#3 海参崴ラプソディー

 私の住んでいた街の空に侵略者が居座りだして大体一月たった頃。

 それは、憎たらしい冬将軍の斥候どもが、この街のそばまでやってきてはチョロチョロ動き始めた頃でもあった。

 

 上空の招かねざるお客様が、とりあえず様子見に出向いた軍用機を落としたり、ついでに旅客機も落としたりと侵略者らしくはた迷惑なほど活発に動いていたのも最初の一週間くらい。

 こいつの近くを下手にウロウロしたりしなきゃ特に何をするわけでもない、精々夜空に眩しいオーロラを浮かべるくらいで害はない。まだまだ数の少ないワルキューレはもっと緊急度の高い侵略者退治を優先させることが国連あたりの偉い人の間で決まり、そのまま空で放ったらかしにされていた。そんな毎日に地上の人間もすっかり慣れだした頃。

 そしてそれは夜空にひらめく虹色のカーテンがあれでなかなか見ごたえがあるっていうんで、それを目当てに観光客がぽつぽつこの街に集まり始めていた頃でもあった。


 観光客の歓声が姦しい表通りから一本奥に入った所にある裏通りを、私は必死で駆けていた。手には仕込み刃のブチおれた傘の残骸を持っての激走だ。なぜなら私は人狼みたいなナリをした侵略者と命がけの鬼ごっこをするハメになっていたからだ。

 

 外世界からやってきてはこっちの世界で迷惑を働くやつは、なんだって一律「侵略者」って呼ばれているけれど、そのレベルはピンからキリまである。


 ピンのやつには、自分の周りをぶんぶんとびまわる戦闘機をパチンコ玉感覚で弾きとばしてベーリング海峡にうまいことホールインワンを決めてしまう私の街の空に居座っていたようなヤツだとか、こっちの世界の言葉を流暢にしゃべり地球への入植権をかけて各国元首とチェス勝負を申し込んでくるヤツだとか、厄介なのがいっぱいいた(ちなみにこのチェス勝負のことは長いこと一般地球人には伏せられていた。地球側代表の最後の一人が負けたら地球人類は一人残らずどこかしらない外世界の辺鄙な惑星に追放される寸前までいっていたのだとどこかの新聞社によってバラされた時はそりゃもう世界各地でとんでもない騒ぎになっていた)。

 

 侵略者は見た目も色々だが大きさも色々、厄介さのレベルも色々だ。


 特撮映画の怪獣みたいにバカでかいけれど頭が悪いので倒すこと事態はそんなに難しくないからキリ判定のやつ、可愛いぬいぐるみみたいな外見だけど時空に干渉して局地的な歴史を書き換えてしまい厄介極まりないからピン判定のやつ、人間の姿そっくりでこっちの世界の文化や歴史にやたら興味を示してくるから警戒されてるけれど今のところ悪さをしないので一応キリ判定されてるやつ、燻煙材でも焚けばそれで片がつきそうな虫にしか見えないのに電脳世界に実体のまま侵入できるせいでピンの中でも一番厄介なピンだと判定されてるやつ――。とにもかくにも、これでもか! ってレベルで侵略者のバリエーションは多岐に渡る。


 そんな中でも、キリもキリもキリな雑魚侵略者は見た目から結構わかりやすい部類だった。こいつらはデカイ虫みたいなのや直立したワニみたいなの、古いホラー映画や特撮番組に出てくる着ぐるみの怪人みたいなのが多くてどうにも見劣りが酷く、頭の中身もそんなに大したことの無さそうなものが多かったのだ。


 そんな侵略者どもの唯一の共通点、それは「ワルキューレにしか退治できない」ってことだった。


 キリもキリもキリで見るからに雑魚っぽい侵略者だってワルキューレではない人間には倒せない。ダメージは与えられても致命傷は与えられない。ていうかダメージを与えている間にこっちが致命傷を負っている。

 侵略者がやってくるようになって以降、王族貴族国家元首様に各種お大尽を親に持つ珠のごときお子様から私のような路上生活者の浮浪児コチェビなど所属階級や出自問わず地球人類のすべての子どもたちにまず叩き込まれるようになった共通の教えが一つあった。

 

 それが「侵略者にあったら逃げなさい」だ。


 私はその教えに従い、逃げている真っ最中だったのだ。喉から血を吐きそうになりながら、冷えた裏通りを走る。



 そもそもは、大事な商品を自分の代わりに受け取ってきてくれっていう、親分さんとこのサンピンからのごくごく簡単なお使いだった。

 まさにガキの使いだ。提示された料金もそれに見合った駄賃レベルだった。だから特に警戒することもなく、もうちょっと賃上げした料金を支払うことを飲ましてから指定された裏通りに面した飲み屋の入り口を見張る。そこで売人らしい兄さんか姉さんが姿を見せるのを待っていた。

 ところが、待てど待てど売人が飲み屋から出てこない。木枯らし吹く中待っていても飲み屋の入り口はネオン看板が瞬くっきりで誰も出てくる気配がない。

 どういうことだよ? としびれを切らしかけた時に飲み屋から誰一人出てこない不自然さに気づく。売人どころか、普通の客すら一人も出てこない。小一時間ばかり待っていたのにだ。


 店の中で何かあったな、と、ピンときてドアを開けて店の中を覗いてみる気になったのが運の尽きだ。

 ゴチャゴチャに引っ掻き回された店の中、大音量のジャズだかなんだかがかかる狭い店の真ん中で、何かが人の体をむしゃむしゃ食ってる最中だったのだ。

 上半身はふさふさした灰色の毛皮で覆われていて、むしり取った手足を骨ごとばりぼりかじってる口は大きくて耳まで裂けている。その耳はぴんと尖った三角だ。爛々と輝く目だって完全に獣のそれだ。

 ほぼ人と同じ大きさで、それでも上半身がどう見たってふさふさの毛をした犬か狼みたいなやつで、むしゃむしゃ人の体を食うやつはどうみても古典的な狼男ってやつだった。でも、こいつの正体が一体なんなのか、この二十一世紀末で導き出される答えは一つしかない。――侵略者だ!


 なんで指定された飲み屋に狼男みたいな侵略者がいるのか、売人はどうなったのかだとか考えるのは後だ。侵略者をみたら逃げろ、これが鉄則。それに従って私は店の入り口から飛びのいたと同時に、狼男みたいな侵略者はこっちに気が付きやがったのだった。

 来た道を引き返そうとした私の後ろ、飲み屋の入り口が音をたててはでに吹き飛び、中から血まみれの侵略者が飛び出して、木材やガラスにセメントのかけらをまきちらして裏通りに二本の脚でしっかと立つ。口の周りに肉の欠片をくっつけたままのやつがグルルル唸りながら、逃げる私に体当たりでも食らわせるつもりだったのか、地べたを蹴って弾丸みたいにすっとんできたのだ。

 その様子が、動画のスローモーションに見える。あのスピードでは逃げても追いつかれる、きっとあの前脚で背中を抑えられて首根っこをあのデカい口で齧られる、それで私は一巻の終わり。


 その時ぼんやり立ち尽くしたままだったら私はそのまま人狼型侵略者の腹に収まっていた。そして、あの外国人二人連れと出会うことは無く、虎の名前をもつあいつの言葉におだてられて、アイドルをめざそうなんて酔狂を起こす未来は完全に閉ざされることになっていた。

 そうならずに済んだのは、私がそのとき傘を持っていた為だ。そして動画屋に一冬過ごした数年間があったお陰だ。

 

 ぐわあっと大きく開いた口が迫ってくるのがやけにゆっくりだなと悠長に感じていた瞬間、とっさに気が付く。本当はあの人狼野郎はかなりのスピードでこっちに向かってすっ飛んでいるのだ、と。

 こっちに高速でぶつかってくるやつを仕留めるには――! 私の脳裏に、姐さんとこのカウチでみてきた数々の動漫(男前連中が派手な技で妙な敵と闘ってる、動画屋業界でJump系って呼ばれてるやつ)の断片が私の頭に瞬いたのだ。こういうと時の対処は大体カウンターだ。


 伸るか反るかの勝負の瞬間に動漫を参考にするなんて、冷静になるとバカすぎて腹を抱えて笑いたくなるけれど、とにかく私はそこでバカになったお陰で助かったのは確かだ。


 とっさに傘の柄を抜いて、仕込みの刀を構えると人狼野郎の鼻先めがけて全力の突きを食らわせた。頭に浮かべるのはもちろん私の爱人だ。

 人間相手なら頭蓋骨串刺しになっていたのは間違いない無しな渾身の突きだったけど、相手は侵略者だ。あっけなく父ちゃんの形見の傘の刃は一瞬ぐにゃんと撓んだ後にバキンと音を立てて粉々に砕け散る。

 見た感じ、父ちゃんの形見を台無しにしながら繰り出した私の突きはふかふかの毛に阻まれたみたいで全くダメージを与えられていなかった。それでもちょっとは痛かったのか、人狼野郎はキャンと吠えて後ずさる。どうやら私の突きは目の前で手のひらをパン! と鳴らされる程度の効果はあったらしい。そんな確認を後回しにして、傘の残骸を両手に私は後ろを見ずに駆けだす。今まで一度も出したことのない全速力で。

 そして人狼型の侵略者野郎も自分をビビらせたガキが逃げてゆく後ろ姿をみて、ムカついたのだろう。ガウガウ吠えながら追いかけてきたってわけだ。

 

 私は生まれた時からこの街にいる。だからどんな狭い路地にだって通じている。ガキ一人通り抜けるのが精いっぱいなビルとビルの隙間がどこにあるか、なんてことにも。そこまで逃げてあの人狼野郎を撒けばいい――。そう考えて走っていたけれど、さすがに侵略者ってことだけあってそいつの脚はにくたらしいほど速かった。まるで警察犬並みだ。

 足音が、吠える声が、生臭い息が、背中のすぐ後ろまで迫ってきている。まだ目的地の隙間までたどり着けてないのに、爪の生えた獣の脚がサンピンのお下がり上着を引っ掛いた。その時は本当に、生きた心地がしなかった。


 両手にもった傘はぶっ壊れて使い物にはもうならない。全力のそのまた全力をだしすぎて気を抜くと膝がバカになりそうだ。それでも生ぬるい呼吸の気配を感じて私はコースを変える。

 最初めざしていたビルとビルの隙間までは体が持たない。こうなりゃ表通りまて出て呑気な観光客をビビらせてやる。うしろのいる人狼野郎が獲物に目移りしてる間にねぐらまで帰ってやる――。作戦を変更しながら進行方向を表通りに変え、一瞬目を閉じ、息を吸い込みながら目を開ける。

 

 そしたら、目の前にアイツがいたのだ。


 表通りのまばゆい電飾の輝きを背負っているせいで細かいところはよく見えなかったが、真正面からこっちに向けて走りながらガアッと叫んだのは聞こえた。


「下げる頭っ!」


 街頭のあまりできのよくない無料翻訳システムまるだしな不自然な文法を気にしてる場合ではない。

 そいつの手には銃がある。とっさの状況だからメーカーや型までは確認できない。でも、手ごろな大きさで連射もできる、量産品の自動式拳銃——に見えた。私はそいつの指示通り頭を下げる。そいつはこっちに向けて走りぬきざま上半身を折り曲げた私の肩に左手を突き、馬跳びの要領で飛び越える。その次の瞬間、パンパンパンパンっ、と銃声がして、あたり一帯に火薬の匂いと薬莢が散らばる音が響いた。


 拳銃使いの馬跳びに押されて、私は地べたに前のめりに倒れこんだ。その直後にそいつがスタッと音を立てて着地した気配がある。


「問題あるない? 立つ可能?」

 

 そいつは倒れてハアハアやってる私の背中越しに声かけてくるが、返事ができるわけがない。そして立てるわけがない。膝は完全にバカになっているし、口と喉は息を整えるので精いっぱいだった。

 なのに人狼野郎めがけて銃を連射したそいつは、ムカつくほど涼しい声で私に早口でよびかけながら傍にしゃがむ。綺麗に磨かれた子供用の革靴と、温かそうなタイツに包まれた脚がが見える。甲高いぴいぴいした声と合わせてこいつは女のガキだと判断した。


「走る可? 我訊く。要返事」

「――っ」

 

 そんなことができる状態に見えるか、という意味をこめて私はそいつを見上げて睨んだ。靴とタイツの質感で判断した通り、上等そうな紺のピーコートを着た私と同じ年頃くらいの女のガキだった。いい服を着てる癖に行儀は悪いらしく、口から飴の棒をはみ出させている。

 返事をしないでいるとそいつは無理やり私の腕をつかんで肩をかつぎ、その場に立たせる。その際、私の頬をピーコートの表面が撫でた。ふわふわですべすべで温かく、手触りだけど私の予想より数倍上等だと思われる感触だ。


「残り少し気張る。我あれ倒す不可。よって逃走急務っ!」


 そうは言われても私は立てない。それでも立たなきゃならないことはわかる。後ろじゃ、グゥゥって唸る人狼野郎の気配があったからだ。上等のピーコート来た子供の肩にすがりながら私は後ろを振り向く。人狼野郎は顔を抑えこっちを見て牙をむき出し唸っていたが、獣の目から戦意は消えていなかった。


 それどころか、腹に収まる肉が増えたとばかりに舌なめずりをしてみせた。


 私に肩を貸して立たせたガキは舌を打ち、振り向きざまに数発銃を撃ち込んだ。躊躇いのない、手慣れた撃ちっぷりで人狼野郎の頭と胸を弾く。流石にちょっとは痛いのか、人狼野郎はギャインギャイン悲鳴をあげた。


 その様子を見ながら私はそいつの肩にもたれる。いい匂いのするコートに顔を埋めるようにして体力の回復をはかる。

 いい服着てる癖に便所くさいガキに抱きつかれても嫌な顔しないんだなコイツ、なんてことを考える余裕が生まれたけれど膝はまだ言うことを聞かない。


 その間にも私に肩をかしてるそいつは表通りへめがけて後退しながらパンパン銃を撃ち続けた。そんなことをしてたら当然弾が尽きる。それなのに人狼野郎には致命傷は与えられていない。それでも私の突きよりは効いてるみたいだ。近くで見てもそいつの銃はその辺の兄さんがもってる自動式銃と同じものなのに。


 っかー面倒也! と、上等の服にそぐわない言葉を吐きながらピーコートの裾をまくって腰のホルスターに弾の尽きた銃をしまう。やっぱりその動作も慣れていた。

 侵略者を見ても怯まずに立ち向かえるやつ、ひょっとしてこいつ……という思いから私はポロリと零していた。


「……お前……ワルキューレ……?」

「あん? 我未だワルキューレない」


 ──だ──?


 それってどういう意味かと問い正しくなった時、私の体はふわっと持ち上がった。銃を持ってたそいつが私をおぶったのだ。膝がいうとこを聞かない私と逃げるにはこうするべきと判断したのだろう。ただし私とそいつは身長が同じくらいだった。機動力は激減し、却って危険になる。人狼野郎に二人にどうぞ食ってくださいというようなもんだ。


「下ろせ!」

「遠慮する無い、してたら死ぬ不可避」

「馬鹿、この状況のが死ぬんだよっ!」


 案の定、私をおぶったやつは勢いよく表通り目指して走り出したけどその足取りは重たい。これではやっぱり二人とも食ってくださいというようなものだ。

 おぶわれた状態で振り向けば今まさに人狼野郎がこっちに向かって飛びかかってくるところだった。


 ああもうダメだ……! とっさに折れた傘の柄をにぎりしめて突きつけるという無駄な抵抗をする。食われたら魚の小骨のように喉に引っ掛かれば良い……。

 わたしがそうやって覚悟を決めた時、わたしを負ぶうそいつは希望に満ちた声で叫んだのだった。


「先生さん!」

「おやおや、大河バリシァーヤ・リカー。お前は一体どこに行っていたのかと思ったら」


 やや低い、大人の女の声だ。できの悪い無料翻訳システムも流暢に訳する言語をしゃべるということは英朝日、北京、上海あたりの言葉を使ってるんだろうかとか、そんなことに気づくのはもう少しあとだ。

 ヒュンッと表通りの方から銀色の何かが飛んできて、人狼野郎のひたいに突き刺さったのだ。小さくて細い、昔の医者が持ってたメスって道具によくにたそれだ。

 そんな刃物が刺さっただけで、わたしに刃物で突かれようが、銃でパンパン撃たれようが致命傷を負わなかった人狼野郎がギャウンギャウン喚いてその場を転げ回る。

 あっけにとられていると、コツコツとヒールの高い靴を履いてるやつ特有の音がして、何かしらぷうんと薬臭いにおいも近づいてきた。そっちには髪を適当にまとめて、よれたスーツに女物のトレンチコートを引っ掛けた荒んだ雰囲気の女だった。こんなご時世にわざわざ眼鏡をかけている所に妙なこだわりがうかがえる。


「銀の銃弾はないけれど狼男を倒すにはこれで十分」


 女の右手にはやっぱりメスが。文字通り手負いの獣になった人狼がやけになってとびかかるのを、眼鏡のメス女は冷静に対処する。並みの人間なら一回大きく右腕を振っただけに終わる時間に数回人狼野郎を小さなメスで切り刻むのを見る。


 路地裏にばしゃっと侵略者の黒い血がふるのを見越して、私は傘を開いた。鞘の方になってる方はまだ傘としての機能は活かせたのだ。その中に素早く眼鏡メス女も入ってくる。


「気の利く坊主だ。──いやおまえ坊主か?」


 それには答えない。ぐしゃぐしゃと地べたに切り刻まれた人狼野郎の肉片を見ながら女に訊いた。


「十二回斬った?」

「ほう、──いい動体視力だね」

「どうせなら十六回斬るべきだった」


 それを聞いて、眼鏡のメス使いの女はちょっとの間を置いて愉快そうにカラカラ笑った。「十六回斬る」の元ネタを知っていたのだろう。


「教養豊かな浮浪児コチェビだ。うちの子供たちにも見習わせんとな」


 そんなことを言ってる間に、私をおぶったまま銃使いは向きを変えた。ちょっと拗ねたような口調を、質の良くない翻訳システムは変な口調に置き換える。


「先生さん、勝手にどこか行く我困る。我この街地理知らず」

「食い物の屋台に気をとられるなよと船に乗る前に再三私は注意していたはずだよ? それに大河、どうやらこの街の標準翻訳システムはお前の母語には対応していない。これも勉強だ、日本語で話しなさい」


 え~……と拳銃使い――バリシァーヤ・リカーでかくて広い河なんて変な名前をしている――は不服そうな声をあげた。

 その段階で私はようやくいつまでもこの上等のコートを着た同い年ぐらいの子どもにおぶわれたままだと気が付く。息も整い、膝もだいぶ回復してきた所だ。降ろせ、の意味も込めて身動きした。


「わっ、こら、何する……っ、じっとしなさい!」


 拳銃使いの口調が変わった。メガネメス女の言う通り使用言語を切り替えたのだろう。私は構わずその背中の上で暴れまわり、強引に地べたに降り立った。


「なんだかわかんないけど、礼を言うよ。姐さん方。お蔭で助かった。しばらくこの街にいるってんならなんらかで借りは返させてもらう。とりあえずぼったくりの土産屋にでもつかまったら傘使いの小戚シャオチィーのツレって言っときな。多分それでなんとかなるから」


 じゃ……と、私はそのまま表通りに出ようとした。観光客や気質の衆で行きかう賑やかの通りの隅をしばらく歩き、また裏通りにもどって地下工房へ出むき、傘の修理を頼もうと考える。

 が、私の腕を眼鏡メス女が掴んだのだ。


「ちょい待ち。お前さん名前を〝チーちゃん″っていうのか? ――うーんチーちゃんなんて可愛い風情でもないからチー坊ってとこかな? とりあえずチー坊、なんでこの侵略者におっかけられてたのか、姐さんに教えてほしんだが?」

「知らないよ。よりにもよって誰より真っ当に生きてるおれがこんな目に遭ったのか、こっちが訊きたいくらいだ」


 勝手に変なあだ名をつけられたことに閉口してしまう私に構わず、眼鏡のメス使い女は続ける。


「――こいつはね、チー坊。ちょっと前に戦力不足に悩んでた南米あたりのマフィアやゲリラ連中が密林に潜んでた科学者と開発した人造侵略者だ。普段はおつむの足らない人間みたいだけど、ある刺激を与えるとこうやって侵略者の本性晒して派手に暴れまわるっている怪物だ。鉄砲玉用として開発されたらしいんだが、侵略者はワルキューレじゃなきゃ退治できないって根本的な問題を軽んじて作られちまったせいて当然管理監督不足に陥ったわけだな。おかげで今や地球の裏側じゃこいつらが半分野良化して社会問題になっているって厄介なしろもんだよ。なんせ人間と交配可能な上繁殖力が強い」


 それがなんでそんなもんがこの街にいやがんのかねえ~……と、眼鏡メス女はシリコンの手袋をつけて切り刻まれた侵略者の肉片を検分し始めた。その話をふうん、と聞きながら私は酒場からここまでの話を組み立てる。


 つまり、私がサンピン兄さんが受け取ってこいって言われた商品こそこの人狼野郎だったってことだろう。本当なら何も知らない私がぼんやりした人間に見えないこいつを依頼者のサンピン兄さんのとこまで連れて行く段取りだった。でも、なんらかの事故があってあの酒場でコイツが侵略者の本性をさらけ出すことになったってわけだ。

 といういうことは、だ。私は普通のヤクだなんだの使い走りを済ませる程度の駄賃で、いつ暴走するかわからない人造侵略者をつれてくるっている危険な仕事を任せられたってことになる――。 

 っの野郎……! と依頼者の顔を思い出して私はギリギリ歯噛みをした。こんな危険極まりない生き物をこっそり仕入れようとしていた理由はどうせ一つか二つっきりだ。信頼関係をそこなってくれたお礼に、親分さんに兄さんのうち誰かが黙って中米から変な生きもんを仕入れようとしてやしたぜってタレこんでやる……! と私は心に決めてからそのことを簡単に説明した。


「兄さんの代理で商品の受け取りにいった店にこいつがいたんだよ。それ以上のことは知らない」

「ふうん。なるほどね。ま、駆除ついでにデータも取れたから良かったさ。終わりよければ全て良しってね」


 もう一つ、シャーレみたいな容器に侵略者の肉片をいれてゆくメガネメス女に気になったことを訊ねた。


「姐さん、ワルキューレなんだ」

「まあね。メジロセンリっていうんだ。よろしくね、チー坊」


 侵略者を倒せるのはワルキューレのみ。ということでメス一本で、侵略者を十二回切り刻んで肉片に変えられるこの姐さんは必然的にワルキューレってことになる。一度でもワルキューレになった人間は生涯ワルキューレ稼業に精を出さなきゃならない。

 最近目立つワルキューレは、世界各地の学校で訓練をしてる十代のお嬢さんワルキューレ達ばかりだけど、学校を卒業したワルキューレ、学校なんて無かった時代の最古参ワルキューレも目立たないながらこうして活動しているってわけだ。なにしろ侵略者は次から次へと世界のあちこちに現れる癖にそれを狩るワルキューレの数は少なすぎる。


「クラカケセンリって名前で昔はやってたんだけど、聞いたこと無いかな? 世界一の頭脳を持つ天才ワルキューレ何てもてはやされてたもんだけどね」

「残念だけど、初めて聞くよ。おれが知ってるワルキューレは侵略者とやりあってダルマになったってヤツだけだ」

「……ああ〜……、いたねえ。そういうバカもさ。しかし嫌だねぇ〜、かつての救世主様も今となっちゃあ、あの人は今、扱いだ」


 センリって名前のワルキューレは人ごとのように呟く。


 不思議な力とワンドって特殊な武器を使って侵略者退治をするワルキューレは、動漫の中の美少女戦士そのものな趣があるからそりゃあもう人気がある。普通の家で普通に育った女のガキなら、一生に一回くらいワルキューレに現をぬかす時期があるものだ。ただ私にはその機会は無かった。知ってるのは外世界の将軍と一騎打ちに臨んで勝ったはいいがその代償にダルマになったミツクリって名前のワルキューレだけ。私が生まれた頃に活動してたワルキューレの中にそんなやつがいたってことを知ってしまうと、どうしたって無邪気に憧れたりなんてできなくなってしまう。


 センリは、ごろんとまるのまま転がっている侵略者の首を検分している。そこは拳銃使いが打ち込んだ弾のあとがしっかり残っていた。銃使いに撃たれて潰れた目や銃創を、眼鏡越しに真剣調べる。右手を振ってあたり一帯にモニターやら書類やら何かを表示させるとその場で記録してゆく。その手を止めずに、拳銃使いを呼び寄せた。


「大河、今の気分はどう?」

「悪くはないですがよくもないです、普通」

「……ふうん、じゃあもう少し薬のレベルをあげてみるか……。前回よりはいい結果が出てるんだけど、私の求めるレベルには程遠いんだよな。耐えられそう?」

「当然! 可能です!」


 にかっと笑って拳銃使いは胸をどんと叩いた。その口から飴の棒が覗いている。


「でもよかったら次からは拳銃はいやです。使い慣れてはいますが私は拳銃はすきではないです。別の武器がいいです」

「データを取り終わるまではその拳銃で統一しときたいんだ。悪いけど我慢しな。そのあとでお前好みの武器をこさえてやるよ」


 え~……っ、と拳銃が好きではない拳銃使いは露骨に顔をしかめた。こいつも銃が好かないんだ、とどうでもいいことを心に留めながら私はある一点が気になっていた。


 薬、という単語が聞こえたことだ。親分さんらと商売をしていると、どうしても薬関係の話題には過敏になる。

 こいつ、なんの薬を服用してるんだ? と私は拳銃使いをじっと見る。その時初めて、落ち着いて、大河バリシァーヤ・リカーなんて変な名前のそいつの顔をみたのだった。

 ピーコート、その裾から覗く学校の制服みたいなプリーツスカート、厚手のタイツに革靴。まるで学校帰りのお嬢さんみたいなそいつの肌が露出した部分は顔しかない。髪は短く、濃いめの小麦色の肌で、やたら大きくて釣気味の目がまるで猫みたいだった。外国人なのはその言葉でわかったが、どうやらここらの近隣ではないもっと南の国からきたやつなんだろうなと見当をつける。


 なんにせよ、さっき見せた身体能力からして薬をのまなきゃならないような大病もちには全く見えない。それどころかぴかぴかの健康体だ。その種の人間が飲む薬なんて、私には答えが一つしか導けない。

 じいっと私にみられてることに気が付いたからか、猫目の拳銃使いはきょとんとしたあとニイッと人懐っこい笑顔を浮かべた。口の端から飴の棒が覗いている。

 無垢、とか、無邪気、とかそういう言葉のよく似あうあけっぴろげな表情だった。薬なんてものには無縁そうなぴかっとした笑顔だった。


「ん? どうしました、チー坊。私の顔になにかついてますか?」

「――別に。薬はほどほどにしなって言いたかっただけさ」


 どんな薬かしらないけどね、と、妙な縁の生じたこの外国人の子供に声をかけておく。

 こいつが来てくれて、人狼野郎に拳銃撃ち込んでくれたから私が助かったのは確かだからだ。だからその礼を込めての忠告だ。

 薬はよくない。あれは自分の人生を他人に売り渡すも同然だ。アルコールが手放せなくなった行倒れにメチルを売って金を稼ぐ私はそのことをよく知っている。ああいったものに依存しなけりゃならない身分に堕ちると、こんな浮浪児コチェビにすら毟られどおしでおっ死ぬ羽目になるのだ。


 おれはそうなりたくないね、と心の中でつけたして、表通りへ歩き出す。


「もう用はすんだろ? じゃあおれは行くから」

「もうちょとだけ待ちな、チー坊。……こいつの鼻っ柱にあるこの刀傷、これはお前さんがやったのかい?」

 

 ふりむくと、センリはまだ人狼野郎の頭をしらべていた。シリコンの手袋をはめた指先が鼻っ面の毛並みをかき分けている。確かにそこには私が渾身の突きをくらわせたためにできたのだろう、ちっちゃなちっちゃな傷があった。


「黙ってるってことは正解って見なすよ? いいんだね」


 全力の突きだったのに、まるで紙切れでうっかり切っちまった指先の傷みたいにささやかだった。私はこっそりガッカリしたすぐ後に、ワルキューレのセンリがそのちっちゃな傷跡が刀で斬られてできた傷で、それをやったのが私だとどうしてすぐに判ったのかといぶかしむ。直後、まだ私が間抜けにも仕込みの刃がむきだしのまま柄を握りしめていたことに気づく。


 視力なんて手術でどうとでもなるこのご時世に好き好んでメガネなんてものをかけているこのワルキューレ、昔は世界一の頭脳を持つ天才ワルキューレと呼ばれたなどと豪語していたっけ。なるほどなるほど、名探偵をやれる程度には目端はきくらしい。刃の折れた仕込みの柄を傘の本体に収める。

 

 センリは右手を振ってみたこともないアイコンを表示させると、手早くタップして電脳のコンシェルジュに命じる。すると地べたに黒いっぽい渦を巻いた穴が生じて切り刻んだ侵略者の体を掃除機みたいに吸い込んだ。地べたから侵略者の体が消えると、センリは手に付けていたシリコン手袋をはぎとってその黒い穴に放り込む。ほどなくしてその穴も自然と消えた。

 後に残ったのは、黒っぽい泥水をぶちまけたようなあとと生臭い残り香だけだった。

 拡張現実には一般人が使える最下層のレイヤーから、その上にある行政・軍事用レイヤーと様々な層が重なって出来ている。ワルキューレだけが使用可能な亜空間にアクセス可能なレイヤーの拡張現実ではほぼ魔法と変わらないことが出来ると噂では囁かれていたけれど、本当みたいだ。


 さて、と、掛け声をだしてセンリは立ち上がった。よれたスーツにキャメルのトレンチを引っ掛けただけの姿がゆらっと動く。ワルキューレっていうのは好き好んでわざわざ侵略退治なんてものに精を出すお節介女としか見たことが無かったけれど、目の前にいる女からはそんな清く澄んだ思惑はどうしたって感じられなかった。

 

 こつ、こつ、とヒールを鳴らしてセンリは近づくと、スーツの内側に手を突っ込んで、私の目の前で一枚の紙切れを差し出した。それを持つ指の先、爪のエナメルがところどころ剥げている。着ているスーツと同じように全体の雰囲気までヨレた女だ。


「さっき名乗った通り、私はメジロセンリって言ってね、今は海の向こうで目白児童保護育成会って所で働かせてもらってる元ワルキューレの現お医者さんだ。――そこにいる大河もうちで面倒を見ている子供の一人だよ」


 名前をだされたせいか、蚊帳の外に置かれてしばらく退屈していたらしい拳銃使いの子どもも欠伸を引っ込めたのちにニカっと笑った。

 紙切れに記されているのは見慣れた簡体字ではなくとも漢字が多かった。お陰でなんとなくそこに書かれた意味は分かる。目の前の怪しいワルキューレは身寄りのない子供を保護する施設の関係者だってほのめかしているのだろう、とてもそうには見えないが。

 その紙切れを受け取らずに凝視していると、センリの方が苦笑して、私が引っかけている断熱繊維で出来た上着のポケットに勝手にそれを滑り込ませた。ちょっと気を悪くしたことが雰囲気で伝わったのだろう、センリは苦笑いのまま私に言った。


「悪いことは言わない。こいつをとっておきな、チー坊。自分で言うとちょっとクサいが、これはあんたをこの街の外へ連れ出す招待状だ。この町の外へつながるツテをお前さんが既に持ってるってんなら破りすてても構わないが、そうでないなら取っておくことをお勧めするよ」

「――おれ、別にここの外で暮らす予定なんてないよ?」


 私はそのころ労働と資産運用に精をだし、誰の力を借りなくても生きていける程度の地盤づくりに励んでいたところだった。ようやく公衆便所というねぐらを得てなんとか少しずつ利益を稼ぎそれを基に資産をわずかに増やせるようになったというのに、どうして今そのタイミングで何もかも手放して、他所の街まで行かなきゃならないのか? ――しかも、大人がガキに妙な薬を服用させるようなおかしな施設なんかに。

 そんな思いを込めたつもりだったけど、センリは笑って流しただけだ。


「とはいえさ、こんな出会い方をしたのも何かの縁にだ。この街に詳しそうなチー坊さんや、小一時間ほどこの街のガイドでも頼まれてくれないかい? 私らは別件でこの街にきたんだけどね、そこの大河がどうしても表通りを歩きたいって聞かないんだ。七色の空が夢みたいだし、屋台で駄菓子や粉モン食いたいだの、桟橋から軍艦見物したいだのってだだこねてうるさいったらありゃしない」

「いい子にすれば先生さんは観光してもいいと言いました」

「いい子にすれば、だろ? お前はさっき私の言いつけをやぶってふらふら出歩いて、知らない街であやうく迷子になるところだったじゃないか」


 ――ま、おかげでチー坊に出会えたわけだけど、とセンリはうっすら笑う。


 なんだか大いに引っかかる笑いだったのを気に留めてから、私はビジネスの話に切り替えた。その日パアになった人狼野郎の運び代にいくらか上乗せした額を、小一時間のガイド代と外国からきたガキのお守り代として提示する。折り合いがついたので現金で徴収することにした。今時現金とは、とセンリのやつはちょっと呆れていたけれど知ったことではない。

 手渡された数枚の札を折り曲げて上着のポケットにねじ込むと、ちょいちょいと上等のコートを着てはいるけれどどうやら上等な育ち方はしていないらしい大河バリシァーヤ・リカーって変な名前の拳銃使いを手招きする。ついてきな、の意味だ。


 そいつは嬉しそうに、ニカっと笑い、てけてけと私のあとを追いかけてきた。表通りに出る寸前で振り向いて、その場にたたずむセンリに手を振る。二人はどうやらそれなりに仲はいいらしい。

 


 ――これが、タイガと私の出会いだ。

 この段階では私にとって、タイガはただの行きずりの子どもにすぎない。

 不潔さと悪臭で武装した私を見ても怯みも嫌がりもせず、表通りの観光客のひとごみにはぐれない様にぐいっと腕をつかんできたあたりから、似たような育ちをしたんだろうなとなんとなくピンと通じるものがあった程度の仲にすぎなかった。



「ありがとう、うれしい。私はこんなきれいな空の下を歩くのは初めてです。屋台もいっぱい出てお祭りみたいです。幸せ、嬉しい」


 習い始めて間もないらしい外国語を、街中に設置されてる無料翻訳機能は直訳に変換する。そのせいでこの猫目を細めて笑うコイツがいよいよバカで無邪気そうに見えた。

 虹色の夜空見物にきた観光客めあての屋台が並んで、確かに表通りはお祭りのような騒ぎだった。

 焼いた肉や砂糖を焦がすにおいが、表通りには溢れていた。そこを歩くのは綿菓子をもった子供の手をひく親子連れに、見栄えの良さだけでできた砂糖菓子と一緒に写真を撮ろうとするお嬢さんたちや、桟橋へ向かおうとする若いお二人さんたち。

 そういった連中は私とすれ違う時にすうっと間を開け、そして目をそらす。ここにどうして汚くて臭い浮浪児コチェビがいるんだろうって目をしてすっと通りすぎる。

 となりの大河バリシァーヤ・リカーはそんな様子なんて目に入らず、今度は町中の映画館の看板に目を止めて「あああれは見てみたかった映画です!」と反応したりする。


「映画鑑賞なんかしてたらさっきの姐さんとの約束の時間に間に合わないよ。大河バリシァーヤ・リカー

 

 さっきセンリが呼んでいた通りの名前を私は呼んだ。なのに返事はない。

 無視すんな、の意味をこめて私の左ひじをつかむそいつを軽く睨むと、そいつは猫目をきょとんとさせて首を傾げるのだ。


「でかくて広い河がどうしました、チー坊」

「――おれはあんたの名前を呼んだつもりだったんだけどね。さっき姐さんからそう呼ばれてたろ」


 からかわれたと思って、私はついムッとしてしまう。さっき一緒にいた仲間らしき人間に同じように呼ばれいてたのにその態度はないだろう、という気持ちがでたのだ。

 しかし拳銃使いはやっぱり微かに眉間に皴を寄せ、首を傾げるだけだった。


「私の名前はそれじゃありません。先生さんは〝Taiga″と私の名前をつけなおしました。それはでかくて広い河の意味ではありません。〝虎″の意味の筈です。そういう名前がいいとお願いしましたから」

「〝虎″тигр? 老虎? 호랑이?」


 このあたりで通じる虎の訳語を手当たりしだいに口にしたあと、ああ、と合点がいって呟いた。


「tigerのタイガ、か」

「そうtigerharimauのタイガ、です」


 うんうんと大きくたてに何度もうなずいて、大河バリシァーヤ・リカー改めタイガはニカっと笑ったのだった。口からは飴の棒がはみ出ている。まったくぴかぴかと明るい笑顔だった。


 英語の下手な日本語話者がtigerを発音するとタイガーになるっている知識は私にはあった。けれども知ってる所はそこまでだ。無料翻訳機能がタイガを「でかくて広い河」だって訳す謎をその時点では私に解けず、まあしょせん役場が設置した無料の機能なんてそんなもんだな、誤訳連発のポンコツで当たり前だって納得して終わった。


 七色の光がゆらめく宵の街を、私はタイガをつれて歩いた。

 なにがそんなに嬉しいのか、今まで祭ってものを見たことないのかって勢いでタイガは屋台や表通りのまばゆさにいちいち感激していた。

 そんな屋台の一つに果実に透明の飴をかけたものを売った店がある。ちょうどタイガがずっと咥えていた飴を舐め終わり、所在なく棒きれを咥えているだけになっていたのに気づいたから、小さなリンゴに飴をかけたものを一つ買ってやる。


 さっき助けてくれた礼だよ、の意味で手渡したらタイガは猫目をひときわ大きく丸くした後ににい~っと嬉しそうに笑ったのだった。


「チー坊はきっとうんと素敵な男衆になれます。私の兄さんのようにです。顔や髪を洗えば女衆がほっとかないような伊達男になれます」

「そうかい、ありがとさん」


 どうやらタイガは小汚く不潔なナリな私のことを男だと思い込んでるらしかったが、特に訂正する必要も感じなかったのでそのまま流した。

 そのまま二人、観光客の流れにそって一般人の立ち入りが許されている桟橋近くまで歩いて、停泊する軍艦を見物する。海面に空の虹色と街の灯が反射する上に、大きくていかつい船が浮かんでる様子を今日初めて会った外国人のガキと並んで見物する。


 多分このガキと会うことはもうないだろうし、せっかくだからこんな妙な一日のことは覚えておくか。


 そういう気持ちで、軍艦の格好良さを直訳口調で褒めたたえながら興奮するんタイガのことを私は隣で見ていた。しばらくコイツのことを見ていようかな、という気になったのは、やっぱりなにかしら波長の通じるものを感じていたためかもしれない。

 ――まあ、後からでは色んな理由が適当にこじつけられるものだが、私が今言えるのはあの日本当に心から楽しんでいた筈のタイガが屋台の駄菓子だの虹色の空だのをみては終始ニコニコして、林檎の飴をついた棒を振りながらキャッキャと歓声を上げていた様子を忘れずに覚えていたあの日の自分を誉めたいってことくらいだ。



 約束の時間が経ってから、タイガをセンリに引き渡して私は別れた。



 その一月後、南の方からやってくる若様の前で歌わされることが決まった日、あの日から上着のポケットに入れっぱなしになっていたメジロセンリの名刺を思い出すことになる。

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