エピローグ
道草
七月十五日 午後六時七分
「ちょっと、ちょっと! 探偵サン!」
泉川邸の玄関でアリアがローファーにつま先を突っ込んでいると、後ろから彩夢が騒々しく追いかけてきた。
「帰っちゃっていいの? ここれから犯人の罪と哀しい過去が明かされるって時に……」
「はぁ? なんで私がそんなうっとーしー話を聞かなきゃいけないんデスか?」
靴を履きながら背中で答えるアリア。
元々アリアの推理は動機を度外視している。それは心の裡など移ろいやすく、どこまでも主観的でしかないものを当てにしないということもあるが、人が人を殺す理由など考えたくもないというのが本音だ。
ただでさえ〝名探偵の運命〟などというワケの分からないものに巻き込まれているというのに、これ以上一介の女子高生に重たいモノを背負わせないで欲しい。
「でもでも、探偵サンが最後に犯人にガツンと言ってあげなきゃ、お話が締まらないジャン」
〈まだそんなコト言ってるのか、この〝ミステリー脳〟は……あっさーい人生経験しかないJKに何を言えと?〉
『告解をお求めなら、グリシーナ
そう言おうと振り返ったアリアは、彩夢の後ろに立つ泉川透音の姿を見ておもわず押し黙った。
透音は白くなるほど唇を噛み締め、じっとアリアを睨んでいた。泣き腫らした両目は紅く、今また悲しみと悔しさ、やり場の無い怒りが雫となって決壊寸前だ。
「透音ちゃん……」
彩夢もアリアも透音に掛ける言葉が見当たらずに居ると、彼女が先に血濡れた唇を震わせた。
「アンタなんか来なきゃよかったのに……」
小さな、それでいて腹の底に冷たい石を押し込まれたような一言にアリアはおもわず息を呑んだ。
「アンタが事件に首を突っ込んだせいで、お母さんまでバラバラになっちゃう……うぅっ……お母さんっ……お父さん……っっ!! 返してよっ! 私の家族を返してよぉ!!」
それがどれだけ破綻した論理で、理不尽で謂われなのない非難だと頭で理解してても少女の
理屈ではない感情の奔流にどうしていいか分からず、アリアは足元が崩れていくような目眩を覚えた。
「それは違うよ、透音ちゃん!!」
その時、力強い声がアリアの意識を繋ぎ止め現実に引き戻した。
「確かに探偵サンが謎を解かなければオバサンは逮捕されず、編集者サンが代わりに捕まってたかもしれないよ。でもそれでいいの? それってオジサンのメッセージに誰も気付いてあげられなかったってことだよ? 透音ちゃんもオバサンもオジサンの本当に伝えたかったことや罪から目を背けて、知らんぷりして過ごすなんて……そっちの方が家族がバラバラで哀しいよ」
感極まったのか、最後の方は彩夢まで鼻をすすりながら透音を優しく抱きしめる。
アリアはそんな彩夢に感謝しつつも、どうしていいか分からず逃げるように泉川邸を後にした。
日はすっかり西の山裾に沈み、墨を延ばしたような薄暗い空にちらちらと星屑が瞬き始めている。
そんな宵闇に向かってアリアは大きなため息をついた。
〈まったく〝名探偵〟になんてなるもんじゃない……〉
アリアにとってその言葉は〝死神〟や〝疫病神〟と同義だ。
殺人事件なんていう、どうしったって人の裏側のドロドロしたものが見えてしまうものに誰が好き好んで首を突っ込みたがるというのか?
特に今日のような事件は真相に近づくにつれ、見えない有刺鉄線に体が傷つけられるような痛みが走る。
それはアリアが〝名探偵〟として最初に解決した事件に似ているせいかもしれない。
被害者の名前は
当時、二人の娘を持つ母親だったが不倫をしており、その手の子どもを妊娠していた。しかしある日、そのお腹の子どもごとバラバラに切り刻まれ他状態で発見され、遺体の一部は今も見つかっていない。
走査線に浮かんだ容疑者は不倫相手と別居中の夫。共に被害者を胎児諸共この世から消してしまうには十分すぎる動機を持っていたが、アリアの客観的な推理が指し示した犯人は夫の方だった。
苦い記憶が蘇ったせいだろうか、アリアは制服のポケットで震えたスマホのバイブレーションに必要以上に驚いてしまった。
『あ、探偵さん? 九野だけど……事件の方はもう終わった?』
反射的に出た電話の相手は頭の中空っぽそうなよく透る声をしていた。
『実はお
「はぁ……そりゃ九野さんの字が汚いからでしょ?」
医者を目指しているだけあってこの男の筆跡はかなりクセが強かったと記憶している。
『それでもし時間があるなら解決に力を貸してくれないかと思って』
〈コッチはたった今、殺人事件を解決して、おまけにJCに罵声を浴びせられてきたっていうのに相変わらず能天気だな、ヲィ……〉
「悪いデスケド、寮の門限があるんで……」
地下鉄の駅が見えてきたので、アリアは電話を切ろうとしたが創介はお構いなしにしゃべり続けている。
『探偵さんのリクエスト通り、クッキーも焼いてみたよ。まず夕張メロンをオーブンでドライフルーツにしてから、型押しした生地に入れて――』
「ヤ、私がいつ、そんなリクエストをした!?」
『あれ? さっきの電話ってそういうことじゃなかったの? せっかく重曹も入れてサクサクに仕上げたんだけど?』
気の抜けたサイダーみたいな声にアリアは大きくため息をついた。
「はぁ〜〜! もぉ、なんか全部どーでもよくなりました」
『あ! じゃあ、来てくれるってこと?』
「今のセリフでなんでそんな肯定的に捉えられるんだか……」
〈うん……でも、たまにはこの能天気さを分けてもらうのも悪くはない〉
「分かりましたよ。事件とあれば西へ東へどこへでも行くのが〝名探偵〟の運命デスから……」
アリアはその日初めて門限を破った。
けれどその足取りは軽く、ベレー帽からこぼれ落ちたクセ毛が夏の夜風に躍っていた。
――根岸アリアは帰りたい 了
根岸アリアは帰りたい 原野伊瀬 @paranoise
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