妻の死。それがもたらしたのは記憶の混濁か、呆然自失に徘徊する彼の前に現れる手がかりは妄想なのか、それとも―ー。
日常と妄想が入り交じり、あやふやな世界と記憶に振り回される様は読んでいて不思議な感覚と、どうなるのだろうというピリッとした緊張感があって独特の雰囲気を醸し出しています。
そしてそれだけではなく、冷たい水面でも主人公に差し伸べられる手は温かで。周囲の助けや想いに触れていくうちに、妄執にかられた男がどうなってしまうのか、いつしか読み手側が心配するようになっていく。
手がかりを追って、彼が辿り着く”現実”はどれなのか。
妻。記憶。魚たち。
おおよそ起こり得ないような、絵画のような情景シーンで浮かび上がりつつ、画廊や絵描きの生活という興味深い部分が地に足を着けてくれる物語。
ホラーテイスト&ミステリーチックな夢の狭間で、彼の結末を探しましょう!
最愛の妻の死をきっかけに自らの過去を振り返る、というどこか哀しい物語の本作。ただ、その過程で創り出される幻想的な雰囲気は素晴らしいの一言でした。
ストーリーの時間軸は激しく行き来しますし、色とりどりの魚達に導かれていくうちに一体何が本当の出来事なのかが段々とわからなくなってきます。ただ、絵画や工芸などの要素が散りばめられた洗練された雰囲気が、そんな風にストーリーに振り回されることさえ心地よいと感じさせてくれるようでした。
そして、最終的には過去を見つめ直し…………という流れは、なんていうか、本当、こういうの読みたかったんですよ、ずっと。喜怒哀楽ではまさに「哀」の物語で、個人的にツボ過ぎて感謝でいっぱいになりました。
はぁ……、こういうの、書けるようになりたい。
一本の電話が伝える妻の緊急入院から物語は始まる。
主人公が病院にたどり着いた時、すでに最愛の「妻」は帰らぬ人となっていた。
妻の顔と対面した瞬間「これは誰の顔だ」と困惑する主人公。
トントンと鼓動に合わせて疼くこめかみの痛みは、何を象徴しているのか?
あまりにも急すぎる「妻」の死の影には、いったい何が隠されているのか?
この物語はミステリーなのだろうかと思うやいなや世界は一変し、主人公は「妻」が制作したガラスの魚たちに、幻想的かつ非現実的な世界を連れ回される。
妻と暮らした日々の記憶を辿りたいはずなのに、行く先々で待っているのは知らない世界、覚えのない過去、欠落した記憶。
ここはどこなのか?
いったいいつの話なのか?
魚たちは何を見せようとしているのか?
主人公にもわからない。
もちろん読者にもわからない……。
謎解きのキーは冒頭の方にありますが、しかしこの物語の魅力は謎を追うだけでは味わえないでしょう。
推敲に推敲を重ねられた幻想的な文章と世界を、主人公とともに体験することにこそ、この物語の最大の魅力があると私は思います。
エピローグで明かされる主人公を取り巻く謎とあまりにも素敵なエンディング、そして爽やかな読後感はいつもながら作者様の真骨頂。
一人でも多くの読者が、主人公と彼を導く「魚」とともに、この独創的な世界を味わい尽くしてくれることを、切に願います。