「じゃあ、エッチしたいって思ったことある?」
男にとって、この言葉は不登校の幼馴染に言われたいセリフナンバーワンだと思う。
一方、一番好きな人に言いたい言葉ナンバーワンは何かというと、「僕を肯定してください」だと思う。
大人になっても素直に言えない言葉ってあると思うんですが、青春時代って気持ち的に言えなかったり、そもそも言葉に出なかったりして言えない言葉がたくさんある。
僕も子どもの頃は(今でも)答えを急かされているように感じて、時間に流されて取り残されるのがめちゃくちゃ怖かった。
子どもの潔白さで世界を見ると、一番好きなものを神格化、特別視しすぎちゃって、手が出せなくなったり言葉が出なくなったりする。こうして時間がどんどん過ぎて、できなかった後悔が残ったまま大人になる。
めちゃくちゃ甘酸っぱいし、すごく辛い。いずれ忘れるのかもしれないし、死ぬ間際まで覚えているのかもしれない。
彼女が十人いる男が最初に連絡するのは十番目の女だと話の最初に出てきますが、男って、濁しちゃうんでしょうね。照れくさくて。
作中で、行人の周りに、女の子が数名出てきますが、一番どうでもいい女ほどセックスがしたいと言いやすい。
常に一番を選べるほど人は強くないし、一番を選べない後悔の痛みをやわらげるために、少しずつ現実を知って諦めながら大人になって行くんだなあと思いました。
そういう意味で、ちゃんと一番を選べた行人くんは男らしいし羨ましいですね。
ともあれ、何が言いたいかというと、行人を見ていると、悪友と語り合っている感じがします。
そして、煙草を吸う未成年の女の子は大変えっちだということです。
そもそも、『大人』というものに明確な定義はない。聞くところによると、来春から成人が18歳に引き下げられるらしい。国際基準。そんな、実に適当なルールでしかない。
しかし。彼らは純粋が故に誠実である。
答えがあるはずだと藻掻いてみせる。『大人』と呼ばれる人達がとっくに諦めてしまったことを見据えようとする。
その誠実な態度が、彼らを苦悩へと誘う。現実感、境界線、意味。
探せば探すほど薄れてしまうものを掴もうと、足掻く。
やがて、彼らは忘れるのだろうか?
セックスに慣れたとき、彼らは『大人』になるのか?
苦悩は、深淵へと誘う。そう思いたい。
言語化できない空気までを、見事に漂わせてみせた本作。
是非、ご堪能ください。
お薦めです!
中学生の主人公の一人称で綴られた、思春期の少年の懐く想いを感じ取れる物語です。
皆、過ごしてきた中学生、思春期という時代に、どういう記憶、印象を持っているかは様々だと思うのですが、私は時間だけは腐る程、あって、でもお金はいつも不足していて、自由に様々な事に興味を持ち、言及するけれど、多分、不自由な顔をして過ごしていた気がします。
自己矛盾があると自覚しつつも、認められず、「何か特別なもの」を探している…そんな不安定さ、危うさが感じられました。
大人になればできなかった事が増える反面、できていた事ができなくなっていく…ふと、そんな寂しさを憶えるのは、中学生の等身大の人間関係を描けているから故でしょうか。
ふと自分も通ってきただというのに忘れてしまっていた事に気付かされました。
主人公は、行人という中学三年生の少年。
中学最後の夏。夏休みのすぐあと。
彼と登場人物たちとの間で、会話が交わされ、時にちょっとした夜歩きの冒険を経て、彼の物語が進んでいきます。
彼を取り巻く、不登校、いじめ、家庭内暴力、病気、性への興味――
それらはなにげない日常のひとコマとして、少年の目を通して淡々と進んだかと思うと、その時々で立ち止まっては少年の中で彼らしい思考を繰り返します。
少年の一人称による感情の吐露がとても巧く。
少年少女の間で交わされる会話はテンポよく、時にコミカルで。
グイグイと読者の目を惹きつけます。
少年の、まだ広くはない視野と幼さを残した心情に、気がつくとどっぷりとはまっていきます。
この筆力の高さ。
恋愛もの・現代ドラマを書かれている方にはかなり参考になると思います。
ラストでわかる、タイトルの意味がとても素敵でした。
主人公は、まるで溯上をしようとしない魚のような雰囲気があった。小説の主人公と言えば、人間関係が苦手で、不器用な人を思い浮かべるが、この主人公はまるで泳ぎ方を知っているみたいに流れを行く。それはスクールカウンセラーの女性の言葉に、よく表れている。この女性は主人公の兄の元彼女だ。
主人公が人間関係を巧くやっていく分、主人公を取り巻く登場人物たちは、不器用さがある。ゲームをやりながら主人公を待つ、不登校の少女。短命だが能力に勝る兄貴。その彼女。病院から決まって金曜日に逃げ出す少女。
きっと皆、神様を探して生きている。
自分の思い浮かべる、神様を――。
青春の生と性の中でもがく様が、主人公の目を通して綴られていく。
是非、御一読下さい。
私はたまたま「眠る少女」「拳銃と月曜日のフラグメント」「南風に背中を押されて触れる」という順番の後で、この作品を読みました。
「南風に背中を押されて触れる」は
まだ連載中です。
登場人物の今と過去を知る事が出来て、
私が読んだ順番は偶然ながらも良かったなぁと思っています。
(どの作品から読んでも大丈夫な小説になっています)
思春期特有の何でもない風に装いながらも、
実は言葉たった1つで傷ついてしまう危うい繊細さ。まるで世界はそこにしかない様な閉塞感を
思い出した気がします。
そこに絡んでくる性と生。
主人公の行人は軽薄な様で、
実は性に対して性欲だけではなく
自分をも変えてくれる何か期待しているのです。
「セックスは肯定してもらえるもの」
と思っているところからも
軽薄さは表面上のもので、むしろ潔癖さを感じました。
ただ、本当に好きな子をその対象に出来ないというか、しないところが、
この話の複雑なところで……。
1番重要なところではないかと単純な私は思っています。
ここから「南風に背中を押されて触れる」
へと、時は飛ぶのですが、
そちらはそちらで色々な事柄が枝分かれの様に
なっていて……。
どの作品を先に読むかで、
印象が変わるかもしれません。
ただ、どれから読むにしても、
思春期の青さにどっぷりハマりたい方には
こちらをオススメします。
そして、こちらを読んだら
「南風に背中を押されて触れる」も読んでしまうことでしょう。
逆もまた然りなのです(笑)
他の小説も……。
主人公の行人は15歳。
中学3年生男子らしい好奇心と、戸惑いと、
ある種の達観をまとって生きている。
女の子も気になる。
仲のいい子がいて、何かと気がかりな子がいて、
兄の彼女も魅力的。
そうなれば当然、性への興味は尽きない。
学校ではいじめがあり、
不登校の生徒もいて、街には暴走族がいる。
そんな環境のなか、
迷いながらも“成長”していく行人の姿がすがすがしく、
読む者の手を止めさせないフックも配置されていて、
納得できるエンディングも用意されています。
あくまで淡々としてクールな筆致。
そのことが、「青春の生々しさ」を
より色濃く浮き彫りにしているようにも感じます。
若干――ほんの小さなことですが、
わずかなほころびを感じる部分はあります。
が、作品の本質を揺るがすほどのものではなく、
本作が素晴らしい青春小説であることに変わりはありません。
お見事でした!