後日談 真相談義「果たしてアマゴサマはいたか?」
「君には礼を言っても、言い尽くせないほどの恩がある」
私こと山儀晶は大学のキャンパスから徒歩数分に軒を構える喫茶店にいた。
カウンター席について寡黙なマスターに注文すると、隣で小難しい法医学の専門書を読む青年に感謝の意を伝える。
彼は、どうも、といってページを捲った。
愛想が無いと思うかも知れないが、これが彼の自然体なのだ。
こんな無関心を装う癖に、一週間前は私の危機のために奔走してくれた命の恩人でもある。
考えようによっては、彼が私に向ける無関心さほど愛嬌のあるものはない。全く興味のない素振りを見せてはいるが、私のピンチには颯爽と駆けつけるのだから、彼をサブカル的にカテゴライズするならツンデレ男子だ。
実に私の大好物である。
私が愛情を込めた熱視線を嫌がらせのように送ってやると、何を察したのか、隣にあったサンドイッチを隠すように手許に引き寄せた。
「君は私を食いしん坊か何かと思っている節だが、こう見えて低燃費なんだぞ」
そういって胸元に手をやる。同性からも羨まれる胸だ。決して下品なほど大きくなく、かといって足りないと嘆くほど小さくない。平均よりワンサイズ大きい美乳。そう自負している。
勿論、天から与えられた才能に傲ることなく、垂れないように胸筋を鍛えるバストアップエクササイズも始めた。いわば私の乳房は才能と努力の結晶なのだ。
「ふーん」
しかし彼は気のない返事をしてページを捲る。
どうやら一時期は異性の視線に悩んだナイスバディかつナイスバストの私より、開いたページに載っている胸部切開の挿絵のほうがお好みらしい。
そんな女としての威厳が傷ついた私の気も知らず、彼は珈琲を音もなく啜った。
私は気を取り直して、周囲を窺った。平日の夕方。客は図ったように私達以外誰も折らず聞き耳を立てられることもない。
唯一店主であるマスターはいるが彼は老紳士、聞こえたとしても誰かに話すような真似はしない。彼は自他とも認めるナイスミドルなのだ。
マスターが私の注文した珈琲をカウンターに置いてくれたのを契機に本題に入った。
「ところで君は神隠しの真犯人が浦口だと良く分かったね」
「・・・・・・怪しいと思ったのは祭祀の晩、童妙神社に辿り着いた妙な順番だ」
「妙な順番?」
湯気たつ珈琲に怖々と口をつけて考える。
祭祀の晩に妙なことなど腐るほどあった。だがあえて浦口にスポットをあてて考えてみると、遅まきながらそれに気付いた。
「そうか。普通なら私、浦口、坂梨の順に帰ってくるはずなのか」
中腹から天子人形を回収した帰り。私は九十九折りの隘路へ向かうタケじぃのあとに続くために駆けだした。その時、浦口は既に竹籠を背負い下山しようとしていた。一方で坂梨は神経質そうに人形を竹籠に詰めていた。
ならば九十九折りの隘路に入る順番は、タケじぃ、私、浦口、坂梨の順である。
そして山道は暗く急な一本道。わざわざ危険な暗闇の中で急いで下り追い越すはずもない。
なのに童妙神社に帰ってきた順番は、タケじぃ、私、坂梨、浦口の順だった。
「浦口は帰りの九十九折りの隘路で森山健太君を見つけた。それはおそらく偶然だっただろう。健太君は文章中にあったように首吊り雛の祭祀を隠れ覗いていた。行きで遭遇した九十九折りの怪物も彼だろう。そして健太少年は帰りも其処に居たのだ。そこで浦口に見つかった。その時までは浦口に健太君を殺す動機や、その気持ちすらなかったはずだ」
彼はそう言って珈琲に口をつけた。
「では、なんで浦口は健太君を?」
私が尋ねる。
「・・・・・・人が人を殺す動機の九割を占めるのはなんだか知ってるか?」
彼はサンドウィッチを食みながら言う。
サンドウィッチのマスタードが効いていたのか、それとも不快な心象が浮かんだのか、眉間にはわずかに皺が寄っていた。
「衝動的理由だ。曰く、不意に、カッとなって。これが殺人の大半を占めている。
もともと人は人を理性的に殺せないように出来ている。第二次世界大戦中など発砲率は一割前後だったと聞く。そして今でも戦争従事者の九割近くが戦争で何らかの心的障害を発症している。理性で殺すことは難しい。だが感情的な衝動下においては理性の枷は緩む」
「では浦口と健太君が九十九折りの隘路で出逢った際、浦口が衝動的になる要因があったと?」
私がそう訊くと、彼はコーヒーカップに口をつけたまま器の中の焦茶色の水面を眺めて長考した。
そしてカップを置くと、憶測だが、と前置きをして話し出した。
「浦口は健太少年が九十九折りの隘路に隠れていることに気付いて声を掛けたんだろう。かけた言葉は大人としての注意だと考える。祭祀の夕方、健太少年たち三人が村人に注意されたような内容と同じだったろう。
だが彼は村から浮いていた。周囲の大人、健太君のご両親も良くない噂を口にしていたのだろうし、散々な態度を取っていた。そんな大人の姿を見ている子供は真似る。子供は周囲の雰囲気をつぶさに感じ取る。言葉遣いだけではなく、その態度においても。
健太少年は周囲の大人達がそうであるように、注意した浦口に対して酷い物言いと横柄な態度をとった。そして両者間で悶着が起きたすえ、浦口は衝動的に、若しくは突き放した拍子に少年を負傷させた」
彼の話を聞きながら当時の様子を思い浮かべた。
前後左右が不覚になるほどの闇。
ヘッドライトに照らされた倒れた子供の姿。
音さえ死に絶えたかのような誰もいない九十九折りの隘路。
息が詰まるような暗闇の世界を想像して、私はその時浦口の心に滑り込んできた悪意を容易に想像できた。
彼は私の内心を悟ったように頷いた。
「村での立場が悪い浦口が子供を負傷させてしまった。彼はその罪で彌子村での居場所がなくなることを理解した。後にも先にも引けない。そんな彼の心に去来した気持ちは隠蔽だった」
私は苦虫を噛み潰すような気持ちになった。
重陽の晩、子供は首吊り雛の祭祀の夜だけは外に出てはいけない。
その警句が、横たえる健太君を見下ろしていた浦口の頭に掠めたとき、別の意味に変わったのだ。
重陽の晩、首吊り雛の祭祀の夜。
子供が失踪しても神隠しの名の下に隠蔽できる。
殺してもバレはしない、完全犯罪。
それは甘美な悪魔の囁きだったのだろう。
そう考えついた果てで、私はぞっとした悪寒に襲われた。
若しかすると、その囁きを聞いたのは浦口だけじゃなかったのではないか。
過去にあった神隠しも、首吊り雛の祭祀が行われている数時間のうちに生じた犯行だったのではないか。
だとすれば、誰もがそこに到る経緯は別としても、浦口と同じ発想にいたり、そして犯行に手を染めたのではないか。
そして死体をアマゴサマの棲まう禁足地へと隠蔽しにいく。だからこそタケじぃの娘さんの実里(みのり)ちゃんの天子人形も禁足地にあったのではないか。
三十年前に実里ちゃんを殺した犯人も祭祀の晩、アマゴサマの神隠しという殺人の免罪符を掲げて彼女を殺害し、禁足地へ埋めた。
あの人形があった大木の下に。
私が知る限り四件。だが過去に遡ればまだまだあるだろう。
その全てにおいて、その発想のもとに殺人が行われ、禁足地に埋められたとすれば、それはまるで──。
「・・・・・・まるで、アマゴサマに生け贄を捧げているかのようだ」
彼は空になったコーヒーカップを置くと、そう独りごちた。
私は彼の誰宛でもない呟きに重々しく頷いた。
彼等はアマゴサマの操り人形の如く、子供を屠り御柱(みはしら)の棲まう土地へ捧げていく。
それは天子人形を形代にする前の原始の首吊り雛を彷彿とさせる。
伝染病を山神の怒りとして、幼い我が子を禁足地へ捧げる村人。
七つまでは神のうち。
誰もがそう呟いて、我が子を殺して、禁足地へ埋める。
アマゴサマの信仰が続く限り、この悲劇は繰り返されるのだろう。
アマゴサマという本来存在し得なかった異形の神が供物を求める限り。
誰かがまた祭祀の晩に、子供を屠る。
そしてアマゴサマの棲み家である禁足地に埋める。
彼が暴いたアマゴサマの祟りは、慥かに人の手によるものだった。
しかし彌子村で起きた悲劇の全てがアマゴサマの怪異とは無関係だと言えるほど、私は傲慢ではなかった。
それからお互いに彌子村に関する話しを避けて他愛のない話題を話した。
彼が私の文章を読み終えたのが、浦口が私の家に訪れた三十分前だったこと。
浦口逮捕での功績で彼に感謝状が贈られること。
郷里の両親が娘の命の恩人に会いたいと、彼に打診していること。
どうやら彼が、女性は食べ物に貪欲な精神をもち隙あれば人の食べ物を奪う生物だと誤解をしていること。
その穿った考え方は、彼の食い意地の張った姉せいであることなどなど。
ひとりきり話したあと、私は次の講義があるために彼との歓談の時間を惜しみながらも喫茶店を出た。
退店のベルが鳴り、私は大学のほうへ、彼は横断歩道を渡って地下鉄の乗り口へと足を向けた。
私は去り際に彼を呼び止めて、胸の痼になっている疑問を彼に尋ねてみた。
「アマゴサマは本当にいると思う?」
この解答に彼がどう答えるか単純に興味があった。
怪異をこよなく愛し、一方でそれを盲信せず悟性(ごせい)ある解釈を追求する彼ならば納得のいく答えをくれるかもしれないという仄かな期待があった。
彼は私の質問に少しばかり逡巡して、
「さぁね」
と曖昧な返答を言い残して、信号が青になった横断歩道を渡っていった。
彼が歩いている横断歩道用の信号機に設置された聴覚障がい者用のスピーカから、聞き馴染みのあるメロディーが流れてきた。
唄の名前は『とおりゃんせ』。
首吊り雛 織部泰助 @oribe-taisuke
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