真相編

偽りの密室

 七月十五日 午後五時三分


 

 地下から二階まで長大な吹き抜けとなった螺旋階段に傾きかけた日差しが差し込んで、真っ赤に染め上げる。

 嵐から始まった一日がもうすぐ終わろうとしていた。

 警察の現場検証もようやく終わったのか、地階からは物音一つ聞こえない。 

 まるで冷たい井戸の底に居るようだ。

 螺旋階段を一段下るごとに、足先から冷たい感情と冷静な思考が這い上がってきて〝私〟を支配する。

 思えば、もそうだった。

 地下の穴蔵で醜く肥え太ったあの男――泉川壮吾いずみかわそうごの裏切りと欺瞞は許しがたく、殺さなければいずれ〝私〟はこの殺意想いに耐えきれず、己の身を引き裂いていたかもしれない。ところが、実際にあの男の命を奪った瞬間、引き潮のようにそれまでの感情や熱量が消え去り、後に残ったのは機械のように淡々と偽装工作トリックを施す自分だった。


〈考えてみれば当然か〉


 塵を屑籠に捨てる時に心を痛めたり、雑草を刈り取る時にいちいち侘びたりしないように、あの醜く肥え太った豚を井戸の底に沈めたところでがなんの感慨も湧かない。

 

〈……大丈夫。〝私の密室〟には一分の隙は無い〉


 〝私〟を地下室に呼び出した警官のなんとも歯切れの悪い物言いを思い出しながら、あらゆるパターンを想定する。

 あの男が現場にを遺していたのは予定外だった。

 死者からの伝言ダイイングメッセージ――。

 一見すると無意味な文章に見えるが、曲がりなりにも推理作家だったあの男が書き遺した物だ。〝私〟へ繋がる手がかりが隠されていないとも限らない。

 気がかりと言えば、もう一つ……。


〈あの娘達……確か探偵とか言っていたけど……〉


 〝女子高生探偵〟なんてまるで小説の世界の話だが、子どものママゴトと言い切れない自分もいる。特にあのベレー帽を被った少女の眼差しが脳裏に焼き付いて離れない。

 ウェーブがかった前髪から見え隠れする黒い瞳は、好奇心と冒険心に溢れた子どものそれとは違っていた。まるで心のうちを見透かすように深い色を湛えながら、その全てに興味が無さそうな瞳におもわず背筋が寒くなるったのを思い出し、〝私〟は大きく深呼吸をした。


〈心配ない……! たとえ動機殺意を見破られても密室のトリックがバレなければ、〝私〟の犯行を証明することはできない〉


 ところが、地下室の扉が閉まっているのを見て〝私〟はおもわず目を見開いた。

 今朝、大の男二人がかりで力任せに押し破ったはずの重い防音扉が蝶番からドアノブまで完璧に修復され、ピッタリと地下室の入り口を閉ざしている。


〈警察が片付けのついでに直していったのだろうか?〉


 言いようのない不安を覚えながらドアノブを掴むと、不意に中から扉が開いた。


「――あ! 良かった。遅いから心配したんですよ」


 そう言って、扉の隙間から小さな頭を覗かせたのはあの少女だ。

 少女に促されるまま地下室に足を踏み入れると既にあの男の死体は無く、床に残された白い人型の線が妙に生々しい。そして驚いたことに事件の関係者全員と日野刑事、そしてもう一人の少女が一同に会していた。

 本来事情聴取というのは人権とプライバシーが保証された上で行われるもので、これではまるで二時間サスペンスのラストシーンではないか。


「こんな場所に関係者全員を集めていったいなんの騒ぎです? まさかこれから事件の真相を解き明かそうとでも?」


 日野刑事に問いかけながら横に立つ少女をチラリと見る。

 すると少女は白い歯を見せながら、自信たっぷりに微笑んだ。


「そのとおり! 被害者を殺し、密室を作り上げた真犯人はこの中に居ます!!」

「「「なんだって!?」」」


 少女の発言に動揺が波紋のように広がり、驚きに目を見開く者も居れば、周りに疑いの視線を向ける者も居る。〝私〟は持てる自制心を総動員して動揺を抑えなければならなかった。


「待ってください。そもそも被害者が亡くなった時、この部屋は密室だったんですよ? この中に犯人なんて本当に居るんですか?」

「確かに昨日の停電の後と今朝、二人以上の人間がそれぞれ地下室のドアに内鍵がかかっていたと証言しています……が、本当ですか?」

「我々が共犯で嘘の証言を示し合わせていると言いたいのか?」


 大人たちの剣呑な視線をかわすように少女は地下室の扉に近付く。


「そうじゃなくて、このドアは防音仕様でワイヤーの類が入り込む隙間すら無く、内鍵だから外に鍵穴も無いのに、どうして鍵がかかっていたと言えるんですか?」

「そりゃ、ドアノブを回しても扉が開かないんだから他に理由なんて無いだろ?」


 自分の年齢の半分にも満たない少女に現場を仕切られて面白くないのか、日野刑事が横槍を入れた。


「まさにそれこそが犯人の狙いだったんですよ! 被害者を殺害後、犯人は扉の前にストッパーを置くことであたかも内鍵がかかっているように見せかけて〝偽りの密室〟を作り上げたんです!」

「そん馬鹿な!?」

「今朝、ドアノブを回しても開かないことを確認した後、すぐ我々が体当たりしてドアを押し破ったが、この部屋にそんな物は無かったぞ?」


 〝私〟を含め、その場に居た第一発見者全員が請け合うが少女は意に介さない。


「〝隠したい物ほど、一番目につく所に置いておく〟――ミステリの鉄則です! ストッパーは警察が来るまでずっと、皆サンの目の前に堂々とあったんですよ」


 そう言って、少女は地下室の床に描かれた人型の白線を指差すと、日野刑事がサングラスの隙間から目を見開いた。


「――まさか、被害者の遺体か!?」

「そのとおり! 被害者の体重は少なく見積もっても一〇〇キロオーバー。その死体がドアに寄りかかっていたとしたらストッパーとしての役目は十分です」

「なるほど……予め内鍵を壊しておけば、扉を押し破った拍子に壊れたと思われ、証拠は残らないというわけか……」


 日野刑事が納得しかけたところで、関係者の一人が異議を唱える。


「待ってください、刑事さん! 確かに遺体なら重しになるかもしれないですけど、一〇〇キロ以上の人間を支えながらドアを綺麗にピッタリ閉めるなんて、本当にできるものなんですか?」

「言われてみれば、少しでも隙間が空いたら密室は成立しない。しかもトリックの性質上、部屋に戻ってやり直すこともできない」

「そんな運任せのトリックじゃ、たとえ小説の中だったとしても読者が納得しないですね」

〈所詮、子どもの浅知恵か……〉


 欠陥推理の穴を指摘され、さぞ落ち込んでいるかと思いきや、探偵の少女は予期していたとばかりに不敵な笑みを浮かべた。


「チッチッチッ! ところがを使えば、一〇〇パーセントの確率で密室を作ることができます」

「なんだ、それは?」

「……それはピアノ線です!」


 探偵の少女は人差し指を立てたまま、地下室の上の方を指差す。


「そもそも事件当時、この地下室は完全な密室じゃなかったんです。あの細い換気の用の窓が開いて、犯人はそこから細くて丈夫なピアノ線を伸ばし、被害者の体を吊っていたんです」

〈馬鹿な――!?〉

 

 思わず口をついて出そうになった言葉を必至に呑み込み、少女の驚くべき推理に耳を傾ける。


「まず犯人は太くしっかりとした庭木の一つにピアノ線を巻きつけ、その両端を採光窓のすぐそばに隠しておきます。そして何食わぬ顔で地下室を訪れ、被害者の隙きをついて絞殺する」


 日野刑事の後ろに回ったかと思うと、首を締める演技をする少女。


「そして採光用の窓からピアノ線を部屋の中に引き入れると、被害者の首に巻き付けたヘッドホンのコードにワイヤーを通し、ちょうどドアにもたれかかる位置でピアノ線同士を結んで輪っか状にしておく。あとは内鍵を壊し何食わぬ顔で地下室を出た後、外のピアノ線の輪を切れば遺体は自重でドアに寄りかかり、密室の完成です。あとは輪の解けたピアノ線を引っ張って回収すれば、証拠もほとんど残りません」

「なるほど……元々首を締めて殺しているから、ピアノ線で吊った時の痕跡もうまく誤魔化せるってわけか」

「そうです。〝木の葉を隠すなら森の中。森が無いなら作ってしまえ、ホトトギス〟――これもミステリの基本です!」

「よし! すぐに鑑識に庭木を調べさせろ! それと家宅捜索のやり直しだ! 屋根裏、土の中、下水管、細いピアノ線を隠せそうな場所はくまなく探せ!!」


 日野刑事が部下にツバを飛ばすと、未だ少女の推理に驚いている関係者をギロリと睨んだ。


「谷町純平さん、泉川行司さん……どうやらお二人には署に来てもらって、じっ〜くりとお話を伺わなくてはいけないようですなぁ?」

「ちょ、ちょっと待ってくださいっ、刑事さん!? どうして我々だけなんですか? その娘の推理が本当なら、全員が容疑者のハズじゃ!?」

「いいや、それは違う。仏さんというのは、思いのほか重たいんですよ。まして一〇〇キロオーバーともなれば、女、子どもにどうこうできるわけがない……つまり、この事件の犯人はお二人のうちどちらか……あるいは両方ということになる」

「そんな……!」


 二人に近づく制服警官を止めたのは探偵の少女だった。


「待って下さい! 犯人ならもう分かっています。というより、最初から被害者が教えてくれていました」


 そう言って、少女は例のメモ書きを見せた。


 はぁ~どすこい、どすこい!

 はぁ~えーー!

 はぁ~どすこい、どすこい!

 星を取られて辛苦を詠めばよー!

 はぁ~どすこい、どすこい!

 はぁ~張り手かわされ、たたら踏む。

 逃げる間もなく前褌取られ、力及ばず。

 だめだこりゃ……!


 やはり何度見ても、意味の無いふざけた文章にしか見えない。

 それは他の関係者や刑事も同じらしく、皆首をかしげている。


「一見、無意味な文章に見えますが、これは『相撲甚句』に見立てた暗号文で、被害者が犯人に気付かれないように遺したダイイング・メッセージです」


 そう言って少女は相撲甚句についての簡単な説明を全員にした。


「まずこの文章から歌の歌詞とは直接関係ない節回しや合いの手の部分を取り払います」


 星を取られて辛苦を詠めば

 張り手かわされ、たたら踏む

 逃げる間もなく前褌取られ、力及ばず

 だめだこりゃ


「次に、甚句の基本型である七五調の音節で区切ります」


 星を取られて

 辛苦を詠めば

 張り手かわされ

 たたら踏む

 逃げる間もなく

 前褌取られ

 力及ばず

 だめだこりゃ


「そして、頭文字を繋げて読むと……」


 ホしをとられて

 シんくをよめば

 ハりてかわされ

 タたらふむ

 ニげるまもなく

 マえみつとられ

 チからおよばず

 ダめだこりゃ


「……ホシは谷町だ!?」


 その場に居た全員の視線が一人の人物に行き着く。


「そう……ここで言うホシとは、相撲の勝ち星のことではなく、警察隠語の犯人ホシ――つまり甚句の掛詞ダジャレだったんです!」

〈まさか、あのふざけた文章にそんな意味が込められていたとは……〉


 〝私〟が驚きに目を見開いている中、少女はスッと指を指した。


「……泉川壮吾さんを殺し〝偽りの密室〟を作り上げた犯人はあなたです。谷町純平さん!」

「――ち、違う! 私じゃない! 私には先生を殺す動機がない!!」

「嘘だ! アンタは自分のアイディアの関取探偵がヒットしても、称賛されるのは叔父さん」ばかりだって、よく酒の席で愚痴っていたじゃないか!」

「それは酔っ払ってたからで――!」

「谷町様……」

「ヤメてくれ! そんな目で私を見るな……!」

「うぅ……酷い谷町さん、信じてたのに……お父さんを返して!」

「ゴメンね! ゴメンね透音! 停電の後、お母さんが無理にでも地下室に入っておけば、お父さんは死なずに済んだのに……そういえばあの時も谷町さんが部屋に入るのを止めたんだったわ! いったい私たち家族になんの恨みがあってこんな恐ろしいことを……!?」

「違うんだ!! 私じゃない! みんなっ、信じてくれよ!!」


 涙と脂汗で顔をグチャグチャにしながら必死に訴えても、卑劣な殺人者の言葉など誰の耳にも届かない。

 哀れな男の悲鳴が地下室に虚しく木霊する中、日野刑事が取り出した手錠が硬質な音を立て、〝私〟は一人ほくそ笑んだ。


「……午後十七時二十四分、谷町純平。泉川壮吾氏、殺害の容疑で逮捕だ」

「――ちょっと待って下さい」


 日野刑事が谷町純平の両手に手錠をかけようとしたまさにその時、あのベレー帽を被った少女が待ったをかけた。


「その人、自白もしてなければ裁判所の逮捕状も出てないのにノリと雰囲気だけで手錠ワッパかけないでもらっていいデスか?」

「いや、しかし……あの箕輪みのわ警部のお嬢さんが今推理したとおり、被害者自身がこうしてダイイング・メッセージで犯人の名前を遺してるんだから、これ以上の証拠は無いだろ?」

「そーだよ、探偵サン! 今回はアタシに先に真相を解かれたからって、イチャモンはいくないよ!」


 すると探偵と呼ばれた少女は呆れたように肩をすくめた。


「はぁ、まだそんなコト言ってるんデスか? 『ダイイング・メッセージの謎が解けた!』って言うから、任せてみれば……ヤレヤレ、とんだ〝ミステリー脳〟ですね」

「にゃ、にゃにを〜!?」


 人を食ったような探偵の態度に先ほどまで自身たっぷりに推理を披露していたポニーテールの少女が地団駄を踏んだ。


「いーデスか? これはミステリーではなく、現実の事件です。推理小説ならさっきの推理で百点満点でしょうけど、現実はもっとシンプルかつ合理的に考える必要があります」

「待ってくれ! つまり君は犯人は私じゃないと思ってるってことか!?」


 谷町純平がすがるような目で見つめる中、少女は大きく頷いた。


「ええ、泉川壮吾氏を殺した真犯人はアナタです――」 


 そう言って、白羽の如く細く白い少女の指がまっすぐに〝私〟を指し示したのだった。

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