容疑者:谷町純平・矢倉妙

7月15日 午後2時20分



「それで、僕に訊きたいことってなんだい?」


 アリアと彩夢は優美な曲線を描く猫脚のダイニングテーブルを挟んで谷町純平と向い合せに座っていた。

 彩夢に聞いていた通り、泉川邸は壁や梁の無い広々とした空間が特徴的で、キッチンからリビングまで地続きでL字を描いている。底辺にあたる南側は二階まで吹き抜けになっており、大きな掃き出し窓や天窓から降り注ぐ初夏の日差しが、ロココ調のアンティークでまとめられた室内を淡く照らしていた。ダイニングとリビングのちょうど中間には螺旋階段があり、これまた古めかしい青銅製の手すりが大蛇のごとくとぐろを巻いていた。


〈ベストセラー作家って、こんなに儲かる職業なのか。ウチの姉さんは全然、そんな感じしなかったけどなぁ……〉


 アリアの姉・皆葉イリアは高校生の時に華々しく文壇デビューした不世出の推理作家で、多くの賞を総なめにした。しかし四年前、取材旅行中にぷっつりと音信が途絶えてしまい、以来行方知れずとなっている。

 表舞台ではすっかり過去の人になってしまったが、当時、連載中だった小説が解決編の直前であったため、ネットでは今なおコアなファンたちが独自の真相を論じたり、作者本人の失踪事件について噂話をしている。


〈まったく、今頃どこで何をしているのやら〉


 不意にセンチメンタルになりかけたアリアの意識を彩夢の覇気に満ちた声が現実に引き戻した。


「実はアタシ達、中学で探偵クラブに入っているんです! アタシの父さん、殺人課の警部で、アタシも将来、刑事になるための社会勉強中です」


 最初は「事件について話を訊きたい」というアリア達を鼻白んでいた谷町も『殺人課の警部』と聞いて、一瞬目つきが鋭くなる。だが、それ以上に瞳孔を限界まで見開かせたアリアが彩夢の肩を鷲掴んだ。


「おい、妹よ。私はこう見えて、女子高生なんだが?」

「探偵サン、目が怖いって……いちいち説明してたら話がややこしくなるでしょ? ここはアタシに合わせて」


 小声でアリアをなだめながら、愛想笑いを浮かべる彩夢。


「あらあら、随分と可愛らしい探偵さんですねぇ」


 ややチークを塗りすぎた感のある頬を緩ませながら、紅茶の入ったカップを三人の前に置いたのは家政婦の矢倉妙だった。

 雇い主が死んだばかりだというのに、邸内を出入りする刑事や鑑識にお茶を出したり、家宅捜索と称して散らかした室内をせっせと片付けたりと、甲斐甲斐しく働いているところを見るとかなり肝が据わっているようだ。

 そもそも彼女は三ヶ月前に派遣会社を通して通い始めたばかりで、被害者を殺すほどの利害関係が成立していない。そのため、警察の事情聴取も型通りのもので既に終わっていた。

 もっとも、アリアの見解は警察のそれとは異なる。

 動機の多寡や発生時期など、所詮当人にしか分からないというのがアリアの持論だ。

 肉親の仇を取るため綿密な犯罪計画を練る者も居れば、ピアノの音がうるさいというだけで赤の他人を殺す者も居る。そして後者の犯罪の方が現実では圧倒的に多い。

 フィクションではたびたび、犯人が被害者への殺意をひた隠しにして仮初の人生を送り、ずっと温めていた殺人計画を実行に移したりするが、そんな負の感情を腹のうちに抱えたまま普通に生きていけるほど人間は強くないとアリアは思っている。

 もし仮にそんな芯のしっかりとした人物が居たら、そもそも殺人などというハイリスクな行為に手を染めはしないだろう。

 むしろふとしたきっかけと、思いもよらない悪運が巡り合わさった時、それを運命と思い込むことで行為を正当化し、何食わぬ顔で居る心の弱い人間が現実の犯人だ。

 アリアはもぎたての林檎のような爽やかな香りのする紅茶を冷ましつつ、伏し目がちに顔を順繰りに見た。


「お父さんが刑事のJC探偵か……うん、まるでラノベの設定みたいだね。それで、何を訊きたいのかな、探偵さん?」


 職業柄、非常識な対応には慣れているのかもしれない。谷町はまるで持ち込みに来た新人作家の小説を値踏みするようにアリアと彩夢の顔を交互に見た。


「それはもちろんダイ――」

「昨日の夜、被害者を最後に見てから就寝までおおよそどこで何をしていたのか、皆さんに訊いて回っています」


 彩夢の言葉をアリアが遮った。


「ちょっとちょっと、探偵サン! なんで今更そんなこと訊くの? さっきアタシが説明したじゃん。それよりも今はなんでダイイングメッセージの事を黙ってるのかって方が大事でしょ?」


 小声ながらも鼻息荒くまくしたてる彩夢に対してアリアはただ静かに首を横に振る。


「あのふざけた怪文書がダイイング・メッセージとまだ決まったわけではありません。それに停電中、二人がどこで何をやっていたのかは箕輪さんも分からないんですよね?」

「うっ! そりゃ、そーだけどさ……」


 彩夢は納得していないようだったが、ここは探偵役のアリアに任せた方が良いと判断したのか、椅子に深く腰掛けるとお茶請けのハニーラスクを一口頬張った。


わたくしはお夕食の後はずっと片付けや行司様の夜食の準備をしてましたので、旦那様にはお目にかかっておりません。元々、九時にはおいとまするのが常でしたし……それが、今朝になってあんな変わり果てたお姿を見ることになるなんて!」


 今朝の悪夢が蘇ってきたのか、矢倉の顔は化粧で隠しきれないほど青白い。一方、谷町も眉間にシワを寄せながら口を開いた。


「僕が生きてる先生を見たのは、アニメの『うっちゃりでごわす』をみんなで鑑賞した後、書斎に残って打ち合わせをしたのが最後かな」

「正確な時間は分かりますか?」


 アリアの質問に谷町は幅のある肩をすくめてみせる。


「打ち合わせって言っても、中身は雑談みたいなものだからね。お互いにアイディアやトリックを出し合いながら、先生の中でプロットがだいたい固まったらお開きさ」

「へぇ〜、てっきりお話は全部作家先生が一人で考えてるのかと思ってた」


 推理小説好きの彩夢が興味深そうに身を乗り出した。


「人にもよるけど、元々『うっちゃりでごわす』は僕が昔、学生相撲で大関までいったっていう、打ち合わせ中の雑談から生まれた作品だからね」


 どこか誇らしげに語る谷町に、彩夢は顔をハッとさせて隣の席を見つめる。


〈ナルホド、相撲をやっていたからあの頑丈そうな地下室のドアも楽に押し破れたってわけか……〉


 自分の推理が当たっていたにもかかわらず、特別驚いた様子もなくアリアは紅茶を口に含みかけた。


「そっか、分かった! つまり、半分は自分の功績なのに我が物顔で〝うっちゃり御殿〟に住んでいる被害者が――もが!? ちょ、何するの!? もぐぉ、んがが――!!」

「ゲフンッ、ゲフン! ところでっ、停電中はお二人はどこで何をしていましたか?」


 的外れな推理を展開しかけた彩夢の口にラスクを詰め込み、質問を続けるアリア。


「先生の一件ですっかり忘れてたけど、そういえば昨日の夜はそんなこともあったね」

「ええ、昨晩はずっと雷が光っておりましたし、あの時は突然のことで心臓がすくみ上がりました。奥様にすぐにブレーカーを見に行くよう仰せつかったのですが、なにぶんこの家に来てまだ日が浅いものですから、真っ暗な中ではどこに何があるのかサッパリでして……」

「それで僕が付いて行ったんだ。この家のことならお妙さんよりも詳しいし、僕の身長ならブレーカーにも楽に届くしね」

「確かに、合理的ですね。それでこの家のブレーカーはどこにあるんですか?」

「ここからだと見えないけど、廊下の突き当りを右に曲がって奥、脱衣所の向かいにある洗濯機が置いてある小部屋だよ」


 谷町の説明に矢倉も頷いた。


「ところで、結局停電は何が原因だったんですか?」

「たぶん電気の使いすぎじゃないかな? 手探りで触ったらメインのブレーカーが落ちていて、それを入れ直したらすぐに電気がついたし」

「その時、お二人ともその洗濯機のある部屋に居たんですね?」


 アリアの質問の意図が分からず、谷町も矢倉も不思議そうにお互いに顔を見合わせながら頷いた。


「……もしかしてキミは僕がお妙さんを誘導するフリをして地下室に行き、先生を殺したと思っているのかい?」

「とんでもないことです! いくら私が勝手が分からないと申しましても、階段を降りたかどうかくらい分かります」


 驚く二人と彩夢に対してアリアは否定も肯定もせず、静かに紅茶をソーサーごとテーブルに置いた。


「それはまだ分かりません。ですが、停電が意図的に引き起こされた可能性はお二人の証言でより高くなりました」


 単純にブレーカーが落とすだけなら、いくらでも細工のしようがある。


「確かに、暗闇に乗じるトリックは古今東西、あらゆるミステリー作品に登場しているしね」


 自分が疑われているにもかかわらず、平然とそう語れるのは谷町が事件と無関係な人間だからか、それとも絶対にバレないという狡猾な真犯人の自信によるものなのか、今のアリアには判断がつかない。


「それなら僕から一つ、見た目は子どもな探偵さんに耳寄りな情報をあげるよ」

〈あぁあっ!? 誰の胸がヒンソーだって!?〉


 アリアが剣呑な目線を向けているのには気付かず、谷町は背広のポケットから若草色のボールを一つ取り出した。

 見たところテニスボールのようだが、奇妙なことにゴム紐が付いており、それが平べったい台座のような物と繋がっている。しかもこの台座、見た目に反してかなり重たい。これで殴られたら、怪我じゃすまないだろう。

 しかし今回の事件は撲殺ではなく絞殺だ。

 いったいどんな関係があるのだろうかと首を捻るアリアに対し、谷町が説明する。


「実は停電の時、廊下でこのボールを踏んづけて転んじゃってね……最初はただのボールだと思ったんだけど、電気がついた後部屋を探したらこんなものが出てきたんだ」


 アリアにボールを預ける谷町の袖の隙間から真新しい包帯が覗き、ツンとした湿布の匂いが鼻に突き刺さった。


「もしかしたら、なにかのトリックに使われたのかもしれない」

「フム……」


 アリアが手のひらの上でボールを転がしながら考えを巡らせようとしたところ、彩夢がそれを横からひったくった。


「騙されちゃダメだよ、探偵サン! こんなのトリックの仕掛けでもなんでもない! ただのテニスの練習ボールだよ、コレ!」


 彩夢の説明によるとこのボールはテニス部員がよく使っているものらしい。ボール打ってもゴムの力で戻ってくるため、一人でラリーの練習ができるようになっているという。


「でも、ウチのテニス部ではこんなの使ってるとこ見たことないですよ?」

「あのねぇ、探偵サン……屋内と屋外に四面ずつコートがあるガッコなんてグリ女だけだから!」

「お、ぉぅ……ソーデスカ……」


 鬼の形相に気圧され、押し黙ったアリアに代わって彩夢が口火を切る。


「ちょっと編集者サン、そうやって透音ちゃんに罪を着せるつもりでしょ?」

「別に僕はそんなつもりで言ったわけじゃないんだけど……」

「どうだか? さっきだって電話でダイイング・メッセージのこと黙ってたし、アタシはかなり怪しいと睨んでるよ」

「わっ、わっ! ちょっと箕輪さん、いきなり何言い出すんですか!」


 アリアが慌ててフォローしようとするが、元々口下手な彼女に上手い言い訳が思いつくはずもない。谷町は二人の女子生徒を交互に見つめながら、やれやれといった風にため息をついた。


「君たち、探偵ごっこはともかく、盗み聞きはいけないよ」


 しかし彩夢は引き下がらない。


「それとこれとは話が別! 編集者サンこそ、何でこのダイイング・メッセージのこと黙ってたの?」


 そう言って例の怪文書を写したスマホのメモ帳を由緒正しき紋所のように掲げた。

 一度こうと決めたら大人相手にも堂々と立ち向かっていく、父親譲りの度胸と正義感にアリアは内心、感心していた。


〈ンまぁ、その方向性が間違っちゃいるんだケド……〉


 アリアがどうやって穏便にこの場を治めたものかと考えあぐねていると、文書を読んだ谷町が大きく頷いた。


「なるほど……確かにこれはダイイング・メッセージとも言えるかもしれない。でも、こんな物が床に落ちていたなんて、あの時は先生の御遺体で頭が真っ白になって全然気が付かなかったよ」

「本当ですか?」

「ああ、先生は創作のアイディアをこんな風に手書きのメモに書き溜めておくクセがあるから、現場に落ちてても不思議には思わないし」


 確かに一見すると、相撲に関する何かのメモにも見える。それを死体と結びつけて即座にダイイング・メッセージだと判断したのは彩夢がミステリー脳だったからだ。編集者の視点から見れば、書斎にあってもなんら違和感の無い創作のメモに見えたのかもしれない。


〈あるいは、そう思わせるように被害者が遺したのか……〉


 アリアが小さなあごに指を当てて考えにふけっていると、谷町がポツリと呟いた。


「でも甚句じんくをダイイング・メッセージに仕立てるなんて、流石は先生だなぁ」

「え?」


 おもわず顔を上げると、谷町純平が目を潤ませていることにアリアはおもわず面食らった。


〈いや、それよりも甚句っていったい……?〉


 アリアの疑問を察したのか、谷町は無理に笑おうとして失敗した表情のまま声を震わせた。


「探偵なんだろ? 少しは自分で調べてみるといい。この家の二階には先生の著作に関する資料室があることだしね。先生が最期に掴んでいた雷電為右衛門の事件なんて、特に素晴らしい作品だよ」


 そう言って谷町は目頭を押さえながら廊下の奥へと消えていった。


「……探偵サン、どうする?」

「どうやら、この謎だらけの迷宮を抜け出すために必要な知識が私たちには欠けているみたいです。とりあえず、その資料室とやらに行ってみましょう」


 二人はお妙さんにお茶とお菓子のお礼を言うと、螺旋階段を駆け上がった。

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