捜査編

地下室と密室

 7月15日 午後1時24分



 夏休みを目前に控えた季節外れの嵐の晩にその事件は起こった。


 被害者は三十代代男性――。

 今朝早く、自宅の書斎で倒れているところを被害者の妻らが発見し、通報したが駆けつけた救急隊員によってほどなく死亡が確認されたのだった。

 遺体発見時、被害者の首にはヘッドフォンのコードが絡まっており、それが気道を圧迫したことによる窒息死と推測される。

 事件・事故の両面から捜査するため、火野暮太ひのくれた巡査部長は鑑識が現場検証を行っている書斎へと足を踏み入れた。


 自宅の地下に作られた書斎は六畳一間で、採光用の小さな窓以外はコンクリートの壁と天井がむき出しになっており、レイバンのサングラスを通して見ると余計に暗い。

 火野刑事は部屋に入ってすぐの所に示された人型の白い紐につまずきそうになり、慌ててサングラスを外した。地域課から刑事第一課に転属になった記念に買ったものなのに、転んで壊してしまっては大変だ。

 サングラスを胸ポケットにしまいつつ火野刑事は〝ホトケさん〟の線を大きくよけながら部屋の奥に進む。すると、地下室特有のわずかに湿った空気に混じって古い本の匂いが鼻に突き刺さった。

 見れば、向かって左手の壁が天井付近まで本棚に占領されている。ビターチョコを溶かし込んだような色合いの頑丈なマホガニー材の本棚には、各種辞書や辞典の他、スポーツ年鑑、ハードカバーの専門書、更には漫画雑誌やコミックスまで並んでいた。

 被害者はよっぽど読書好きだったのか、棚に収まりきらなかった文庫サイズの本が床にまで溢れている。

 火野刑事は遺体付近に散らばっていた本を一冊手に取ると題名に目を通した。


「なになに……『関取探偵・うっちゃりでごわす!』?」


 稲妻のマークが描かれた文庫本の表紙には筋肉と脂肪の鎧をまとった相撲取りが雲龍型の土俵入りのポーズを取っている。

 なんともけったいなタイトルに若い刑事が首を傾げていると、ドアノブの指紋を採取していた鑑識の一人が声をかけた。

 

「ああ、被害者はそのライトノベルの作者ですよ」


 そう言ってあごをしゃくった先――右手の壁には立派な書斎机が置かれていた。

 ウォールナットの美しい木目を活かした天板の上には二十七インチの液晶モニターとブルートゥースキーボード、それにマウス、真っ黒の灰皿が乗っている。足元にはタワー型のデスクトップパソコンの本体が置かれていて、緑色のLEDランプが点滅していた。

 火野刑事が試しにキーを押してみるとディスプレイがすぐに点灯し、ウィンドウズの青い壁紙とパスワードを入力するダイアログが表示される。

 妻の証言によれば、被害者は昨晩、この地下室にこもって執筆活動をしていたということだったが、パソコンは立ち上げたばかりの状態のままスリープモードになっていたようだ。


〈スランプを苦にした自殺といったところかな……?〉


 とかく文筆家というヤツは自殺や心中をしたがるものだというのが、火野刑事の印象だった。実際、机の脇の金属ラックにはアロマキャンドルやらヒーリングCD、更にはパワストーンや曼荼羅アートといったものが所狭しと並んでいて、被害者がかなりスピリチュアルな趣味に傾倒していた様子が伺える。


「よし、分かった! この事件はじさ――」


 そう結論づけようとした火野刑事のセリフに覆いかぶさるように上から声が降ってきた。


「やっぱ自殺かな?」

「行きがかり上、仕方なくとはいえ、私が関わったからにはそんな単純な事件ではありえませんね」


 声のした方を見上げると金属ラックの更に上、採光用の窓から好奇心に輝く瞳が四つ、地下室の中を覗き込んでいた。


「コラっ、君たち! そこで何をしてるんだ!? 事件現場は子どもの遊びじゃないんだぞ!」

「子どもじゃないやい! 現役JKとJCだっての!」

〈や、どっちも十分、子どもだし……〉


 というツッコミを心の中で呟きながら、現役JK探偵――根岸ねぎしアリアは殺人事件の現場となった地下室を眺めた。


 事件当時、地下室には内側から鍵がかかっていたという。

 現在はドアノブと受け口の部分が大きくひしゃげ、蝶番の外れかかったドアがだらしなく内側に開いていた。

 他に出入り口は無く、地下室もこの書斎だけであとはぶ厚いコンクリートの壁と数十トンの土に覆われている。換気口やエアコンのダクトといったものも見当たらず、唯一開くのはこの採光用の細長い窓だけだ。

 完全密室とはいかないまでも、窓の外には鉄格子がはめられていて子どもでも通り抜けることは出来ない。


〈テグスやピアノ線を使って内鍵のつまみを回す方法も考えられるけど、そもそも犯人はどうやってこの部屋から出たんだろ?〉

 

 〝ホトケさん〟とドアの位置関係からして、おそらく死体はドアに寄りかかるように死んでいたことになる。現在は運び出されてしまったものの『関取探偵・うっちゃりでごわす!』の作者近影に載っていた被害者は体重一〇〇キロを優に超える巨漢だ。そんな肉の塊がドアの前にあったのでは鍵をかける以前に、外に出て死体を元の位置に戻す事自体、不可能に思えた。


「〝密室殺人〟か……」


 アリアは誰にともなく呟いた。

 行く先々で死体に出くわす〝名探偵〟の宿命を背負った自分が関わっている以上、自殺や事故はアリエナイ。この事件には必ず殺意と謎が秘められているハズだ。

 真犯人がこの地下室から煙のように消えた方法に考えを巡らせようとして、アリアは急に全てがメンドくさくなった。


 そもそも今回はアリアが出かけた先で偶然出くわした事件ではない。

 しかも、知性の欠片も感じられないが現役の刑事が絶賛事件を捜査中である。

 いったい何故、いたって普通の女子高生である自分が分詞構文の課題や合コンのセッテイングを差し置いて、密室殺人なんて辛気臭いものに頭を悩まさなければならないのだろうか?


〈ンま、合コンの予定なんてないケドね、ハハっ……はぁ~~!〉


 全ては隣に居る箕輪彩夢みのわあやめからかかってきた一本の電話から始まった。

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