掃除人と天上の華

掃除人と天上の華

 いつかこの赤の中に身をうずめて人知れず朽ちていくんだと、

 昔から漠然と、思っていた




 目が覚めて初めて、自分がうたた寝をしていたんだと分かった。


 赤い温室の中に置かれたベンチの上で片膝を抱えて座っていた龍樹たつきは、つっかえ棒代わりにしていた緋姫あけひめを抱え直しながら周囲に視線を走らせた。どうやら温室の中に龍樹以外の人間はいないらしい。風も季節も知らない彼岸花の園は、ピクリとも動かないまま鮮やかな深紅の花を咲かせている。掃除人が片付け者の傍に捧げるために栽培されているのだと分かっていても、その光景は十分に美しいものだった。


「……」


 夢を、見ていた。


 幼い頃、絶望しか知らなかった時代の夢を。


 養護施設から赤くて黒い悪魔に連れられて移った屋敷には、人気がなくて、怖い人間しかいなくて。そこで自分は掃除人として……国家の名を背負って人を殺す者として、ありとあらゆる技術を叩き込まれた。


 元々素質が高かったのだろう。拾われた当初五歳であったにも関わらず、龍樹はその世界を受け入れた。自分が生き残るためにはこの道を選ぶしかないとも、理解していた。緋姫という妖刀に魅入られてしまい、死ぬか殺すかという選択を突き付けられた当時の龍樹にとって、まだ死は選ぶには恐ろしい存在だった。


 ――今なら、どうなんだろう


 龍樹は見るともなしに彼岸花の園を眺めながら、そんなことを思う。


 時として死は生きることより安寧であると、今の龍樹は知っている。


 あの時、緋姫を取らずに死を選んでいれば、自分は一人の人間として多くのモノを失うことなく死ぬことができた。穢れを知らないまま、倫理の何一つ欠けることなく、綺麗なままで。


 ……夢は、幼い頃の自分が望むことのできた、精一杯に綺麗な死に方の具現だった。


 どこまでも真っ赤に続く彼岸花の中に埋もれて、己の中から流れ出る赤を同化させて、誰にも看取られることはなく、ひっそりと消えていく。やがて彼岸花の中に溶け込んで消えていけるならば、自分のように両手が真っ赤に染まった者でも、境界の岸辺へ連れていってもらえると思ったから。


『龍樹。彼岸花には、異名がたくさんあってね。……死人花、幽霊花、そして、曼珠沙華』


 曼珠沙華とは、天界に咲く花を意味する名前。吉事が起きる前触れとして、天からこの花が降るという。


 凶事を示す名が並ぶ中で唯一、吉祥を表す名前。


 ……だから、幼い頃の自分は願った。安らかに死ぬことは許されない身であると、当時すでに、理解していたから。


 せめて死ぬ時は、曼珠沙華に死を吉事として彩ってほしいと思ったから。血濡れた生が終わる祝福が欲しいのだと。


 それだけを、願っていた。


「……もしも、今、もう一度、あの時の選択ができるならば……」


 ぼんやりと、声に出して己に問う。腕に抱えられた緋姫が、その声に耳を澄ませているような気がした。


「俺は……」


 生きることは、つらいこと。龍樹が生きる道には、何人分もの生き血が流れている。


 時として死ぬことは、生きることより安らかだ。そのことを知った上であの当時に戻ったならば、龍樹は死を選ぶかもしれない。


「……いや、無理か」


 だがそんなことを思いながらも、龍樹は穏やかに笑った。口からこぼれたのは、己の思考に否を告げる言葉。


「知ってしまったから」

『ねぇねぇたっちゃん! あのね、彼岸花ってね、こんな異名があるんだって!』


 脳裏に浮かぶのは、底抜けに明るい声。いつでもふわりとなびく髪は光の粒を纏っていて、キラキラと琥珀色に輝く。


『双思華。……ほら、彼岸花って、花と葉が同時には出ないでしょ? 花が咲く時に葉はまだ出てないし、葉が出た時には花は枯れちゃってる。だから葉は花を想い、花は葉を想う……。そんな言葉を持つ花なんだって!』


 彼女は、掃除人としての装束を纏っていても、軽やかに笑う。でもその裏で何度も泣きじゃくってきたことも、龍樹は知っている。


 何をしても、守りたいと思った。


 リコリスの影の高官を歩む宿命に感謝したのは、彼女の命を救う決断をした、あの時だけだ。


 でもあの一度きりのために自分の人生があったと思ってしまったから、もう自分は何度選択の時に戻れても、安らかな道を選ぶことはできない。


「……曼珠沙華に埋もれて、静かに朽ちていくことを望めなくても」


 瞳を閉じて、思い描く。


 自分に光を見せてくれた、唯一無二の存在を。


「君が、生きていてくれるなら」


 天からの吉祥を受ける側ではなく、降らせる側に居続けよう。それが君を守ることになるならば、いくらでもこの両手を赤く染めよう。


 君に、生きていてほしい。


 そう請い願う衝動を、知ってしまったから。彼女を守るために、自分という存在が価値を持つと分かってしまったから。


「……生きていて、ほしい。世間の都合で殺させやしない。……お前は、バカみたいに笑って、生きてればいいんだ」


 自分にその価値があるならば。


 もう、簡単に死なんて、望めない。


「下っ端でも掃除人でさえいれば、国は存在理由を認めるんだ。下っ端でいれば、こなす仕事の数は少なくて済むんだ。……だから」


 彼女に出会って、欲を知った。そもそも『希望』なんて知らなかった自分が、望みに果てがないことを知った。


「……お前は俺みたいに、深みに嵌んなくていいんだ、バカ」


 最初はただ、生き延びることを望んだ。だから存在理由を失った彼女を、自分が掃除人として推挙した。


 でも、生きていられることになったら、今度はつらい目には遭ってほしくないと願ってしまった。だから自分がかばえるように、無理を通して彼女の相方の座に無理矢理収まった。


 彼女の傍にいられるようになったら、なるべく笑っていてほしいと思うようになってしまった。笑顔が見られたら、その表情がずっと続けばいいと望むようになってしまった。


「……葉は花を想い……ねぇ」


 ぼんやりと呟いた瞬間、温室の中の空気がわずかに動いたのが分かった。それに気付いた龍樹は顔に浮かんでいたあるかなしかの笑みを意図的にかき消す。


「たとえあいつに想われていなかったとしても、俺は」


 次いで足を下ろして、緋姫を傍らに置く。いかにも暇を持て余していました、という体裁を取り繕って、龍樹は視線を入口の方へ投げた。


「多分ずっと、あいつを想い続けるんだろうな」

「ごめんたっちゃん! 待たせちゃったよねっ!?」


 赤色しかなかった視界に、フワリと光を纏った栗色が飛び込んできた。自身が巻き起こす風に、軽やかに黒が揺れる。


「……何をモタモタしてたんだ。日が沈むかと思ったぞ」

「だから、ゴメンってば!!」

「メンテに出してた拳銃を引き取りに行っただけなんだろ。なんでこんなに時間がかかるんだ」

「担当者が席外してて、中々帰ってきてくれなくて、事務手続きに時間取られちゃって……っ!!」


 息を弾ませた彼女が龍樹の前に転がりこむ。


 焦りが大半を占めていた表情が、龍樹の元に着いた瞬間にフワリと和む。それから龍樹の言葉を受けてむっと膨れ、だが龍樹が彼女の頭に手を置くと、嬉しそうに瞳が和む。


「……あや


 その変化をつぶさにとらえている自分を自覚して、龍樹はわずかに瞳を細めた。感情を素直に映してコロコロと表情を変えるメープルシロップ色の瞳が、名前を呼ばれてまっすぐに龍樹を見上げる。その瞳が龍樹の表情を捉えた瞬間、なぜか綾の頬に赤みが増した。


「……帰るぞ」


 龍樹は綾の頭をポンポンと叩くと、綾の隣をすり抜けた。龍樹の手の感触を確かめるかのように両手を頭に置いていた綾が、慌ててその後ろに続く。


「待ってよ、たっちゃん! 置いてかないでっ!!」

「ちんたらしてる、お前が悪い」


 そう言いながらも、歩く歩調は常よりかなり緩やかで、彼女が追い付くのをあからさまに待っている自分がいる。


 龍樹は口元に淡く笑みを刷くと、彼岸花の園を流し見た。その中に埋もれて朽ちていきたいという欲求は、変わらず自分の中にある。


 ――でも


「もうっ! たっちゃんはいつも自分勝手なんだからっ!!」


 自分の手に絡みつく、柔らかな温もり。このぬくもりが傍にある限り、朽ちることはできないとも思う。


「そんなこと、分かりきったことだろ?」

「知ってるけどさっ!!」

「それでも、俺の傍がいいんだろ?」


 小さな、でも硬い手に、自分からも指をからめて握りしめる。龍樹の思わぬ言葉に動揺した彼女が、逃げていかないように。


「なぁ、綾。どうなんだ?」

「うっ……うぅーっ!!」


 顔を真っ赤に染めているくせに、綾は結んだ手を離そうとはしない。


 それに気を良くした龍樹は、綾を連れたまま赤い花園から出ていった。




 自分が埋もれるつもりだった花を、君の上に注ぐことは許されるのだろうか。

 凶事であった花を吉事として君に。



 君の生に幸あれと曼珠沙華に、願いを込めて。





  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

Lycoris ー掃除人がいる風景ー 安崎依代@『比翼は連理を望まない』発売! @Iyo_Anzaki

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ