第7話 ちょっとした後日談

 ハルは太陽が落ちた夕焼け空を眺めながら家路を歩いていた。頭の上でカラスが3羽カーカー言いながら飛んでいる。

「お家に帰るんやねえ」

 何とも平凡ながら綺麗な風景だ。浮かんだ雲の下半分は鮮やかなオレンジ色だが、上半分はすでに夜の群青色に染まっている。そこから別世界につながっているような光景だ。冬の到来を感じさせる。

「ただいまー」

 家に帰ると心なしか弾んだ足で階段を昇る。

「遅かったではないか」

 ドアを開けるなり突然かけられた声にのけぞって驚く。目の前の机の上には、ククヴァヤが翼を広げて立っている。別に今更動き出したことにはコメントもないが、今はまだようやく陽が落ちたばっかりだ。いつものククヴァヤならスヤスヤ夢の中なのに。

「サッサと話を聞いておきたかったからな。昨日の件はどうだった?」

「ああ、それはね」

 カバンを置きながらもハルはニヤつく口元を押しとどめるのに必死だった。

 昨日、穂乃果の誕生パーティーから帰ってきたハルが経緯を報告すると、ククヴァヤは案の定、新条に対して積極的にアピールしに行かなかったハルを嘆き、せめて新条の感想を聞きだして来いと命じたのだった。そこで穂乃果にこそっと訊いてみたのだ。

「綺麗やったって。雰囲気とか、立ち振る舞いが」

そこまで言うと、ハルは言葉を切った。別に焦らそうというわけではないのだが。話したいような、話したくないような。自慢と照れくささが同居したような感じだ。

「そういう子がタイプなんやって」

その後に、実はひとみが教えてくれたのだが、新条は落ち着いているけれども暖かい感じがしたと言っていたらしい。屈託なく話す彼女を見て、改めていがみ合わなくて良かったとハルは思う。

 その証拠なのか、今日も廊下で会った時に彼の方から話しかけてきた。言葉にするとちょっとしたことだが、ハルにとっては嬉しい変化だ。

「ホー、それはそれは。良かったな」

「うん」

 ククヴァヤの言葉に素直に返してしまった。おそらく人間なら意味深な表情で見られるだろう。相手がフクロウなのでそれはなかったが。言葉の発音がちょっと変わっていた。

「そういうことならば、良かろう。これも妾の特訓のおかげじゃな」

「そうやな。ありがとう」

 確かに、マナーを教えてくれたことには感謝しかない。でも、ククヴァヤの行動でハルには、少々引っかかっていることがあった。それは昨日の帰り道に思いついたことだったが、今日の熱心そうで、微妙に予想よりも薄いククヴァヤのリアクションがその予想に拍車をかける。

「けど、クク。本当はマナーがそんなに重要だって思ってなかったんやないの?」

「……どういうことじゃ」

「要は、なんでも良かったんじゃないかなって。あたしが自分に自信が持てるようになりさえすれば」

 立ち姿も、マナーもそれはもちろん大切なことではある。前にククヴァヤが言っていたように、第一印象を決める重大な要素だろう。けれども、それはあくまでも理詰めで考えたものだ。

 人の心には流れがあると思う。うまく口では説明できないけれど、本人の内面に直結した何か。どれだけ努力を積み重ねても、その部分がマイナスに流れれば失敗したり、クヨクヨする。逆にプラスに向かっていれば、成功しやすいし多少のミスも気にならない。

 昨日のハルが良い例だ。所作の猛特訓を受けた割にひとみに対して明確に「勝つ」ということはできなかった。それにも関わらず、自分のその日一日を肯定していた。新条の好みなんか知らなかったのに。一見、努力が水の泡と消えていたとさえ言えたのに。

 ククヴァヤはゆっくりと目を閉じ体を膨らませ、目を開くにつれて体を戻した。人間で言うところの深呼吸に見える。その間、ハルは目の前の不思議なフクロウから目を離さなかった。

「ご明察、と言えばよいかな」

ククヴァヤは静かに言った。諦めたような、ホッとしたような声だった。

「お主の本来の目的は、自分の雰囲気を大人らしく変えたい、ということだったからな。それには前に言ったように中身を変えるのが一番。けれども妾の見た限り、大人も子供も大した差はないのじゃ。ただ、自分の道に自信が持てるか、貫けるか。それだけ。これができなければ、いくら年を重ねようが何者にもなれん。逆にいくら幼くても将来必ず大成できる。打ちのめされそうになっても、自分の中にすがれる杖があるからじゃ。それを作っておきたかった」

 ククヴァヤはそっと音もなく羽ばたき、本棚の前に行くとかぎ爪で中身を指さした。そこにはハルの好きな漫画のシリーズが順番に並べられている。

「あれらを見る限り、色恋沙汰やライバルがあれば努力しそうだったから適当に話を持っていったのだ。その方がモチベーションが上がりそうじゃったからな。しかし、どこでそれが分かった?」

 クルンと90度首を傾けて尋ねるフクロウがハルには意外だった。知恵の化身と豪語しているからには、薄々感づいているかと思っていた。それだけ、簡単なことだったのだ。

「クク、や」

「妾がどうかしたか?」

「その反応。会って最初の方にククって言った時に省略するなって怒ったやろ。やのに、ちょっと反抗しようとしてマナーを教えられてる最中にククって言ったら全くのスルー。1回ならまだしも毎回やから、ひょっとして口で言うほどは気にしてへんのじゃないかって」

 ククはカチッと音を立ててくちばしを何度か鳴らした。考え込んでいる。

「なるほど。そういうことか。しかし……反抗しようとしておったのか。せっかくこの妾が親切にしていたのに。所作だって適当にしていたのではないぞ!」

 ハルの頭にかぎづめが刺さり、思わず悲鳴が上がる。手で振り落とそうとしたが、余計に食い込んでくる。

「許して! 今は親しい貯金箱と言う意味やから」

「フン、無礼な話だが……訂正しなかった妾にも非はあるか。良かろう。その呼び名を特別に許す」

 そう言ったくせに強情な貯金箱は頭から全然下りてくれない。放っておいたら、頭から血が出てきそうなくらい痛いのに。

「条件が2つある」

「はい、なんでしょう?」

「1つ目は、妾を貯金箱とは決して呼ばぬことだ。これは妾の尊厳にかかわる!」

「でも、500円玉食べるよね?」

「妾は自由自在に空中を飛び回っているのだぞ。故にまごうことなき、フクロウである」

 ようやく頭から飛び立ってくれた。まだ頭がズキズキする。大威張りで部屋を飛び回るククヴァヤについて言いたいことはあるがひとまず飲みこむ。また、グサグサやられるのはゴメンだ。

「了解。もう1つは?」

「何か、新しく挑戦することが欲しい」

「は?」

「何度も言っておろう。この部屋の中だけではなんともヒマでしょうがないのだ。故に何か新しく挑戦することを見つけよ」

「そんな、急に言われても。思いつかんよ。っていうか、知恵の化身なら自分で考えたら?」

「未知の物に出くわすから面白いのだ。ほれ、持ってこい」

 上から目線で傲然とフクロウが言い放つ。小さなククが低い重々しい声でしゃべるのはシュールな光景だが、愉快でもある。

「よーし、じゃあ。うーん」

 これからは、これが日常か。頭の隅でぼんやり考える。他人の日常とはかけ離れているけれど、割と楽しそうじゃないか。

 もちろん、ククのせいで大変なことにもぶつかるかもしれないけど、取りあえずこのまま行こうと思う。躓いても構わない。今ある杖にもたれて立ち上がればいい。

 人によって、形も大きさが様々な杖をみんなが持っていると思うと、世界がほんのかすかに素晴らしく思えるのは気のせいか。希望に満ちた世界。

「思いついたか」

 ククが肩にとまる。今度は柔らかく掴んでくれている。頬に視線を感じる。

「そうやな。まずは――」

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ハルとクク 黒中光 @lightinblack

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