるわけ?」
「いえ、そういうわけじゃ……」
「ならいいじゃない」
あっけらかんと笑う。
だが、モモは戸惑っているような、困ったような顔のままだった。引け目でも感じているような様子である。
「でも、友達とかって、なるもんじゃなくて、自然となってるようなもので。その……出会って間もない僕なんかがなれるものじゃないんじゃ……」
「そりゃあ、そういう場合もあるでしょうけど、別に友達になるのに決まったやり方なんてないんじゃない? それに、何より、私があなたと友達となりたいと思っちゃったんだもの。ね?」
そう言ってリゼットは笑った。
モモは生まれて初めて見るもののようにリゼットの顔を見てから、ゆっくりとうつむいた。それから、表情を隠すように両手で頭を抱え、何かを堪えるように小さく震えた後、
「……うん」
ぽつりと、大事なものを噛みしめるような、どこか照れくさそうな声でうなずいた。
「ほーら、手を出した出した」
リゼットは半ば強引にモモの手を引っ張ると、彼の手の平と自分の手の平と重ねあわせた。
「改めてよろしく! モモ!」
「はい! リゼットさん!」
モモが顔を輝かせて笑う。
しかし、場違いにもリゼットは、うーんと悩んでしまった。
「……いつまでも、リゼットさん呼びもよそよしいわね。リズでいいわよ?」
そう言うと、モモは遠慮したようだった。恥ずかしがるように首を横に振る。
「え……、でも女性をそんな軽々しく略称で呼ぶなんてできませんよ」
「友達なんだからいいじゃない」
あっけらかんと笑い、期待の眼差しでモモを見つめる。
モモはなぜだか妙にそわそわした様子でリゼットから視線を逸らし、迷い、意を決したように口を開き、閉じ、何度か似たようなことを繰り返した後。
「……じゃあ、リズ……さん」
そう、小さな声でリゼットの名を呼んだ。彼の方が身長が高いはずなのに、なぜか上目づかいである。
リゼットは満足そうにうなずいた。
「うん、よしっ」
そこへタイミングよく戻ってきたのはユミトとフィリアだった。
二人は手を握り合うリゼットとモモの姿に小首を傾げている。
「どうしたの、ふたりとも」
「なんかいいことあった?」
「ふふ、何でもないわよ。モモと友達になったっていうだけ」
「え、モモのお兄ちゃん、リズねーちゃんとまだ友だちじゃなかったの?」
「おそーいっ」
驚いたように口々に声を上げるユミトとフィリア。
困惑気味に抗弁したのはモモだった。
「お、遅いって。むしろ早い方じゃあ……」
「ほーら、二人にまで言われてるじゃない」
「ええ……?」
「まっ、細かいことは置いといて。それじゃあ、二人が戻ってきたところで新作のパンの仕上げに取り掛かりますか。んで、明日からバンバン売るわよーっ!」
言いながら気合いを入れ直すように上に拳を突き出したリゼット。
それにならって、他の三人も似たような格好で「おーっ」と掛け声を上げるのだった。
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