人豚小戚、厠生活をやめアイドルを目指す。

ピクルズジンジャー

#1 恋のバカンス 

 十の頃、私のねぐらは公衆便所だった。


 あそこは私が八つ時にそれまでの持ち主と戦って奪い取った初めての縄張りだ。思い入れってものが今でもそれなりにある。


 雨風は凌げる。週一で業者が清掃にくるので他人様が思うよりは清潔。それなのに不潔で治安も悪いってイメージが先行するからよほど切羽詰まった状況でもない限り一般人はまず近寄らない。立ちんぼの姉さんや兄さんが客連れてくるんで個室の賃料という形で安定した収入も得られた。夏場の虫とアンモニア臭さえ慣れれば居心地は悪くない。

 公衆便所は私にとって寛げる我が家であり、不労所得を確保するための財源であり、堅牢な要塞だった。難点は冬場の生活には向かないってことくらいだっただろう。


 私の住んでた街は残念ながら冬は最悪。

 北極から吹き降ろすさ寒風と軍港からの湿気が町全体を凍てつかせるので公衆便所で寝てたらまちがいなくおっ死ぬ。

 だから冬場は凍てつく公衆便所より行き場のないアルコール臭いおっさん連中に貸し出していた。体が一時温もって酔えるなら工業用アルコールでもいいってとこまできてる連中だから必需品として密造酒も売りつけられる。さる理由があって冬場は本業に精が出せない私は副収入の確保は怠らないように気を張っていた。


 懐具合の寂しくなる冬場だが、ものは考えようでもある。

 冬こそ私のバカンスの時期。管理人のいる暖かい別荘で一日の大半を過ごせる期間と考えて心に余裕を生み出し、場末の動画屋のカウチに寝転んでリモコン片手にモニターを眺めていた。

 円盤状の旧式のソフトを再生し、私の爱人アイレンの出てくる動漫を繰り返し見るのだ。

 爱人と過ごす二人きりの時間。まさにバカンス。どんな海辺ですごすよりも素敵な休暇。


 ――ま、そうでも思わないとやってられない。

 そしてそんな優雅な時間も長くは得られない。動画屋マダムのターニャ姐さんは、外回りに出かけてもすぐ帰ってくるのだ。爱人との二人っきりの時間を確保するのはなかなか難しい。

 ギリギリまで粘ったけれどついに、冬将軍の主力軍が軍港のこの街までやってきたせいでいよいよねぐらを離れなきゃならなくなった私は、勝手知ったる場末の動画屋に入り込み、棚の向こうにあるカウチの上からターニャ姐さんを出迎えた。


「お帰り、姐さん。勝手に入らせてもらったよ」


 分厚いコートを着込んだ姐さんは私を見て血相を変えた。

 公的には浮浪児コチェビって身分の私がわが物顔で店の中のカウチに寝転がってることではない。私の格好がドロドロに汚れたままであることに対してだ。


「ちょっとリーリヤ、ちゃんとシャワーは浴びた? まさかあなたの家から直通でウチの大切なカウチに寝転がってるわけじゃあないわよね?」

「衛生状態に気をつけなきゃなんないような代物でもないのに大層な。元々は女郎屋の粗大ゴミだろ」


 生意気な口を叩いたせいで、ターニャ姐さんに遠慮なくしばかれてカウチから引きずり降ろされた。


「これはあたしの友達の形見だからね、今度粗大ゴミ呼ばわりするといくらあんたでも叩き出すよ! ここに寝っ転がりたいならシャワー浴びる! 服も着替える! 大体最後に体洗ったのいつよ⁉︎」

「公園の池から噴水が噴き上がってたころ」

「一月は前じゃない! あーもうっ最悪っ」


 口を動かしながらボロボロのタオルと擦り切れた着替え一式を私の頭に投げつけて、カウチに除菌防臭スプレーを吹き付けまくる動画屋のターニャ姐さんに蹴飛ばされ、私はとりあえずシャワーを浴びにむかうことにする。別荘の主人には従わないといけない。

 せわしなくカウチにスプレーを噴きかけながら、骨董家電のモニターをのぞいた姐さんはその画面に目を止めた。


「……あら、あんたまたこの動漫見てる。どれだけ好きなのよ?」

「爱人が出てる」

「爱人? ……あ〜」


 ターニャ姐さんは一時停止されたモニターの画面を見てニヤ〜っと笑った。この姐さんは男前と惚れたの腫れたの話に目がないのだ。さっきまでぷりぷり怒ったことを忘れてはしゃぎだす。


「確かに彼はいいオトコよねえ〜。強くてセクシー、既婚者ってところがたまんないわよねぇ。一晩一緒にすごしてくれるならこっちからなんだって差し出したくなるわよねえ」

「よく分かってるね、姐さん。――だのになんで姐さんの亭主はあんななの?」

「分かってないわねえ、リーリヤ。このタイプのオトコはねえ、動漫の世界にしかいないのよ。現実にはいないの。それにこういうオトコはリアルにいたってあたしらみたいなタイプは相手にしない。でも――」

「そこがいい」


 意見があい、ターニャ姐さんと私はニヤッと笑いあってパンと手のひらをぶつけ合う。そして約一月ぶりに体を洗うためシャワーを浴びに行く。

 なんだかんだ言って温かい湯を浴びるのは気持ちいい。体の表面に重なった垢の層を洗い流すのはさっぱりする。でも私はシャワーを浴びるのはいつもぎりぎりまで粘る。


 十だった当時の私にとって、体を洗ってさっぱりすることは武装を解いて丸腰になるのを意味することだった。武器も鎧ももたない自分を晒すのはどうしたって心細くなる。

 でも、冬場に世話になるターニャ姐さんはきれい好きだ。臭くて汚い子供は軒下に寝かせるのだって許さないってんだから、見えない鎧を脱がざるを得ない。


 春から秋まで私を守ってくれた汚れと匂いと人豚娘って蔑称を落としてから、ターニャ姐さんが適当に用意してくれたどこかのサンピンのお古を着る。

 石鹸のいい匂いをさせているか、ノミや虱がいないか、厄介な皮膚病に罹ってないか、姐さんの厳しいチェックが済んでからカウチに座ってもいい許可が降りる。その後は並んでスナック菓子でも食いながら、私の爱人がその動漫の主人公にあたるサムライと死闘を繰り広げる回を何遍も見るのだ。


 普段は実写のドラマばかりみてる姐さんだけど、男前が好きな人だからこの動漫もお気に入りだった。この動漫に出てくる男の大半は男前だったから。

 爱人の出てくる回ばかり見たがる私へ向かって「ちょっとあのオニワバンの頭が出てくる回も再生しなさいよ」なんて注文する。でも、姐さんは見ようと思えばいつでもあの陰気臭い美男子の姿が見放題なんだから私はリモコンを手放さない。

 男前の好きな姐さんのことだから、この動漫の主人公でもある頬に十字傷をもつサムライもお気に入りだけど「なんで彼が最後に選ぶのがあんなおしっこ臭そうな女の子なのか、理解できないわあ」っていつも呟く。私もそれには同感なのでうんうん頷く。

 つうか十以下のガキと所帯もつ男とか、いくら刀剣を振う腕が達者で強くて顔が良くても最悪の極みだし、私はこいつのことがあんまり好きではない。

 やっぱり私の爱人が一番。強いし渋くて男前、タバコが似合う訳ありの不良警官。あといいオンナらしい嫁もいる。最の高。現実にもあんな警官がいるんなら密偵になってやってもいい。でもそんな私をきっと爱人は野良犬みたいな目でみるだけなのだ。ああたまんない。


 そのころの私は私に興味を持ちそうじゃない男の方が圧倒的に好きだった。


 ターニャ姐さんと百年近く前の古い動漫を見て楽しんでると姐さんの亭主が帰ってくる。

 私の爱人とは似ても似つかない、そして男前の好きな姐さんが選んだとは思えない、水色の目に酒で赤らんだ白い肌の三十男だ。寄る年波には勝てないみたいで生え際まで後退しつつあった。


「お、シャオチィー。流石のお前も便所生活は凍える時期か。──なんだよ、湯浴びてこざっぱりしたくせにそんな服着やがって。天国の母ちゃんが泣くぞ」


 そしてターニャ姐さんに何もドレスを着せてお嬢様かお姫様みたいにしろとは言わねえ、せめてもっとまともな服を着せてやれとくどくど念を押す。姐さんは適当に返事して亭主を寝室へ追っ払う。

 私はターニャ姐さんの亭主の後ろ姿を見送る。姐さんの亭主は店の奥にひっこむついでに、私の顔を振り向いてもう一度確認していった。こっち見んな、の意味もこめてぐちゃぐちゃに噛んだミックスナッツが入ったままの口の中を開けて見せてやると顔をしかめて亭主は引っ込んだ。

 普段なら私に不潔で臭そうな印象をつけてくれているもつれて固まっていた髪は乾いたらまっすぐサラサラになるように洗いあげられて、ぼろタオルを巻き付けてまとめていた。そのせいで、垢が落とされたばかりの私の顔が丸見えになっていたのだ。

 サイズが全くあってない、お古のブカブカよれよれの防寒肌着一枚の姿でカウチに立膝し、ボリボリと塩をまぶしたナッツを食ってる私をチラッと見てすぐ気まずそうに明後日の方へ視線をそらす。その程度の人倫をまだ手放していない姐さんの亭主は、ああ見えて死んだ後に天国へいく資格をギリギリ残してるようなヤツだってことなのだろう。ぺらぺらの防寒肌着一枚きり、鎖骨やら脚やらむき出しで裸も同然のガキが立膝してるところをジロジロニヤニヤ眺めまわしてこないあたりはなかなかに紳士だった。

 でも、そろそろこいつも便所生活切り上げさせて姐さん教育でも仕込んでから、兄貴分に献上すべきだな。いやなんなら兄貴連中をすっとばして親分さんに御開帳するのもありかと小狡い計算を働かしてそうな表情をしたことをしっかり見ておく。

 なんにせよ、だ。


「姐さん、残念だけどあの亭主出世しないよ。あれはバカだ。今すぐにでもこの店から放り出した方がいい」

「だから分かって無いねえ。出世しないような亭主だから一緒にいんのよ。下手に出世なんかされてこの動画屋の経営に関われないなんてことになってたまったもんじゃない」


 あたしは動画屋のマダム以外のもんにはなる気はない。親分や幹部の嫁か情婦になってむさっくるしい男連中の面倒見なきゃなんないなんて冗談じゃない。小気味よくターニャ姐さんは言ってのけた。


 本当はこの動画屋は、ターニャ姐さんの亭主が親分さんから商いを任されている店だ。

 今じゃ公営ライブラリに保存されるような百年前の動画や動漫のソフトが狭い店の中にぎゅうぎゅうに詰まってる。公式に販売されたものから、その当時のオタクって連中がテレビってモニターで放送されたのをテープやディスクに録画してその当時のCMまで保存されてる、今じゃ家一軒の値段でやり取りされるような本物のお宝まである。狭っ苦しい場末のちっちゃな店だけど、その実はおとぎ話の小人や龍が管理するような宝の山なのだ、

 百年前の動画や動漫は、今でも全世界に愛好家がいっぱいいるんでネットにアクセスすれば簡単に見られる。但し、著作権保持者が公式が正規のルートで公開する動画動漫は「現在相応しくない表現がある」とかで勝手に改ざんされたり、権利の分け前を巡って著作権保持者同士がモメたり、こっちが全く知らない理由で突然非公開になったりするんで、視聴環境をネット一本に頼りっきりにするのは危険極まりない。

 その時強みを発揮するのは百年前に売り出された骨董品の円盤やテープの山だ。これを元に有料地下サイトに動画を流したり、古い家電に精通した職人をやとって別の円盤に焼いて好事家に高値で売り渡して儲ける。お大尽の好事家相手には国内外の電気街から買い付けた骨董家電や、それを元に作り上げた家電も売りつける。

 ま、海賊版ってやつで警察に見つかりゃ豚箱行きは免れない。それだけ、動画商売は親分さんにとってはなかなか旨味のあるいい商売って訳だ。


 そして、ターニャ姐さんは亭主に変わって動画屋をまめまめしく取り仕切っている。

 クラシックな動画——特に甘ったるい恋愛ドラマ――のフリークでもある姐さんは、風采もパッとしないし頭も悪い、気が弱くて荒事になればいの一番に逃げ出すかしょんべんたらしながら命乞いをするような男と所帯を持つことに決めたのは、亭主が管理を任されている動画屋と動画のソフトの山に心を奪われたからっていつも嘯く。

 日がな一日、百年前のどっかの大都会や、見た目だけは綺麗な田舎で美男美女が惚れたの腫れたのやってるドラマを眺めながらも手は休ませずに姐さんはマダム業にはげんでいる。

 円盤やテープ、そしてそれを再生するための貴重な骨董家電を海を渡った先にある電機街へ買い付けに行ったり、買った家電を修復する職人がいる地下工房に仕事を差配したり、顧客の好みをリストアップして「こんな動画が手に入りましたよ」と営業かけたり、店を立派に切り盛りしている。

 おかげでこの頃には、親分さんの覚えもめでたくなっていたらしい。店を仕切る姐さんが表向きはあのぱっとしない亭主を立てているというのもお気に召してる理由だそうだ。ここいらを仕切る親分さんは髪と目の黒い漢韓圏の出なので男の後の三歩後ろを歩いてついてくるような女をお好みだ。


 ここはそういう女を好む親分さんが仕切る街だからこそ、私は公衆便所をねぐらにしてサンピン供のおさがりを着ているというわけだ。


 なにせ私は齢十一に満たずとも否応なしに人目を引いてしまうような、呪われた顔を持つ女であった為。




 バカンス期間の冬場とはいえ、私には毎日こなさなきゃならない仕事が山のようにある。

 私の城を貸してるアル中連中に売りつける密造酒の仕入れ、個室の賃料をしぶった兄さん姐さんへ金の回収、親分さんとこの兄貴分経由で差配される本業の大仕事(こっちは冬場は開店休業せざるを得ないんだけどそれでもひと月に一回は請け負っていた)。

 それにターニャ姐さんのお使いで骨董家電の修理をする地下工房にも顔を出さなきゃいけない。零細とはいえ誇り高い個人事業主として生きてくには金ってものはやっぱり大事。


 軍艦が停泊する凍てつく港町の裏通りを私は毎日行き来した。


 姐さんが私の為に用意してくれる服は、さっきも言った通りサンピンのお古ばかり。暖房が効いている部屋の中では防寒用の肌着だけ、外出する時は断熱繊維で出来た黒か茶色か鼠色の上着とズボンを重ね着、重ねばきする。動きが悪くなっては傘を使う時に困るので極力薄着だ。

 機能優先、見た目は最悪。そういうお古にしてくれと私は姐さんに何度も何度も頼んでいる。

 酒場の女給あがりのターニャ姐さんは本当は伝説の歌姫だったという私の母ちゃん現役時代みたいにきんきらに飾り立てたかったみたいだけど、我慢してもらっていた。

 

 凍てついた裏町を、薄汚い恰好で武装した私は堂々と闊歩する。



 その日は地下工房に顔を出す日だった。

 表の世界の名だたる電機屋や電脳のエンジニアやってたのになんでかしらないけど大陸の端っこにある港町の場末にくんだりに流れてきた職人連中が勤労に励んでる金気くさい工房の扉をあけたとたん、見慣れたおっちゃんが私に気づいてにやっと笑う。


「よお小戚、今日は随分こざっぱりしてるな」

「ターニャ姐さんとこでこの前から世話になってるからね」


 私は上着についていたフードをつまんで大きく引き下ろす。工房にいる新入りの若い衆がちょっとびっくりした目をしてこっちの顔を二度みたせいだ。ああ面倒。

 これが冬場、私が本業に精を出せなくなる理由の一つだ。綺麗好きのターニャ姐さんが毎日私にシャワーを浴びる強要する。そのせいで不潔さや悪臭、そしてそれから連想させる忌まわしく滑稽なイメージといった普段の装備が纏えなくなる。

 その点、工房の主のおっちゃんは私の顔なんぞ興味をもつことなくに時候の挨拶を始める。色事に興味を失った年代ってのはこの辺が有難い。


「つうことはそろそろ本格的に冬将軍のご到来か。――ったく、年がら年中地下にこもるとモグラ生活が続くとくっせえ浮浪児コチェビのナリぐらいしか季節を推し量れるもんがなくなっちまう」


 工房からは、これも古いラジオから、骨董らしくノイズが足されていい具合に掠れた音楽が流れる。地下工房の職人連中は好き好んで骨董家電をいじってるような懐古趣味な連中ばっかだから、百年前に出たようなアナクロい文化風俗を好む変人が多かった。

 特に意味もなく、掠れた音楽に耳をかたむけた。流れる音楽は、ここいらでは耳にする機会の多い懐メロのスタンダードナンバーだ。歌姫時代の母ちゃんも昔過ごしていた遠く離れた彼方の街の御殿みたいな高級酒場で歌っては、親分さんにお大尽連中を虜にしたんだって小さい頃父ちゃんに聞かされた十八番の曲。


 海辺でバカンスとしゃれこんでいる若い女が若い男と恋をするって内容の、他愛ない曲。


 ひいじいさんひいばあさんの代からみんな歌ってるような歌だから、おっちゃんもそのメロディーに合わせて口ずさむ。人魚みたいになって裸に恋をしようといった、ちょっときわどい歌詞の所をわざわざ選んで。


「外世界からの侵略者どもも時空をねじって好き放題さらすんなら、いっそのこと地軸を90度傾けてここいらを熱帯にするような景気のいいことをしてくれねえもんかねえ。こっちも青い海辺で優雅にバカンスとしゃれこみたいもんだ」

「そんなことしたら極地の氷が解けて地球中水浸しになっちまうよ?」

「おお、よく知ってんじゃねえか」

「伊達に動画と動漫みてるわけじゃないからね」


 おしゃべりなおっちゃんと普段通りしょうもない雑談を交わしながら、頼んでいたVHS再生機の量産は可能かだとか、この前姐さんが競り落とした特撮番組を一シリーズまるまる録画したテープのダビングは首尾よく進んでるかとか、姐さんのお使いを手っ取り早く済ませた。

 その後おっちゃんと私的な仕事の話をする。私の商売道具である傘の修理を頼んでいたのだ。


「ほら、できたぞ」


 おっちゃんは愉快そうな顔で、修理と改造の終わった私の傘を渡してくれる。黒くてデカイ、大人用の蝙蝠傘だ。一応父ちゃんの形見でもある。


「文字通りのクソ餓鬼だと思ったが、やっぱおめえさんも子供だな。アル中の宿無しにメチル売りまくる糞ったれの口からよもやまさか牙突が撃ちてえなんてピュアい台詞がでてくるとは思わなかった。悪いと思ったが笑っちまったぜ」


 そのうちかめはめ派だ黒龍派だの撃ちてえって言ってくんじゃねえだろな、いくらおっちゃんの腕がいいったってああいうビーム類をおまえの傘に仕込むのは骨だぜ、とおっちゃんはニヤニヤ笑いながらまたつまらない冗談を口にする。


 このおっちゃんはテレビで動漫の類をみて、ネット経由じゃなく紙で漫画の類を読んでた最後の方の世代なのだ。私の爱人が出ている動漫のことだって勿論よく知っている。ガキの時分は紙の漫画も持っていたっていう。それをくれ是非ともくれ、全部くれなんて厚かましいことは言わない、爱人斎藤一がでてくるとこだけでいいからって頼んだら、昔うっぱらちまったなんてニヤニヤ笑いで答えてくれた。


「タイムマシンでもありさえすりゃあ、お前がじじいになったころにはその単行本一冊にとんでもねえ値がつきやがるし、こきたねえ癖に漫画の中の男に懸想する可愛い浮浪児コチェビがなんでもするから売ってくれって泣きついて来るから綺麗に保存しとけ、まかり間違っても古本屋に売っぱらうなって言い聞かせに戻ってやるんだがよぉ。残念ながらこの世界にゃあ小叮当ドラえもんはいやしねえ。諦めな」

「時空捻じ曲げる侵略者はいるくせにねえ……。はー、つまんな」


 それを聞いた時にはショックで力がぬけてしまった。それにうっかり私が漫画の男に懸想していることをバラしてしまったのも流石に決まり悪かった。誇り高い個人事業主としてはビジネス相手に極力弱みを見せたくなかったのに。

 

 この時以来、おっちゃんは何かって言うとニヤニヤ笑いで眺めたがるのだ。小生意気なガキをからかいたいという、おしゃべりなじじいの暇つぶし以上の意図しか感じなかったので私は構わないようにしてはいたけれど、でも面白くはない。

 傘を受け取った私はなるたけ冷静に、それでも機嫌をそこねたという雰囲気を出す。


「好きなだけ笑いなよ。その分修理代は負けてもらうからね」

「おいそりゃねえぜ……って言いたいところだが、こっちの仕掛けが上手いこと仕上がってるかどうかその場でたしかめてえ。その仕上がり次第で割引も考えてやらねえこともねえ」


 久々に酔狂な、おもしれえ仕事だったしな……と、おっちゃんは気前のいいことを言ってくれる。

 ちょうどよかった。ターニャ姐さんの亭主経由で、ヤクの売り上げをちょろまかしたとかお気に入りの姐さんに手ェだしたとか何かしら粗相をしたサンピンをシメて来いって仕事を回されたばっかりだったからだ。


「じゃあ、ついてきてよ」


 修理がすんだばかり、改造のおかげかおっちゃんに手渡す前よりうんと重たくなった大きい傘を持って私は地下工房のドアを開ける。おっちゃんは楽しそうに笑い、工房の若い衆に「昼飯くってくらあ」とだけ言って私の後を大人しくついてきた。

 

 裏通りに出る細い階段を上りながら、私はおっちゃんへ注意喚起する。


「おっちゃんいなくなるとターニャ姐さんが困るから、弾が流れていかないように気をつけるつもりでいるよ? でも物見遊山気分でうろちょろされるとおれもフォローできないからね」


 言い忘れていたけれど、この当時、私は自分のことは「おれ」と呼ぶことにしていた。

 

「誰に説教してやがる。このおっちゃんはおめえの父ちゃん母ちゃんが生まれるよりずっと前に3Dプリンタで密造銃つくってたんだぜ」


 私の後をついてきたおっちゃんは妙な自慢をしてきた。ま、そういう世代ってことだから見た目よりもずっとずっと年寄だってことがわかった。階段をあがって、うっかりすると肺の中すら凍りそうな地上に出る。




「どうだい、仕上がりは?」

「――思ってたのと違う」


 裏通りの袋小路、上半身が吹っ飛んだサンピンの死体を前にして、私は後ろに立つおっちゃんを軽く睨んだ。

 

「相手の上半身を壁に縫い付けるのが理想だった。漫画の方の零式を再現したかった。なのに上半身無くなってる。これじゃ理想と程遠いよ」


 私は、私の爱人が盲目の暗殺者とやりやった時の死闘の結果を再現してみたかったのだ。おしゃべりだけど腕のいい職人であるおっちゃんは、それを汲んではくれていた。体格と力がどうしても足りない私の為に傘の石突から鉄の棒を発射する仕掛けを考案してくれていたのだ。

 ただし鉄の棒が想定外に威力がありすぎて、サンピンの上半身は吹っ飛んでしまったってわけだ。射出音も大きいし反動も大きくて方の付け根が弾き飛ばされそうになったし、鉄の棒を仕込んでいるせいで傘が重たくなり機動性も悪くなった。


 地下工房の主であるおっちゃんも、この結果を重くみたらしい。非合法の機械ばかりこしらえるエンジニアの目でサンピンの死体と肩をさする私を見つめ、まばらに髭の生えた顎をさすった。


「――なあ小戚、面白そうだからチャレンジしてみたがよお、やっぱお前が零式撃つのはどだい無理ってもんだったみたいだな。大の男、しかも漫画の中にしかいやしねえ達人がぶちかますような技、お前みたいな十かそこらのガキがいくら機械のサポートがあっても百パーで再現するのは無茶だ、無茶」

「えー、無茶を無茶でなくするってもんがエンジニアの仕事なんだろ? おっちゃん自身が前に言ってたじゃん。使えないなあ」

「たわけ。おっちゃんはこれでもお前のためを思って言ってんだぜ? 人前で披露できねえような芸のために機動力防御力落としておっ死んじまったら意味なかろうが」

「――、ちぇっ」


 舌打ちしながらも、おっちゃんの言うことはもっともだと、痛む肩をさすりながら私もみとめないわけにはいかなかった。

 鉄の棒をしこんだ傘は重くて片手で振り回すのは事だったし、一戦に一回しかつかえない大技のためにその他の機能を台無しにするのは効率が悪すぎる。しかもそれを使ったあと肩が使い物にならなくなるのは大問題だ。

 爱人と同じ技を使うのはあきらめるべきかな……と、痛む肩をさすっている所へおっちゃんは代替案を出してくれる。


「鉄棒じゃなく、軽い礫を仕込むってのはどうだい?」

「標的をハチの巣にするってわけ? ――悪かないけど、それじゃあ傘っつうより機銃や散弾銃になっちまう。おれ機銃は好きじゃないんだよね。ああいうものはバカでも使えるじゃん。引鉄引きゃあそれで仕舞いなんてつまんないよ」


 ちょうど今下半身だけのこして転がってるサンピンみたいに。足元には弾のつきた拳銃が転がっている。


「おれやっぱり傘使いの端くれだし、基本的には仕込んだ刀剣で勝負したい」

「今更なにいってやがる。鉄棒飛ばす仕組みはほとんど砲みてえなもんだぞ」

「でもさぁ、けどさぁ……」

 

 ついガキまるだしに唇をとがらせちまうと、急に年長者のくちぶりになっておっちゃんは私をたしなめにかかる。


「贅沢言うない。おめえの技量がいくら勝るったって、今の体じゃあセルゲイみたいな使い方をするのはむつかしいさ。足りねえ力を仕込み銃器でカバーするのもなかなか小粋だとおっちゃんは思うぜ?」


 セルゲイってのは私の傘の師匠でもあった父ちゃんの名前だ。

 表向きは傘を使った芸人で、裏っかわでは刀剣を仕込んだ傘で斬ったりはったりするのを生業にしていた。父ちゃんの傘の使い方は今でも思い出せる。潰されちまった顔とは裏腹にそれはそれはきれいなもんだった。まさに蝶のように舞い、蜂のように刺すってやつだった。

 刀剣ってものはいいものだ。ぎらぎら輝る刀剣を自分の体の一部のように使いこなして血煙をあびる男衆はそれだけで男っぷりが二倍三倍に跳ね上がる。私が爱人に恋したのもやっぱり刀剣を粋に使いこなしてるってのも大きかっただろう。


 だから私も父ちゃんや爱人に倣いたかったのに――、という気持ちをおっちゃんは無視してるみたいだった。傘に仕込むあたらしい仕掛けのネタでも思いついたのか、胡麻塩みたいな髭のはえた顎をさすってニヤニヤする。


「悪いようにはしねえ、もうしばらくその傘おっちゃんに預けな。費用はこっちもちだ、なんなら姐さんとこの仕事もオマケしてやっからよ?」


 どうやらおっちゃんは傘の改造が面白くなったみたいだ。私はしばらく考える。

 冬場は極力兄さんたちに顔を見せたくないので本業の受注はセーブする。一応予備の傘はある。それにどのみちおっちゃんには鉄の棒を飛ばす仕掛けをもとにもどしてもらわなけりゃあならない。


「じゃあ、任せたからね」

「おう、仕上がりをまってな」


 下半身だけになったサンピンの写真を撮り、固まりかけた躯のズボンをはがして、確かにそいつの体の一部だってわかる所がそこしかなかったので悪趣味な入れ墨をいれた逸物をちょんぎり(おうっ、とおっちゃんが変な悲鳴をあげていた)、プラスチックの小さいケースの中にほりこんで立ち上がる。


「最短三日で仕上げてよね。いくらシーズンオフでもいつまでも丸腰ってのは不安だからさ」

「その辺は任せな。――けどな小戚、さすがにイチモツちょん切る時くらいは顔色くらい変えた方がいいぜ?」

「――可愛げがないとかそういうクソつまんないこと言う気?」

「バカ、今更そんなこと言うかい。――おめえにゃわかんねえだろうが、そういうことを顔色一つかえずにやられるのを見ちまった恐怖っつうのはオバケや侵略者の比じゃねえってこった。どうせ切るならヒヒヒヒ~って人食い姥みたいな顔して切りやがれ」


 おっちゃんが実演してみせた人食いババアのヒヒヒ笑いを私は真似てみせる。おうおう、それだそれだと笑ったおっちゃんに合わせて私もニッと笑い。傘を預けて帰った。

 地下工房のおっちゃんにとっては、私はいつまでたっても糞生意気でこきたない浮浪児コチェビ以上の何者でもないようだった。


 この街の裏っかわに生きていて、私がどうして小戚なんてあだ名で呼ばれているのか、八つの頃から公衆便所に棲んでいるかどうかを知ってる癖に、この辺によくいるクソガキ以外のなにものでもないという態度で接してくれる大人連中ってのは貴重だ。

 だから私はこのおっちゃんのことが今でも好きだ。



 面倒で厄介なのは、私がどうして公衆便所で暮らしを続けてる上に小戚って仇名で呼ばれる経緯を知ってる、というよりも「人豚ちゃん」なんてニュアンスの漂うこのあだ名をつけて呼びだした他の大人連中だ。

 そいつらは私の母ちゃんと父ちゃんのことをよおく覚えてる。なにしろ母ちゃんと父ちゃんは忘れようたって忘れられない、動画や動漫の登場人物みたいな二人だったから。


 砂漠をつっきるトラック街道、大陸横断する鉄道、それらを乗り継いでこんな東の果ての港町まで手に手を取って逃げ延びてきた、美しい歌姫と美男の傘使い。その後の悲劇も含めて憎らしいほど伝説映えしやがるのだ。

 だからそろそろあの臭くてきったねえ便所コオロギも、空から落っこちてきた天女みたいだった歌姫ヤスミンか、下手な俳優よりよっぽど男前だった傘使いのセルゲイに似てきたんじゃねえかって勝手に興味を持たれる。


 興味持たれた結果、顔を覗き込まれたり服をひんめくられそうになる。それだけならまだ傘でしばきゃあいいだけなのでまだいい。

 どうしようもなくうんざりするのは、ここの兄貴連中がどうやら「いっときでも俺らの世話になったヤスミンとセルゲイの娘は当然俺らの共有財産だ」と思い込んでる節があるということだ。


 ターニャ姐さんの亭主のバカさは、ここいらの兄さん連中の平均値ってとこだろう。

 その日はその後、始末したサンピンの逸物を手渡しに姐さんの亭主とその兄さんがいる事務所へ顔を出しに出向いた。一旦姐さんの動画屋に立ち寄り、一応予備の傘を手にもってゆく。

 首尾よく始末したよという証拠を手渡し、仕事代を受け取る。それだけでしまいだった筈なのに、姐さんの亭主の兄さんが珍しく私をひきとめたのだ。

 お前にしかできない仕事があるから引き受けてくれやって。まるで拝むみたいに。事務所で兄貴が待ってるから上にあがれって必死こく。


 姐さんの亭主の兄貴にあたる若頭のオフィスでもある事務所へは、普段なら私みたいな便所虫は通されない。別に通されなくたって構わないんだけど。


「話って何、兄さん」

「頼まれて欲しい仕事ができたんだよ」


 興味なさそうに振る舞いつつもフードを下ろしたまんまの私の顔をジロジロ見ようって目つきから、ここに呼ばれた理由の七、八割を察した。

 一応話を聞いてみる姿勢を取ってみたら、兄さんはごつい机とセットのイスに踏ん反り返ったまま、そばに控えていた若い衆に顎をしゃくって指図する。


 若い衆が持ってきたのは、ハンガーにかかった冗談みたいなドレスだった。

 キラキラした水色でウェストをサッシュベルトで締める仕様になっている。問題のない家ですくすく育った娘ッ子がピアノの発表会で着るような、美国産動漫のお姫様が着てそうなロクでもないお嬢さんワンピースだった。


 なるほどやっぱり案の定だ。


「今度、南の方からくる若様連中がワルキューレの侵略者退治見物にお見えになるってんで、オヤジより接待の準備を命じられた。中学生の若様連中を白粉くせえ姐さん方に世話させるのは情操教育に悪い。歳の近い娘ッ子を侍らせる方がいいんじゃねえかと、まあそう思ったわけよ」


 ぷっはあーとタバコの煙を吐き散らかしながら兄さんはのたまう。


「小戚、それ着て若様連中の前で歌えや。お前の母ちゃんみたいにな」


 大体のことを飲み込んだ私は、ドアの外で顔を背ける姐さんの亭主を睨んでやった。帰ったらしばく、の意味を思い切り込めて。

 ともあれまずこの若頭の兄さんと話をしなければならない。私は零細であっても誇り高い個人事業主だ。兄さんや親分が好きにできる財産ではないのだ。やりたくない仕事を避けるための交渉を面倒がってはいけない。


「兄さんには幼女専門にやってる女衒の知り合いなんかいくらでもいるだろ? その中にキリギリスみたいに歌の上手いやつだって中にもいるさ。何もおれみたいな便所虫に声かけなくたっていいじゃないか」

「俺は昔、セルゲイと一緒に芸をしてたころのお前をみてんだぜ、小戚。いやさ魂消たぞ。十にもなっちゃない小娘がヤスミンばりに歌いやがるってな」

「歌が上手かろうがなんだろうが、臭くてきったねえエンガチョな便所虫に大事な若様の世話させたなんてのが向こうさんにバレたら兄さんどころか親分の首も刎ね飛ばしちまうことになんじゃないの? 悪いこと言わない、考えなよ」

「……分からねえかなあ、小戚?」


 ぷっはあー、とまた派手に煙を吐いて兄さんは言う。


「若様自らおめえをご指名なんだよ。赤道付近まで噂にとどろく歌姫ヤスミン、親分さんの子飼いと出来ちまって地の果てまで逃げた結果、ダルマにされて便所でクソ食らって生きることになた人豚母ちゃんの娘ッ子が生きてるってんなら是非みてみたいってなあ」


 ──やれやれ、まあまあ、だ。


 ふーっと私も息を吐いた。母ちゃん父ちゃんだけでなく動画や動漫の登場人物みたいな身分になっていたとは。ったく望んじゃないってのに。


「おれがそんな有名人だったとは思わなかったよ」

「拡張現実が地球全体覆い尽くしてどんくらい経つと思ってる? カムチャツカでキリンの夢を見たって報告を読んだメキシコのガキがそいつで手作り動漫こしらえて、それをもとにしたニューヨークでミュージカルがきまってローマでオーディションが始まるまで数時間で済むって時代によ」


 いっそお前とお前の親の話も芝居にでもするかい、稼げるぜ? と兄さんは鼻で笑う。


「──なあ小戚、おめえだってシンデレラって話くれえ聞いたことあるだろうが。こきたねえ娘が仙女のババアの力借りて頭のすっとろい王子様捕まえてその後一生左団扇で暮らすって話だ。女っつうのはそういう話を好むんじゃねえのかい?」

「知らないよそんなこと。ソースはどこさ?」

「俺の隣に座った女は大体、エステと上等の服と美味い飯と夜景を見せりゃあコロンと落ちたもんだぜ。まるでお姫様になったみたいだ、夢みたいだってな」


 この話でわかることは、兄さんと懇ろになった女はみんな考えの足らない空気頭連中だったか、女連中のリップサービスを間に受ける程度にはそのお話の王子さんレベルで兄さんの脳みそがすっとろいか、そんな見え透いた手練手管でコロコロ落っこちるくらいのちょろすぎる山出しの田舎娘が兄さんのタイプだったかってことくらいだ。

 ──案外、おぼこい山出しの田舎娘が好みだって線が強いかもしれない。


「……なあ小戚、俺もたまにゃあ柄にもねえ慈善ってものを施したくなることがある。アンモニアくせえ人豚娘をお姫様に変えさせるような、童話じみた真似をしてみてえのさ」


 なにが慈善だ。そりゃ単なる手前の道楽だろうが、すり替えてんじゃねえ助平野郎……と罵りたくなったが、ふうっと息を吐いてこらえた。


 腕をくみ、天井をみあげ、しばらく間を与える。

 この件に関してはこっちが決定権を握っている、を、知らしめるためのパフォーマンスだ。そのついでに私は今後の策を練った。


 ──冬場は寒くてやってられない街だけど、物心ついたときからずっといる住み慣れた街。母ちゃん父ちゃんがたどり着いて、ターニャ姐さんや地下工房のおっちゃんみたいな好きな大人もいる街。

 なにより私が初めて自力で獲得した財産の公衆便所のある街。

 こんなことがきっかけで、ここともいよいよお別れか。


 だんまりし続ける私に痺れを切らしかけた兄さんの気配を察して、若い衆が動き出す。

 そのタイミングで私は軽く仰け反って首を揺する。そうすると自然にフードが外れ、洗ったばかりでさらさらの髪が揺れる。頭を起こすといい具合に乱れたその髪がむき出しになった私の呪われた顔にかかって陰影という名の化粧を施した。


 兄貴分、若い衆、その場にいた連中みんなが私の顔に注目したのをしっかり確認するが顔には出さない。


「若様たちが来る日はいつ?」


 聖戦士が死んだ後に行くって天国で楽を奏でる天女みたいだったと語られた回族の母ちゃん、黒い髪に切れ長の黒い目がどんな映画スターよりもよっぽど色っぽくてたまらなかったと語られる美男の高麗人だった父ちゃん、あんたの顔は二人のいいとこ取りなのに……って、私をきんきらきんに飾れないこと悔しがるターニャ姐さんよりもずっと高めの評価を、兄さんたちが下したことをそのひん剥いた目つきや息を飲む様子で察した。


「……ああ。一週間後だ」

「分かった。じゃあそれまでに歌の練習でもして仕上げとくよ。その分仕事代は弾んで貰うよ? 本業じゃないことをするんだからさ。それから料金は前払い。じゃなきゃこの仕事は受けない」


 もう一回首をのけぞらせてから反動つけてフードを被り、私は体を翻した。見たい見たいもっと見たい、おらこっち向けクソガキが……って目を向けられるような宝物はあまり見せびらかすもんじゃない。チラ見せして飢餓感を煽るのが肝要だ。


 地下工房のラジオから流れたあの懐メロを口ずさみ、私は事務所を後にする。いつもはバタバタとクソガキ丸出しで歩いてるけれど、この時ばかりはするするしゃなりと捌いて歩く。

 歌姫時代の母ちゃんが、体にぴっちり張り付くタイプのドレス姿で高級酒場のテーブルの間を回っていた時みたいに。もっとも私は母ちゃんの現役時代を直接見たことはないけれど。


 事務所を出る時に、その場で棒立ちになっていた姐さんの亭主に微笑みかけて魅せる。一時までは酒場の歌姫兼妾のプロだった母ちゃんならきっとこうしただろうなって笑みを浮かべて、亭主の服の裾を掴んで事務所のそとに引っ張りだす。


 バタン、とドアが閉じたのを確認してから、予備の傘で思いっきり姐さんの亭主をしばいた。



 さっきから出てきている私の仇名、小戚について説明しておこう。


 寵愛争いに負けた結果、ライバルだった太后に手足切り落とされてダルマにされた上に目と声を潰され便所で糞くらう人豚の刑罰を食らわされた大昔の皇帝の側室が由来なんだそうだ。

 親分がそうだったのか、もしくは兄さん連中の一人に古典に通じたインテリがいたんだろう。いいセンスだ。


 人豚ちゃん、である。そばによるだけで糞がべったりつきそうで、それでいてみっともなさの塊でできあがっているようで堂々と笑いものにいていいような気にさえさせる名前だ。汚らしくて恥ずかしい、こんな仇名を持つガキになんざまともな神経をもつヤツなら近寄ろうって気すらもたないだろう。お友達と思われては困るから。


 実に有難い仇名をつけてくださったもんである。少なくともリーリヤなんていい匂いがしそうで可愛い本名よりずっとマシだ。 

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