回想・灰色の脳細胞と灰色の高校生活

* * *



〈謎だ……〉 


 現役JK探偵・根岸アリアはどうしても解けない難題に、ボブカットの小さな頭を抱えていた。

 漆喰の壁をアーチ状に切り取った窓から差し込む陽射しが、放課後の教室を照らす。硝子をはめ込んだ木枠同様、机や床も歳月によって飴色の輝きを放ち、何度も塗り重ねられているであろう白い壁と好対照をなしている。

 アリアが通う私立・グリシーナ女学院は伝統あるミッションスクールで、今時珍しい全寮制の女子校だ。都心にありながら緑に囲まれた広大な敷地にはレンガ造りの校舎や礼拝堂など、文化財級の建物が散見する一方で、最新の設備を備えたコンサートホールや運動場、フレンチのフルコースを提供する食堂まで存在する。

 まさに絵に描いたようなお嬢様学校で、甘いミルクティーを溶かし込んだような色のベレー帽と、同じ差し色が入ったセーラー服は市内に住む女子やその親にとって憧れの的になっていた。


――しかしである。


 今年、はれて女子高生デビューを果たしたというのに、アリアは未だにだった。


〈あるぇれ……? 〝グリじょ〟に入れば人生勝ち組! モテ期到来! 街を歩けばナンパされまくりのリアじゅうライフが待っているハズじゃなかったの!?〉


 しかし実際にアリアが街を歩いていても、出会うのは事件や死体、頭のイカれた犯人といった、およそ普通の女子高生とは縁遠いものばかりだ。

 周りの女子達が、彼氏や友達を作って夏休みの計画を立てている最中、殺害方法やトリックばかり考えていたアリアのスケジュール帳と連絡帳は漂白剤で証拠隠滅したシーツのように真っ白だった。


 もっとも、全く出会いがなかったわけではない。

 つい先月も偶然立ち寄った喫茶店で二度ほど殺人事件に巻き込まれたのだが、その時にアリアは一人の男子学生と知り合った。


 九野創介くのそうすけ――。

 市内の医学部に通う大学生で、身長が高いわりに腰が低く、人が良いけど幸も薄そうなその青年はあろうことか殺人事件の最重要容疑者だった。

 

〈ンま、料理の腕と探偵の助手としての力量に関してだけは見るべきものがあるかもだケド……〉


 推理作家の姉に吹き込まれた知識と天性の推理力で数々の難事件を解決してきたアリアはすぐに創介の濡れ衣を看破し、真犯人の逮捕に貢献した。それがきっかけで連絡先を交換し、一緒にお茶をしたこともあるのだが……。


〈そういえば、最近はサッパリ連絡取ってないな……〉


 それどころかアリアは創介から教えてもらった番号を連絡帳に登録すらしていなかった。


〈なんかコッチからかけるのはしゃくだし……〉


 そんなよく分からない意地をアリアが張り続けている間に、灰色の夏休みが目前に迫っていた。


「ねぇ、根岸さん」


 不意に声をかけられ、アリアは顔を上げた。期末考査中ということもあって教室に残っている生徒は少ない。見ると、クラスメイトの女子が二人、アリアの顔を伺うように立っていた。


「今日この後、時間ある?」

「……テスト勉強なら一人でやった方がはかどると思うけど?」


 アリアは相手の申し出を先回りして答えた。

 語学はからっきしだが、数学と物理・化学、それに暗記科目がずば抜けて得意なアリアに勉強を教えてもらおうとこの一週間、声をかけてくる生徒が後を絶たない。

 しかし人に説明するのが苦手なアリアは面倒臭がって、それらの誘いを全て断っていた。


〈勉強を教えてあげるんじゃなくて、私は一緒にカラオケしたり、サイゼのドリンクバーでヘンなミックスジュースを作ったりしたいのに……〉


 小さくため息をつきながらアリアが帰り支度を始めようとすると、女子達は首を横に振った。


「ううん、そうじゃないの。あたし達、もう山は越えたから大丈夫」

〈むぅ……流石、全国から受験生が集まるグリ女の生徒だけあって余裕だな〉

「じゃあ何?」

「根岸さん、合コンに来ない?」


 その言葉を聞いた瞬間、アリアの小さな体に衝撃が走った。


〈ごっ、合コンだって!? あのリア充女子たちがお互い表面上は仲良くしつつも、生き馬の目を抜く権謀術数を駆使して男をハントするという、狂乱の宴!?〉


「実は一人参加するはずだった娘が今日のテストで赤点取りそうでさ、合コンどころじゃなくなっちゃったんだよね。その点、根岸さんなら明日の化学と数Aなら勉強しなくても余裕でしょ?」

「はぁ、まぁ……」


 アリアが衝撃から立ち直れずに曖昧に返事をすると、横に付き添っていたもう一人が友人の袖を引いた。


「……ねぇ、やめようよ。根岸さん、彼氏居るって噂だし」

〈――は? カレシ? ナニソレ?〉


 小声で囁くクラスメイトの言葉に灰色の脳細胞が一瞬、真っ白に染まる。

 カレシというやつは、知らない間に憑いてる背後霊か何かのことだろうか?


「知ってる、例の医大生でしょ? でも、噂じゃ優柔不断な大学生の方が三又してた上に血の繋がらない妹が居て、血みどろの修羅場の末に別れたって話だよ」

九野創介アイツか――!〉


 二人の密談から漏れ聞こえてきた話に、アリアは目を見開いた。

 そういえば以前、二人で居るところをクラスメイトに目撃され、からかわれたことがあった。どうやら自分が預かり知らないところで噂が独り歩きし、チープな昼ドラが出来上がっているらしい。

 まるで腫れ物に触れるようにクラスメイトが接していた理由が分かり、ふつふつと怒りがこみ上げてきた。


〈やっぱり、あの男に関わったのが不幸の始まりだ――!〉


 ただでさえ〝名探偵の宿命〟という厄介なものを背負い込んでいるのに、変な噂話まで広まったら普通の高校生活がますます遠のいてしまう。

 バラ色の高校生活を送るため、ここは勇気を持って踏み出さねば!


「分か――」


 意を決して合コンの誘いを受けようとしたアリアのセリフをケータイの着信音が遮った。

 心の中で悪態をつきながら取り出したアイフォンを見て、アリアはドキリとする。発信者の名前は出ていないものの、表示された数字の組み合わせには見覚えがあった。


〈九野さんだ……〉


 気分的には今すぐ着信拒否して、クラスメイトと合コンに行きたいところだが、何となく躊躇ちゅうちょしてしまう。

 仮にも相手は年上だし、もしかしたら両親の事件で何か進展があったのかもしれない。

 九野創介の実の両親が心中した事件には失踪したアリアの姉――皆葉みなばイリアの未発表の著作物が何らかの形で関わっているのだ。

 その事件の情報ともなれば、アリアにとっても無視はできない。


「……ちょっとゴメン」


 深いため息ひとつ分逡巡したのち、アリアは体をわずかにひねって通話ボタンをスワイプした。


「もしもし……?」


 なるべく平静を装ったつもりだったが、電話なんて慣れていないのでおもわず声が上ずってしまう。創介にヘンに勘ぐられやしないかハラハラしながら応答を待っていると、予想に反して甲高い声がスピーカーを通して聞こえてきた。


『あ、探偵サン!? 良かった~! 大変だよ、事件なの!』

「えっと……ダレ?」

『――ひどっ! ほら、前に『ラテアート殺人事件』でウチに来たでしょ!? 兄さんの可愛い妹の――!』

「ああ……ブラコンをわずらってた九野さんの義妹いもうとさんですか」

 たしか名前は箕輪彩夢みのわあやめと言っただろうか?

 そこまで思い至り、アリアは自分が初歩的なミスを犯していたことに気付いたのだった。画面に表示されている番号をよくよく見返してみると、記憶にある数列と下一桁の数字が一個だけズレている。どうやら連絡帳に番号を登録していなかったことが裏目に出てしまったらしい。


『ちょっと、ヘンな覚え方しないでよ!? 兄を心配しない妹がこの世に居ないはず無いでしょ! この前だって兄さんてば、コンパで酔いつぶれた後輩の女を家まで送ってあげたみたいで、ホント隙きだらけなんだから!』

「……あの、切っていいですか?」


 相変わらず体中から元気が溢れ、今にも電話口から飛び出してきそうな勢いにアリアはウンザリしながらスマホを耳から遠ざけた。


『ああ! 待って、待って! 事件なの、探偵サン! 殺人事件!』

「それならかける番号を間違えてますよ。一一〇番か、最寄りの警察署に――というか、親御さんに連絡したらどうです?」


 確か、二人の親は道警本部の刑事だったハズだ。


『ダメだよ、これが殺人事件なら〝密室殺人〟だもん。〝名探偵〟じゃなきゃ解けない謎だよ!』

「や、現実にそんなものありえませんから……」


 ミステリーならまだしも、現実にそんなしち面倒くさい事を考えて実行に移し、なおかつ成功させてしまうような知性と根性、運勢を持ち合わせた人間がそもそも殺人なんて愚行を犯すとは思えない。


『でも、そうとしか思えない状況なんだよ、探偵サン! 今、テスト期間中で午後ヒマでしょ? お願い、助けて!』

「ハハっ、なに言ってるんですか? 私はこれから合コンに行くから忙し――」


 彩夢にヒマだと思われていたことで大きく自尊心を傷つけられたアリアが体の向きを戻すと、既にクラスメイトの姿は無かった。


「ねぇ、合コンに来ない?」


 見れば、先ほどの二人が廊下で別な生徒を誘っている。


〈ああ……私のバラ色の高校生活が遠のいていく……〉


 呆然と佇むアリアの耳元では箕輪彩夢が一人でわめき続けていた。


『おーい、探偵サーン。聞こえてるー? 密室事件だよ、密室! JK探偵の腕の見せ所だよ!』


「はぁ……分かりました。地図を送って下さい」


 どうやら今回も〝名探偵の宿命〟からは逃げられないらしい……。

 アリアは深いため息をつきながら帰り支度を始めたのだった。

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