#4 好きよキャプテン

「一月後、私らはまたここに来るんだ」


 屋台での買い物、軍艦見物、華やかな宵の街の散歩にすっかり満足した様子のタイガを引き渡した時、メジロセンリはそう言った。


「ニュースでも言ってるだろ。いい加減空を自由に行き来できない経済損失重く見ろってせっつく声が大きくなってさ、ワルキューレの出撃が決まったんだ。しかも太平洋校期待の大型新人のお披露目も兼ねてる。こりゃあ近くで見物しなきゃねってわけだよ」


 センリの言葉に私は頷いた。そういったニュースは確かに街中で浮かびあるビルボードのモニターから垂れ流されているので耳には入る。


「それに合わせてまた来るから、返事はその時でいい。私は結構気が長い方だからね、じっくり待つとするさ」

「うち来るといいですよ、チー坊。私も先生さんに拾われました。屋根のある家に暮らせて三食出て勉強もできます。がんばれば上級学校に進級できるそうですし、そうすると稼げる職につけます」


 屋台で買ったパチモンくさいぬいぐるみをコートのポケットに入れたタイガは、センリの腕にじゃれつきながらこっちにむけてニカッ笑う。


「チー坊がこっちに来たら女子も喜びます。うちの施設は男子が少ない。男前に飢えてます。チー坊なら入れ食いです。間違いなしです!」


 やっぱりタイガは私のことを男だと思い込んでいた。その発言を聞いてセンリは噴き出しくくっと喉を鳴らして笑う。その反応が意外だったのか、タイガは無邪気そのものの顔でキョトンとヨレたワルキューレを見上げた。


「私、おかしなことを言いましたか?」

「いや何。本当にお前は愉快だねと思ってね」


 センリはそう言ってタイガの頭をかき混ぜるように撫でた。その様子から、センリは私を女だと見抜いているのだとわかる。ただしそれを連れのタイガには伝えず伏せている。面白がっているのだろう。

 私もやはり伝える必要は感じなかったので、「考えとくよ」という社交辞令のみ口にして別れたのだった。


 ありがとうございましたあチー坊〜……、というタイガの声を背中で受け止める。そして私は歩く道すがら、振り返らずに考える。


 三食つきの屋根のある家、孤児を拾って教育を施す福祉ないし慈善の精神に満ちた機関。いいところに保護されたと、喜ぶ無邪気で健康な子供に薬を飲ませる施設。


 怪しい。どう考えても怪しい。絶対ロクな所じゃない。


 大体、浮浪児コチェビやってると美味い飯食わせるとか一晩夢みたいな目に遭わせてやるとかで危険な仕事を任されたことから、気が付けば人買いじみた連中に骨の髄までしゃぶりつくされるってことがざらにある。大陸東端のこの街ですらそんな話が供給過多でだぶついてるのになんで海を渡った先の弓状列島でそんな怪しげな施設の世話にならなきゃいけないのか。バカらしい。


 道すがら、センリが強引にポケットに滑り込ませた名刺を捨てようとして手を突っ込み、指先で紙の感触に触れる。

 そのままくしゃっと握りつぶそうとしたけれど、なんとなく躊躇われ、ポケットに手を突っ込んだまま裏通りに身を滑り込ませた。



 その後一月、冬将軍が活発に動き始めるまでの間にこの街でも色々あった。親分さんとこの兄さんが一人行方不明になったことがこの街で暮らすある種の住人の中で一番大きなトピックだった。

 私はその間に傘を地下工房に修理に出した。おっちゃん曰く、刀剣の修理は専門外だってことで父ちゃんの傘を元通りにするのはかなり難しいという。

 どうせなら今までと全く違う傘にしてみたらどうだい? と、ニヤニヤ笑いのおっちゃんに唆されて私は傘に仕掛けを用意することを了承した。うっかり零式を打ちたいなんてバラしてみたのが運の尽きだったのか、幸運だったのか。


 公衆便所の利用料を徴収し、アル中に密造酒を売りつけ、兄さん方の使いっぱしりで稼ぎ、冬が来るまでの一月を私はきっちり勤労と投資と蓄財に励んだ。荒事の方は予備の傘で間に合ったのが救いだ。 

 その間名刺はずっとポケットにあった。忘れてやろうと意識しなくても頭の片隅にちらとも浮かばない日を五日過ごしていたのに、何かの拍子にポケットに手を入れたせいで指に触れ、一気にあの日のことを思い出して元通り忘れるのに三日かかるなんて日々を繰り返しているうちに、約一月なんて簡単に過ぎる。


 そして私は、南の方からくる若様連中の前でで歌を披露する、という名目で兄貴分親分連中の前で呪われた顔を晒せと命じられたのだった。

 つまりそれは、今まではガキだからお目こぼししてやったけれどこれ以上気ままな便所生活は許さねえぞ、というこの街を仕切る側からの通牒を意味する。誇り高い個人事業主を廃業して街を仕切る連中の財産になれという話である。

 

 私はもうしばらくこの街にいたかった。

 実をいうと金をためて空き家でも手に入れて改装し、モグリで連れ込み宿の経営でもしてやろうというプランまでたてていた。

 だが、街は私が変化せねば居留は許さぬ、汚く滑稽な人豚ちゃんから美しい夜鳴鶯ナイチンゲールに脱皮して御殿で囀る籠の鳥をやれと言うのである。ならば立ち去るしかあるまい。


 

 ターニャ姐さんの亭主に簡単な別れを告げ、ちらちらと雪の降る通りを歩いて場末の古びたビルまで戻ると一見普通の部屋のそれにしか見えないドアを開けた。中からぬくもり過ぎた部屋の空気が塊になって飛び出してくる。

 円盤状のソフトやテープの並んだ棚でひしめき合う狭い部屋の真ん中に、カウチとモニターがある。姐さんはそこに座って趣味のドラマ鑑賞の最中だった。

 

「ただいま、姐さん」

「ああお帰り、リーリヤ。工房の方はどうだって?」

「ああ、順調みたいだよ。おれの傘の手入れを続けさせてくれたら姐さんからの仕事は勉強してもいいってさ」

「だったら納期が遅れるってことね。明日直接尻でも叩いてこようかしら」 


 ターニャ姐さんは古くて甘ったるいドラマを流しながら、魔女みたいに尖らせエナメルでコートした爪で宙に表示させたキーを叩いている。お得意様向けの目録をを作ったり、地下の有料サイトで流すためのプログラムを組んだり、デスクワークは結構多いのだ。

 暑いくらい温めた部屋の中で、ターニャ姐さんはむちむちした体つきと桃色味の強い肌を引き立てるような女らしい格好をしている。つくづくあんな亭主よりもっといい男なんかよりどりみどりだっただろうにって、私はターニャ姐さんをじっと見る。


「――何、じっと見たくなるほど私って奇麗?」

「姐さんなら指輪なんて月に一つ買ってくれるような男と所帯もてただろうになって残念になる程度には綺麗だよ」

「指は十本しかないんだから一ダースの指輪なんて邪魔よ、邪魔。指輪なんて大事なものが一つあれば十分」


 余裕めかしてターニャ姐さんは冗談を口にする。右手の方には自分の稼ぎで買った指輪をはめているが、左手にはなにもつけていない。ターニャ姐さんというのはそういう人なのだ。

 姐さんの冗談に笑ってみせてから、予備の傘を持ったまま本屋へ行くとだけ伝えた。姐さんは仕事の手をとめずに、行ってらっしゃいと告げた。



 動画屋の入っている低くて古いビルの二階に、本屋はある。

 動画屋がそうであるように、本屋もドアの外からではなんて事の無いただの古アパートの一室に見える。決められた回数ノックして、本屋の主から入ってもいいという許可を得てからドアの内側に入った。

 そこで見えるのは、数字だの様々な言語の文字だのイラストだのが表示された様々な大きさのワイプを宙にみっしり浮かべたチカチカ眩しい部屋だった。眩しいワイプの中心で文字やらデータやらを眺めてるのが本屋の店長のインさんだ。三十手前のひょろっとした漢韓圏出身の真面目で地味そうで銀行や役場にいそうな、前科持ちってものにはまるで見えない女の人だ。こっちを見ずに「小戚、お帰りー」とおざなりに挨拶を寄越す。


 電脳世界への窓だらけの部屋には、紙の本はおろか本棚すら見当たらない。

 本はこの部屋のとなり、古い段ボールが積まれた倉庫じみた部屋の中にある。古くて薄い紙の本がその中にみっしり詰まっているのだ。他にも男前のキャラクターがプリントされた文房具や缶バッジにちょっとした人形などのガラクタ、もといお宝も。どれもこれも、前世紀末から今世紀頭に流通していた漫画・動漫のキャラクターグッズだ。


 段ボールを積んだ部屋の中央にあるダイニングテーブルの前には、久しぶりに姿を見かけたユミコ婆がいて、私の方をみて上品にニッコリ笑う。

 ユミコ婆は本屋のバイヤーだから、月の殆どは海の向こうか大陸や半島のあちこちで見知らぬ婆さんの葬式を行脚し本の買い付けに精を出している。だから店にいて茶を淹れようとしている姿をみるのは随分稀なのだ。商売道具の喪服も脱ぎ、派手な色味の魔女みたいな服を着ている姿も懐かしい。


「元気そうねえ、リーリヤ。お土産にひよこ饅頭買ったんだけど食べる?」

「ありがとう、もらうよ。ユミコ婆も元気そうだね。掘り出し物はあった?」

「あったあった、大漁よ〜。さすが百十五近く生きたご婦人だけあって少女時代から集めに集めた薄い本で図書館ができそうだったわ」


 コンテナひとつ分の本が次の船便で届くから、とお茶を淹れがてらユミコ婆はインさんへ連絡する(それを聞いて私はちょっと申し訳ない気分にはなった。その詳細についてはもう少し後で)。


「私が死んでもこのトランクルームの中身の片づけは専門業者に任せろ、この中身をお前たちは見ることはまかりならぬと母は繰り返し申しておりましたが成る程……って喪主の息子さんが遠い目をされていたわ。あちらでは有名な企業の創業者の母上だったらしいもの。自分の趣味を死ぬまで明かさないなんて、あれかしら、こいうのも貞女の鑑っていいうのかしらねえ?」

「おれにそんな難しいこと訊かれても困るよ」


 椅子に座ってテーブルの上の饅頭を遠慮なく食いながら俺は答えた。

 ちなみに私のことをこのころ頑なに「リーリヤ」と本名で呼んでいたのはターニャ姐さんとユミコ婆だけだ。人豚ちゃん、みたいな下品なあだなを口にしたくありません! と、元詐欺師にしては大げさな美意識をユミコ婆は振りかざすのだ。


「そうそう、中にはリーリヤのいい人が出て来る本があったわよ。着くの楽しみにしてらっしゃい」

「いい! おれはああいう本は読まないっ」

「──ああそうだった。うっかりあなたの年齢忘れそうになるけれどまだまだ十八歳に程遠かったわね。ごめんなさい」

「十八歳過ぎててもおれは読まない! おれの爱人は男のケツに入れたり入れられたりはしないの!」


 口から饅頭のカスを飛ばす勢いでついムキになってしまった。そのせいか作業の手を止めずインさんがぶはっと吹き出す。


「ユミコ婆、小戚はすれっからしに見えて夢見る乙女なんだよ、うちの小説の有望なお客様候補だ」

「そっちも読まない。おれには別に爱人といっしょになりたいとか、甘ったるい台詞囁かれたいとかそういうのも無いから!」

「はーん、十歳のくせにもう性癖が固まってるとか面倒なヤツだなあ」

「やあねインちゃん、十歳の子供にそんな言葉つかうものじゃないわよ。せめて地雷が多いとかおっしゃいなさい」


 二人の大人は私をダシにして和んだ空気を出しまくる。ガキというよりおぼこ扱いされたことに私はムッとする。

 そもそもどうして、ここの本屋の主力商品である本や小説――百年近くまえの東アジアの女子たちが二次元の男前たちに惚れに惚れぬいて熱にうかされるように作りに作った大量の二次創作作品――に夢中にならないからといってこんな風に潔癖なガキ扱いされなきゃならないのだ。と、ふくれながら熱い茶に息をふきかけた。



 そう、一見しただけでは本が見当たらないこの本屋の売り物は、昔の漫画や小説、動漫作品にリアルで接した当時の娘さんたちが生み出した二次創作品だ。


 看板は小説、それも大昔の女子供の手による拙い物語だ。

 何十年も前に代替わりされて打ち捨てられた古い電脳世界の片隅に、放置され廃墟になった個人サイトの層からインさんはざくざくと少女の妄想が滾った小説を発掘する。詠み人知らず所か書き人知らずになったその小説を拾い、電子の本として体裁を整え拡張現実上の本屋の棚に並べるのだ。


 百年前の動画や動漫を好む愛好家っていうのは、隣近所だとか住んでいる区域単位でみると圧倒的に少ない。が、国単位や地球規模でいると結構な数になる。そしてそこに出てくる男前にガチ惚れしてしまうお嬢さんからご婦人読者っていうのもそれなりの数になる。

 けれども残念ながら、いつの時代もマジョリティーが食いつくのは最新のエンターテイメントだ。二次創作を作って楽しむ連中も最新作で活動するもんだし、百年も前の動画や動漫に夢をみる女たちの飢えを満たすほどの作品を生み出してはくれない。

 そういった連中は、電脳の海をふらふら泳いでいるうちにインさんが仕切る本屋に迷い込み、百年近く前にリアルタイムで書く作品にうつつを抜かしていた女たちが好き放題に垂れ流していた妄想の物語が納められたバベルの図書館に耽溺する。気が付くと上得意になっているというわけだ。


 そこから始まったのがこの本屋商売で、今でも本屋商売の核は個人サイトから発掘された小説の販売だ。

 インさんは人工知能の助手をひきつれて毎日毎日電脳の遺跡を掘り返しながら「ここから第二の『フィフティ・シェイズ・オブ・グレイ』を見つけてやる!」とよくわからないことを呟いている。でも最近の主力商品はいわゆる「薄い本」だ。


 きっかけは、小説の発掘作業の息抜きにインさんがとあるサイトの管理人の個人情報をおいかけてみたことにある。

 エンジニアとしてそれなりの腕があるインさんは、管理人が大昔に使っていたとっくにサービスの終わったSNSのアカウントを掘り当てる。今生きてるのかどうかは分からない、生きていたってきっともう百歳に近い女の子の呟きを目的もなくつらつらと目で追いかける。

 推しが可愛いすぎて辛いだ、天使だ、尊いだなどと頭の湧いた発言を追いかける狭間に、キャラクターグッズを購入しただのといった報告が差しはさまる。イベントとやらに参加して購入した「薄い本」の戦績とそのたわごとみたいな感想もある。自分が死んだあとはこの本の山をどうしようか処分に悩むといった、冗談交じりの呟きに目が留まる――。


 そこまできて、地味で真面目な銀行員にしか見えない前科者の脳裏にぴんとひらめくものがあったのだ。自分が今みてるものはひょっとしたら金の鉱脈ではないのかと。


 そこからインさんは知り合いの詐欺師だったユミコ婆を抱き込んで、新事業にのりだした。古いSNSの層から百年前に二次創作にうつつを抜かしていた今生きていると百歳前後になる女の子のアカウントを片っ端からリストアップし、アカウント主が現在使っているSNSと紐づける。彼女らが他界したという通知がはいり、葬儀はいついつ何処そこで執り行う……というお報せが書き込まれればそこからはユミコ婆の出番となる。

 

 百近く生きて往生したかつての少女の葬儀がしめなやかに行われている斎場に、上等の喪服と品のいい装身具を身に着けた上品な老婦人が姿をみせ、ハンカチで目頭をぬぐいながら喪主へ楚々と頭を下げる。

 女学生だった時、年齢が随分離れていたにも関わらず○○さんとは仲良くさせて頂いて……。ニュースサイトの訃報欄で懐かしいお名前を見かけていてもたってもいられずご焼香だけでもとこうして参りました……等と、その土地や宗派に合わせたお悔みを口にしながらそこそこの額を包んだ香典をさしだす。

 まるでどこかの奥様のようなユミコ婆が、よもやまさか故人のお宝を狙いに来た泥棒だと喪主達の多くは気づかない。うちの婆さんにこんな上品な知り合いがいたなんてな……と気を呑まれているその隙にユミコ婆は恥じらいを潜ませながら囁くのだ。


 実は生前、奥様とは約束しておりましたの。私と奥様は娘時代に、その、趣味で漫画を制作し、同じような趣味の仲間たちが作った漫画を売り買いする仲間だったのです。でもその趣味を互いの家族には秘密にしておりましたので……。私の死んだあと、蔵書はあなたに譲るわって互いに約束していたんです。勿論、娘時代の口約束ですので法の拘束力といったものはありませんが……。


 ここで、ああそういう──と、ピンとくる遺族がいたら即座にユミコ婆のカモとなる。

 上品な口調と恥じらいを含んだたたずまいと巧みな話術でユミコ婆は「そんな本、自分たちが持っていても仕方ないし処分の仕方も分かりませんからあなたにお譲りしますよ」と言わざるを得ない流れと空気を遺族の間に作るのだ。そしてちゃっちゃと百近くまで生きた婆さんのお宝を掠めとる。掠め取った本は海を渡って本屋に届き、顧客に売られる。もしくはオークションに出す。

 薄い本も大半は単なる古紙の束だが、高名な漫画家のアマチュア時代に出した本といった、サザビーズのオークションに出されてもおかしくないような本物のお宝が混ざっていることもある。だから少なくない香典を投じても惜しくない程度の儲けになるのだ。

 またこの種の婆さんの中には当時集めたグッズや雑誌の切り抜きをマメに保存しているのも少なくなかった。これはこれで相当な貴重品だ。


 こうして小説の発掘をきっかけに宝の鉱脈をみつけたインさんとユミコ婆の本屋は儲けに儲けていたわけだった。


「でも、海の向こうでの商売はそろそろ引き時ねえ。同業者が増えちゃって、朝の情報番組で故人の宝物の価値が分からなかったために詐欺師に無料で譲り渡してしまったという被害の報告が各地で相次いでいます~、なんて注意喚起されるくらいだし。そろそろ大陸と半島に河岸を変えるころじゃないかしら、インちゃん」

「だねえ。……となると、うちの顧客のお嬢さん方の間の流行も弄る必要があるかなぁ。これからは2020年代の大陸産ゲーム二次作品の時代です~、とかなんとか」


 電脳世界での仕事を人工知能に任せたインさんもこっちの部屋で休憩する気になったのか、こっちにやってきて饅頭を食いながら茶をすする。私は地下本屋の作戦会議を聞くともなしに聞いていた。

 二人の話がまとまったタイミングで、インさんがようやくこっちに話を向ける。


「で、あんたはどうしたの小戚? 姐さんからお使い?」

「違うよ。私用で来たんだ」


 この本屋の名義上のボスはターニャ姐さんだ。動画屋の名義は姐さんの亭主だが、本屋は純粋に姐さんのビジネスってことになる。

 インさんは元々ターニャ姐さんのデスクワークを手伝うために雇われたって経緯を持つ人だけど、動画屋の一部の顧客の傾向を解析し、それと趣味の電脳廃墟探索を融合させた本屋って新たな商売を作り上げた。その商才を姐さんから見込まれて、本屋の店長としての差配の一切を任されているのだ。


 そんなインさんに、私は資産運用を任せていた。


「こないだ買ったカード類、全部売っぱらうことできる?」


 亡くなった婆さんがかつて活動していたジャンルの関係で、インさんの本屋では扱わないような当時の男児向けのおもちゃやお菓子のオマケだとかカードやなんかが店の中に入ってくることもある。それはそれで別の市場では貴重なお宝だから、私は日々の労働で得た稼ぎでそれを購入し、インさんに頼んで適切なタイミングでオークションに出すなどして利ザヤを稼いでいた。百年前の宝物への投資生活はお陰様で順調で、浮浪児コチェビにしてはそこそこの財産を有する身にはなっていた。

 この金をもう少し増やして、ゆくゆくは連れ込み旅館でも商いたいという私の計画を知っていたインさんは、だから目を少し丸くする。


「なんで? あの辺はもうちょっと待てばもう少し高くなるよ? 今売るなんてもったいない」

「時間が無いんだ。一週間後までにちょっとまとまった資金が入用になった」


 インさんだけじゃなくユミコ婆まで、茶を飲む手を止めてこっちのほうをじっと見る。機を見るに敏じゃないとやってられない商売に手を染めてる二人だから、勝手に何かを察していたのだろう。


「なんだか穏やかじゃない話っぽいねえ」

「正直その通りだよ。――ねえ、ユミコ婆、メジロなんとかって福祉団体の噂って聞いたことある?」


 ポケットからセンリからもらった名刺を取り出して、海の向こうの事情には通じているユミコ婆へ差し出した。目をすがめながらユミコ婆は名刺の文字を読み上げ、それをのぞき込んだインさんも素早く何か検索しだす。


「そうねえ……。戦災や災害で親兄弟を失くした孤児を保護している団体ってことになってるわねえ。表向きは」

「メジロセンリって……クラカケセンリじゃないの? ワルキューレ第一世代の」


 ほい、といってインさんが指を振るとテーブルの上に中学生くらいの少女の姿が浮かんだ。ブレザーの制服に白衣を引っ掛けた黒髪の女の子が、奇妙な機械から妙な光線を発射して侵略者を退治する動画が繰り返し再生された。黒髪をなびかせたその少女は、私には動画や動漫でしか縁がない「委員長」って生真面目で潔癖なキャラクターと大差ないように見えた。あのヨレて据えた雰囲気のメジロセンリとはだいぶ趣が異なるが、顔かたちは間違いなくあの女だった。

 だから私はインさんに向かって頷いた。


「うん。たぶんこいつで合ってる。おれ、一月前にこいつに合ったんだ。いろいろあってうちのとこに来ないかって誘われた」


 もうちょっと詳しく説明しろ、とインさんがイライラを潜ませながら言うので、私なりにこれまでの経緯を説明する。

 メジロセンリと名乗るワルキューレに会ったこと。そいつにメジロなんとか会なる福祉団体に身を寄せないかと誘われたこと。最初は無視するつもりだったが、姐さんの亭主が指輪代が欲しいがために私のことを兄さんに売っぱらい、亭主の兄さんから一週間後に南の方からやってくる若様の前で歌を披露する仕事をもちかけられたこと。

 この仕事を断ったとしても、兄さんおよび親分さんがヤスミンとセルゲイの娘はそろそろ市場に出し頃だとこと判断した以上、似たような仕事は次から次に持ち込まれる筈だし、それ以上に兄さんか親分さんの用意した籠に入れと持ちかけられるのも時間の問題だ。そんなことになったこの街にこれ以上いても仕様が無さそうだと判断せざるを得なかったこと。

 だから、怪しいワルキューレの誘いにのったふりをしてこの街を出て行くつもりだという算段をしてるということ。


「そんなわけで、おれ一週間後にはこの街にいないから。あと、そのついでにやることもやっとく予定なんだよね。その結果どうしたってここの親分さんや兄さん連中を激怒させるのは必至だし、その巻き添えでインさんとユミコ婆に迷惑かけちまう可能性がかなり高いから一応知らせておこうと思って」

 

 今までありがとうございました、あと、ごめんなさい、と言って私はぺこんと頭を下げた。

 

 茶を飲みながらの私の説明を聞いていた気楽なインさんとユミコ婆の表情が、徐々に焦りを含んだものへと変わってゆく。


「一週間後……っ?」


 小さい目を最大限見開いてインさんが私の顔に顔を近づけた。その上で拳をぐりぐりと私のこめかみに押し付けてきた。結構痛いがそうするのも無理はないので私は大人しくされるがままになる。


「あんたが何をするつもりなのか知れないけど、一週間であの本の山を担いで拠点を移せって言うの……っ? あははは、面白いことを言うなぁ小戚は~っ?」

「だからごめんってば、インさん。言い訳になるけど、おれもこんなことになるとは思ってなかったんだよね」

「あらあら困ったわね~、さっき言った船便の荷物をどうしようかしら」

「ユミコ婆もごめんね。さっき話を聞いた時はだからヤバっと思ったんだよ」

「っか~、物理商売はこういう時にとっさにうごけないのがネックだよなぁ、こんちくしょうっ」


 頭を掻き毟りながらインさんは立ち上がり、通話アイコンを表示させた瞬間、なにかに気づいたらしく椅子の上の私を見降ろした。


「――小戚、この話ターニャ姐さんには話してるよね?」


 話してないよね? の方が正解な顔つきでインさんは訊ねた。流石にいい勘だ。嘘をついても仕方がないので私は首を左右に振る。するとインさんは遠慮なく私の頭を叩いた。


「そういうことを通すのはまずボスからだろうがっ!」

「――インさんから説明してもらおうと思ったから――」


 頭をさすりながら私が言うと、目を吊り上げたインさんは食って掛かる。


「はあっ、なんでそういう意味の分かんない無精をするかね、あんたはっ?」

「insiderのインさんには、この件が姐さんに通していい情報かよくない情報かの判断がつけられると思った。おれ、ターニャ姐さんと付き合いが長い分、却ってそこんところの見極めに自信が持てないんだよ」


 インさんの〝イン″はinsiderの〝イン″である。インサイダー取引ってやつで荒稼ぎして豚箱に入れられた経緯にちなんだ仇名だ。ある情報を流すべきか流さざるべきか、その見極めが出来る人だと私はインさんを評価していた。


 ターニャ姐さんと私の仲は良好だと言える。親の代から世話になっていたし、母ちゃんと父ちゃんがあんなことになった時には心から泣いてくれた。母ちゃんをあんなにした連中に呪いの声をあげていたし、父ちゃんがお大尽に報復したことを知っては自分のことのように喜んでくれた。私が自分の顔を壊そうとして奇行に走っていた時も泣いて止めてくれた。情の濃い、優しい姐さんなのだ。

 でもその情の濃さはあの情けない小便垂れの亭主にも向けられている。あんなやつでも亭主はこの街の親分から動画屋の経営を任せられてる立場だし、そしてなにより姐さんは動画屋のマダム以外のものになる気はないときっぱり言い切る人なのだ。


 もし私が先に「一週間後にこの街を捨てていく予定で、その際には亭主の兄さんや親分さんの顔に思いっきり泥をなすりつけていくつもりだからどうしても姐さんには迷惑をかけちまうよ」と明かしていた場合、姐さんは黙って私のしたいようにさせてくれていただろうか。

 頭も風采も悪い癖に内緒で指輪をプレゼントしようとするだなんて猛烈に可愛い所があるのがとにかくタチの悪い亭主、この街を仕切る親分さんからも信用の厚い動画屋という天職、それを投げ打ってまで私のしようとすることを許してくれるだろうか。ひょっとしたら兄さんか親分さんに私のことを垂れこむのではないか――。


 私にはその点がどうしても自分で判断つけられなかったのだ。

 正直に言うと、怖かったのだ。もしターニャ姐さんを信頼して打ち明けたがために私も母ちゃんのように籠に閉じ込められる羽目になったら――と、想像すると情けない話、身がすくんで仕方がなかった。

 籠に閉じ込められるのは怖い。それよりも、信じていた人間に、未来に、「はい残念でした~」とばかりに裏切られるのはもっと怖い。


 しかし私の言葉は足りなくて、インさんにはこのニュアンスはあまり伝わらなかったみたいだ。はーっ、とイライラを隠さずにため息をつく。


「ったく、なんだよ。子供のくせに水臭いこと気にして……! どっちか言うと自分よりあたしらの方が先にそんな大事な話を打ち明けられた方がショックうけるんじゃないかね、うちのボスは!」


 銭ゲバのハイエナみたいな性分の癖に、インさんが珍しく人情ってものを感じさせる言葉を口にする。確かにそんな気はしたけれど、でもどうしたって自信はもてないのだ。

 ぷんすかするインさんをまあまあといなして、ユミコ婆はふくふくした一見優しそうな顔に心配するような表情をにじませる。


「でもねえ、リーリヤ。考え直すのもアリだと思うわよぉ?」

「――なんで?」


 冷めたお茶の入った茶碗をくるむように持ちながら、ユミコ婆はしばらく言いよどむような間を開けてそしてようよう口を開く。


「まあ、都市伝説っていうか子供の噂みたいなものだから話半分に聴いて欲しいんだけど、メジロって団体に関してはあまりいい話を聞かないのよ。身寄りのない子供を集めて人体実験をしてるって話が二十世紀頭から消えないような所なの。今じゃ人造のワルキューレを作ってるなんて話がささやかれてるのよ?」

「人造ワルキューレぇ? なんじゃそりゃ、漫画や軽小説ラノベじゃあるまいし」


 突飛な単語に私へのいら立ちを一瞬忘れたらしいインさんが食いついた。

 確かにそれは漫画じみた響きのある言葉だった。

 ワルキューレになれるかどうかは、生まれ持った資質が左右する。どれだけ努力しても資質が備わってないやつには血反吐吐いて頑張った所でワルキューレにはなれないし、反対にワルキューレになんぞなりたくないと思っていてもとんでもない資質があることが判明すればやれ地球と人類を護れって脅迫じみた勢いで役人から迫られるものだって、半ば常識になっている。


 けれども私の仲ではその時すとんと腑に落ちるものがあった。

 人狼めいた侵略者を相手にした時のタイガとセンリのやりとり、「未だワルキューレではない」といった趣旨のタイガの発言。それは荒唐無稽な都市伝説にぴたりと一致するものだ。


 どうにもこうにも怪しい団体だとは思ったけど、なるほどなるほど。


 ただそれを表にださず自分の腹の中に一旦収め、しばらく経ってから本屋を後にした。



 それから三日、表面上は平穏に過ぎていった。

 インさんが私のことを伝えたかどうかは、ターニャ姐さんの様子からはうかがえない。あくまでも姐さんの態度は普段通りだった。けれど、たまに店に帰ってくる姐さんの亭主の態度がこっちをみてびくびくしたり、こっそり手招きしたりしては「あのことターニャには言ってねえだろうな!」と小声で確認してきたりとあからさまに怪しいのでイライラとヒヤヒヤのし通しだった。


 そんな日々を過ごしている間にも傘の改造が完了する。

 おっちゃんの考案で、小さな礫を連射する式に改造された傘は前回に比べて大分軽く、扱いやすくはなった。けれども今までとはまるで違う使い方と闘い方をしなきゃならなくなったことは変わらない。

 

 本番までに使い心地を確認しておくか、と、私はねぐらのある公園へ向かう。


 軍港の傍にあり、停泊中の軍艦を眺められるこの公園は暖かい時期には地域住民の格好の憩いの場だけれど、冬将軍の声が聞こえる時期にはひたすら閑散としているだけだ。重油の混ざった海水の匂いが漂い、隣接するテニスコートももぬけの殻。

 あの日あの時、母ちゃんと再会した祭の賑わいが嘘のようだ。

 

 人目を避けるように、ねぐらである便所の床で転がるアル中の密造酒をうりつけた後、何気ないつもりで浄化槽の蓋を見下ろす。あの時、母ちゃんが這い出たはずの穴を塞いだ蓋を傘の先で無意味にこつこつと叩く。


 傘の柄を掴んで振ってみたり、おっちゃんご自慢の仕掛けの仕上がりを確認するために植木に向かって礫を連射してみたり(反動も少なく鉄の棒を打ち出すよりは確かに便利)、ばさっと傘を広げては閉じてみたり。ひとしきり使い心地を確認した後、傘を抱えて外壁にもたれて座り、目を閉じた。この傘を使って敵と相対したときはどうすればいいのか、そのイメージをつかんでおくためだ。


 歌を披露する日はもう四日後だ、今までとは勝手が違う傘に慣れとかなきゃいけない。それができなきゃ私は母ちゃんと似たような身分になる――。

 

 そうしてしはらく経った後、父ちゃんの形見の傘を抱く手に力が籠った。こっちに近づく足音が聞こえたからだ。

 アル中のそれではない、軽快で楽しげな一定のリズムを刻む足音。それがまっすぐにこっちに近づいてくる。こころなしかそのリズムが徐々に早くなる。歩いていたものから駆け足に――。


 母ちゃんのことを思い出して気が立っていたからか、あと数日で傘を使いこなさなきゃってプレッシャーからか、足音が傘の攻撃圏内に入った瞬間には動いていた。中腰になって傘の柄を足音の主までまっすぐに突く。

 予想ではそいつの胸を突き通していたはずなのに手ごたえはない。後ろへ退いたか、それじゃあ──とおっちゃんに仕込まれたばっかの傘の仕掛け助けを借りて礫を連射する。


「うわっ!」


 そいつはここで初めて声をあげた。その瞬間、傘を持つ私の腕に、ずん、と重みが伝わった。これに驚いて私は目を開ける。

 目に入ったのは私の傘の上に鷺みたく片足で立っている小さな人間の影だった。それには流石に目を瞠らずにはいられない。でも私のその反応すら遅いと笑うかのような素早さで、そいつは傘の上からぴょんと跳ね上がった。その上くるりと余裕気に宙で一回転し、あっけにとられる私のとなりに着地する。


 一月前のピーコートに加えて、マフラーや何かで防寒対策をしまくって着ぶくれた、それはタイガに他ならなかった。口からやっぱり飴の棒をはみ出させてニカっと悪びれもなくあけっぴろげに笑って見せたのだ。


「なにすんだよ、チー坊。手荒い挨拶しやがって。びびんじゃねえか」


 一月経つとタイガの口調は随分流暢ではあるが、反面ひどく雑になっていた。それでも無料翻訳システムを通過してる声であると証明するように音声に特有のブレがある。片言でない日本語が喋れるようになったということなのだろう。


「つかなんだよその傘、超カッケェ。マジカッケェ。ちょっと貸してくんねえ?」


 たかだか一月で外国語を流暢に喋れるようになったわけだからバカではないはずなのに、語学の先生の教育が悪かったのかタイガの言葉を翻訳システムがバカ丸出しの言葉遣いで訳してしまう。そのせいで、もろもろの事態に正しく驚き戸惑うことができなくて私は混乱してしまう。

 私の傘の突きを逃れただけでなく、傘の上に一瞬片足だってみせるという身体能力にも目を瞠るが、そもそもなぜどうしてここにこいつがいるのだ――。


「ん? ビビった? なんでここにオレがいるのかってのでチー坊ビビった? あんとき先生さんが言ってたじゃん。一月たったらまた来るって」


 雰囲気と間合いで私の驚きを悟ったらしいタイガが人懐っこい笑顔でそう答える。確かにあの日から一月近く経ってはいた。

 でもだからどうして、私がいる場所がわかったのかという驚きはぬぐえない。


「いやさあ、こっちの街についてからガラの悪そうな兄さん捕まえて聞いて回ったんだわ。綺麗な顔してるくせに汚い恰好してるチー坊ってガキんちょ知んねえって?」

「――なんちゅう訊き方してくれてんだよ……?」


 ようやく私は声を出すことが出来た。が、タイガは全く頓着せずに話をつづけた。


「ああそりゃ、シャオチィイーのことだろ、公園の便所で待ってりゃ見回りに来るだろって教えてくれた兄さんがいたんで来てみたんだよ! いや~、よかったよかった! こんなすぐお前ともっかい会えるなんて運がいいや」


 タイガは私の両肩をばしばし叩いてニカニカとあけっぴろげに笑ったが、私は気が気ではなかった。この街の兄さん連中に、私が妙な外国人の子どもと接触しているとバレるのはあまり歓迎すべき事柄じゃない。そんな焦りが当然湧く。


「にしても……なんだよ、チー坊。その傘超シビぃじゃん。お前そんな技もってたのかよ、お前顔も綺麗だし最強じゃん。無敵じゃん。余裕で天下取れんじゃん」


 猫目を細めてタイガはまた私の顔を無邪気に褒めたたえる。それで気が付いたのだが、顔を隠していたフードが半分ほどずれていた。慌ててそれをひっぱり降ろすと、あからさまにタイガは残念そうな顔をする。


「えー、なんで隠すんだよ、勿体ねえ」

「勿体なくない。この顔はそんないいもんじゃないっ」


 もろもろの動揺から私の声はずいぶんムキになった、人によっては脅えたと受け取られないかねない情けないものになってしまった。目の前にいる外国人のガキが「脅えた」と受け取ったのは、猫目を開いたそのきょとんとした表情で明白だった。


「? なんで?」


 ひょい、とタイガはいとも容易く間合いをつめて、腕を伸ばし私のフードをあげた。そして真正面から顔を覗きこんできた。あっという声すらあげられない素早さだった。

 とっさにフードを取り替えそうとした手を封じるように、おおきな猫目でまっすぐ私の顔を覗き込み、じろじろと眺めまわす。その後に、にいっと何が嬉しいのか満面の笑顔を浮かべたのだ。


「やっぱな! チー坊お前すげえ綺麗だよ、オレが見てきたどんな姐さんや兄さんよりもお前が一番綺麗だって! こんな綺麗な顔のヤツ初めてみたわ〜風呂に入ってりゃ最強なのになーってあん時思ったオレの目に狂いは無かったね」

「……っ」

「だから隠すなんて勿体ねえって! 全世界に見せつけて生きろって! お前らこんな綺麗な顔見たことねえだろ、見てるだけでポーッと夢見心地になるだら、だからおすそ分けしてやるよって、デカイ口叩いても神様が特別許すくらいの価値はあるぞ、マジで!」

「…………っ」


 こいつは何を言ってるんだろう?


 肩を掴まれ目をキラキラ輝かされ、至近距離で唾を顔面にまき散らされながら何度もなんども忌憚なく綺麗だ綺麗だと褒め讃えられ、情けない話だが私は思考停止に陥ってしまった。

 自分の顔が美男美女だった親のいいとこ取りなのは知っている。齢十一に満たないのに、大人連中から商品かつ財産になるとみなされている価値ある顔なのも知っている。美女だった母ちゃんは自分の美しい顔と声のせいで不幸に陥ったことも嫌という程知っている。


 私の顔なんてそれきりの価値しかないことを知っている、つもりだった。


 なのに目の前の見るからにバカそうなガキは、私がすでに知っている単なる事実を大声で大げさに連呼した上に、ヒヒーっと照れたような笑みを浮かべるやまっすぐに舐めたことを言ってのけたのだ。


「正直さあ、オレもう一回お前に会いたくて先生さんについてきたんだぜ? こんな顔が綺麗で親切で初めて会うガキに黙って飴買ってくれるようなカッコいいやつ、オレ初めて見たもん。だからもう一回もっかい会いたかったんだ」


 気を呑まれている間にまた肩を掴まれて、鼻と鼻の先が触れあいそうな距離まで顔を近づけられる。


「ひょっとしたら、チー坊とこの街一緒に歩いたの夢じゃねえかと思ってたんだぜ? でも良かった、お前ここにこうしているんだもん。こうやってまた会えたもん」


 至近距離の大げさなサービスの大盤振る舞いに、身の内がかああっと熱くなってしまう。

 私はそれなりに大人の汚れた世界ってものにどっぷり浸かって生きてきたから、男が女を、女が男を食い物にする時はまず褒めて褒めて褒め倒していい気分にするってことはよく知っていた。ちょうどタイガがやった風に、やたらめったら持ち上げ倒すのだ。

 だからこの、かああっと熱くなる感覚は私相手に舐めた真似をしてくれたという無礼への怒りだと思おうとしていた。

 だのに、怒りには素早く反応できる筈の体がなかなか自由に動いてくれない。


 タイガに顔を近づけられて棒立ちになる私を動かしたのは、ぶへへ、という些かしまりのない笑い声だ。

 便所の中から私の店子が顔を覗かせ、赤ら顔をゆるませ楽しげに笑ったのだ。


「うちの業突く張りのチビ大家が女の子に褒められて真っ赤になるたあ、こりゃあ珍しいもんを見ちまった」


 金縛りが解けた後の行動は早い。私はそいつへ向けて傘から礫を数発連射する。おおくわばらくわばら、と店子は身をすくませたがそれでもニヤニヤ笑いは消さない。

 また腹の立つことに、タイガが私を冷静に諌めるのだ。


「こらこらチー坊、いくら綺麗でもじーさま相手にそういうことすんのはよくねえぜ?」

「うるさいっ、お前がバカなこと言うからだろ!」


 その時には私は完全にムキになっていて、タイガから距離を取り傘の先を向けている。ようやく怒りが私の体に攻撃を許可するというスイッチを入れたのだ。かああっと熱くなった衝動に突き動かされ、傘の先をつきつけて凄んで見せた。


「あんまり適当こきやがると金角湾に身元不明のガキの死体がいっちょ上がることになるけど構わねえのか、ああンっ⁉︎」


 焦りからこういう、近在の兄さん方由来の荒い言葉なども発してしまうわけだ。しかしタイガはやっぱり私の動揺が理解できないみたいで猫目をきょとんとさせ、その直後やっぱりニイ〜っと笑う。


「そういう凄んだ表情も悪かないぜ。綺麗なヤツは何してもキマるな」

「――ッ」


 よーしこいつは金角湾に浮かぶ身元不明のガキの遺体になりたいらしい、と判断した私は傘を握り直して構えた。それを見てタイガは、「牙突?」と小さくつぶやいたけれど、構わずに私は体に爱人を降ろした。地を蹴り突進し、突きを繰り出す。タイガはひょいとそれをなんなく躱すと私は追撃し傘を横へ薙ぎ払う。そうするとようやくタイガも顔色を変えて、傘を片手ひょいといなすと私の懐に飛び込んでくる。その手がコートの裾に潜りこんでいる――。それを見こして私も傘の柄を素早く外した。


 ぎんっ、と傘の柄に仕込まれた仕込み刃とタイガが腿のホルダーから取り出したナイフがぶつかって音を立てた。


「っぶねえなあ、何すんだよっ」

「うるせえ! 手前がしょうもないことくっちゃべるからだろうが!」


 刃物と刃物をぶつかり合わせてつばぜり合いを演じた後、ロクでもない場所でロクでもない育ち方をしたガキ二人は寒空の下で何をしたかというと、まあ単なる鬼ごっこだ。私が鬼になってちょろちょろとすばしっこいタイガを公園中駆け回って追いかける。私が本気でタイガをぶち殺す気でいた点が子供の遊びにしてはやや物騒だったが、傍目にしては呑気なガキの戯れにしか見えなかっただろう。便所の店子のおっさんが、ぶへへ、と酒瓶片手に笑ってタイガをなかなか仕留められない私を見てにやにや笑っていたから。


 三十分から小一時間そうしていたら、タイガの方も息が上がってきたのか、ちょっとタイムと言って立ち止まり、コートを脱ぎもこもこしたマフラーも取り外した。ブレザーとチェックのスカートという制服の女学生みたいな恰好になる。スカートの下、腿に装着しているホルダーにナイフを無造作に仕舞いながらタイガは息を整えた。


「――なあ、チー坊は明日もここに来るの?」

「――それが、どうしたんだよ……っ」


 悔しいが私の方が息の乱れが激しかった。装備を解いた今なら仕留められてるのに――と歯噛みするが、傘を持ち上げる気にすらならなかった。


「じゃあ、オレ明日もこの時間にここに来るわ。でさ、今日の続きをしようぜ?」

「はあっ? ふざけんじゃねえ……っ」


 ニイ〜っと笑う表情からしてタイガはこの茶番を楽しい鬼ごっことしかみなしていなかったのは明らかで、少なくとも本気でムカついてた私はいたくプライドを刺激された。でも悔しいことに息が上がりすぎて何も言えない。傘を杖にして、立っているのが精いっぱいの所まで疲れきったのだ。

 おれはおまえみたいに暇じゃない、仕事も難題もかかえてるのに、呑気にかけまわってられない――と言いたかったのにそれすらままならない。だから、せめて目でぎりぎりと睨みつけた。


 私の渾身の一睨みをタイガは好奇心できらきらさせた猫目ではねのけ、思わぬことを訊ねてくる。


「なあ、チー坊はあのサムライの動漫好きなの? さっき牙突の構えしたろ?」

「――っ、それが……っ?」

「オレも好きだぜ。つってもオレの居たとこじゃ偶にしか見られなかったけど。オレはあの包帯でグルグル巻きの悪もんが好きだったな。渋くってさ。本気で天下取り狙ってた所とかオレの兄さんにちょい似てた」


 バカにしてくるのかと身構えたこっちが気を抜かれるほどあけっぴろげで素直な笑顔で、タイガはそう言った。手にコートやマフラーをかかえて、んじゃあ明日な~……と一方的にいい捨てると、たったかたったか身軽に走り去る。本気の私から逃げ切った上にまだ余力を残しているというのを見せつける走り方だ。

 なのに、言動が完全に子供そのものだ。好きな動漫の話題。明日遊ぶ約束。なにもかも、私の知らない子供の世界のそれそのものだ。


 タイガの姿が見えなくなってから、その場にばたんと倒れた。あおむけになって鈍色の空を見上げて私はやけくそになって「わあああああっ!」と叫ぶ。

 そんな私を、便所の店子がやっぱり ぶへへ、と笑った。

 昼日中では空にいる侵略者は寝ているようで、鈍色の雲を透かすとぼんやりした太陽とまるで区別がつかない。



 

 その後の四日もそんな調子で過ぎた。

 本屋は夜中にこっそり荷物を運びだし始めていたが、ターニャ姐さんは普段通り動画屋のマダムとして辣腕をふるう。

 店に姐さんの亭主が注文した指輪が入る日には亭主の兄さんと交渉してボーナス込みの金を首尾よく手に入れる。亭主はその金で指輪をちゃっちゃと購入したはずである。あの足りない頭で余計なことをしてくれていないことを私は祈るのみだった。


 その間ずっとタイガは宣言したとおり、午後になると公園の公衆便所の前で私を嬉しそうに待っていた。そして気のすむまで公園を二人で駆け回った。

 最初は本気であの外国から来た猫目のガキをしばきまわすつもり満々の私だったけれど、こんなじゃれあいのお陰で傘の扱いに慣れてきたことに気づかないわけにはいかない。

 それが癪だから一度すっぽかしてやろうとしたけれど、そういう日に限ってちらちら雪が降り始めたりするものでどうしても気になってしまい、傘をさして公園に行く。すると便所の壁にもたれ、店子のアル中じいさんに温い飲み物でもおごって雑談しながら私を持っていたりする。ここまでくるともう呆れるしかなかった。



「リーリヤ、最近あんたに友達ができたそうじゃない?」


 ターニャ姐さんがそう言ったのは私が歌を披露することになった当日だ。動画屋店内はいつも通り、円盤やテープの位置もそのままでなにからなにまで普段通りだ。本屋の二人は今はもう親分さんの縄張りの外にいるはずだ。インさんからのタレコミがなくても、ターニャ姐さんは自力で何かを察しても不思議ではない。

 私はカウチに体を丸める格好で寝ていた。締め付けられるようにキリキリする腹を守るような態勢で。


「このあたりでは見かけない子供と公園で駆け回ってるって」

「ワルキューレの侵略者退治見物に来た気楽な外国人だよ。ちょっとした縁で知り合ったんだ」


 姐さんは海の向こうに買い付けに行くときのように、髪をまとめて纽约ニューヨークあたりにあるファッション誌編集部の有能な記者みたいな洋服類を身に着けている。女らしい明るい色味を好む姐さんの好みに反する機能とエレガンスさを両立させた装いは、他人じみていていつも以上になんだか慣れない。

 カウチの背もたれに向かい合うように体を丸めている私には、姐さんが使う香水だけが感じられる。


「外国人ねえ……。黄家の若様がお見えになるのはいつだっけ?」


 腹がぎゅうっと差し込まれたように一層痛くなる。一層身を縮めながら、私は「今日だよ」と答える。

 体を丸めたせいでできたスペースに姐さんが座った気配があった。そしてため息を吐かれる。


「このカウチ、前もいったけど友達の形見だったのよ? あんたがちゃんと自分の口で説明してくれたら持ち出せる余裕くらいあったのに、置いて行かざるを得なくなっちゃった」

「――」

「インちゃんも言ってたけど、なんであんな水臭いことしたのよ? 普段から小生意気な口ばかり叩いて可愛くない子だったけど、こういう気の回し方は一番可愛くない。もうちょっと素直になりな。その方がその顔が活きてくるわよ」


 腹のしめつけが胸までせりあがってきてしまう。そのせいで、目の端が濡れてしまう。こういう時はごめんなさいと言えばいいと分かってるのにそれが言えない。嗚咽の塊が口からあふれ出て、体を丸めたまま私はべそべそとみっともなく赤ん坊のように泣いた。ぐずぐず鼻を啜りあげてていたらとまらなくなって、ビービー泣き出していた。


「姐さんは……動画屋のマダム以外のものになる気はないって言ってたし……っ、指輪は左手にはめるもの一つあれば十分だって言った……っ」

「だからってなんであんたを売ったりするのよ? いい? どんな商売だって大事なのは人脈よ? 姐さんはそれだけは豊富なんだからどこでだってまた動画屋の看板あげてやるわよ。今度は自力でね」


 だからもう泣くんじゃない、と姐さんは私の頭を撫でながらいさめる。両手を添えて私の顔をおこすと、泣いたせいでみっともないことになった私の涙を拭いた。



 一度あんたを思う存分ぴかぴかに磨きあげたかったと宣言した通り、ターニャ姐さんは私が泣き止んだのを待つと氷で瞼を冷やして腫れを取ってから薄化粧を施し、髪をまとめて、兄さんから用意されたドレスを着せた(ふーん、あの人こんなブリブリした趣味の悪いのが好みなのねと、余計なことをつぶやきながら)。

 こうして姐さんは私を、可憐な少女歌姫にしたてあげてから最後にきゅっと抱きしめて、先に動画屋を出て行った。もうすぐ出航する船に乗らなくちゃいけないから。ぐずぐずさせて余計なことをしでかすおそれがあるから亭主は先に海の向こうへ渡しているとのこと。


「やっぱり姐さんに任せてよかった」

「ダメ! 今はまだ泣くとこじゃない! 涙を流すのは若様の前で! いいっ?」


 怖い顔をして言う姉さんがおかしくて、私は笑った。お陰で涙がひっこみ、化粧が崩れずに済んだ。そんな私を見て姐さんも笑い、そしてドアを開けて出て行った。こつこつとしゃれたブーツで階段を上ってゆく足音が遠ざかる。


 

 これが私が一時家族みたいに過ごしていた人との別れの一部始終になる。

 影響とは恐ろしいもので、私もやっぱり生涯に身に着ける指輪なんてものは左手薬指に一つあればいいと未だにそんな風に考えてしまう。現に今持っている指輪も左手に一つだけ。

 そして、普段どれだけバカで不実であっても一か所どうしようもなく可愛げのあるところがあるヤツに弱いのも、私の元来の性分などではなくきっと姐さんからの影響である。そういうことにしておく。



 店を去り際、姐さんは私が傘を持っていないことに気が付いた。


「あんた、傘はどうしたの?」

「大丈夫だよ。信頼できるやつに預けたんだ」


 このお嬢さんみたいな恰好にあの蝙蝠傘は似合わないだろ? だから――というと、姐さんは、確かにね、と言って笑った。

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