pétale.14 夜明け

 リゼットの瞳が見開かれる。口から出てきたのは蚊の鳴くようにか細い声だった。


「ノワ……じいさま? だって、じい様は優しくて……、いつも私を励ましてくれて」

「ノワさんもずっと罪悪感に苛まれていたんでしょう。この町が古都トレーネに抱えている借金の額や、次の返済期限が迫っていること、具体的に誰が関わっていたのか、詳しく教えてくれました」


 へなへなと、リゼットは力なくその場にへたり込んだ。

 そんなリゼットを心配するような目で見た後、モモはゆっくりと切り出した。


「僕はただの通りすがりの旅人で部外者です。とやかく言う権利もなければ言うつもりもありません。けれど、これから起ころうとしていることなら話は別です」


 モモは鋭くにらみつけるような目を男に向けた。普段、穏やかな彼らしからぬ顔つきだ。


「あなたたちがリズさんにこれ以上何かするつもりなら、黙ってるつもりはありません」

「はっはあっ! なんだいそりゃ。ヒーロー気取りのつもりかい? ――おっと、動くなよ」


 男は馬鹿にしたように笑った後、懐に手を突っ込んだ。

 取り出して見せたのは、九十度に折れ曲がった黒い塊。


「……拳銃?」


 思い当たったリゼットが呆然と声に出す。

 不審そうに眉根を寄せたのはモモだった。


「王都グラ・ソノルの国家機密とも呼べるそれをどうしてあなたが……。いえ、古都トレーネでは一般市民が銃を所持することは許されていないはずだ」

「んなことたぁ、オレは知らねぇな」


 そう言って男はモモに拳銃の狙いを定めた。引き金に指先をそえ、


「――あばよ」


 引いた。

 ぱん、と手を打ち鳴らしたような軽い音が響く。二度、三度、立て続けに男は発砲した。硝煙の臭いと共に銃口から白い煙が立ち上る。

 やがて、ゆっくりとモモが膝をついて崩れ落ちるのをリゼットは見た。


「モモ……?」


 病人のように顔を蒼白にさせたリゼットが、縋るような心地で金髪の少年の名を呼ぶ。

 しかしモモはぴくりとも動かない。また、動く気配もなかった。あまりにもあっけなさすぎて、それが信じられなくて、リゼットの声が動揺で震える。


「や――やだ、ねえ、なんで……、うそでしょう……?」

「次は、あんたの番だぜ。お嬢ちゃん」


 そう言って男がリゼットに銃口を向ける。恐ろしさで声も出なかった。

 リゼットは頬に熱いものが流れていくのを感じた。涙だ。涙が一体なぜ流れているのか、それすらもわからず、ただ茫然と立ちすくむ。

 その間、男は残忍な笑みを浮かべながら、じわじわと引き金を絞っていく。いたぶるように。

 その引き金が直前まで引き絞られ、


「――そういう物騒なものをリズさんに向けるの、やめてもらえません?」


 朗々としたモモの声が響いた。

 驚いたのは男だけではない。リゼットも目を見開いて、倒れているモモへと視線を転じる。


「よっと」


 何事もなかったようにモモが手をついて起き上がる。

 それを見た男は「ひっ」と悲鳴じみた声を上げるなり、リゼットからモモへ拳銃の向きを変えた。


「なんで、なんで死んでねぇんだ!」


 男はほとんど絶叫していた。恐怖したように顔をひきつらせながら銃を乱射する。

 しかしモモはびくともしない。何回も銃弾をその身に受けても、痛みなど一切感じていないような様子で、男へゆっくりと近づいていく。

 その姿は人というより――。


「ば、化けもんか!?」


 声にしたのは男の方だった。


「化け物……か。まあ、人間じゃないことには違いありませんけどね」


 モモは抑揚のない声で言ってから、男が持っている拳銃の銃口に自らの手の平を当てて塞ぐ。そのまま銃を抑え込むように、男の手から拳銃を取り上げようとする。


「ぎ――」


 悲鳴を上げる直前で、男は拳銃から手を離すと、一目散に走り出した。途中、何度かつまずきそうになりながらも倉庫の入り口にたどり着くと、ほうほうの体で退散する。

 モモは男を追うこともせず、彼が逃げていくのを見送った。


「このまま引き下がってくれるのが一番うれしいんですけど、そうはいかないんでしょうね――リズさん!」


 急にモモが振り返る。

 リゼットは、ひっと、悲鳴をかみ殺しながら怯えたように体をすくませた。意識に反して膝が落ち、その場にへたり込む。


「……あ」


 その姿に何を思ったのか、モモが言葉を失って立ち尽くす。水色の瞳が、どこか傷ついたように揺れた。

 やがてモモは、観念したように、今にも泣きそうな顔で眉を下げた。


「……正直、バレないなら、そのままの方がいいかなって思ったんですけどね」

「あなた……」


 リゼットは恐る恐る瞳を開いた。

 月明かりがモモの姿を照らし出す。

 モモが着ている服には、銃弾のせいでいくつもの穴があいている。その穴の先に見えたのは、皮膚――ではなく、皮膚とよく似た肌色の木だった。


「まさか……あなた、自動人形オートマトン……なの?」

「…………はい」


 静かにモモは肯定した。

 自動人形オートマトン――過去に存在したという、人間のために働く機械人形。


「すみません。怖がらせるつもりはなかったんです。って、結局、怯えさせちゃいましたね」


 がん、がんと外から音がする。まるで頑丈な石を斧で打ち砕くような激しい音。


「この音は……」

「あー、やっぱり次は釜戸を壊す方向で来ましたか。諦め悪いなぁ、もう」


 投げやり気味にぼやいてから、モモは一歩足を進めた。それだけで、リゼットはびくっと肩を震わせていた。


「……すみません。リズさんを怖がらせておいて、こんなことを言うのもどうかと思うんですが」


 祈るようにモモはリゼットの前に膝をついた。


「お願いです。どうか今回のこと、最後まで僕に手伝わせてくれませんか。今、ここを守りきって、〈ライラックの花道〉が終わる頃には、きっと税金を支払えるだけのお金が手に入ります。そして、ちゃんと税金を支払ったら、リズさんはここにいられるかもしれない。だから……」


 モモは最後まで言い終えずに立ち上がった。倉庫から出て行く直前、彼は満足そうな、爽やかな笑顔をリゼットに向ける。


「リズさん、ほんの少しの間でしたけど、ありがとうございました。本当に……楽しかったです。それから、ノワさんのこと、どうか許してあげてください」

「待って――」

「あと、ユミトくんとフィリアちゃんにも、よろしく伝えておいてください。それじゃ!」

「モモ!」


 リゼットは手を伸ばしてモモの背中を呼び止めようとした。

 だが、腰がすっかり抜けたリゼットは立ち上がることが出来ず、がくんと前のめりに倒れただけだった。


「待って! ねえ、待ってよ!」


 呼びとめるも、モモは立ち止まらずに出て行ってしまう。刺すような空虚さが残された。

 きっとモモはリゼットの家の釜戸を壊しているらしい、あの男を止めに行ったのだろう。それが終わったら、この町から出ていってしまう。そして、もう二度とここに戻ってこないつもりなのだ。


「馬鹿だ、私……っ!」


 がんっ、とリゼットは壁に拳を打ち付けた。二度、三度、血が滲んで、じわりとした痛みが広がっていく。それでも、リゼットは自分の拳で壁を殴り続けた。


 ――私は、最初から最後まで、彼の優しさに甘えっぱなしで。


 リゼットは震える足を手の平で撃ちたたくと壁を支えに立ち上がった。


 ――そして、最後に拒絶して傷つけた。


 友達になろうと、自分の方から彼に手を差し出しておきながら。

 モモを拒んだ時の彼の表情がリゼットの脳裏に浮かぶ。あの時のモモは、酷く傷ついた子供のような顔をしていた。

 なぜ、モモが今まで自分の正体を隠していたのか――そんなこと決まっている。こうなることを恐れていたのだ。

 そして、実際、リゼットは彼が危惧した通りの態度を取ってしまった。

 それなのに、今もなお、彼は最後までリゼットを守るために戦っている。一体どれだけの傷を抱えて、どれだけの悲しみを抱えて、それでも彼は人間を嫌いになることをせず、あるいはできずに生きてきたのだろう。

 リゼットはぐいと涙をぬぐうと立ち上がった。


 ――迷っている暇なんてない。


 そうして走り出した。町へと。



* * * *



 足音の絶えた夜更けの町は深山のように静かだった。

 真夜中の大通りを抜けて広場までやって来たリゼットは、メレーズ鐘楼を見上げた。見上げるほど高い塔のてっぺんに釣鐘がつるされている。

 煉瓦と白い石で組まれた塔の脇には非常用の梯子が上まで伸びていた。焦る気持ちを抑え、リゼットは出来る限り急いで梯子を素早く、だが確実に上っていく。

 鐘のところにたどり着いたリゼットは、目を凝らすと鐘を鳴らすための金槌を探した。


「誰か、誰か気付いて!」


 リゼットは一心不乱で鐘を鳴らし続けた。騒々しい鐘の音が広がっていく。

 やがて、梯子を上ってやって来たのは警吏らしい男だった。彼はリゼットの姿を見るなり、ぎょっと目を見開いてから、厳しく叱りつける口調で怒鳴る。


「なんだ! お前は!」

「お願い!」


 なりふり構わず、リゼットは警吏の男にしがみついた。

 尋常ではないリゼットの様子に何かを察したらしい。警吏の男は、むしろ驚いたようにリゼットの両肩をつかんだ。


「お、おい、どうした。何があった?」


 知らないうちに上がっていた息を整えることもせず、リゼットは必死に訴えるように叫んだ。


「お願いだから、モモを助けて!」


 ――夜明けが近づこうとしていた。

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