窓と灰皿

7月15日 午後1時32分



 事件の被害者は作家の泉川壮吾いずみかわそうご

 月桂館げっけいかんが出版するライトノベル専門の雷電文庫で『関取探偵・うっちゃりでごわす』というミステリーを連載していたという。

 現場となったのは郊外の新興の住宅地にある自宅兼職場。

 アニメ化もされているベストセラー作家だけあって被害者宅はちょっとした豪邸で、積み木を組み合わせたような鋭角的な直線で構成された三階建ての家にはガーデニングが楽しめる広々とした庭の他、防音性の高い地下室も完備されていた。

 被害者はその六畳ほどの地下室を仕事場として利用しており、昨夜も夕食の後、部屋にこもって執筆をしていたという。

 しかし今朝になって死体で発見され、関取探偵が謎を解くことは二度となくなってしまった。

 死亡推定時刻は昨夜の午後十時半から午前零時の間。

 その時間、泉川邸には被害者の他に妻の千秋ちあきと娘の透音すくね、月桂館編集者の谷町純平たにまちじゅんぺい、被害者の甥でイラストレーターをしている泉川行司いずみかわこうじ、家政婦の矢倉妙やぐらたえ、そして透音の同級生で試験勉強のため、たまたま泊まりに来ていた箕輪彩夢みのわあやめの六名の人間が居合わせたのだった。


 地下室の採光窓から盗み聞きした捜査情報を反芻はんすうしながら、アリアは自分を呼び出した張本人をジロりと睨んだ。


「試験勉強は一人でやった方がはかどりますよ?」

「うぅっ……アタシだってこんな事になるなんて思わなかったもん。最初は兄さんに相談しようと思ったけど、今日、バイトで忙しいから探偵さんの番号だけ教えてもらったの」

「私だって合コンの予定があったんですが?」


 本当は返事をする前に彩夢の電話に出てしまったのだが、ヒマじゃないということをこの中学生にアピールしておくためにアリアはそう言った。


「ちょっと探偵さん、合コンと殺人事件、どっちが大事なの?」

「えっと……合コン?」

「事件だよ! コッチは人が死んでるんだから!!」


 逡巡の末、眉間にシワを刻んだまま答えたアリアに彩夢は目を見開いた。


〈や、もう死んじゃってるからこそ、後からいくら掘り返したところで、死人が生き返るわけでもないと思うんだけど……〉


 しかしどうやら彩夢の見解は違うらしい。


「だいたい合コンて何するとこなの? 兄さんも大学でよく誘われたりしてるみたいだけど、アタシ、行ったこと無いんだけど?」

〈うん、実は私も無い!〉


 だが、ここでその真実を明かすわけにいかない。現役JKとして、ハナッタレの中坊とは違うんだというところをみせつけなくてはならない。


「えっと……タコ焼きパーティー、かな?」

「……うん、たぶん探偵さんが行ったのは合コンじゃないね」

〈何故バレたし!?〉


 流石、刑事の娘といったところだろうか?

 彩夢の大きな瞳には正義の灯火が輝いていた。


「透音ちゃん、今どき珍しいくらいお父さん子で、小さ時からお父さんの小説を聞かされて育ったんだって。関取探偵の続きも誰よりも楽しみにしていたのに、両方いっぺんに失くしちゃうなんて……こんなの可哀想だよ。お願い、探偵さんの推理で真犯人を捕まえて、懲らしめてあげて!」


 彩夢の真っ直ぐな想いにほだされたわけではないが、アリアも大事な肉親と楽しみにしていた物語の続きを永遠に失った痛みは知っている。


「ン、まぁ、やれるだけはやってみますけど」


 そう言ってアリアは立ち上がると、ローファーの先を玄関とは逆の方へ向けた。その後を彩夢が慌てて追いかける。


「どこ行くの、探偵さん? 今頃、家の中で事情聴取が始まってるよ?」

「そっちは警察に任せます」


 大勢の前で話したり、初対面の人と話をしたりするのはアリアが最も苦手なことだ。そいうことはあの変身願望と自己顕示欲の塊のような刑事にでも任せておけばいい。

 それよりもアリアには気になることがあった。


「昨日の深夜、こっちでも雨は降ってましたか?」

「うん、雨って言うか、もう嵐だったね。降り出したのは日付が変わってからだけど、その前から風とか雷が凄くて、一度停電になった時はおもわず透音ちゃんと悲鳴あげちゃったもん」


 彩夢の話を噛みしめるように、アリアは小さなあごに手を当てた。


「ところが、さっきの現場、窓の下が雨で濡れてませんでした」

「ん? うん、だってあの窓を開けたの探偵さんじゃん」


 今回の事件現場が『完全密室』だったのかどうかを確かめるため、アリアは格子の間から手を伸ばしてみたところ、鍵はかかっておらず窓は簡単に開いた。

 しかしである。


「おそらく被害者が死亡した時点では、あの窓は開いていたと思います」

「えぇ? なんでそんな事が分かるの?」


 理由もだが、彩夢にはその意味が理解できない。

 あんな小さな窓が開いていたところで、中に入ったり、外から内鍵を閉めたりできるとは思えなかった。

 アリアは彩夢の理解が追いつくように順を追って説明を始めた。


「根拠は机の上の灰皿です」


 アリアに言われて彩夢は被害者の机の上にあった、真っ黒にすすけた灰皿を思い出した。


「おそらく被害者はヘビースモーカーです。しかしあの地下室にはエアコンや換気扇の類はありませんでした。そんな状態で煙草を吸えば地下室に煙が充満してしまいます」


 しかしアリアが窓を開けた時、それほどヤニ臭さは感じられなかった。つまり被害者は煙草を吸う時はあの細い窓を開けて換気をしていたということになる。


「吸い終わったから閉めたんじゃないの?」

「灰皿に残っていた燃えカスをよく思い出してください。フィルターまで真っ黒になるほど吸い続ける人はいません。この場合、火をつけた煙草を灰皿に残したまま被害者が死亡したため、自然に燃え尽きたと考えるべきです」


 そこから導き出されるたった一つの真実は、被害者が一旦開けた窓を昨夜、雨が降り出す前に何者かが閉めたということだ。


〈しかも鍵が掛かっていなかったってことは、外から閉めたのかな?〉


 真犯人が窓を閉めた理由を考えながらアリアは玄関や地下室の窓がある建物の東側から南側へと回る。そこにはちょっとした家庭菜園になっていた。

 トマトやきゅうり、モロヘイヤといった今が旬の夏野菜が青々とした葉を広げ、午後の日差しを一身に受け止めている。


「透音ちゃんのお母さん、ガーデニングと料理が趣味で野菜とかハーブとか自分で育てて料理に使ってるんだって」


 彩夢の説明を受けて改めて泉川邸の庭を見回すと、あちこにハーブや花が植えられていて良い匂いがする。庭の隅にはぐるぐる巻きにされたホースや数十キロはありそうな肥料の袋、霧吹き、スコップといった本格的なガーデニング用品がまとまって置かれているのが見えた。


「昨日の晩ごはんにもモロヘイヤの卵焼きとか、トマトの冷製パスタとか食べさせてもらって、新鮮ですごい美味しかったんだから」


 楽しかった記憶を思い浮かべる彩夢とは裏腹にアリアは別な知識ことを思い出した。


「モロヘイヤには毒があるって知ってました?」

「え?」

「正確には茎と種部分には、コルコロシドやストロファンチジンという強心配糖体が含まれていて人間が摂取した場合、心臓の筋肉が異常をきたし不整脈や心内膜の出血、低カリウム血症などを起こして最悪の場合、死に至ります」

「ちょっと、探偵さん! それって透音ちゃんのお母さんがお父さんを殺したって言いたいの?」


 彩夢は驚きよりも怒りを込めた瞳でアリアを睨んだ。


「や、そういうわけじゃないですけど、その可能性が無いわけでもありません」


 アリアの場合〝誰がったのか?〟などという帰納的推理は好まない。〝名探偵ジブン〟が事件に関わった以上、殺人事件であることは明白だからだ。むしろ容疑者全員を犯人としてそれぞれの〝れたかもしれない可能性〟を考え、証言や証拠を使って無駄な情報を削ぎ落としていくことで、犯人の喉元に届きうる一本の鋭利な論理を作り上げる。

 たとえそれが友達の無念を晴らしたい一心で探偵を頼った彩夢の期待を裏切ることになったとしても、〝名探偵〟の宿命からは逃れられない。


〈ホント呪われてるんじゃないかな……〉


 アリアが年齢にそぐわないほど堂に入ったため息をつくと、裏手の方から声が聞こえてきた。


「もう完全に呪われてますよ! ええ……確かに死にました! 自分で確かめたんですから、間違いありません」


「ちょっと探偵さん、今の聞いた?」


 彩夢の耳にも届いたらしく、驚きと怯えがないまぜになったような表情でアリアを呼んだ。


「はい、行ってみましょう」


 二人はお互いを鼓舞するように手を固く結ぶと、足音を忍ばせながら建物の北側へ向かった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る