pétale.11 ひっそりと心にしまった吐息は、仄かなあたたかさで色づいて

 昼を過ぎると、客の入りも徐々に少なくなっていった。

 パンの売れ行きはそれなりに好調だが、完売まではまだ遠い。

 新商品は後一つ、二つほどで売り切れそうだが、古くから売っている商品の方の売れ行きがどうにも良くない。

 そんな時、声を上げたのはモモだった。


「リズさーん、今焼いてるパンが焼きあがったら、適当なカゴに入れて、僕に貸してくれませんか? それと、店内のパンも同じようにいくつか小さめに切り分けてカゴに入れて欲しいんですけど」


 モモに言われた通りのことを行い、リゼットは彼にパンを手渡しながら尋ねる。


「いいけど、どうするつもりなの?」

「外で食べてるお客さんに売ってきます」


 そう言ってモモはコーヒーの入ったポットとパンを器用に抱えると、外へ出て行った。


「あ、ちょっと……」


 店内に他に人がいないことを確認してから、リゼットも後を追う。

 モモは入口より少し離れた位置にある椅子に座ってパンを食べている若い女性客二人に話しかけていた。


「よろしかったら、こちらのパンが焼き上がりましたので、ご試食いかがですか?」

「出来立て? おいしそう」


 そう言って女性は試食用に小さめに切り分けられたパンを口に運び、顔をほころばせる。


「あら、おいしいわね」


 そこへモモはもうひと押しするように、すっとコーヒーの入ったポットを差し出して見せた。


「お買い上げいただいたお客様には、追加でコーヒーをサービスしていますが……」


 にこり、と人好きのする笑顔を浮かべながら、モモ。

 見た目、人形のようにきれいな顔立ちの少年だ。女性客二人が、モモの笑顔にほんのりと頬を赤らめるのがわかった。


「……それじゃあ、一ついただこうかしら」

「お買い上げありがとうございます」


 器用にパンを油紙の間に挟み、女性客へと手渡すモモ。


「うーわー。あいつ、たらしの才能あるわ」


 その様子を眺めながら、リゼットは小声でつぶやいた。

 すると今度は、モモは店の前を通りがかった子連れの親子に駆け寄った。先ほどリゼットが切り分けたパンを差し出している。それからポットを持ち上げて何やらコーヒーの存在をアピールしている。

 やがてモモは親子といくつか会話をした後、親子を連れて店の方に歩いてくる。


「リズさーん、三名様ご来店です」

「……たらしだわー」


 誰にも聞こえないような棒読みで、リゼットはそうつぶやいた。



* * * *



 閉店前。

 陳列棚のパンは、ほとんど空になっていた。

 店の中にユミトとフィリアの姿はない。二人には手間賃としていくらか紙幣を握らせ、家に帰らせた後だった。


「売れた……。嘘みたい」


 その光景を眺めながら、リゼット店のカウンターの中で放心したように立っていた。

 表の椅子などを片づけに行っていたモモが店に戻ってくる。

 彼は店に戻ってくると、ガラス張りの壁の手前にあるロールカーテンを下に引いた。


「あなたって、商売してたことあるの? 慣れてるような印象を受けるんだけど……」

「いえ? 僕は根っからの根無し草ですから。旅先で仲良くなった商人さんから、ちょっとコツみたいなものを教えてもらったぐらいですよ」

「でもそれだけじゃないでしょう?」

「まぁ、旅先で路銀に困るとお金を稼がないといけないので、旅の途中で摘んだ薬草とか道端に並べて店開きしたこともありますけど」

「やっぱり商売したことあるんじゃない」

「日銭を稼ぐ程度の商売ですよ。こういう本格的なのは初めてです。いやぁ、本当にうまくいって良かったです」


 まるで自分のことのように無邪気に笑うモモ。

 リゼットは少し照れくさそうに、もじもじと手を後ろ手にやりながら切り出した。


「……あの、ね」

「はい?」

「あ――」


 言いかけたところで、リゼットは開いていた口をゆっくりと閉ざした。

 言葉を飲み込むように唇をきゅっと横に結び、ゆるりと首を横に振る。


「……やっぱり、なんでもないわ」

「ええ? なんか気になるんですけど」

「じゃあ、〈ライラックの花道〉が終わったらね? そしたら、必ず教えてあげる」

「わかりました。それじゃあ、待ってます」

「うん、待っててちょうだい」


 全部終わってから、ちゃんと彼に感謝の気持ちを伝えよう。

 そう心に決めたリゼットは、今、口にしかけた言葉を胸の奥にそっとしまうのだった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る