夕刻、ときどき紙飛行機

鹿島 コウヘイ

正しくない紙飛行機の飛ばし方

「おいこら、そこのクソボケ野郎」

「え、ひどい」


 わたしは激怒した。必ずかの邪智暴虐の王を、じゃなくて、とぼけた顔をしている和泉くんをどうにかしなければいけないと決意した。

 とはいっても、わたしのはメロスのような確固たる決意ではなくて、せいぜいビーズクッションくらいの決意だ。なんというか、柔らかくて、むにむにした感じの。


「でも、江藤さんみたいなかわいい女の子に言われるのは悪くないね。もしかしたら、そっち系の男子にとても需要があるかもしれない」

「さいですか。まあ、そんなことはどうでもいいの」


 和泉くんの軽口は流して、わたしは制服の内ポケットから例のものを取り出す。


「これ。和泉くんのでしょ」


 わたしは取り出した紙飛行機をぶんぶんと振る。まるでぬいぐるみで遊ぶ幼児みたいだと思ったけど、わたしはもう大人から慈しむような目で見られる年齢じゃない。今のわたしには、きっと哀れみの目が向けられるだろう。ああ、かわいそうなわたし。


「ち、違うよ。どうしてそう思うの?」


 和泉くんはあくまで白を切るようだ。野郎、と心の中で舌打ちしてから、わたしは紙飛行機の両翼をもぐかのように、ぴっと広げた。たくさんの折り目がつけられた一枚の紙を、わたしは彼に見せつける。


「名前。ここにばっちり書いてあるんだけど」

「あ、やば」

「やりやっがたな、てめー」


 わたしはちょっとだけ怒った。なぜちょっとだけなのかというと、さっき想像したむにむにのビーズクッションが、わたしの頭から離れなくなったからだ。人をダメにしてしまう、あのもちもちに包まれることで、わたしの怒りも柔らかくなってしまったのだろう。たぶん。


「ごめんなさい」

「謝るくらいなら最初からやらないで。家でやって。わたしの仕事が増えるから」

「資源の無駄とか環境に悪いとか、委員会的な理由じゃなくて?」

「たかが一機の紙飛行機くらいじゃ、環境なんてびくともしないでしょ。わたしたちが思ってるよりもとても大きいはずだからね、地球は」


 ずいぶんと無責任なことを言ってしまった。これには地球もびっくりするかもしれない。もし私が地球だったらこう言うだろう。そりゃないぜ、と。

 けれど、どれだけわたしたちが環境を守ろうと躍起になっても、人類はいつか滅ぶ。人類が滅んでも、地球は回り続ける。

 そんな地球が滅びるとしたら、きっと気が遠くなるくらい未来の話だ。わたしたちが地球にしてあげられることは延命治療みたいなもので、本当はなにも意味がないんじゃないか。


 わたしは一度広げた紙を、折り目に沿ってきっちりと折りなおす。

 この紙は、和泉くんの期末試験の解答用紙だ。科目は数学。美しい文字で整然と書かれた数式や証明。丸しかつけられていない、完璧な解答だった。


「返す」


 わたしが彼に向かって投げた紙飛行機は、ゆっくりと力なく飛んで彼の足元に落ちる。教室の床と触れ合って、かさ、と静かな音を立てた。


「チクらないの?」

「別に。犯人を吊るし上げたいわけじゃないし、わたしは美化委員会の仕事が減ってくれればそれで満足」


 紙飛行機を飛ばしているのは和泉くんです、と先生に報告するのは簡単だけど、そうするとわたしも先生から事情を聞かれるかもしれない。考えるだけで気が滅入る。単純に面倒くさいし、明快に怠い。


「けど、わざわざ学校でこういうことをする理由には興味があるかな」


 わたしは空いている机に腰かけて、真正面からじっと和泉くんを見る。和泉くんもじっとわたしを見つめている。けど、彼はわたしと違って、不思議そうに小首を傾げていた。無垢な小動物みたいだ。

 放課後の教室には、わたしたち以外は誰もいない。野球部の威勢のいい掛け声と、吹奏楽部が演奏している、ぷおー、という甲高い音が遠くから聞こえてくる。


「たいして面白い理由じゃないけど、いい?」

「話せるなら」

「学校が嫌いなんだ」


 彼は言った。


「勉強は嫌いじゃない。身体を動かすのも嫌いじゃない。誰かに苛められてるわけじゃないし、友達もいる。きっと他人からは、僕の学校生活は充実してるように見えると思う。でも、すごく嫌い」

「なんで?」

「理由があればいいんだけどね。自分でもどうしてか分からない」


 和泉くんは人差し指で頬をぽりぽりとかきながら、困ったように笑った。その顔は、学校が嫌いと主張する人の顔とは程遠いように見える。


「嫌いなことを続けていると、得体の知れないに時間を食い潰されてる感じがするんだ。日常を無意味に消費されてるみたいで。でも、学校を辞める度胸もない。そんな自分にも腹が立つ」


 ふわ、と風に吹かれて教室のカーテンが舞う。燃えるような夕日に後ろから照らされて、和泉くんは一瞬だけ影に飲まれたみたいに黒くなって、またすぐに明るくなった。


「っていうことを考えながら過ごしてたら、何もかもがどうでもよくなってきてさ。いっそ、もっとどうでもいいことをやってやろうと思って、配られるプリントとか、返却されたテストとかの無意味なものを紙飛行機にして飛ばしてみたんだ。もうどうにでもなーれ、ってね。実際はどうにもならないし、こんなことをしたって、なにも起きやしないと思ってた」


 和泉くんは一息に言う。


「そういうわけでいっぱい紙飛行機を飛ばしてたら、たまたま江藤さんが拾ってくれたわけだけど。これは、なにかが起きたってことでいいのかな」

「さあね」


 わたしは机から腰を下ろし、無言で和泉くんに近寄る。そして、和泉くんから紙飛行機をふんだくる。彼は驚いたみたいで、普段からぱっちりと開いている目をさらに大きくした。 

 そして、わたしは言った。


「面倒くさいことは、嫌いなの」

 


 好きです、と伝えたら和泉くんはなんと言うだろう。



 わたしが抱いている感情を、意味のあるものだと思うだろうか。それとも、無意味なものだと思うだろうか。

 そもそも、わたしのこの感情は異性としての好意なのか、彼の人間性への好意なのか。

 わたしには分からない。分からないことを考えるのは、面倒くさい。


 地球がどうにもならないように。

 この感情も、きっとどうにもならない。

 

 けれど、どうにかなれ。


「飛んでけ!」


 そう大きな声で叫んで、わたしは腕を振りかぶり、窓から思いっきり紙飛行機を投げた。わたしの投げた紙飛行機は、夕日に向かってまっすぐ飛んでいく。眩しくて目を細めるけど、まだ閉じない。いつか見えなくなるときまで、見失わないように。


 また、風が吹いた。とうとう、わたしは瞬きをする。目を開けると、紙飛行機はどこかへと消えていた。

 朱色に染まった夕日だけが、わたしを包み込むように、煌々と燃えていた。

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夕刻、ときどき紙飛行機 鹿島 コウヘイ @kou220

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