pétale.06 きっかけは、ほんの小さな言葉
リゼットはじっとりとした半眼でモモを見た。
「……あなた、新しく商売始めるのに元手がいくらぐらい必要がわかってて言ってる?」
「さあ、僕には見当もつきませんけど」
「でしょ。……大体税金が高すぎなのよ。っていうか、なんで財産に税金かけられなきゃなんないのよ。おかしいわよ理不尽だわ!」
そう叫びながらリゼットは隣に座っているモモの胸ぐらをつかむと、がくがくと揺さぶる。
「そんなこと僕に言われても困るんですけど。離してくださいぃー」
リゼットはモモの抗議を無視し、しばらく彼の身体を激しく揺さぶる。
そうして、少しばかりの憂さ晴らしを終えた後、リゼットはモモからぱっと手を離した。
「……別に私だって親からもらったからとか、そんな子供じみた理由だけでここにしがみついているわけじゃないわよ」
ぶちぶちと自分らしくないと思う愚痴をこぼす。
「ユミトとフィリア、さっき来た子たちは父親を亡くしてて、あと母親の体調も良くないのよ。そのせいで稼ぎが足りなくて、日々食べるものが足りなくて困ってる。だから、私のとこで作ったパンのうち、売れ残ったものを無料であげてるってわけ。さすがに売り物をそのまま渡すわけにはいかないからね。でも、ここで私がパン屋をやめたらそれもできなくなってしまう」
そう言ってリゼットは大人しく座り直した。モモは乱れたシャツの襟元を片手で直している。
リゼットはモモを見ると、諦めたように眉を下げ、自分でも情けないと思う顔で笑った。
「……ごめん。わがまま言ったわ。ユミトとフィリアのことは、しょせん、問題の先送りだってことは、わかっていたの」
そう、リゼットがいつまでもパン屋をやっていて解決することではない。
それなら、もっと根本的なところ――町の貧富の差を埋めたり、貧しい家庭へより援助金が出るように町に意見を出す方が、よほど建設的だ。
「それどころか、あの子たちのことは単なる言い訳。税金の支払いを先延ばしにして、ここに居座っていることへの」
「リゼットさん……?」
不思議とも神妙とも取れるモモの疑問の声に、リゼットは諦めたように笑った。
「本当はずっと前からわかっていた。どうしたって、私に税金は払えない。潮時だったのよ。むしろ、他人のあなたにはっきり言われてすっきりしたぐらいだわ」
言いながら、心の痛みはまだ残っていたが。それでも胸のつかえは取れていた。
「ちょっと、私出てくるわね。」
リゼットはそう言うなり、二階の部屋から出て行こうとした。
「どこ行くんですか?」
「うん? 町長のところよ。実際、この土地をいくらぐらいで買い取ってくれるのかとか、上物があってもいいのかとその辺、話しつけてこようかなって。ごめんなさい、ノワ爺様。食器そのままでいいから適当にゆっくりしてって!」
「はいはい、リゼットや」
部屋から出て階段を下りていく途中、なぜか驚いたように後ろからついてきたのはモモだった。とんとん、と軽いリズムのような足音。
「え、今からですか? そんなに急いでやることでもないでしょう?」
「いいのよ。こういうのは気持ちに踏ん切りがついた時にやっといた方が。じゃないと、後でまたうじうじずるずるしちゃいそうだし」
一階まで下りてきたリゼットは扉に手をかけた。
「じゃ、行ってくるわね。あなたも、ゆっくりしててちょうだい」
そう言って手を振ったリゼットの手をモモがつかむ。
「リゼットさん」
「なぁに?」
問いかけると、モモは唐突にこんなことを言いだした。
「僕が持っているあの小瓶は〈ユースティティアの小瓶〉といって、小瓶の持ち主である僕が誰かを手助けして、手助けされた人が喜びで満たされたり、幸せになった時に水が瓶の中から湧いてくるんです」
「水が湧いてくる?」
「この瓶そのものが水が湧き出る源泉みたいなものなんです。小瓶の水は、その方法でしか水は溜まらない」
「へえ。それはまた不思議な話ね」
モモがなぜそのようなことを言い出すのかわからず、リゼットは適当に相槌を打つ。
「だから、僕にリゼットさんの手伝いをさせてください」
「はい?」
「まだ、期限まで時間はあるんでしょう? それまでの間に、税金が支払えるよう、このパン屋の売り上げが伸びるよう協力をさせてください。こういうのって一回や少しでも払えたら、町も待ってくれるものだと思いますし」
リゼットはあっけらかんと笑い飛ばした。
「何言ってんのよ。そんなの無理に決まってるじゃない」
「でも、来月に最高の稼ぎ時でもある〈ライラックの花道〉があるんでしょう? もしかしたら、うまくいくかもしれません」
「お気楽ねぇ。そんなうまくいくわけがないでしょう。一回払えば、はい、おしまいってわけじゃないのよ?」
だが、モモは朗らかに笑うだけだ。
「やる前から決まってることなんて一つもありませんよ。月並みですけど、追い出されて後悔するより、最後までやれることはやれるだけやっておいた方がいいじゃないですか」
「そう言ってくれるのは嬉しいけれど、でも、それはあなたには関係ないでしょう?」
突っぱねるつもりも、嫌味のつもりでもなかったのだが、自然とそんな言葉が出ていた。
モモは単なる通りすがりの旅人。リゼットのやることに口出しする権利も義務もないはずだ。良くも悪くも他人。リゼットの中ではしっかりとした線引きがされている。
しかし、モモは頑なに首を横に振った。
「関係ありますよ。リゼットさんは僕の恩人です」
「恩人って、ただ一晩泊めただけよ。大げさだわ」
「もし上手くいけばリゼットさんだって嬉しいでしょう? そうしたら、僕も小瓶に水を溜められるし、リゼットさんもこの場所から出て行かなくて済むじゃないですか。ほら一石二鳥です」
「そりゃ、そうかもしれないけれど……」
なんだか上手に丸めこまれているような気がする。
「それに、僕が手伝いたいって思っちゃったんです。駄目ですか?」
迷惑をかけないよう、子供の顔で聞かれる。その表情は卑怯だ。強く駄目と言えなくなってしまう。
リゼットは苦笑交じりのため息を吐いた。
「……私も往生際が悪いなぁ」
それを聞いたモモが、嬉しそうに口元を緩ませるのだった。
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