三国夢幻演義 龍の青年

光月ユリシ

其之一 臥龍の日々

 新緑に覆われた山間にのどかな田園風景が広がっている。稲はまだ低く、畦畔けいはんに群生する油菜あぶらなが鮮やかな黄色の花を満開にさせていた。それに誘われた蜜蜂みつばちちょうが飛び回り、森では早くもせみたちが鳴き始めている。人の気配を察知したかえるが畦畔から飛び出して、二度三度跳ねると、道の脇を流れる小川へと身を投げ入れた。

 その一部始終を目で追った後、青年は顔を上げた。

 視界に広がる全てが平穏を映し出している。各地で続く戦乱とは隔絶された小さな世界――――隆中りゅうちゅうにその青年はいた。

 背が高く、せた体に薄青の衣をまとっている。頭には笠を被り、日々強くなる日差しを避けていた。耕作の手を休め、緩やかに傾斜した土手に座る。さわやかな風が吹き渡って袖を揺らし、鼻孔にほのかに香り立つ空気を運んできた。思わず、お気に入りのうたがついて出る。

「歩みてせいの城門をず 遥かに望む蕩陰とういんの里 里中に三墳さんふん有り 累々るいるいとして正に相似たり 問うれ誰が家の墓ぞ 田彊でんきょう古冶子こやしなり……」

 この『梁父吟りょうほぎん』という名の挽歌ばんかは青年の故郷に近い泰山の故事をうたったものである。

 春秋戦国時代。斉の景公けいこうに仕える晏嬰あんえい田開彊でんかいきょう・古冶子・公孫接こうそんせつという国に害を為す恐れのある三人の勇者を知略をもって除いた。三人に二つの桃を送り、功績が高い者から取って良いと命じて、三人を互いに争わせ、自ら剣も使うことなくほうむり去ったという内容だ。晏嬰のような知謀にけた人物は青年のあこがれだ。故郷を離れて久しいが、詠えば、故郷の情景を思い出すこの唄を青年は特に気に入っていた。

一朝いっちょう讒言ざんげんこうむ二桃三士にとうさんしを殺す 誰がはかりごとを為す 国相こくしょう斉の晏子あんしなり」

 一通り詠い終わり、青年は晏嬰の知謀をさも自分が為したかのように余韻に浸った。そして、青年は一つ深呼吸し、自然の気を含んだ新鮮な空気を肺いっぱいに取り込むと、

「いい季節になってきた……」

 そんな独り言を呟いた。

 諸葛亮しょかつりょうあざな孔明こうめい――――後世に名を垂れる稀代きだいの政治家、鬼謀百出の大軍師も今はまだ十八歳の田舎書生に過ぎない。そのまま心地よい余韻と清々すがすがしい雰囲気に乗って、孔明はかごから取り出した竹簡ちくかんを広げた。

 竹簡はまだ紙が一般的に流通していない時代、竹の短冊たんざくに文字を記し、それをひもで結んで連ねた書籍のことである。本の単位に用いられる〝さつ〟は、短冊を紐でつなげた形を示す象形文字で、また、丸めて閉じるので、〝かん〟の字も用いる。

 孔明が広げたその本のタイトルは『論衡ろんこう』という。

『論衡』は後漢初期の人物、王充おうじゅうの著書で、約百年前の書物である。

 それまでの定説の不合理を指摘し、当時盛んだった讖緯しんい思想(予言)や人口に膾炙かいしゃして久しい迷信を徹底批判したために異書(異端な図書)扱いされて認知されず、写本はほとんど世に出回っていない。『論衡』は三十巻の書物である。その一部が襄陽じょうようの荊州学府所有の蔵書に存在した。

 襄陽は隆中から東方約三十里(約十二キロメートル)にある荊州の中心都市、荊州学府はその襄陽に設立された学術機関である。

 孔明が目を通しているのは、荊州学府で自ら複写した『論死篇ろんしへん』という一節である。

『人は物なり。物もた物なり。物死して鬼とらず。人死して何が故に独りく鬼と為らんや……』

 この時代、人の魂は死後、霊(鬼)となって存在すると信じられた。しかし、王充は死後世界や幽霊を否定している。

『……人死して精神天にのぼり、骸骨がいこつ土にす。ゆえこれを鬼神とう。鬼は帰なり、神は荒忽こうこつとして形無き者なり』

 万物は天地の気を受けて存在する。天の気が〝陽〟、地の気が〝陰〟である。

 人もまたそうで、陰気が鬼、陽気が神。それぞれ陽気が作った魂は天に昇り、陰気が形作った肉体は土に帰る。つまり、何も残らない。

 孔明は十年前に母を、六年前に父を、そして、昨年に叔父を亡くした。

『もし、本当に死後の世界がないなら、両親や叔父との再会もないということになる……』

 王充は霊魂が存在しないのだから、葬儀は儒教の教え通り厚葬にする必要はなく、薄葬でよいという。父も叔父も死後は薄葬にするよう遺言を遺した。

 では、人々が言う幽霊の正体は何かというと、病気で衰弱した者が見る幻覚であるという。また、鬼の正体は年を経た動物の精、もののけであると言っている。

泰山たいざんのあれも幻覚……もののけを見たということなのだろうか?』

 少年時代の不思議な経験を振り返って、孔明は独り反芻はんすうしてみた。

 孔明は本を読むにしても、人の話を聞くにしても、全てをそのまま受け取ったりはしない。概要を把握し、肝要を理解する一方で取捨選択しゅしゃせんたくをする。取り入れるものは取り入れ、排すものは排す。そうして、独自の知識を形作っていくのだ。

 全ての答えは本の中にあるわけではない――――叔父の言葉を思い返す。

 本と見聞と実体験を合わせた中に自分なりの答えを見い出せばよい。

 ふと、一匹の蜻蛉とんぼが柔らかな風に吹かれて、孔明の視線の先に流れてきた。

『飛ぶのも楽じゃないだろうに』

 指を立てる。烏有うゆう先生から教わった意識の制御。人を人たらしめるその意識を存在しないかの如く消滅させ、無意識を自然と同化させる。結果、その蜻蛉は孔明のその指を植物の枝か何かと勘違いしたのか、その先に留まって羽を休めた。

 しばらく孔明がその蜻蛉の様子を観察していると、日差しがやわらぎ、空気が冷えてきたのを感じた。いつの間にか蝉たちも声を鎮めている。山の稜線に目をやると、薄暗い雲が広がっているのが見えた。

 孔明が体に意識を戻すと、蜻蛉は飛び去って行った。

 王充は合理的思考と科学的観察眼を持った人物だった。山に霧が立ち昇っていく様を観察して、水が蒸発して霧や雲を作り、雨となって落ちてくる降雨のメカニズムに言及している。孔明も過去の修行の中で、その真理を知った。

『雨になるか』

 孔明は本を閉じると、腰を上げた。そして、曖昧あいまいな記憶を辿たどる。

『前に雨が降ったのは、十日前だっけ……?』

 五風十雨ごふうじゅうう。太平の世、風はえだを鳴らさず、雨はつちを破らず。五日にして一度風吹き、十日にして一度雨降る――――。

『論衡』の中の一文だ。気候が順調で、穏やかなことを意味する。転じて、世の中の平穏無事をいう。

『これはそのとおり、信じよう』

 耕作を諦め、孔明が住まいとする隆中の草廬そうろに帰り着く頃、柔らかな雨が大地を打ち始めた。


 孔明が弟のきんと暮らす草廬は見た目こそくたびれてはいるが、雨風をしのぐことができるだけの最低限の住居機能はようしていた。今のところ、茅葺かやぶきの屋根から雨漏りがすることもないし、ひび割れた頼りない土壁も冬の寒気を何とか防いでくれている。

「兄上、お帰りなさい」

 均が兄の帰宅に気付いて出迎えた。故郷を離れた頃はあどけなさが残る五歳だった少年も今では十歳になって、肉体的にも精神的にも確かな成長の跡がうかがえる。

 しかし、孔明にとってはまだ幼い弟であるのは変わりなく、そのために「阿参あさん」という幼名で呼ぶ。

「山へ行っていたのか、阿参?」

「ええ。見てください。今日の収穫は上々ですよ」

 均が籠の中のそれを示した。少年が背負う籠なので大きくはないが、近くの山で手に入れた山菜やきのこ、たけのこなどの山の幸が籠いっぱいに詰まっていた。

 諸葛兄弟は以前、山にこもって修行する道士の烏有先生の世話になっていたことがあり、どの植物が食べられるのか、どれは食べてはいけないのか、山中生活の手ほどきを受けていた。均はその経験を十分に生かしている。調理の仕方は姉に教わった。孔明が叔父の手伝いで忙しかったその間に、均の山菜の知識と調理の腕前は兄を凌ぐようになっていた。

「それは結構だが、自習はどうした?」

「兄上。今の私たちの問題は日々のかてをどうするかです。食べ物がないのに、学問には打ち込めませんよ」

 均がそう正統性を訴えた。それほど学問に執心でない均にとって、生真面目きまじめな兄の授業は苦痛に感じることが多々ある。今日も兄の留守中は自習をするよう言い付けられていたのだが、すぐにそれを放り出して山へ入り、食糧調達に精を出した。

 食糧問題は孔明にとっても頭痛の種だ。以前とは状況が違う。叔父が亡くなり、姉が嫁いで、弟と二人だけの生活だ。均が採ってくる山の幸は市で売れば、わずかなお金に換えることができたが、収入はほぼないに等しい。姉の援助ばかりに甘えているわけにもいかない。自給自足をするにしても、いろいろ切り詰めて、細々と生活しなければならない。

「それだけあれば、しばらくはじっくり学問にも打ち込めるだろう。早速さっそく、昨日の続きをしようか」

 学問の手ほどきは兄・孔明の役目である。が、そんな兄に対し、均が妙案をぶつけた。

「いえ、今日の分を取ったら、後は全部売りますよ」

 学問には人一倍熱心な孔明であったが、生活面に関してはまるで無頓着だった。 それゆえ、十歳ながら、家事の決定権はほぼ均が握っている。

「売るのか?」

「我が家には金のたくわえがありません。ですから、今のうちに蓄えておいて、山菜が採れなくなる冬に備えておくんです。今はできるだけ山に入らせてください。少し離れたところに良い竹林を見つけました。明日はきっとたけのこがたくさん採れます」

 すでに均の狙いは雨後の筍にある。孔明も均が烏有先生の影響を強く受けていることは分かっていた。学問は何も本だけに限らないということも。

「分かった。でも、日々の暗誦あんしょうはやってもらうぞ。せっかく教えたことを忘れられたら、かなわないからな」

「わかりました。それも食事の後でいいですか? お腹がすいてしまって。腹が減っては、学問に打ち込めません」

 均はなかなか利発だ。そうして時間を稼げば、それだけ勉強の時間も削られる。

「それもそうだな」

 それには孔明も同意した。孔明も朝から何も口にしていなかったのだ。

 兄との交渉に勝利した均が山菜を切って調理に取り掛かったその間に、孔明は今日聞き知ったことを整理しようと思い立ち、書斎に移動した。その書斎は狭かったが、手作りの本棚が備え付けられていた。孔明は『論衡』の竹簡をそこに置くと、奏案そうあん(小型の文書机)の前に腰を下ろした。裏山の木々とせせらぎを望めるこの小さな空間が孔明が最も多く時間を過ごす場所だった。

 田舎いなかに引きこもる生活を送っていても、ある程度の時勢は知っておかなければならない。迫り来る危険を避けるためにも、乱世という時代を生き残るためにも、それは必要なことである。孔明は過去の反省からそれを痛感していて、時々襄陽を訪れては、学友たちと交友を持ち、得られた情報を整理して時勢を把握するのに努めた。

 先日も朝から襄陽まで足を運んで、書籍の複写をし、情報交換という名の座談会をしてきたところである。

 孔明は折りたたんであった帛画はくがの地図を草卓の上に広げた。絹布に描かれた簡略な中国地図だ。これは一番上の姉が嫁いでいる有力豪族の蒯氏かいしを通じて手に入れたもので、孔明は重宝ちょうほうしていた。

 こうして地図を眺めながら情報を整理した方がより的確に動きを把握できるし、想像力もふくらむ。孔明は聞き知った情報を地図上に投影した。

 地図の中心に描かれているのが、荊州襄陽である。

 孔明が叔父の喪に服していたこの一年間で、最も激しい戦乱の風が吹きつけたのは、実はこの荊州けいしゅうだった。そして、荊州府が置かれ、荊州ぼく(荊州長官)の劉表りゅうひょうが駐在しているのが襄陽である。襄陽は漢水のほとりにあり、漢水を挟んで北にあるのが南陽郡である。

 南陽郡は荊州の最北にあたる一方、旧都・洛陽らくようや代都となっているきょ県への道筋であり、戦略上の要地であった。だが、劉表の支配力が十分に行き届いておらず、この地を巡って度々争いが起こった。現在実質的に南陽郡の一部を支配しているのが張繍ちょうしゅうという人物で、皇帝を保護して権威を増した大将軍の曹操そうそうがこれを攻めた。

 劉表は曹操軍が荊州に雪崩なだれ込んでくるのを恐れ、張繍と合力ごうりきして曹操と対抗した。最新情報では、曹操軍は南陽郡のじょう県を包囲し、張繍軍を追い詰めていて、劉表は援軍を差し向ける準備をしているということだった。

 曹操と聞くと、過去の惨劇の記憶が頭をもたげようとしてうずく。

 しかし、孔明はいつものように思考を研ぎ澄ませて、それをどこかに押しやろうとした。孔明は地図上の襄陽に置いた指を下になぞって、長沙ちょうさ郡の上に置いた。

『それにつけ込むかのような荊南の反乱劇。これも曹操の戦略だろう……』

 建安三(一九八)年になって、突如、長沙太守の張羨ちょうせん叛旗はんきひるがえした。曹操が劉表の力をぐために手を回し、張羨を調略したのだと孔明は見抜いた。

 曹操が優れた戦略家であることは疑いようがないが、これには劉表の失策も絡んでいる。

仲景ちゅうけい先生を留め置いていたなら、こんなことにはなっていなかった……』

 長沙郡は荊州南部四郡の一つで、一年前の長沙太守は張仲景という人物だった。

 ちょうど荊南諸郡は疫病の猛威にさらされており、名医でもあった張仲景は政務のかたわら、太守府を開いて人々の治療を行い、声望を集めた。ところが、その最中に劉表の命よって召還されたのである。この措置に民衆が憤懣ふんまんを募らせたのは想像にかたくない。張羨は自身の野心に加え、その民衆の不満と憤慨を集めて叛旗に及んだのだろうが、

『あれだけ疫病で疲弊していたのだから、短期間のうちに大規模な反乱に育つことはないだろうけど……』

 孔明は長沙に滞在していた頃、その実情をつぶさに見ている。そして、『まさかあのお方もこの叛旗の中にいるのだろうか?』

 その時に出会った初老の武官の顔を思い出し、そう考えてみたが、想像が及ばなかった。

 長沙を指す指を今度は右にずらして、揚州に向ける。昨年、皇帝を称した袁術えんじゅつ孫策そんさくに断交され、曹操に大敗し、凋落ちょうらくの一途を辿っている。

 一方、袁術の下を離れた孫策は会稽かいけい郡を攻略して朝廷から会稽太守・明漢将軍の地位を認められ、江南・江東地方に確固たる地盤を得た。

 もちろん、それも袁術の勢力を弱体化させるための曹操の戦略の一端である。

『落日の袁術。旭日きょくじつの孫策……』

 長沙に隣接する予章郡にも朝廷から派遣された華歆かきんが太守としてあり、江南諸郡に曹操の調略と外交政策が明らかな効果となって表れていた。

 孔明の指が再び動いて、震沢しんたく(太湖)のほとりを指して止まる。

『兄上はどうしていらっしゃるだろうか。孫策をどう見ているだろう……』

 孔明の兄はきんといい、継母の故郷である呉郡に移った。兄が母に孝行を尽くしながら仕官を求めるなら、仕官先は現地の支配者・孫策と考えるのが妥当だ。しかし、兄と生き別れてすでに四年の歳月が過ぎた。一向に収束する様子のない戦乱のせいで、その音沙汰も知れない。

『叔父上が亡くなったこと、姉上が嫁いだことを知らせたいが……』

 孔明は微かな嘆息を漏らし、今度は上へ指をずらして、故郷・徐州を指した。

 陶謙とうけんの没後、徐州牧の座に収まっていた劉備りゅうびは助けたはずの呂布りょふの裏切りに遭い、徐州を失った。今は曹操の庇護ひごの下にあるという。曹操は呂布と対立していて、近いうちに衝突するだろう。

 故郷の徐州瑯琊ろうや臧覇ぞうはという武侠ぶきょうが支配しており、呂布にくみしている。

 諸葛家の親類は皆、瑯琊に残ったままだ。脳裏に親戚の顔と故郷の風景を思い出そうとしてみたが、どれもこれもかなりおぼろげに浮かぶだけで、今にも消えてしまいそうだ。

『まだ帰れるのは先の話か……』

 暗い未来に孔明は思わず目を閉じた。耳が激しくなってきた雨音を拾う。

暗澹あんたんたる世を輝かせる……光明こうみょうの龍……』

 稀代の人物鑑定家が最期に遺した言葉がよみがえる。

 孔明は立ち上がって、開け放たれた窓から外を覗いた。雨に打たれる森の木々にさえぎられ、空は見えない。どこからか雷鳴だけが聞こえた。

 漢代は天人相応てんじんそうおう説が政治や文化風俗に大きく影響を与えていた時代である。

 それは人為に対して天が反応するという考えで、雷については、落雷は悪いものを食べたことによる天の怒り、天罰だと信じられていた。

 王充は『論衡』にて疑義を呈す。雷に意志があるというのか。では、どうして天罰は夏にしか発せられないのか。食中毒の者にどうして雷は落ちない。落雷にあった羊を見た。良くないものを食べた食べないに関わらず、落ちる時は落ちる。

 太陽から発する陰陽二気の激突が雷の正体だ。だから、夏には雷が盛んになり、冬には静まるのである。落雷は単なる自然現象であって、そこに天意などありはしない――――。

「兄上、出来上がりましたよ。食べましょう」

 壁を隔てて弟の声が聞こえ、孔明はストッパー代わりの小枝を外して、窓を閉めた。居間の食卓には山菜ときのこを炒めただけ料理が一品置かれていた。米はない。

 孔明ははしを取って、その料理を口に運んだ。素材の味を生かしたと言えば聞こえはいいが、薄味の、非常にシンプルな味付けである。

「これは大丈夫なのか?」

 孔明が眉をひそめて、箸でつまんだきのこの安全性を尋ねた。以前、きのこ料理で痛い目にあっている。本物の雷に打たれることこそなかったが、その時は腹の中に雷鳴がとどろいて、下痢げりと吐き気が止まらなかった。

「大丈夫です。尋さんも高さんも安全だと言っていましたし、信じてください」

 均はご近所さんにも確認を取ったようだ。孔明は無言で小さく頷くと、それを口の中へ放り込んだ。芳醇ほうじゅんな風味が口内に広がり、芳香が鼻孔から抜けていく。

「それは兄上のようなきのこですよ」

 均の比喩ひゆに孔明は怪訝けげんな表情を浮かべながらも、きのこが持つ風味を十分に堪能して、それを呑み込んだ。均が解説を加えた。

「目立たず、毒もない。それでいて、非常に味わい深い。めったに見つからないそうですし、市で売れば、高値が付くそうです」

「そうだろうか?」

 まだまだ修行途中にあると自覚する孔明は自分の価値を計るつもりはない。

 だが、目立たないで無害でいるというのは納得だ。ようやく手に入れた平穏な日々。ただ世俗に溶け込んで、家族と苦楽を共にしたいというのが今の孔明の切なる願いである。かつての師、烏有先生も老子の言葉を理想とした。

 其のえいくじき、其のふんほどき、其の光をやわらげ、其のちりに同じくする――――。

 才能をひけらかさず、周囲と調和する〝和光同塵わこうどうじん〟の生き方こそ理想的である。

 悟りを開いた老子はそう言っている。


 孔明の今の師もまた、和光同塵を実践している一人である。名を龐徳公ほうとくこうという。

 龐徳公は襄陽の賢人で、孔明の姉のしゅうと(夫の父)にあたる。襄陽の東、魚梁洲ぎょりょうしゅうという漢水中の砂洲上に住まいを移し、隠者として悠々自適ゆうゆうじてきな生活を送っていた。

 孔明が龐徳公との知遇を得たのは荊州に来て間もなくのことだった。ひょんなことから龐統ほうとうという龐徳公の従子おいと知り合い、それがきっかけとなってその屋敷を訪ねた。龐徳公は孔明を特に気に入り、それが元で息子の嫁に孔明の姉を求めたという経緯があった。両家の婚儀は一年前に取り行われた。以来、孔明の方も定期的の龐徳公の邸宅を訪ねては教えを請うた。といっても、もっぱら龐徳公の話し相手になるだけなのだが、それがいつしかためになる話へと変わる。

 今も先日の話を新たに開墾した畑をたがやす龐徳公相手にしたところだった。

「阿参もなかなか面白いことを言う。わしはたとえるなら、このうりといったところかな」

 笠を目深まぶかに被った龐徳公は手頃に実った瓜を拾い上げて、そのつるを切った。

「それはどうしてですか?」

「瓜もくず蔓草つるくさだ。伸びた枝葉が互いに絡み合うようにして、こうして親戚になった」

 孔明はすぐにピンときた。葛は諸葛家のことだ。姉が龐家に嫁いで姻戚関係になったことを言っているのだ。〝瓜葛之親かかつのしん〟は親戚の縁に繋がることをいう。

「なかなかうまいことを言うだろう」

「はい」

 孔明ははにかんだ。龐徳公が畑仕事を一段落させ、孔明が立つ畑の端へ歩いてきた。そして、自ら育てた瓜を自慢しながら、

「これもきっと美味うまいに違いないぞ。後で持って行きなさい」

 それをざるの上に置くと、自作の竹椅子に腰かけた。

「はい。ありがとうございます」

「ろくなものを食べていないのではないかと、そなたの姉が心配していたぞ」

「お恥ずかしいことです」

 孔明が思わず笠のつばを下げて、顔を隠すようにして言った。その傍らで龐徳公は笠を取り、手ぬぐいで噴き出した汗をぬぐった。そして、「ふぅ」と一つ大きな息を吐くと、夏の日差しを受けて輝く畑の様子を見つめながら言う。

「親戚になったことだし、わしの真似事まねごとをするのもよいが、人はそれぞれ重んじるものが違うゆえに生き方も違ってくるものだ。そなたは何を重んじる?」

 不意に投げかけられた問いに孔明はしばし考え込んだ。

 孔明は疎開の旅路で見てきたこと、体験してきたことから、物事の枢要を見極め、様々な知識をバランスよく習得することが大切だと肌で学んだ。

 曹嵩そうすうは貴族だったが、その財力は彼を守ってくれなかった。趙昱ちょういくは温厚君子で、人々に慕われたが、それでも殺された。陸康りくこうも太守として民衆から信頼されたが、少々頑固すぎたように思う。笮融さくゆうは勢力を集め、己が欲望を実現しようとしたが、結局敗れて死んだ。

 己に安寧をもたらすのは莫大な金でもなく、高邁こうまいな徳でもなく、権威ある地位でもなく、相手を屈服させる武力でもない。逆に役立ったのは、老荘思想や医術・薬学の知識である。

「今、私が重んじるべきは様々な知識を学ぶことだと思います」

 必要なのは知識だ。学科や学派にこだわらず、様々な知識を集めること。世の中のことわりを追求し、真理を知り得ること。それらは少々の金や徳、地位や力にも換えられるだろう。

「うむ……。だが、ただ知識を溜め込むだけではいけないな。吐き出さねば価値も薄れる。許子将きょししょうに龍の大才を持つと評されたからには、もっと大志を抱いてみてはどうだ?」

 許劭きょしょうあざなを子将。三年前に世を去るまで、当代随一の人物鑑定家としてその名をとどろかせていた。彼の人物評は非常に的確かつ優秀で、それが仕官に大きく影響を与えるほどの影響を持った。曹操が世に出ることになったのも、許劭の評価にるところが大きい。

 そして、許劭はその人生の最期に少年の孔明と会い、その才能を「光明の龍」と評した。

「大志ですか……」

 そうは言っても、今の孔明には具体的な大志とやらを想像することができない。

 龐徳公がざるの上の瓜に手を添えながら、教えさとすように言う。

「瓜はせいぜい人の腹を満たし、のどうるおすくらいだ。平時なら、それでも良い。しかし、くずは薬になる。今、この国は病んでおる。戦の熱に侵されておる。必要なのは、その熱を冷ます薬であって、瓜ではなくて、葛なんだよ」

 龐徳公はこの戦乱の時代に必要とされるべきは、自分のような人に教授するだけの才能ではなく、人の痛みと苦しみを取り除く才能の持ち主なのだと言っている。

 孔明はその才を持っている。だからこそ、龐徳公は孔明を気に入ったのだ。

 そんな人物が自分と同じ様に民草と時代の中に埋もれ、いつまでも光を和らげていて良いはずがないのだ。

〝孔明〟というあざなの字義は〝はなはだ明るい〟である。

 自らその字を選んだのは、心の奥に世に出たいという気持ちが潜んでいるからだ。

 龐徳公が道を示した。

「国家の良薬になってみてはどうか?」

「国家の良薬……」

 孔明はそう呟くと、それ以上は言葉にならずに絶句した。龐徳公が告げた。

「焦らずともよい。今のそなたは龍は龍でも、飛び立つ前の臥龍がりゅうだ。我が家の鳳雛ほうすうと共に数年の間、知識を溜め込むがよかろう」

 そこに孔明の姉・れいがやってきた。時々玲は手伝いのために魚梁洲ぎょりょうしゅうに移り住んだ義父を訪ねてやってくる。夫の龐山民は襄陽の南、峴山けんざんの麓に住んでいる。玲と結婚したのを機に父の屋敷を譲り受けたのだ。玲は言葉を失って呆然とする弟を見て、

「元気がないわね。ちゃんと食べているの?」

 そして、抱えてきたかごしゅうとに見せると、

義父ちち上、これ、弟にあげてもよろしいですか?」

 と、聞いた。籠の中には畑で採れた数種類の野菜が詰め込まれている。

「もちろんだ。遠慮なく持って行きなさい。この瓜も忘れずにな」

 龐徳公はそれを了承すると、手に取った瓜を玲が持つ籠へ入れた。


 倒木と流木をそのまま門の形に組んだ龐徳公邸の門前で、孔明は姉から漢水で捕れた魚の干物と野菜入りの籠を背負わされ、恐縮して言った。

「いつもすみません。何だか物乞いみたいだな」

「親戚だし、肉親なんだから、遠慮なんて無用よ。お義父とうさんもああ言っているじゃないの。人の善意は素直に受け取らなくちゃ駄目よ。それに阿参は成長期なんだから、ちゃんと滋養あるもの食べさせないと」

 孔明が龐徳公邸を訪問する度に玲はお節介を焼いた。だいたい食糧の融通ではあるが、それは末弟の均を案じてのことだ。

「はい、わかりました」

「ちょっと重いけど、背負える?」

「ええ、大丈夫です」

「それと、これ。黄さんのところの、いつもの薬」

「ありがとうございます」

 孔明は姉に心から感謝した。姉を通じて得た龐家との瓜葛かかつの縁は孔明にとっても大きい。

 姉もすっかり龐家の生活に慣れたようで、幸せそうに見えたし、家長としてこの縁談を決定した孔明自身もそれが喜ばしかった。

「それじゃ、気を付けて帰るのよ」

 手を振る優しい姉の見送りを受け、孔明は龐徳公邸を後にした。

 その背に、その胸に、重く大きな贈り物を受け取って……。



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