終 未来
果たして、
それは喜ばしいが、
「それで、何でこんなに沢山の衣や宝飾が届くようになるのよ?!」
青々と茂る桜の葉の間から、天色に澄んだ空が覗く。
降り注ぐ初夏の日差しも眩しい昼下がりの
運び込まれる長持や小箱、文の数々に目を白黒させる燈に、傍に控えていた
「まあ、仕方ないんじゃないか? 『
そう言いながら彼が見ているのは、村に建設中の建物。仮設営だった対談用の屋敷を改築して建てられた、「
丹塗の柱、白木の壁、
玄関に続く小道が整備されていく。前庭に松や梅、桃が植えられるのを眺めていた燈が思い出していたのは、やはりと言うべきか、先日の会談のことであった。
瑞希の宮城で行われた会談には、燈と疾風、そして東家から当主と辰彦、西家からも当主と
まず、二人の天子による政治について。既存の「天子」という名称を廃止し、新たに辰彦を「
『今までずっと、天に選ばれた唯一人の御方という意味で「天子様」とお呼びしていたのですから。王様が二人になるのに、同じ呼び方では民も困惑するでしょう』
そう言って、変えることを提案したのは燈だった。名称を変えるのはもちろん、二人の王の名前に由来して付けることで、彼らの時代に天羽が変わったということを後世に残したいとの意図もあった。
彼らが王になることに伴い、東家と西家は兄弟王家となった。高官として会談に参加していた他の有力貴族の中には彼らが王家になることに反発する者もいたが、王家を優遇せず天羽全体から有能な者を高官に任じ、全体の利益を優先すると辰彦が言い切ったことで表面上は納得したようだ。後は、辰彦と寅彦の手腕次第だろう。
そんな彼らを支え、また監視する役目を担うのが、「緋姫」を最高位に据える「緋の宮」だ。
ふと、同じく「緋の宮」の建設風景を見ていた疾風が、手にしていた文書をぴらりと揺らした。そこには、組織の制定の意図や役割などが事細かに書かれている。どうやら彼も会談のことを思い出していたらしい。
「『天羽の尾翼にて双翼の王の道行きを支え、その正しい歴史を守る』か。王位争いを終わらせた元
「そんな言い方しちゃ駄目でしょう?」
燈は溜め息をついた。何故か疾風は辰彦を酷く嫌っているようだった。
でもまあ、言い方は悪いが疾風の言葉が「緋の宮」を設立した理由で間違いないだろう。
二人の王を据えた政治形態についてが粗方決まった後、会談の議題は詠姫制度と真幌月の信仰に話が移った。
かつて詠姫制度について取りまとめ、天羽の民俗にも造詣が深い宮城の高官達は、ただ単純に真幌月の伝承を無かったことにするのは良くないだろうと言った。天羽にとって真幌月とそこで眠る女神に対する信仰はとても根強く、政治だけでなく行事事や慣習、美術や工芸といった文化にすらも密接に関わっている。それを全て無かったことにはできないだろうから、と。
その発言に対し、燈は伝承に沿った形で詠姫の制度を終わらせてはどうかと言った。
『「邪神になってしまった女神様は、長年詠姫を捧げ続けたことによってとうとう浄化され、目覚めることができました。彼女は今も真幌月の上から、天羽の民を見守っています」。このような話を広めることができれば、女神様も真幌月も無くすことなく詠姫を終わらせることができるのではないでしょうか』
かつての権力者によってでっち上げられた伝承が悲劇を生んだのなら、さらにでっち上げることでその悲劇を無くせばいい。そんな大胆な考えに一同は唖然となった。
その中で真っ先に反応したのは、案の定というべきか、辰彦であった。
彼は固まった場の空気に不釣り合いなほど大きな笑い声を上げると、挑戦的な光を瞳に浮かべ、未だ鳩が豆鉄砲を食らったような顔の面々を見渡した。
『これはまた面白いではないか。では更に、女神が我々の前に現れたとするのはどうだろう?』
曰く、長く続く諍いに心を痛めた詠姫が、
『私と燈が対談をする前にそれが起きたのだと言えば、疑う者は少数に抑えられるだろう。彼女を「緋姫」とし、女神に仕え歴史を守護する者に任じれば、新たな伝承を歪めることなく浸透させることもできる。良いことばかりではないか』
まるで詐欺師のような物言いではあるが、確かに理に叶っている。燈としても、再び伝承が歪んで誰かが犠牲になるのは一番避けたかったので、自身が「緋姫」として天羽を支えていくことを受け入れた。
よって、「緋姫」と、彼女を長とし、天羽の神事と宮城の監視を司り伝承と歴史を守る「緋の宮」の成立が決定したのだ。
不意に、夢桜に一際強い風が吹いた。これから本格的に夏が始まることを想像させる、全てを新緑に染めるかのような薫風。
回想をやめ長く垂らした髪を抑えた燈は、自らが纏う衣を見た。女将さんから貰い、緋姫の象徴となった緋色の装束。
「『緋姫』となったことに不満はないわ。自分で詠姫であることをやめたけれど、辰彦様と寅彦様が作る国の力になりたいと思っていたし、私の手で新しい伝承を守れるのは嬉しいもの」
鮮やかな
やはり、一番の問題は増え続ける贈り物だ。
「辰彦様も寅彦様も『これは感謝の意を示したものだから』っていうけど、いくら何でも多過ぎでしょ! 辰彦様なんて、『もっと豪勢な生活をするべきだ』って緋の宮に私の私室を作るように言うし。私はあの家で十分なのに……」
あれでは、感謝ではなくてただのおせっかいだ。そう言ってむくれる燈を見て、疾風はケタケタと笑った。
「別にいいじゃんか。辰彦様も寅彦様も、燈のことを妹か友人とでも思っているんだろ。寅彦様も、稽古をしにしょっちゅう来るし」
どうやら説得した日に反骨精神を煽ってしまったらしい、と疾風が苦笑する。だが呆れた表情ながら、何だかんだ良い友人関係を築いているようだった。
あっけからんとした疾風の笑顔に、不貞腐れていた燈も思わず微笑みを浮かべた。何だかんだ「まあいいのかな」と思えてくる。
「そうね。どんなに暮らしが変わっても、疾風がいるなら大丈夫だわ」
得意気に言った燈は、ふわりと軽やかな足取りで疾風の正面に立つと、一転して真剣な表情で彼を見上げた。
「ねえ。全部終わったら聞いてほしいことがあるって言ったの、覚えてる?」
「ああ」
頷く疾風はいつも通りの笑顔。燈はその優しい表情に、一瞬はにかむように瞳を伏せて言葉を探す。
ずっと、話したいこと、それと聞きたいことがあった。
「私、疾風にとても感謝しているの。貴方に出会わなければ、今の私は存在しない。疾風が一緒にいてくれたから、ここまで歩いて来られたのだわ」
再び顔を上げ、真摯な口調で話す。「何を今更」と呆れられても仕方が無いようなことではあるが、燈は今、ありったけの思いを込めて伝えたかった。疾風に伝えることができる、今この時に。
疾風は不思議そうに眉を顰めることも、もちろん呆れることもしなかった。ただ微笑って「ありがとう」と告げた。
「俺も同じだ。燈がいなければ今の俺はいない。お前と出会えたことを、お前がここにいることを感謝しなかった日はない」
溢れんばかりの愛おしみだけでできた言葉は、耳にこそばゆい。羽毛に包まれるかのような柔らかな愛情に思わず身を委ねそうになるが、ぶんぶん首を振った。まだ伝えたいことがある。……どちらかというと、こちらは聞きたいことかもしれないけれど。
暖かな空気に押し負けないように、ぎゅっと拳を握る。高鳴る鼓動が胸に痛い。声が震えないように意識しつつ、燈はそっと囁いた。
「あのね、ここ最近ずっとよく分からない感じがするの」
「よく分からない感じ?」
調子でも悪いのか、と疾風が顔を覗き込んでくる。燈は少し頬を染めて、ぶんぶん首を振った。
「そうじゃないわ。……ただ、疾風が近くにいると胸が苦しくなって、近づきたいような、逃げ出したいような、そんな感じがするの」
それは、
あの時は、この気持ちの名前を知らなくてもいいと思った。疾風と一緒にいられるならそれでいいと。
けれど、今は知りたかった。色々なことが新しくなる今だからこそ、知れなくなる前に。
「これは、一体何なの? この気持ちに名前はあるの? これが、女将さんが言っていた『好き』っていう気持ちなの?」
言葉にするたびに、熱い思いがせり上がってくる。「知りたい」という気持ちが胸をつく。
「私は知りたいの。この気持ちの名前も。疾風の思いも」
今まで、知りたいと思っていたことの全てを。
僅かに瞳を潤ませて訴える燈を疾風は呆気にとられたように見ていたが、不意にその顔をぐいっと近づけて来た。
「……本当に、知りたいか?」
柔らかな前髪の隙間から、射抜くように鋭い黒瞳が覗く。燈はびくりと肩を震わせた。顔を真っ赤にしながらも、こくこくと必死で頷いた。
疾風が、さらに近づいてくる。吐息すらも感じるほどの距離で、ふわりと優しく微笑むのが見えた。
「……っ」
一瞬、唇に柔らかい感触。口づけされたと気づいた時には、目の前で疾風が笑っていた。
「俺は、燈が好きだよ。……まあ、こんなことをしたいって思うぐらいには」
赤みを帯びた頬を指で掻きながら、独り言のようにぼそぼそと言う。それを、燈は未だ夢現のような心地で見ていた。が、不意に疾風が燈に視線を戻した。
「でも、今はこれで十分だよ。俺は燈の傍にいられたら、それだけで満足だからさ」
明るい声でそう言うと、どこかに駆けていってしまう。
燈は何か言うために追いかけようとして、その「何か」が見つからず立ち止まってしまった。
(私は、疾風に何て答えたらいいんだろう)
疾風の言葉を聞いても、未だに自分の気持ちがよく分からなかったりする。
暫く考えて、燈はそっと、自らの唇に指を当ててみた。
初めての口づけ。突然された時はびっくりしたし、ずっと心臓が高鳴って静まらなかったけれど、特に嫌だという気持ちは起こらなかった。それは疾風が言うように、燈も彼が好きだからだろうか。自分も、疾風とこんなことがしたいと思っていたからだろうか。
暫く考え込んでいたが、ふと、自分の心が質問している時よりも凪いでいることに気づいた。あれほど知りたくて堪らなかったのに。
その理由を考えていて、彼が「傍にいられたら満足」と言っていたことを思い出した。
(そうだ。その気持ちは、私も変わらないわ)
疾風の傍にいたい。ずっと一緒にいたい。それは燈の、変わらない願い。
少なくとも、彼もそう思ってくれているらしい。
それなら、今は大丈夫かなと思った。疾風がいれば、どんなことも乗り越えられたから。
どこか清々しい気持ちになって空を見上げると、一羽の烏が遥か瑞希の方へ飛んでいくのが見えた。
その力強く羽ばたく姿を見送りながら、燈は真幌月を思った。
どんなに目を凝らしても見えないけれど、きっとどこかの空を渡っているのだろう。燈が望み、願い、作り出し、多くの悲劇を生み、けれど沢山の人を助けて、いつか消えていく夢の舟。
燈はかつて、神主様に教えてもらった言葉を呟いた。
「三日月は弓、半月は舟、満月は鏡」
けれど今なら、月の舟なんて無くてもどこにだって行ける。
疾風がいるのなら、きっと世界の彼方へでも。
「でも今は、世界の彼方よりも天羽の行く未来が見てみたいから」
だから、今は「緋姫」として頑張ろう。この双翼の鳥が、どこまでもどこまでも飛んでいけるように見守っていこう。
優しいが力強い風が、緋の衣を纏った燈の背を強く押していた。
*
“女神は兄弟に対の翼を与えると、再び真幌月へと帰っていった。
神懸かりを受けていた詠姫はその役目を終え、新たに「緋姫」として女神の代わりに天羽を見守り続けることにした。
その初代緋姫を讃え、天羽の末永い栄光を祈って、この書を著すものとする。
末尾ではあるが、緋姫を影日向に支え、護り続けた黒衣の少年がいたこともここに記しておく。
彼らの栄誉と望んだ未来が、いつまでも伝えられるよう。“
――緋の宮編纂、東西両王家監修『天羽月舟伝』末尾より抜粋。
緋姫 〜天羽月舟伝〜 潮風凛 @shiokaze_rin
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